【だーびーすたりおんすりー】
ジャンル | シミュレーション | ![]() |
対応機種 | スーパーファミコン | |
発売・開発元 | アスキー | |
発売日 | 1995年1月20日 | |
定価 | 12,800円 | |
プレイ人数 | 1人 | |
判定 | 良作 | |
ポイント |
操作性やテンポが大幅改善 お任せ厩舎導入で初心者にもやさしいシステムに 初期牝馬と無料種牡馬の伝説 |
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ダービースタリオンシリーズ |
1995年に発売した競馬シミュレーションゲーム「ダビスタシリーズ」の5作目(「全国版」を2作目とみなせば6作目)(*1)。
ファミコン系ハードでは3作目(『全国版』はナンバリングに含めない)としてナンバリングを『III』としている。
基本的なシステムは前作から引き継がれているため、本項では変更点のみにとどめるものとする。
北海道の競馬場が加わって3場開催、更に未勝利でさえなければ登録状況次第ではいくらでも格上挑戦できたりと自由度が大幅に増した。
おまかせ厩舎により初心者へのハードルが下がった上、上級者にもインブリード有効範囲の拡大により、血統を作り上げる楽しみもより深まった。
操作性もスムーズになりサクサク進める点も見逃せないポイントで、ここにきてやっと1つの完成形になったと言えるだろう。
*1 前年にPC版『ダービースタリオンEX』が発売されている。
*2 当該レースで代表的なのはカブトヤマ記念(福島)と中日新聞杯(中京)。父内国産区分は後の2007年に廃止された。その背景として内国産種牡馬の能力が追い付いてきたため。
*3 前作では2場までしか開催できなかったため都合上、夏以外にローカル開催ができなかった。そのため未勝利の限界は4歳9月だった。
*4 同い年の岡部幸雄騎手と並ぶトップジョッキー。引退一年前に44歳で悲願のダービー制覇(騎乗馬:ウイニングチケット)を成し遂げた。
*5 91年トウカイテイオーで皐月賞・ダービーの二冠に勝利。
*6 70年代から90年代初頭にかけてダービーと天皇賞2勝、有馬記念などに勝利。美浦(関東)の所属だったが「新潟事件(1985年)」により騎乗機会を大きく失い一度は引退の憂き目に遭うも、それまでの実績から栗東(関西)からの騎乗依頼を受けることが多くなり1994年からは正式に栗東に移籍した。まだまだ現役なのに(後の1999年2月に引退)ゲームでオミットされた理由はこの移籍に絡むものと思われる。97年発売のPS版では所属関東で騎乗可能
*7 80年代にダービーなど複数の大レースに勝利。直近では93年エリザベス女王杯で久々にG1レースに勝利した際、カンテレ実況アナの「ベガはベガでもホクトベガ」のフレーズで有名。
*8 イギリスのアラン・ムンロ。
*9 ニュージーランドのリサ・クロップ。
*10 後の世では活躍して種牡馬・繫殖牝馬になった馬のほとんどがサンデーサイレンスの血が入った馬ばかりになり、交配相手を探すのにも苦労するという状況にもなったと言われる。これが緩和されるのはさらに後になって活躍するキングカメハメハなどが登場してからのことである。
*11 本作時点での最上位は相変わらずノーザンテースト。因みにこれは『ウイニングポスト』などでも同じで1996年のゲームあたりから最上位扱いになった。
*12 奇しくも前年、圧倒的な強さで三冠を制したナリタブライアンがこれを付けていたため、一躍その存在は有名となった。
*13 それまで大レースでセンは勝てないジンクスがあったが、1993年にレガシーワールド、1994年はマーベラスクラウンといったセン馬がジャパンカップを制したことで注目され始めた。
*14 三冠など4歳GIや宝塚記念、有馬記念、ジャパンカップは本賞金が特定額以上という条件があるが、それさえ満たせば100%除外されることはない。
*15 このように出走のチャンス自体が少ないこともあって現実では地方や障害へ転向することが多い要因になっている。なお競馬場の縛りは2024年に解禁され東京・中山・京都・阪神でも登録だけならば可能になり登録状況次第で出走できるようになった。
*16 テューダーミンストレルやグリーンダンサーといった勝負根性ダウンはもちろん論外。
*17 ただこれは原因もはっきりしていて、夏のGII高松宮杯に出走するなどして無茶なローテーションが祟ってやっとこ出走にこぎつけるだけが精いっぱいのぶっつけ本番で明らかにベストには程遠い状態だった。夏に休養してトライアルを挟む王道なローテーションを踏んでいれば勝ちは難しかった(勝ったビワハヤヒデの強さが盤石過ぎたため)にしてもこれほどの大敗はなかったと言われている。
*18 中山2000mで行われる。単なる3歳(現2歳)の500万下条件(1勝クラス)の特別戦
*19 中山2000mで行われる3歳のオープン特別。現在GIになっている同名レースはこの当時の「ラジオたんぱ杯3歳ステークス(阪神2000m)」が前身となっているため実質別物。2014年に阪神から中山に移り、当時のオープンだった同名レースに重なった形になった。因みに関西馬のウイニングチケットがわざわざオープンのために関東の同レースを選んだ理由として「皐月賞と条件が同じだから場馴れ」「拠点が関東の柴田政人騎手を主戦騎手に据えるために配慮した」などと言われている。
*20 馬体重を回転させて作成した事から「回転馬」と呼ばれる。
*21 モデルの戸山為夫師も去勢に積極的で初のセンによるGI制覇(1993年・ジャパンカップ)を成し遂げたレガシーワールドなどは有名(もっともそれが実現したのは彼の死後、後任の森秀行師に引き継がれてからのことだったが…)。
*22 当時春にあった4歳馬向けの芝1200mのGIIIで現在のファルコンステークスの前身に相当。史実での主な勝ち馬としてはダイタクヘリオスやサクラバクシンオーが挙げられる。
*23 1995年4月から始まった任天堂の衛生データ放送サービス。当時はほとんど普及していなかった衛星放送環境が必須なため利用者は少なく2000年6月一杯で終了した。
*24 菊花賞ではライスシャワーに差されて2着。皐月・ダービーの二冠馬は腐るほど存在するが、菊花賞には故障で出走できなかったり惨敗した馬が多く、菊花賞2着の準三冠馬はクモノハナ、ボストニアンに次ぐ当時3頭目(後のことだが他に準三冠馬はダービーのみ2着に敗れた2000年の皐月賞・菊花賞馬エアシャカールがいる)。
*25 オグリキャップらと同世代にあたる短距離馬で1988年のマイルチャンピオンシップを制した。1番人気に支持されたダービーの惨敗や気性が悪さで有名。1987年の阪神3歳ステークスも制している。
*26 オグリキャップらと同世代にあたる第55代(1988年)ダービー馬。他に1987年の朝日杯3歳ステークスも制している。
*27 実際にやると「危険な配合」に加えナスルーラクロスによって気性に相当な悪影響が出るため、まともに走れない馬も少なくない。もっともスピードだけはあるので高額で売却できる。
*28 地方競馬で25勝を挙げる活躍。無料ではないが、種付け料50万円という安価な種牡馬。
*29 一応、中央競馬会からの直接の引き取り手が「乗馬クラブ」の扱いで、それを介して処分業者に回されるので中央競馬としての扱いは「乗馬」ということになる(「あとのことは中央競馬会はあずかり知らぬ」という建て前でもある)。
*30 もちろん当時でもわずかながら本当に民間用の乗用馬になったものもいる。またレガシーワールド、マーベラスクラウンなどといったGI勝ちのセン馬などは民間乗用馬にはならなくても引退後天寿を全うするまで暮らせる場を与えられることが多く、この場合も表向きは「乗馬」とされていた。