戦国時代を舞台にしたドラマや漫画では、このセリフが出たら一つのクライマックスになる。
実際には江戸時代中期ごろに成立した軍記小説『明智軍記』が初出であり、作者の創作とされる。
(時代的に
頼山陽の創作とする説は誤り)
- 徳川家康「人の一生は重荷を負て遠き道をゆくがごとし」
家康の遺訓と言われており、紆余曲折を経て戦国時代の勝者となった人生そのものを語った名言とされ「東照宮御遺訓」として知られる。実はこれは明治時代に元幕臣が、『人のいましめ』という1830年刊行の本を元に、家康の花押まで偽造して作成したもの。これを、高橋泥舟(幕末の三舟の一人)などが各地の東照宮に納めたことから広まってしまったらしい。
徳川美術館館長にして尾張徳川家21代当主の徳川義宣の研究によれば、この言葉は水戸のご老公・
水戸黄門こと
徳川光圀の言葉として伝えられたのが初出であり、それが『人のいましめ』に載せられる形になったようである。さらにその『人のいましめ』自体も出版されたのは光圀が亡くなってから約130年も後の1830年であり、こちらも本当に光圀の言葉なのかは謎である。
なお、他にも家康に関しては三方ヶ原の戦いで脱糞したエピソードやそれに関連した「しかめ像」など、近年の研究で長年言われていた通説が史実と大きく異なるケースが次々に判明している。
実際には弟子の創作であるとされる。
ガリレイは地動説を放棄することで極刑を免れたのだから、実際にこんな発言をしてしかも記録されていれば無事では済まなかっただろう。
「周囲にわからないようにイタリア語ではなくギリシア語でつぶやいた」という逸話もあるが、これも俗説。
ギリシア語は当時ラテン語に次いで高等学問に必要な言語とされており、イタリアにおいても多くのインテリはギリシア語を理解していた。
屈指のインテリ揃いの裁判所でそんなことをしたならチャレンジャーすぎである。
暗殺間際に言ったと言われるセリフだが、近い時代の資料ではほぼ即死に近い状況で、言葉を発することなく亡くなったとされている(諸説あり)。
ちなみに最も古い伝承では「お前もか、我が子よ?」というセリフであり、上記のバージョンを定着させたのはウィリアム・シェイクスピアである。
- リチャード3世「馬をくれ! 代わりに国をくれてやる!」
薔薇戦争のクライマックス「ボズワースの戦い」にて、破れたリチャード3世が今際の際に残した発言とされる。
これもシェイクスピアの戯曲「リチャード3世」が元ネタで、やはり史実の発言ではないとされている。
大数学者アルキメデスの最期の言葉で、地面に図形を描いて計算している最中にローマ兵士に襲われた際の発言とされている。
しかし、実際にはアルキメデスが最期にそんな発言をしたという記録は存在しない。
そもそも彼は計算中ではなく製図用の道具を運んでいる時に襲われたという説もあり、最期に図形を描いていたのかどうかすらはっきりしていないのが実際のところである。
暗殺未遂事件を報じた新聞社の創作という説が有力。一説には秘書の内藤魯一の発言だとも。
何しろ襲撃当時は「痛いがーやきぃ、早よう医者を!」と叫んだと言われてたり、本人が自伝で「一言も出なかった」と回想しているくらいだし。また病院で見舞客に笑いながら言っていたという説もある。
いずれにしても、刺されたその場でこんな発言が出たなら凄すぎである。
…と長らく言われていたが、実は本当に言ったのではないかという説が近年再浮上してきていたりする(板垣の自著『我國憲政の由來』で実際にそう叫んだと述べられていたり、インターネットもなく迅速な情報共有手段もなかった時代にも関わらず複数の新聞がほぼ同様の報道をしている、複数の目撃者の証言が一致し否定する証言も出なかったなど裏付けになりそうな資料が見つかっている)。
当たり前だが、言ったかどうかわからないからって、テストの穴埋め問題に「ぐへっ!」とか「ぎゃあ~!」と書くのは余りにもしょうもないのでやめよう。
- ヴォルテール「私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」
表現規制問題に関する論争の際にしばしば引用されるセリフ。
これは後年に伝記作家のイヴリン・ベアトリス・ホールが創作したセリフであり、本人がそう書き残したわけではない。
初出はホール著『The Friends of Voltaire』(1906)。それによると、ヴォルテールがその弟子にあたる思想家エルヴェシウスに対して向けた態度を(ホールなりの脚色を交えて)要約した表現のようである。
エルヴェシウスは『精神論』『人間論』の二冊の著作で知られる人物だが、彼の思想はヴォルテール、ルソー、ディドロといった同門の先人たちによって厳しく批判された。しかし『精神論』出版当初、その内容が反キリスト教的とみなされ教会から焚書処分を受けるという事件があった時は、ヴォルテールらは一丸となって弾圧に反対し、彼の身を守るために奔走したという。
従って上記のセリフは創作であるものの、史実上のヴォルテールがとった行動はこの言葉の通りだと言うこともできる。ただし当時の教会はもともとヴォルテールを含めた百科全書派全体と敵対していたため、「論敵を守った」というよりは「身内の若手を守った」の方が実態に近いかもしれない。
「来たるべき世界政府の盟主は日本が担うことになるだろう」などと予言した300字程の文章。
元々はアインシュタインと無関係の法学者"ローレンツ・フォン・シュタイン"博士の発言とされていたものであり、
実際はシュタイン博士の発言でもない、日本人による創作だったという二段オチ。
出典については諸説あるが、宗教家の田中智學が著書の中で、自分の思想を語るために発言を創作したという説が有力。
なおアインシュタインが親日家であったのは事実だが、彼が愛したのは日本人やその自然・文化の素朴さと繊細さであり、発言は本当に関係が無い。
ちなみに「アインシュタインの予言」なるものはもう1つあり(こちらは本当とされる)、その内容は
「第三次世界大戦ではどのような兵器が使われると思いますか?」と記者に聞かれた際に、
「第三次世界大戦で使われる武器はわかりません。ですが第四次世界大戦で使われるのは石と棍棒でしょう」と答えたというもの。
予言というよりは、皮肉か警告のようなものである。
- ウィンストン・チャーチル「日本人は外交を知らない」
チャーチルが日本の外交姿勢について語ったとされる350字程の文章の一節で、「我慢強く謙虚だが、限界を超えるとキレる」という日本人の性質を端的に表している。
日本人が抱く「日本人」のイメージに近い事から日本ではそれなりに引用される文章だが、
実は原文が確認されていないうえに当時のイギリス人の発言としては不自然な点が多く、後世の日本人による創作、あるいは誤訳の可能性が高いとされている。
日本人が自分のイメージを元に創作した(あるいはそうなるように誤読した)文章なら、そりゃ日本人のイメージに近くて当然だろう。
- ウィンストン・チャーチル「ダービー馬のオーナーになることは、 一国の宰相になることより難しい」
毎年何千頭もの競走馬が生産されるが、そのうちダービーに出走できるは3歳のみに限られる為ダービーに出走できるだけでも相当な競争率の上に生き残った競走馬だけである。更にそのレースで優勝できるのは1頭のみであることからダービーオーナーになることはどれだけ難しいかを語ったものであると信じられきた。
が、当の本人のチャーチルがそのような発言をしておらず後世の創作であることが分かっている。ちなみに似たような発言を第48第首相第5代ローズベリー伯爵が首相在任期間、2頭のダービーオーナーになったことを自慢するスピーチをしたところ「馬主と一国の宰相を同列に扱うな!」と批判された。
- チャールズ・リンドバーグ「翼よ、あれがパリの灯だ」
世界で初めて大西洋を単独無着陸で横断したパイロットの言葉。ニューヨークからパリまでの飛行を成功させ、パリの灯が見えた時に叫んだと言われる。
しかし、これは実は自伝のタイトルで、本人が言った言葉ではない。
何しろ彼はパリに着いた時に
そこがどこかわからなかったのだから、言いようがない。
そしてその自伝も、英語の原題は『The Spirit of St.Louis』、つまり単に飛行機の名前であって、本文中にも『翼よ~』のフレーズは登場しない。
『翼よ~』というタイトルは
洋画でもありがちな日本人が勝手に付けた邦題に過ぎない。
日本の軍人から関ヶ原の戦いの東西両軍の布陣図を見せられた時にこの言葉を発言したとされる。
この発言のあと、東軍側が西軍諸大名に対して盛んに調略を行った結果離反者が出て勝利した事実を聞くと、戦争で勝利するには調略と情報収集・分析が必要という事を指導する様になったと言われている。
しかし、このエピソードは司馬遼太郎の小説等では確認できるが出典は判明しておらず、後世の創作の可能性が高いとされている。
- チャールズ・ダーウィン「最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるのでもない。唯一生き残るのは、変化できる者である。」
自然選択と適応を軸とした進化論を唱え、現代進化論の基礎を作り上げた科学者の言葉。かの有名な「種の起源」からの引用とされることも多い。
小泉純一郎(当時)首相が演説で触れたことから非常に有名になったが、このフレーズをダーウィンが言ったとされる証拠はでていない(当然「種の起源」内にはない)。
また、2020年には自民党の広報漫画でこの言葉の誤用が憲法改正のたとえとして使われたことから問題視され、日本人間行動進化学会が反対声明を出す展開に及んでいる。
レオン・メギンソンというアメリカの経営学者がダーウィンが「種の起源」で語った言葉として引用したのが最初ではないかという研究がある。
分かりやすく且つそれらしく見えるからか、ビジネス関連のコラムや指南で引用されることも割と多いフレーズである。
そもそもこれをビジネスなどに持ち出すこと自体が「進化=進歩」というありがちな誤解に基づいている部分もある。
また、「ダーウィンの言葉ではないにしても、ダーウィニズムを簡潔に説明した言葉である」と解釈するにしても正直微妙である。
そもそもダーウィンの進化論では「先にランダムな変化があって、その中でたまたま環境に適応していた者が生き残る」のであって、環境に適応するために変化するわけではない。
「進化論」と言う響きから誤解されやすいが、ダーウィニズムの肝は生き残れなかった者を容赦なく淘汰する自然の摂理の方であり、進化はその副産物でしかない。
「環境に適応するために変化する」のは、どちらかと言うとダーウィン以前の主流学説で、現在は非主流派であるラマルクの進化論の方である。
そしてそのラマルキズムにしてもメインは後天的に獲得した形質を次代に伝える遺伝の方で、変化その物は別に必須というわけではない。
確かに変化を続ける環境下では特定の方向に特化したものより「変化できる」能力の方が有利だろうが、安定した環境下ではそのような余計な能力にコストを払わないものの方が有利かもしれない(「生きた化石」と呼ばれる生物群がその傍証になる)。
あえてダーウィニズム的にこの言葉に答えるなら、「想定する環境によってどのような生物種が生き残るかは変わります」という官僚的な答えが無難になるだろうか。
他にもダーウィンについては進化論という主に宗教界から根強い反発のある分野の大家なので、
「ダーウィンすらこんなことを言っているのだから進化論は怪しい」という主張のために発言がねつ造されることがままある。
「ハッハッハ、おかげで目が覚めたよ」という、本当にジョークとしてのみ扱われているネタもあるが…
かつて漫画『
巨人の星』で星一徹が引用したセリフであり、飛雄馬も度々思い返したこの台詞。
『
バクマン。』でも孫引きされた有名な発言であるが、このような発言は史実にはどこにも残っていない。
実際『巨人の星』は宮本武蔵や鉢の木など日本史に由来するお説教がやたらと多いので「この話も事実だろう」と思い込んだ読者は数知れないが、
この発言は
司馬遼太郎(ほらそこ、「やっぱりかよ!」って顔しない!)の小説『竜馬がゆく』の中で、ドブの中で死んだ維新志士(架空の人物)を見て竜馬が
「自分の死体が将来溝や堀に捨てられていても顧みられぬことを常に想像し(中略)そういう人物でなければ大事を行うことはできない」と
考えたシーンを元に
一徹が勝手に台詞を捏造したものである。
『バクマン。』をよく読んでみると「漫画の中の坂本龍馬のセリフ」と登場人物が発言しており、
暗に「これは事実ではない」と言っているに等しいシーンであることがわかる。
- アーネスト・ヘミングウェイ「事実を事実のまま完全に再現することは、いかにおもしろおかしい架空の物語を生み出すよりも、はるかに困難である」
同じく梶原一騎原作の『
空手バカ一代』の冒頭に登場する台詞であるが、ヘミングウェイの著作にこのような文言は
存在しない。
つまりは梶原による創作である。まあ、『空手バカ一代』も相当な創作が入っているので、
発言の内容自体は正しかったと言わざるを得ないのがまた皮肉なのだが。
最初に断りを入れるが、「意味が違う」にも値する発言。
昭和25年12月7日に当時の大蔵大臣であった池田が答弁したとして騒然となり、マスコミにすっぱ抜かれて大騒動となった言葉。
しかし実際は、「所得の少ない人は麦を多く食う、所得の多い人は米を食うというような、経済の原則にそった方へ持って行きたい」という発言が元。
当時はコメと麦の比率が所得に関係なくほぼ同じであり、その点を統制する現状はいかがなものか、という意見である。
これが翌日の新聞の見出しで「貧乏人は麦を食え」と悪意ある変換をされて掲載され、大ひんしゅくを買ってしまったというもので本人はこんなことは言っていない。
池田は有能な大蔵官僚だったため大蔵大臣に大抜擢されたが、その大抜擢具合と過激な発言から国会やマスコミから格好の批判材料になってしまった面があった。
例えば「正常な経済原則に沿わないことをやって倒産し,更に思い余って自殺したとしてもやむを得ない」みたいな形の発言を、「中小企業の五人や十人自殺してもやむを得ない」と報道されたりもしている。
もっとも、段々と慣れたのか、むしろテレビを利用し、出演して腰の低い様子を見せ、世論からの支持を取り付けられるようになった。
結果、総理大臣として高度経済成長の立役者の一人となったのは、ご承知の通りである。
内閣総理大臣を務めていた2000年にアメリカ大統領ビル・クリントンと会談した際、"How are you?"と言おうとして間違えて言ったとされる発言。
クリントンは機転を利かして、「I'm Hillary's husband(私はヒラリーの旦那です)」と返したが、森首相は「Me too」と答えてしまった、と続く。
首相時代の森は「無党派層は寝ててくれ」といった多くの失言等で内閣支持率7パーセントという珍記録を出した(これは消費税導入とリクルート事件で大バッシングを受けた竹下登内閣と並び、歴代最低タイ記録である)。
そうした森の数ある失言の1つとして週刊誌などで紹介されたが、実は彼の人気の無さをネタにしたただのジョークである。
このジョークは昔から政治記者らの間で知られていたもので、本来は「アジアの某国の大統領の逸話」として台湾で創作されたもの。
韓国では金泳三大統領(こちらも失言で知られていた)の発言という設定のジョークとして知られていた。
それを知っていた日本のとある記者が周囲に「森総理でも使えそうだな」と言ったところ、それが伝聞されていつの間にか事実として広まったしまったらしい。
つまり、そもそも森総理を想定したジョークですらない。
森は繰り返しこの発言は事実無根だと批判している。
なおマスコミの中にもこの発言については懐疑的だった人が居たため、上述の経緯もそのような雑誌が検証した結果明らかになったものである。
また上述の記者にしても、あくまで知人に「こんなジョークがあるんだけど」という風に話しただけで、別にデマを広めようとしたわけではない(後に「森首相には申し訳ない」と述べている)。
ほぼ創作系の発言だが、一応意味が違う系の要素も僅かにはある発言。
当時
阪神タイガースにトレード移籍してきた松永浩美が、在籍期間1年のみで当時新たにできたFA制度で福岡ダイエーホークスに移籍をする最中に松永が発言したとマスコミに報じられ、当時の阪神ファンの間で大騒ぎとなった。
実際がスポーツ紙による全くの捏造発言であったとされる。
当時、阪神には盗塁が得意な選手がいなかったことで松永はグラウンドキーパーに「硬めにしてくれない? 柔らかすぎて滑るんだよ」とオーダー。
その際にグラウンドキーパー側が「幼稚園の砂場くらいか?」と質問し、それに対して松永は「いや、そんなには……」と答えたという。
この時の両者のやり取りが、いつの間にか歪んだ形で関西メディアが伝えたことでこの悲劇は起きたと言われている。
また、松永という人物も自分が言いたいことはハッキリと言い出すという性格の人物で、これもマスコミとの相性が悪かったようだ。
なお、この当時は松永は一か月間誰にも会わないような体制をホテルで取っていたにも関わらず、日々自分のコメントとされる発言が報道されたとのこと。
そのため、松永は滞在先のホテルで記者に質問を受けていたという行動もデマとされている。
この騒動は現在では地元マスメディアとファンの移籍する選手に対する攻撃性が生んだ悪例として語られることが多い。
- 鳥山明「自分の子どもを賭博屋に売る人間がいますか?」
鳥山明が「寺田克也全部―寺田克也全仕事集―」という本の424ページの対談コーナーで、
「自分の漫画のパチンコ化を許可するつもりはない」という趣旨で言った物とされているが、実際にはそもそも件の本は424もページ数がある本ではなく、対談が載っていたとされるページ自体が物理的に存在しなかったというオチ。
ちなみにAmazonの商品ページを確認するだけでも、件の本が全部でおよそ300ページ程しかない事がわかる。
余談だが、後にこの逸話の真偽を実際に検証したブログのコメント欄にて、
コピペ制作者本人による釣り宣言と裏話の暴露が行われるという珍事が起きた。
その製作者曰く「まさか出典明記してる上わりとメジャーな本なのに誰もそれを読まず、あまつさえコピペされまくるとは思わなんだ」との事。
- 藤子・F・不二雄「よく「漫画家になりたいなら漫画以外の遊びや恋愛に興じろ」だとか「人並の人生経験に乏しい人は物書きには向いていない」だとか言われますが、私の持っている漫画観は全く逆です。」
一時期ネットに出回ったコピペの一部で、元々は具体的な例え話を交えた20行にも及ぶ長文なのだが、発言の出展が一切明らかになっていない。
こんな文が本人の死後10年近くたってから何の脈絡も無く出現し、更に10年近くたっても実際に出展を確認した人物が現れないというのは、疑うなという方が無理な話であろう。
また「書かれている内容とF先生の作風が微妙に噛み合っていない。むしろF先生は漫画以外の凝っている遊びやネタを積極的に取り入れているように見える(例えば『ドラえもん のび太の恐竜』以前から先生は恐竜マニアだった証言がある、など)」「F先生は一人称に「私」ではなく「僕」を使っていた」といった指摘もあり、コピペ自体の出来も良いとはお世辞にも言い難い。
少しニュアンスが近い本人の発言もあるが、ネタはあっという間に枯渇するから創作でも人の話でもどんどん吸収してネタを蓄えろという話で、どっちかというと量の話である。
そもそも当のF先生ご本人は自著「藤子・F・不二雄のまんが技法」の中で、他のプロ漫画家と同じように、好奇心を大切にして漫画以外の遊びなどに触れ、
積極的に引き出しを豊かにすること、人生経験の大切さを説いているため、嘘の可能性は極めて高いだろう。
- 冨樫義博「ヒソカやイルミなら護衛団は余裕で倒せる」
人気漫画
HUNTER×HUNTERの強さ議論の際、引き合いに出される話題で、作者の発言の様に度々引用されるがソースは見つかっていない。
広まった原因として考えられるのは、おそらく2014年頃に建てられた2ちゃんのスレである。
このスレは「(自称)作者の元アシスタントが作者とのやりとりを元に強さランクを作成した」と言う内容で、
そこから広がってしまったのではないかと推測される(当然スレ内で半信半疑の空気もあった為、まとめブログがそうした書き込みを削って紹介した事で浸透した可能性あり)。
そもそも作中では護衛団の一人であるネフェルピトーとの接触をキルアが振り返った際に、「薄気味悪いオーラだった…兄貴より…ヒソカより…」と直接的な実力ではないにせよ、ネフェルピトーの方が上だという趣旨の発言をしている。
余談だが、この件に関して「そもそも冨樫はアシを付けない」と言って否定する人もいるが、これは誤りなので注意。
かの有名な格闘ゲーマー・ウメハラが発したとされていた言葉。
後にファミ通のウメハラ本人のインタビューにて、「小足見てから昇竜余裕なんですか?」という質問に対して、
「見えません(笑)。それは友人が言った『小足出すと確実に昇龍で返されるから、見えているんじゃないのか?』というのが一人歩きして広まったんだと思います」
ニコ生でも同様の質問に「無理に決まってるじゃん」と回答していた。
現実的な話をすると、そもそも
2D対戦型格闘ゲームにおける小足は一般的には3~4フレーム程度、遅くとも7~8フレームくらいまでである。
人操作の場合は「画面に表示されたのを見てから反応」する以上そこに最低1フレーム、更に昇龍拳は623+Pと3回入力が必須で更に3フレームの入力時間が必要。
つまり合計4フレーム掛かるわけなので3フレーム以下の小足に反応して昇龍を出すというのは
ゲームシステム上不可能。
そして、人間の反射神経の限界が0.1秒(6フレーム)、普通に鍛えられた人間でも10~12フレームくらいが限界なので、1フレーム反応と言うのは非現実的。
つまり最速でも合計で発生が9フレーム以下の技は人間が『見てから反応』することはほぼ不可能。
要するに単純に先読みしていることと、その精度がかなり高いことによる技能である。
とは言え実際は先読みだと分かった上でネタとして出している場合が多いと思われる。
両作のメインライターを務めた荒川が言ったとされる発言。ファンの中にはこの発言に難色を示す者もおり、本当にあった発言だったのか度々議論の的になる。
しかし、これに関してはデマとも言い切れず、明確なソースが存在している。当時の
次番組の公式ホームページにて、それを肯定する文言が書かれていた。
だが、これは別のスタッフが聞きづてに書いたものだったらしく、荒川本人が後に「言ってない」と発言を否定。
ソースがあるにも関わらず、それが間違っていた事で「言ってない」に分類される特殊な例である。
- 東野英治郎「アニメやアフレコは自分の尺で演技できない、芝居とは呼べない外道の所業」
東京新聞のコラム「“声”優に危険手当てを-他人の演技に合わす苦しみ」にて東野が発言したとされる。
実際には「外道の所業」という言葉は使っておらず、またアニメに関しては言及していない。
東野はこのコラムにおいて、「俳優は自分独自の方法で役を作るもので、演技は動くから自然に声が出て、声が出るから動くものなのだ」「他人の作った役の動きに声だけ当てるアテレコを続ければ、気を付けないと片輪になりかねない危険なものだ」(要約)といった趣旨の発言をしている。確かに少々手厳しい意見と言えるが、東野本人は声優業という仕事に関して自分なりの懸念の意見を述べているだけであり、さらに同コラムにおいてはアテレコについて「最近はだんだんにうまくなってきている」と評価もしている。
しかし、このコラムについては反対意見も複数寄せられ、いわゆる「アフレコに苦言を呈する意見」の部分のみが独り歩きした結果、このような誤解が生まれたといえる。また「片輪」という言葉が現代で使うことが憚れるため、別の言葉に置き換えられてニュアンスが別物になったのかもしれない。
ガールズバンド「CHAI」がタモリが司会を務める番組「ミュージックステーション」に出演した際、タメ口で接した態度に対してタモリが発したとされた発言。
実は、Youtube上に存在するゴシップ系の文字動画(コピペなどの文字だけが流れる動画)のサムネにおいてタモリの顔写真と共に表示されていた台詞で、タモリはこのような発言は一切していない。
しかし、「タモリが絶対に言わないような台詞であるが故の逆の意味でのインパクト」「どう見ても嘘なのにかなりの再生回数を叩き出している」という図が面白がられ、ネット掲示板を中心にネタが広まってしまう。
結果として、「捏造発言が本気で信じられて広められた」のではなく「最初から捏造という前提で広められた捏造発言」という、実は言ってない台詞系としてはある意味珍しいパターンが発生した。
余談だが、Youtube上に存在するゴシップ系動画は、芸能人の捏造発言などが週刊誌の捏造ネタ以上に観覧が容易で広まりやすい上に、
捏造ネタで週刊誌よりも訴えられる可能性が少ないなどの投稿者のデメリット要素の薄さなどから、一時期は問題となった。
酷い時期になると、ユーチューブで軽く情報収集をしていた程度なのに、youtubeのトップページが「同じ記事」「同じサムネイル」「どの動画を開いても文字が流れるだけ」に占領されるという事態も多発するようになった。
近年ではそういったサムネイルの動画、レベルの低い動画はyoutubeのAIに広告を弾かれてしまうため、そういった動画が量産されることはなくなっている。
同様のネタとして、米津玄師に向けて北島三郎が発したとされる「レモンだ?貴様この野郎」、尾田栄一郎に向けて手塚治虫が発したとされる(イタコか何か?)「尾田くん…見損なったぞ」等が有名。
上記のタモリの例と同様のパターン。
普段温厚な彼が、このような暴言を吐くことはなく「本当は怖い人なのではないか?」との憶測まで浮上したが、これも本人が後に否定している。
この他、歌手の浜崎あゆみに対し「貴女のような人が『あゆ』と名乗るのは不釣り合いだから改名してくれ」と告げたと言う噂もあったが勿論これも嘘。「そもそも会ったことがない」とのこと。
- 任天堂「このキャラクターは超能力が使えます。もし貴方とこのキャラクターが似ているというなら是非ここで超能力を使ってみてください」
任天堂が超能力者のユリ・ゲラーに名誉毀損で訴えられた際の裁判で任天堂側の弁護士が言ったと言われるセリフ。ユリ・ゲラーはこの正論に反論できず敗訴したとされている。
しかし、ユリ・ゲラーが敗訴した事自体は事実だが、実際の敗訴理由は、「ユンゲラー」の名称は日本国内でしか流通しておらず(英語版の名称は「カダブラ」)連邦法での訴訟の要件を満たさなかったためである(つまり却下に近い扱い)。
ちなみにユリ・ゲラー本人は後年になって心境に変化生じたらしく、訴えたことを謝罪した上で、ユンゲラー禁止処分要請の取り下げをツイッター上で宣言している。
星のカービィシリーズに
アドレーヌが長い間登場していなかったことについて、桜井が人間キャラを嫌っていたのが原因というもの。転じて、桜井が圧力をかけていたかのように評されることがある。しかし、ゲーム作品に対してこうした発言をしたというソースは存在しない。
実際、アドレーヌはそのキャラ人気にも関わらず長いこと顔見せしていなかったのだが、
これは『星のカービィ64』初出のキャラほぼ全員に言えることであり、アドレーヌに限った話ではない。
具体的に言うと、
アニメカービィではデデデの衣装やストーン能力に64の要素があるのにキャラだけは出番が無く(ちなみに、桜井が関わっていない『2』や『3』のキャラは登場している)、
大乱闘スマッシュブラザーズXでは『64』出典のシールはあるのに64初出のキャラが移っているシールは一枚も無いなど、64の要素が登場することはあってもキャラの露出だけが露骨に避けられている状況であった。
2018年の
スターアライズ発売時、スタッフの
熊崎信也ディレクターは、64のキャラは事情があって長い間出すことができなかったことをゲーム雑誌のインタビューで語っている。つまり
大人の事情が絡んでいたのは確かだが、アドレーヌが人型のキャラである事とは全くの無関係である(『64』初出キャラは数十体近くいるが、その殆どは人型ではない)。
一方、桜井は2004年を最後にカービィ作品の開発には関与しておらず、その後に出たソフトにまで圧力がかかっているというのはいくらなんでも無理がある。要するに人型であるかどうか以前に、そもそも桜井とは無関係にアドレーヌを出せなかった可能性が高い。
ただし、アニメカービィの登場人物については桜井がキャラ造形に縛りを設けていた旨の発言をしたことがあり、これが曲解されて上記の噂に派生してしまったものと思われる。
- 野村哲也「FF7では劇中で大々的に死亡するキャラの復活イベントを作る予定だったが、坂口博信氏が命の尊さを重視したため止められた」
プレイステーション用ソフトFF7の有名な裏話(とされていたもの)。
2021年時点でほぼ既成事実と化しており、あらゆるウィキで事実のように書かれていた。
またゲーム中、このキャラが退場した後のシーンに専用イベントがあったことから「元々は生存ルートがあったのではないか」と噂されており、この逸話を補強していた。
しかし2021年、とあるツイッターユーザーが国会図書館等を通じてあらゆるソースを全て洗い出し、デマであると結論付けた。
(その調査報告は93ページに及び、かなり本格的となっている)
デマの発端はとある小規模な掲示板にいた、思い込みの激しいクラウド×エアリスオタクだったとのこと。
この人物は自身が見た物を都合よく解釈する姿勢が見られており、この復活イベントも思い込みで作られた妄言だったようである。
しかしこの発言が当時の2ちゃんに伝搬し、それがFFの大手ウィキに掲載され、結果的に事実のように広まってしまったとされている。
またこの調査報告では、退場キャラがたどり着けない場所にイベントが存在した理由も考察している。
調査者が調べたソースによると、FF7のミニゲームは挿入場所を考えずに作られていたようで、当初は離脱後に挿入するか決まっていなかった可能性も十分にあるという。
ちなみにこの調査者は、後にネットの不正やり込みの追求で大きな成果を挙げ、大きく知名度を上げることになった。
ネット上で数々の名言が拡散されているが、本人がそのほとんどを否定している。
いわゆる「江頭の発言とは思えない感動系の名言」はその大半がソース不明で、単なるギャップ狙いで作られたと思われるものが大半。
江頭自身が芸に真摯かつ真面目な性格ということは暴露されているので「江頭なら言ってそう」と思われるのも無理がないのだが、前述の通りデマを流すことはそれ自体が問題行為である。
江頭本人もネット番組「江頭2:50のPPPするぞ!」で一連の噂を否定した際、
「これを言うことによってファンは減るかもしれないけど、そんなファンは初めから要らん!!」「どうせデマ流すならもっと面白いこと言え!!」と一通り叫んだ上で、
「まあ真偽については自分たちで考えてほしい。ただ『善光寺は俺が守る!』は言った」とたしなめて(?)いる。
また、江頭の公式YouTubeチャンネル「エガちゃんねる」でも同様の検証企画が行われ、
「目の前で悲しんでいる人を見つけたら何とかして笑わせたい。そのためなら警察に捕まってもいい。寿命が縮まってもいい」「恥ずかしいから自分のオンエア見ない」の二つ以外は「言ってない」「話が膨らんでる」と否定している。
ちなみに「1クールのレギュラーより1回の伝説」「お前ら俺を撮れ!俺がルールだ!」などの破天荒な信条はソース不要なほど本人が連呼している。
江頭同様に「実はいい人」と言う噂がネット上に流布された芸人達の一組。
その中のエピソードの一つとして、『ごっつええ感じ』の収録で倒れた松本の元に浜田が他の仕事をキャンセルして駆けつけ、
「お前は俺が死んでも笑いに変えられる力があるけど、俺はお前が死んだら泣くことしかできへんぞ!」と泣いたのに対し、
「俺も他の奴やったら笑いに変えられるかもしれんけど、お前が死んだら泣くしかできへんわ」と返したという話が流れていたが、
『水曜日のダウンタウン』の中で「1mmもあってない」(松本)「ごっつの収録に二人そろっていないのはおかしい」(浜田)と揃って否定。
松本がインタビューで「無人島に一つだけ持っていくとしたら浜田」と答えたという話も「俺はゲイじゃない」と否定している。
しかし、「インフルエンザにかかったマネージャーに『松本の娘に移ったらどうするんだ!』と浜田が激怒した」というエピソードは
「そんなにきつい言い方はしていない」と言いながらも浜田が認め、松本が素直に「ありがとう」と感謝の意を表している。
杉田智和、
岸尾だいすけ、八代拓等様々な声優にネタされるモノマネだが、当の本人は
「言ったことない」と話題になる度に否定している。元々特徴のある声なので
若本規夫と並んでモノマネされやすい事もあり、森久保のモノマネと言えばコレ!と言う状態になっている。
1919年、アメリカのメジャーリーグで発生した八百長事件「ブラックソックス事件」において、ファンの少年が発したとされる台詞。
ニューヨーク・タイムズ紙によれば、八百長に加担したとされるジョー・ジャクソン選手が、裁判所での聴取を終えて出てきた際、外で待ち構えていた少年がジョーにこう呼びかけ、これに対してジョーは「Yes, boy, I'm afraid it is.(いや、坊や。残念だが本当なんだ)」と返したという。
本来は「It ain’t true is it, Joe?(ジョー、あんなの嘘なんだろ?)」だったが、この話が伝聞で西海岸に伝わるころには「Say it ain't so, Joe!(嘘だと言ってよ、ジョー)」に変わっていた。
…が、後年ジョーが語ったところでは、そんなことは言われていないし、自分も答えていない。そもそも
野次馬の中に子供はいなかったというのである。
ただ、「純真な少年が発した悲痛な台詞」としてあまりによくできていたため、「嘘だと言ってよ、〇〇」というフレーズは新聞の見出しやフィクションの台詞として多用されることになった。『
機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争』のサブタイトルの一つ「
嘘だと言ってよバーニィ」もその一つである。こちらもサブタイトルには使用されたが、作中では言っていない。
「人を殺したことがありますか?」という質問に対する回答とされる台詞。
実際にはこの様なやり取りはしておらず、別の質問に嘘の字幕が被せられただけである。
- 尾田栄一郎「ルフィの母親は既に作中に登場している」
漫画『
ONE PIECE』において、考察サイト等で主人公の
モンキー・D・ルフィの母親の正体推測の際に度々引用されるが、
作者が明確に発言したというソースは存在しない。
ただし北米版の『Shonen Jump』2009年12月号の読者コーナーにてルフィの母親に関する海外読者からの質問に対し
「I think she's alive(生きていると思う)」との回答があるため、ここから尾ひれが付いた可能性がある。
ちなみに何故か『HUNTER×HUNTER』の方でも全く同じデマが広がっている。
上記の噂に更なる尾ひれが付いたのかもしれない。
また同様に、ルフィ達の旅の目的の一つである『ひとつなぎの大秘宝(ワンピース)』の正体に関して
「形あるもの(思い出などの抽象的なものではない)」と発言していたともされ、こちらも長らく真偽不明であったが、2014年発行の集英社のムック本『さくらももこ編集長おめでとう』にてさくらももことの対談で氏からの「ワンピースの正体は自身の心の成長とかじゃないよね?」との質問に「そんな
オズの魔法使いのような展開にはしない、あれだけ頑張ったのだからキチンとご褒美をあげないと」と返答したことにより公式化した。
加えて2019年にはフジテレビ系列『
ホンマでっか!?TV』にて司会の
明石家さんまとの対談で「(オズの魔法使いのような)これまでの冒険そのものが宝なんだというような展開は嫌い。ちゃんと冒険してきたんだから物をくれと思っているので絶対そういう結末にはしない」という旨の発言もしている。
- デーモン小暮閣下「お前は自分の子供に『人間』と名付けるのか?」
悪魔くん命名騒動の際、リポーターから「やはり子供には『悪魔』と名付けるのですか?」と聞かれた際の返答とされる。
常識人悪魔らしいデーモン閣下を象徴するような名言としてWikipediaにも載っているエピソードなのだが、そのWikipediaですら、なんというインタビュー記事で発せられた返答なのか不明というなんとも怪しい部分がある発言。
「絶対に言っていない」と断言するのは難しいが、明確なソースが不明である以上は半信半疑ぐらいに受け取っておくのが無難だろう。
なお、その奇矯な見た目に反してデーモン閣下が非常に良識ある芸能悪魔なのは数々のエピソードからもわかる事実である。
余談だが自分の息子(九男)に「人」と名付けた戦国大名は
実在する。
「
遊戯王オフィシャルカードゲーム」の爆発的ヒットに浮かれる遊戯王の関係者が漏らしたとされる言葉であり、なんらかのTCGがヒットするたびに引用される言葉であるが、
その時々で発言者が原作者の
高橋和希、販売元のコナミの人、あるいは印刷会社の人とコロコロ変わり、また言い回しも「金」ではなく「札束」になったりする。
実際には「
かってに改蔵」第206話での改蔵のセリフである。
ただし、このエピソードは当時のTCGブームを題材にした回であり、また全文も
「まるで金を刷ってるようだ。と関係者は語ったとか!」であり、
結局のところ遊戯王OCGがバカ売れしている様を揶揄する言葉には変わりない。
- 遊戯王OCGの問い合わせ窓口「カードが違うということです」
同じく遊戯王OCGより、あるカードの裁定とされるもの。「カードが違うとはどういう事ですか?」という質問に対するめちゃくちゃな回答となっており、
コンマイ語の一種として広く知られている。
しかし発祥とされる記述はウィキを模したコラ画像であり、該当の記述は履歴に存在していない。
ネタで作られたものが勝手に広まってしまったようだ。
- 張献忠「天生万物與人、人無一物与天、殺殺殺殺殺殺殺」
大明帝国は末期、当時頻発した貧農反乱の指導者の一人、張献忠が立てたと伝わる碑文に刻まれた漢詩。
中国史上最悪の虐殺者と名高い彼を象徴する一節であり、意訳すると「天は万物と人を生むのに
、人は一物として、天に与えない。殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ。」くらいの意味になるらしい。
七殺碑と呼ばれて民間伝承としても大変流布した伝説であるが、きちんと現存している碑文の実物には「人無一物与天、鬼神明明、自思自量(人は一物として、天に与えるはなく、鬼神は明明にして、自ら思い、自ら量るべし)」と「淫祠邪宗に騙されんなよ」くらいのことが書かれており、内容は全くの虚構であることがわかる。
どうもこれはダイチン・グルンの自分たちが四川攻略で出した民衆への被害を張献忠に押し付ける一環として流布されたものらしいが、
じゃあ実際の張献忠の所業がどうだったかというと宣教師が虐殺の現場をしっかり書き残しており、ある程度は清朝の誇張があったにせよ超規模虐殺それ自体はしっかり行われていたことは注意。
- スティーブ・ウォン「プレデターのモデルはチェンジマンのブーバ」
しばしば「スティーブ・ウォンが認めた」と言われるこの事例だが(事実このウィキにも「スティーブ・ウォン公認」と書かれている!)、実際にはどんなに調べても書籍やインタビュー動画などのソースが全く出て来ず、唯一雑誌『宇宙船』の『プレデター』公開当時に記事にて両者のデザインの類似性に触れた記述があった、ということくらいである。
その件が当時の特ヲタの間で尾ひれがついて広まり「デザイナー自身が日本の特撮好きでブーバをモチーフにしたことを認めている」といった話に置き換わったものと思われる。
また同時期に公開された『ロボコップ』ではデザイナーが『ギャバン』をモチーフにしたことを認めているのもこの誤解に拍車をかけている物と思われる。
- 小林英一「あなた方にはゴールドシップが優等生に見えるのですか?1から作り直してください」
大城敬三「谷水さんは許諾したんですよね?(氏の馬の)ウオッカより巨乳にデザインするのであれば私も許諾しましょう」
ウマ娘 プリティーダービーに関するネタで、それぞれゴールドシップ号、ダイワスカーレット号に許諾をもらうためにキャラ造形を見せた際にCygames側が言われた言葉…とされる。
現状
一切「どうもこう言われたらしいよ」以外にソースが無いものを信じるのはさすがに厳しく、また原案デザインを見る限りでは
ダイワスカーレットのバストはウオッカよりデカいどころか当時の参戦決定馬ぶっちぎりレベルと「盛れ」と言うのは不自然であろう。
シップは言わずもがな。121億飛ばしたやつが…優等生……?
またセイウンスカイ・ニシノフラワーの権利者さんの西山茂行氏はダイワスカーレットのを指して「わしがハンコを押した時期から考えると、サイゲームスさんがあれを持って行ったのは大城さんがすでに非常に病気が重くなっていた時期ではないかと思う」「少なくとも大城オーナー自身は、あのダイワスカーレットの『こういうキャラになる予定ですよ』の絵はそもそも確認できるような体調ではなかった」と発言しており、少なくともダスカに関しては関係者からの反論も出てしまっている。
ところで、史実のダイワスカーレット号関係者が「本物もこんな子だった。前に行こう前に行こうとする、レース大好き一等賞大好きな子だった」と発言したのは事実で、競馬番組において解説者の安藤勝己さん(現役騎手時代、ダイワスカーレット号の全戦を担当)がウマ娘版を確認したうえで史実をこのように紹介。安藤氏がウマ娘ガチ勢になった今でもお気に入りのようだ。
『馬なり1ハロン劇場』の描写を挙げて「全部ひらがなで喋ってもいいくらいのアホの子だった」とも言われちゃったが。
漱石が英語教師をしていた際、ある生徒が「I love you.」を「我、君を愛す」とそのままの意味で訳したところ、漱石は「日本人はそんな図々しいことは言わない。もっとロマンチックに『月が綺麗ですね』とでも訳しなさい」と言ったというもの。だが漱石の著作を初め、関連する当時の記録にはそのような話は残されていない。さらに言えば、漱石やその周辺の人々からそういったことを聞いたという人の記録も存在しない。
上記の話と似たような話は1970年代末にも存在しており、そちらでは「月がとっても青いなあ」「月がとっても青いから」などと訳した、とのことである 。しかしこちらも典拠が不明であり、おそらくは1970年代から都市伝説として語られていたのではないかと推測される。