【だーびーすたりおんきゅうじゅうろく】
ジャンル | シミュレーション | ![]() |
対応機種 | スーパーファミコン | |
発売・開発元 | アスキー | |
発売日 | 1996年3月15日 | |
定価 | 12,800円 | |
プレイ人数 | 1人 | |
判定 | 良作 | |
ポイント |
ライバルや騎手が実名化しファンファーレは現実再現になった パスワードでカセット間の交流が可能に 唯一のサテラビュー対応 「面白い配合」の登場 |
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ダービースタリオンシリーズ |
1996年に発売した競馬シミュレーションゲーム「ダビスタシリーズ」の6作目(「全国版」を2作目とみなせば7作目)。
基本的なシステムは前作から引き継がれているため、本項では変更点のみにとどめるものとする。
ファミコン系ハードでは4作目だがゲームの地盤は完全に『III』ベースでマイナーチェンジのため『無印』→『全国版』同様と新しいナンバリング『IV』扱いにしていない(「3.5」のような位置付け)。
ゲームの根本は前作のマイナーチェンジだが実名化や後述の新機能の数々が高い評価を得ている。
根本的なシステムは前作をそのまま受け継ぎ、データを入れ替えたマイナーチェンジにすぎないが、リアル要素の充実もあって、それにとどまらないものになっている。
サテラビューこそ使える者が限られるが、パスワードによる配合の幅が広がっただけでなく、危険な配合の穴だった部分や、レース中以外でのリセットによるイカサマの防止もあり、より実力が試されやすいものになったと言えるだろう。
また批判的意見もあるが、オークス、ダービーとクラシックの最高峰に関しては他人任せでは取りにくくなったことで、まさに実力証明のようなレースとなった点はよりこのゲームの奥深さにつながっている。
*1 1989年のジャパンカップを制した外国馬の「ホーリックス」のみ実名。
*2 現実ではインブリードは不受胎(種付料がパー)などのリスクを懸念する傾向が強く、少なくとも当時はリスクの低いアウトブリードの方が主流だった。
*3 一例としてキュービックムーン(ダンシングキィ)×サンデーサイレンスのダンスパートナー・ダンスインザダーク・ダンスインザムード三姉弟配合で、この場合ノーザンダンサー系とヘイルトゥリーズン系のニックスが成立しているので「なかなか面白い配合です」というコメントが出ない。
*4 血量50%以上で発生する危険な配合はクロス8本以上で発生する危険な配合と区別するために「超危険配合」と呼ばれることもある。
*5 ノーアテンション産駒の牝馬にまたノーアテンションを種付けした産駒。ノーアテンションはスーパークリークの父として有名。
*6 「アア」「アアアアアアアアア」等、同じ文字のみは却下される。
*7 他には後の話だが1996年にオークスを制し、1997年には牝馬で初の2000m天皇賞を制したエアグルーヴも輩出している。
*8 凱旋門賞には1992年生まれのラムタラ等が登場するが、本作では海外馬は年齢固定なので特例的な措置と言える。
*9 サテラビューや牧場のポスト(データ取り込みパスワード機能)がないがファンファーレは本作同様に実際のものを使用している。
*10 「ニンテンドウパワー」とは1997年9月~2002年8月までローソンで行われたスーパーファミコンソフトの書換えサービス。書換え用カセットである「SFメモリカセット」を購入し、それにゲームを書き込むと言う方式(メモリ次第で複数タイトル入れることも可能)。サービス開始当時既にプレイステーションに世代交代していたので特に注目もされずカセットは購入時は空状態で、別途書換え料金が必要という割高なことも災いして普及しなかった。その後は任天堂サービスセンターに移行して2007年2月まで行われた。
*11 『平成版新鬼ヶ島』のようなパッケージ版ではなく、あくまでベースは書換え可能な「SFメモリカセット」なので『ダビスタ98』が不要になったら他のゲームへの書換えは可能。
*12 実は武豊がデビューした1987年当時は叔父の武永祥がいたため「武豊」表記で1993年に永祥が引退したため、このわずか4年弱の短い間だけ「武」だった。2017年に弟の幸四郎が豊に先んじて引退したことで再び武姓の騎手は豊1人のみとなったが、この時は本人が「武豊」の表記の継続使用を希望し、それが認められたため継続された。
*13 実際本作と似た立ち位置の『ウイニングポスト2プログラム'96』(光栄)でも旧来から収録されている武豊モデル「鷹匠」に加えてその弟設定で必然的に武幸四郎モデルとなる「鷹剛次郎」が史実より1年前倒しで登場している。
*14 PS版以降は馬自体のパスワードだけでなく本人証明用の識別コードが発行されるようになり、大会では識別コードが必須となった。パスワードと異なり識別コードは公開されない。
*15 お手馬はノーザンドライバーやリンデンリリー
*16 そもそも5歳春に故障して復帰した秋以降は大敗を繰り返し三冠制覇時の圧倒的な強さは見られなくなっていた。
*17 1973年に大井から中央入りし無敵の強さで皐月賞含む重賞4連勝(大井時代含め10連勝)し講談社の少年誌「週刊少年マガジン」の表紙を飾り特集が組まれたほど(26号・6月17日号)でスター的な存在となった。圧倒的人気を背負った日本ダービーで3着に敗れたのを機に長距離での弱さを露呈し皐月賞以降八大競走は勝てずに終わったが負けても人気は高かった。1974年一杯で引退し、それを記念して1975年1月に主戦の増沢末夫が歌う「さらばハイセイコー」がポリドールレコードからリリースされ本業の歌手でもないのにオリコン最高4位にまで入る異例の大ヒットとなった。
*18 メジロマックイーン除いて1986・1987年生(1989・1990年クラシック)世代がライバル馬からいなくなりアイネスフウジンやメジロライアンなども種牡馬入り。特にメジロライアンは種牡馬入りしたことで父アンバーシャダイ・祖父ノーザンテーストと揃ってダビスタ初の親子3代同時収録となった。
*19 母としても優秀で本作発売前後の頃には産駒(カツラノハイセイコの孫でありハイセイコーにとっては曾孫)のユウセンショウやゴーカイが重賞制覇を果たしている。PS版では「イワチドリ」の変名で繫殖牝馬として登場