本項目ではファミコン版『ベスト競馬 ダービースタリオン』とマイナーチェンジの『ダービースタリオン 全国版』について併記します。
【べすとけいば だーびーすたりおん】
ジャンル | シミュレーション | ![]() |
対応機種 | ファミリーコンピュータ | |
発売・開発元 | アスキー | |
発売日 | 1991年12月21日 | |
定価 | 8,900円 | |
プレイ人数 | 1人 | |
判定 | 良作 | |
ポイント |
初の競走馬育成ゲーム 断片的ながらも高い再現度 競走中止→予後不良は1作目にして早くもトラウマ 予後不良という四字熟語のような専門用語を有名にした |
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ダービースタリオンシリーズ |
1991年末に発売した競馬シミュレーションゲーム。通称「ダビスタ」として後に一世を風靡することになるシリーズの初作。後述するように主に関東のレースが収録されていることから、後に発売された『ダービースタリオン 全国版』に対して「関東版」とも呼ばれる。
プレイヤーが操作するのではなく選手のデータを入力して観戦する野球シミュレーターゲーム『ベストプレープロ野球』(1988年:アスキー)の開発者である薗部博之氏が制作。
それまでファミコンの競馬ゲームは『ファミリージョッキー』(1987年4月:ナムコ)『競馬シミュレーション 本命』(1989年4月:日本物産)ぐらいでほとんどマイナーな存在だった。
前者は競馬でもレースゲーム、後者はゲームというよりファミコンというゲーム機を使った予想ソフトなので、本格的な競馬のゲームでは初と言えるだろう。
登場する騎手やライバル馬は、中央競馬に実在するものをもじったものになっている(*1)(一部例外あり)(*2)。
種牡馬は実名がそのまま使われ、繁殖牝馬は原則として実在の繁殖牝馬がモデルとなっている(*3)が名前はもじられている(*4)。
競走馬を生産・育成してすべてのGI(ジーワン)制覇を目指すゲーム。
競走馬育成の生産、維持にも金がかかるので、その経営もしなければならない。
システム
牧場
厩舎
競馬場
競馬のシステムは簡略化されて実際の競馬の再現と言うには程遠いところがまだまだ目立っているが、操作性も良く展開もスムーズでゲームとしては無難な形にまとまっており、手軽な競走馬育成が楽しめる。
システム自体もわかりやすくシンプルで飲み込みやすく作られており、初作にして早くも王道な形が出来上がっているのは非常に良くできている証拠と言えるだろう。
【だーびーすたりおん ぜんこくばん】
ジャンル | シミュレーション | ![]() |
対応機種 | ファミリーコンピュータ | |
発売・開発元 | アスキー | |
発売日 | 1992年8月29日 | |
プレイ人数 | 1人 | |
定価 | 8,900円 | |
判定 | なし | |
ポイント |
関西に対応したもののよくわからない所属形態 レース中リセットのイカサマ防止 |
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ダービースタリオンシリーズ |
1992年8月に発売した競馬シミュレーションゲーム。
具体的なシステムは上述の前作から引き継いでいるので、本項では変更点のみにとどめるものとする。
元々前作は「ベスト競馬」と冠するように『ベストプレープロ野球』の競馬版というような位置付けだったが、ここからそれを離れて「ダビスタシリーズ」として独立することとなる。
後にスーパーファミコンで『2(II)』が発売されているので、本作はあくまでも『I』のマイナーチェンジ「1.5」的な位置付けのようである。
ほぼ関東レースしかなかった前作からパワーアップし、関西レースに全面対応した。
操作性に関しては若干ながらスピーディーさが失われた点もあり「関西も取り入れられて大満足」というほどではなく、再現としても中途半端でどちらかといえば続編にしては少々不足感が強いものになった。
そもそも、自由に行き来できてしまうシステムという点で求めていたものとは違う一面もある。
*1 例・岡部幸雄→おたべ、増沢末夫→ますお、柴田政人→しばたま、タマモクロス→タマノクロス、ニッポーテイオー→ニッコーテイオー
*2 当時既に死没していたマティリアルなどは、そのままの名前が使われている。またコンピュータ用語などをモチーフにしたオリジナル馬もいる。
*3 作品によっては種牡馬がモデルだったり繁殖牝馬になっていない牝馬がモデルだったりする繁殖牝馬もいる。
*4 もじり度合いは馬によって異なり、「ホワイトノリピー」(オグリキャップ・オグリローマンらの母である「ホワイトナルビー」がモデル)のように一目でモデルが分かる繁殖牝馬もいれば全く原型をとどめないほどもじられた繁殖牝馬もいる。
*5 現実でも似たようなもので一時的に治っても再発しやすく競走馬にとって不治の病と呼ばれ、これで引退に追い込まれた馬は多い。
*6 当時は産まれたばかりの当歳馬を1歳と数えたので、現在の表記では2歳馬のこと。以下の馬齢も同様。
*7 レース当週は何らかの調教をしないとイレ込みやすくなる。他の調教でも構わないが、馬体重を減らしたくない場合は馬なりが効果的。
*8 正しくはレース中に競走中止に至らない故障をしておりレース後発覚したような形。
*9 馬は一頭数千万以上になることも多く、またそもそも馬主の資格を取得するためには収入や資産に厳しい条件が課される。
*10 ゲームでは取り入れられていないが現実(当時)では10月・11月は福島でのみ未勝利戦が開催されていた。これがシリーズ作品で取り入れられたのは『III』(1995年)から。なお現実では後の2006年に、この福島開催の未勝利戦は廃止となり本当に9月一杯までとなった。
*11 この縛りは後の2024年になくなり、どの競馬場でも出走登録は可能となった。
*12 本作の発売翌日に行われた有馬記念を制したダイユウサク(1985年生)は1988年10月に4歳デビューして勝てないまま5歳を未勝利で迎えたが3月に新潟での400万下(当時の1勝条件クラス)を勝つという数少ないチャンスをモノにして未勝利を脱している。
*13 ニホンピロウイナーなどの優れたマイラーを輩出したが、産駒は中距離以上はほとんど勝てていない。
*14 「ダービースタリオン2必勝攻略法」に収録
*15 一応交配回数が増すほど起こりやすいのである程度交配させたら売却することで防げるが、殆ど交配させていない状態でも死ぬときは死ぬ。しかも本作には年齢も交配回数の表記も無い。
*16 現在使われている「本賞金(5着以内の賞金)」とは意味が異なり、「収得賞金」のこと。実際に獲得した総賞額とは別に、独特の計算方法によって算出された値。
*17 1994年の4歳時は圧倒的な強さだったが、5歳以降は故障のせいもあって大敗も目立つようになり現在ではかなり評価が分かれている。
*18 本作ではシステム自体は「ステークスレース」と呼ばれ、そのうち芝2400mのレースに「ブリーダーズカップ」と名付けられていたが、以降のシリーズではシステム自体の名称が「ブリーダーズカップ」になった
*19 似たケースとしては他に1979年の阪神3歳ステークスの勝ち馬「ラフオンテース」(「ラフオンテーヌ」のはずが担当者が誤認)がある。こちらはオーナーが変更を申請したが却下されるという更に不憫なものだった。
*20 後に有馬記念を勝つなど想像もつかなかった。