あらすじ
わが柳沢家では、毎日、夕方の五時を過ぎて母さんがパート勤務から帰ってきた瞬間、子供たちの声が声を追いかけて深い山奥のこだまのように響きわたる。
その日も、
「おかえりー!」
まず、玄関の外にしゃがみこみ錆びたレーシングカーで遊んでいた龍生がエンジンのようなうなり声をあげ……それは敷居のすぐ内側のせまい土間でママゴト遊びをしている奈美と弥生との、
「オカエリ」「おかえりいー」
二重唱に受けつがれ……十六分休符のあと、
「お帰り」
六畳のすみで膝をかかえこんでテレビゲームをやっている晴男の暗い声。……続いて、
「お帰りなさい」
六畳の真ん中にある古風なちゃぶ台で宿題をしている三郎の変声期が終わった落ち着いた声……にかぶさって、押し入れの前で取っ組み合いをしている体の大きな小学生の雅也と体の小さな高校生の秋彦兄ちゃんとが、
「おかえりい」「お帰りい」
体と声とでものすごい不協和音を響かせ……なんて冗談を言ってる場合じゃなかった。
一分後にはあの誘拐犯から電話がかかってきて、わが大家族はとんでもない事件に巻きこまれることになるのだから。
柳沢家は母1人、子供8人の大家族。ある日そこへ、『子供の命は俺が預かってる』と、誘拐犯から電話がかかってきた。だが、その時家には子供全員が揃っていたのだ。意味不明の脅迫電話を掛けてくる誘拐犯の目的とは? 長女の一代は、奇妙な電話の件をピアノの広木先生に相談するが……。
登場人物
- 柳沢一代
- 柳沢家の長女。14歳。一人だけ母と血が繋がっていない。
- 母
- 広木
- 高橋
- 柳沢秋彦
- 柳沢三郎
- 柳沢龍生
- 柳沢奈美
- 柳沢晴男
- 柳沢雅也
- 柳沢弥生
解題
連城三紀彦、生涯最後の短編小説。
ユーモラスなタッチで描かれる、最晩年にして誘拐ミステリーの新境地を開く傑作である。
表題作「小さな異邦人」はこんなふうにして始まる、誘拐ものの秀作である。誘拐されたのは誰なのか、誘拐したのは誰なのか、という謎をめぐる物語は、意外な被害者を知らしめて、読者を驚愕させる、いつもながらの連城マジックを味わわせてくれる。だが、本作品を印象づけているのは、連城ミステリには珍しく、ユーモアあふれる語り口で物語が展開している点で、誘拐犯の電話をめぐって八人の子どもたちがそれぞれ勝手な推理を披露する場面は、抱腹絶倒。まるでクレイグ・ライスの『スイート・ホーム殺人事件』を髣髴させる楽しさだ。
(「2015本格ミステリ・ベスト10」より 執筆者:横井司)
そしてラストの「小さな異邦人」は、作者お得意の誘拐物である。子供8人の大家族を舞台に、奇妙な誘拐劇が進行する。
あるインタビューで作者は、誘拐の話が非常に好きだといいながら「子供を殺さないといけない事が多いので、作るのに大変でつい面倒になってしまいますね」と述べていた。誘拐事件の顛末と、あまりにも意外な真相の根底にあるのは、たとえ小説の登場人物であろうと、子供の命を大切にしたいという、真摯な思いであったのだろう。だから本作を読むと、面白いストーリーの奥にある、そうした作者の創作の在り方に気づき、あらためて残された作品を、再読したくなるのである。
(「産経新聞」4月20日掲載書評 執筆者:細谷正充)
「オール讀物」2009年6月号掲載ということで、書かれた時期は2009年4月頃と思われる。2008年末に介護していた実母を、2009年2月に敬愛する泡坂妻夫を相次いで亡くしていることを考えると、本作の珍しくユーモラスなタッチから、『
造花の蜜』を介護の辛さからの逃避として楽しんで書いたというコメントを想起するのも、あながち牽強付会とも言えまい。
ちなみに作中で子供たちが繰り広げる推理の数々は、他の連城作品を読んでいるとニヤリとさせられる自己言及的な要素が多い。早い段階でこの短編を読んだ人は、連城作品を一通り読んでから再読するとなお楽しめるだろう。
『
小さな異邦人』の収録作の中でも最も評価が高い。
オールタイムベスト・連城三紀彦短編では並み居る名作を押しのけて
10位にランクインするなど、連城短編全体を見渡しても代表作のひとつに数えられるべき作品であり、これが最後の作品となってしまったことが惜しまれる。
各種ランキング順位
収録アンソロジー
- 日本推理作家協会編『現場に臨め』(2010年、カッパ・ノベルス→2014年、光文社文庫)
関連作品
- 誘拐ミステリー
- ユーモア・ミステリー
- 語り手が若い女性の一人語り形式のミステリ作品
最終更新:2018年12月12日 00:43