府城の東北に当り行程2里28町。
家数23軒、東西3町33間余・南北36間、二本松裏街道に住す。
北は山に倚り南は湖水に近し。
また
村より未申(南西)の方9町を隔て赤井村の境内、湖浜に家2軒を営み船宿とす。江戸に米を運送する為に設く。
地面、東西1町・南北50間、
向戸口という。
ここより
安積郡福良組秋山村(注:
福良組赤津村の端村秋山の事)と二本松領舟津・浜路の両村に漕す。
山川
名倉山
村南3町計にあり。
湖面に臨む。
高15丈、山脉北に続き坂道あり。二本松裏街道なり。
みな灌木にて大樹なし。
翁島
村の辰巳(南東)の方2町50間、湖中にあり。
東西2町30間・南北2町余。
雑樹生茂れり。
村老の説に、昔夫婦の老人ありここにすむこと久し。因て名くという。
中に小祠あり。翁明神という。
また真言の徒重想という僧この島に住居し、永享中(1429年~1441年)
金曲村寶生寺を開けり。
また元和の事(1615年~1624年)興海という僧
爰に住し
河沼郡牛沢組塔寺村の観音堂を再建す。今も上人船着という処あり。
戸口川
村西3町にあり。
湖水の洩る處にて日橋川の上流なり。土人呼で銚子口という。
ここより1町計下流に1の
渦あり。1より7まで漸々に数えて一の巻、二の巻という。水極めて深し。
北に流るること凡1里余
布藤村の界に入る。
広48間余。
関梁
十六橋
村南3町、戸口川に架す。
昔十六断ありという。この川大橋を架すべき便なければ、中流に塚の如く石を累ね築きその間に丸木を並て橋とし、相伝て空海の作という。
橋
廔朽て民の費多きのみならず、水
湛えて湖辺の田地を害すること少からざりしかば、天明6年(1786年)これを修造し、今は長48間・凡23断の石橋となり左右の勾欄までみな石にてつくれり。同8年(1788年)その功成る。その後大水といえどもただよわず、今に至てこれを便とす。
この橋に造れる石は
原組篠山村より出る所にて材木石と唱え、長2、3間に8、9寸角の柱の如き自然石なり。これを中流に井籠の如く縦横に組立、中を透し水を遏めざらしむ。その上にこれを並べ勾欄までみな石なり。
側より望めば23橋相連属して1大橋を架するが如し。極て竒巧なり。湖天晴朗の夕べ明月に歩し清風に吟するに尤佳なり。
この橋は府下より二本松・猪苗代に通る裏街道にて往来多し。
これを本郡の界とし、橋の西は道の南北を分かち南を会津郡とし北を
河沼郡とす。
水利
堀抜堰
堤2
一は村北2町計にあり。東西56間・南北110間。
一は村の東北6町にあり。東西40間・南北130間。
郡署
郡役所
神社
貴船神社
祭神 |
高龗神 |
相殿 |
伊勢宮 |
|
山神 |
|
鬼渡神 |
鎮座 |
不明 |
村北山足にあり。
鳥居あり。三城潟村佐野壱岐が司なり。
翁神社
翁島の東北の隅にあり。
四方に雑樹多し。
大同元年(806年) この地暴に湖水となり1島を成せり。因て島上に祭り水難を鎮むという。
社前に石あり。戸口翁嶋と銘せり。
鳥居あり。佐野壱岐これを司る。
- 船便
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- 「奥州会津戸口十六石橋之全図」について
余談。
十六橋は車では通行できません。
翁神社は現存している?
最終更新:2025年06月22日 18:10