河沼郡青津組青木村

陸奥国 河沼郡 青津組 青木(あおき)
大日本地誌大系第33巻 110コマ目

この村もとは1町計北にあり。慶長中(1596年~1615年)の地震に山崎新湖出来しとき今の地に移し、勝木沢村と合せて1村とし青木をもて惣称とせり。
青木・勝木沢両村共に天喜の頃(1053年〜1058年)より有し村にて塔寺村八幡宮神役目目録に載す。
昔は市日ありて繁栄せし所なりという。

府城の西北に当り行程3里12町。
家数76軒、東西4町4間・南北2町34間、四方田圃(たんぼ)なり。

東1町48間東河原村に隣りその村際を界とす。
西は村際にて東青津村に界ふ。その村は戌亥(北西)に当り3町10間余。
南5町谷地村の界に至る。その村まで7町30間。
北14町耶麻郡慶徳組田原村に界ひ日橋川を限りとす。その村まで20町計。
また
申(西南西)の方3町西青津村の界に至る。その村まで4町計。

端村

船場(ふなは)

本村の東1町10間余にあり。
家数5軒、東西25間・南北30間。東は東河原村につづき北は川に近く西南に田圃あり。

山川

日橋川

村より丑(北北東)の方10町にあり。
東河原村の境内より慶徳組大沢村の地を過ぎ、この村の境内を20町計西に流れて東青津村の界に入る。

宮川

村より戌亥(北西)の方8町にあり。
東青津村の境内より来り、北に流るること2町また東青津村村の界に入る。

清水

村中にあり。
東西7間・南北2間。下流田地を潤す。

関梁

船渡場

端村船場の北6町余、日橋川の渡なり。
坂下組坂下村より耶麻郡小荒井組小荒井村に往く径路なり。

寺院

正徳寺

村中にあり。
浄土宗府下五之町高巖寺の末山なり。
山號を本現山という。開基の年代詳ならず。
天文の頃(1532年~1555年)岌圓という僧中興す。圓は百萬遍岌州が薙髪の師にて、永禄2年(1559年)に遷化せり
本尊弥陀客殿に安ず。

稲荷神社

境内に入て左にあり。
鳥居あり。

寶物

山越弥陀画像 1幅
十六善神画像 1幅
多羅筆。
翡翠画 1幅
元信筆。
獅子香爐 1箇
唐物という。
三尊弥陀 1幅
中将姫織物
この5品みな岌州が寄付なり。

岌州文書 1通
後人の寄付なり。
その文如左(※略)

良法院

本山派の修験なり。遠祖三浦義房というもの元弘建武の頃(1331年~1338年)の人にて、その子孫元盛というもの修験となり常見院と称し、葦名直盛に従いこの国に来り会津郡馬渡村に住し後こに地に移り、文盛というものの時良法院と改しという。現住は元盛より18世の孫なりとぞ。
家に左文字の短刀を蔵む。蒲生氏郷より与えし所といい伝う。

古蹟

館跡

村の辰巳(南東)の方にあり。
今みな田圃となり字を腰巻と唱ふ。
天正の頃(1573年~1593年)良法院が先祖勝木沢常見院住せし所という。

釈門

岌州

この村の産にて京師智恩時30世の住職なり。
一に生江山城が奴婢の子という(舊事雑考)。一に生江大膳助が庶子という(正徳寺縁起)。
幼くして正徳寺に入り住持岌圓を師として薙髪し、長して京師に游ひ名聲一時に振い遂に百萬遍に見篆しけり。後奈良天皇州を禁闢に召て法を説しめ紫衣を賜い、且その俗姓を勅問ありしかば答るに葦名の氏族というを以す。
永禄の頃(1558年~1570年)故郷に来り金上盛備に依て葦名盛氏に謁す。この時盛氏除爵の綸旨を帯し来て盛氏に与ふ。この頃は諸国戦争の最中なれば都鄙路阻り。葦名氏数世無位なれば盛氏の喜悦大方ならず。その後師恩を報謝せん為正徳寺に於て道俗を集め説法をして念佛の弘通を勤め、再び京師に帰り天正20年(1592年)10月14日68歳にて遷化せり。


参照

外部リンク等



村名について

明治22年(1889年)、青木村・青津村・沼越村・立川村・五香村・御池田村・三谷村・中泉村・合川村が合併し広瀬村が発足。
昭和30年(1955年)、坂下町・若宮村・金上村・広瀬村・川西村・八幡村が合併して会津坂下町が発足。

青木地区の社寺

6.神社
神明神社 祭神:大日孁神 祭日:九月一日(旧八月十九日) 青木地内。青木鎮守神。
稲荷神社 祭神:倉稲魂神 祭日:九月一日(旧八月十九日) 青木地内。
堅牢地神社 祭神:国底立神 祭日:九月一日 東河原鎮守神。
7.寺院
本現山正徳寺 浄土宗 本尊:阿弥陀如来坐像 像高:六十四糎 青木地内。
地蔵堂 本尊:石造地蔵菩薩坐像 祭日:七月二十三日(旧七月二十三日) 東川原舟場地内。周りには弁財天その他の石碑がある。

法人番号公表サイトで青木地区を調べると下記の登録がある。
法人番号 商号又は名称 所在地 備考
9380005008769 堅牢地神社 河沼郡会津坂下町大字青木字三十刈3879番地 東河原
8380005009000 正徳寺 河沼郡会津坂下町大字青木字青木66番地 青木
1380005008776 神明社 河沼郡会津坂下町大字青木字青木71番地 青木


岌州

岌州(ぎゅうしゅう)
—文禄元年(一五九二)。団蓮社円誉太翁。
生国は陸奥国河沼郡。俗姓は生江氏。百万遍知恩寺三〇世。
戦国時代末期に政治的に活躍した高僧。藤田派岌伝法系に属す。
河沼郡青木の正徳寺岌円のもとで剃髪得度し、会津黒川(福島県会津若松市)の高巌寺岌天に師事、越後蒲原郡津川(新潟県五泉市)の新善光寺の住持を経て知恩寺に進んだ。永禄三年(一五六〇)には上杉謙信の招請に応じて、近衛前久・聖護院道澄・知恩寺前住岌長らとともに越後へ下向する。同五年に帰洛し、同八年には落雷で焼失した御影堂再建募縁のために四国へ下向、元亀三年(一五七二)に知恩寺を退山して堺旭蓮社に移住、その復興に努めた。天正七年(一五七九)には宮中で『阿弥陀経』を進講した。
最終更新:2025年10月30日 11:01