耶麻郡川西組戸口村

陸奥国 耶麻郡 川西組 戸口(とのくち)
大日本地誌大系第32巻 23コマ目

府城の東北に当り行程2里28町。
家数23軒、東西3町33間余・南北36間、二本松裏街道に住す。
北は山に倚り南は湖水に近し。

東6町金滓沢新田村の山に界ふ。その村まで9町40間。
南12町湖水を限りとす。
西3町会津郡原組赤井村及び河沼郡代田組八田野村に界ひ、共に十六橋を限りとす。
北10町三本木新田村の山界に至る。その村まで12町。

また
村より未申(南西)の方9町を隔て赤井村の境内、湖浜に家2軒を営み船宿とす。江戸に米を運送する為に設く。
地面、東西1町・南北50間、向戸口(むかひとのくち)という。
ここより安積郡福良組秋山村(注:福良組赤津村の端村秋山の事)と二本松領舟津・浜路の両村に漕す。

山川

名倉山(なくらやま)

村南3町計にあり。
湖面に臨む。
高15丈、山脉((さんみゃく)北に続き坂道あり。二本松裏街道なり。
みな灌木(かんぼく)にて大樹なし。

翁島

村の辰巳(南東)の方2町50間、湖中にあり。
東西2町30間・南北2町余。
雑樹生茂れり。
村老の説に、昔夫婦の老人ありここにすむこと久し。因て名くという。
中に小祠あり。翁明神という。
また真言の徒重想という僧この島に住居し、永享中(1429年~1441年)金曲村寶生寺を開けり。
また元和の事(1615年~1624年)興海という僧(ここ)に住し河沼郡牛沢組塔寺村の観音堂を再建す。今も上人船着という処あり。

戸口川

村西3町にあり。
湖水の洩る處にて日橋川の上流なり。土人呼で銚子口という。
ここより1町計下流に1の(まきめ)あり。1より7まで漸々に数えて一の巻、二の巻という。水極めて深し。
北に流るること凡1里余布藤村の界に入る。
広48間余。

関梁

十六橋


村南3町、戸口川に架す。
昔十六断ありという。この川大橋を架すべき便なければ、中流に塚の如く石を累ね築きその間に丸木を並て橋とし、相伝て空海の作という。
(しばしば)朽て民の費多きのみならず、水(たた)えて湖辺の田地を害すること少からざりしかば、天明6年(1786年)これを修造し、今は長48間・凡23断の石橋となり左右の勾欄までみな石にてつくれり。同8年(1788年)その功成る。その後大水といえどもただよわず、今に至てこれを便とす。
この橋に造れる石は原組篠山村より出る所にて材木石と唱え、長2、3間に8、9寸角の柱の如き自然石なり。これを中流に井籠の如く縦横に組立、中を透し水を遏めざらしむ。その上にこれを並べ勾欄までみな石なり。
側より望めば23橋相連属して1大橋を架するが如し。極て竒巧なり。湖天晴朗の夕べ明月に歩し清風に吟するに尤佳なり。
この橋は府下より二本松・猪苗代に通る裏街道にて往来多し。
これを本郡の界とし、橋の西は道の南北を分かち南を会津郡とし北を河沼郡とす。

水利

堀抜堰

村西にて戸口川を引き布藤村の方に注ぐ。

堤2

一は村北2町計にあり。東西56間・南北110間。
一は村の東北6町にあり。東西40間・南北130間。

郡署

郡役所

村北山腰にあり。
郡奉行を置き民事を統制せしむ。
猪苗代本町及び安積郡福良組福良村河沼郡代田組六町原村の代官所これに隷す。

神社

貴船神社

祭神 高龗神(たかおかみのかみ)
相殿 伊勢宮
   山神
   鬼渡神
鎮座 不明
村北山足にあり。
鳥居あり。三城潟村佐野壱岐が司なり。

翁神社

祭神 猿田彦命
鎮座 大同元年~
翁島の東北の隅にあり。
四方に雑樹多し。
大同元年(806年) この地暴に湖水となり1島を成せり。因て島上に祭り水難を鎮むという。
社前に石あり。戸口翁嶋と銘せり。
鳥居あり。佐野壱岐これを司る。




余談。
十六橋は車では通行できません。
翁神社は現存している?

最終更新:2025年06月22日 18:10
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