【ほしをみるひと】
コンピューターに管理された未来を舞台に、管理コンピューターに反抗するサイキッカーたちの戦いを描くSFRPG。
当時には珍しかったSFの世界観、印象的なBGMなどの要素を搭載していたものの、理不尽に過ぎるゲーム内容で多くのユーザーを落胆させ、『週刊ファミ通』に存在した、各種ゲームの凄腕プレイを募集・評価する企画で不定期掲載されていた「やりこみ大賞」にて、本作の通常クリアが「やりこみ」として表彰されるという珍事で伝説となった作品である。
未来のとある場所に存在する巨大都市アークシティでは管理コンピュータ「クルーIII」が人々の心さえも管理していた。
有害な心が芽生えた住民にはマインドコントロールによる矯正が施され、人々は「クルーIII」に関する記憶すらも消去されている。
しかし極一部の人々、「サイキック」(超能力者)にはマインドコントロールが効かないことが判明した。
「クルーIII」は、ロボット、遺伝子操作によって作った超能力者のデスサイキック軍団やモンスター、
アークシティの軍隊「ガードフォース」などを使い、サイキック狩りを行なって各地の超能力者たちをアークシティに連行していった。「みなみ」という少年は、自分が誰なのかそこがどこなのか記憶がないまま、様々なものから狙われていた。
なぜなら彼は超能力者であったのだから……。
実は、主人公のスタート地点から左に一歩進んだところに最初の村が存在する。
そこに辿り着けば様々な情報が手に入り、冒険の準備もできるのだが、この村は「超能力で隠れている」という設定でフィールド上には表示されない。
最初からそれはないだろう…。
とりあえず移動をはじめると、主人公の歩くスピードがやたらと遅い。
フィールドを移動していると、戦闘に突入。しばらく戦っても敵は一向に倒れず、そのまま全滅、ということがよく起こる。
村に辿り着く前に即死というなら、運良く隠れ里に着けたプレイヤーはそこからまともにプレイできるのだろうか?
残念ながら答えはNOである。
装備を整えたとしてもある程度のレベルに達するまでは戦闘が凶悪な難易度を誇り、このゲームで最も有名な問題点となっている。
上記の仕様を頭に入れた上で、弱い敵をなんとか倒していけばレベルアップはできる。
このゲームはレベルアップの能力上昇が極端で、1レベル上がるごとにHPが倍々ペースで増えていくので、序盤を乗り切れば以降の冒険はだいぶ楽になる。
ただし、HP以外の能力はさっぱり上がらないため、終盤でも通常攻撃はほとんど効かない。万が一ESPを切らしてしまうと攻撃もできず逃げる方法もなくなる。超能力が攻撃手段の全てというイメージは、まあらしいといえばらしいのだが…。
わざと全滅しようにも向こうの攻撃でも10程度しかダメージを食らわないため、このころには4~5桁に達するHPが仇となって、全滅するだけでとてつもない時間がかかるという無間地獄に陥る(*5)。
+ | パーティが全滅すると、以下のように叱られる。 |
また、このゲームには「かりう」という最凶の技がある。
命からがら最初の村に到着した後も、何をやっていいのか、むしろ何をやっているのかわからないことが多い。
+ | MAP |
はっきり言って開発中のものをそのまま出したレベルである。町とフィールドの出入り口を合わせるのは町を開発する作業において最初に行うようなことである。
以上のように非常にクソ要素の多いゲームではあるものの、SFチックな世界観でシリアスなストーリーやシュールさと美しさを兼ね備えた音楽、外見は『ドラゴンクエスト』の真似に見えながらもオリジナリティに溢れたゲームシステムなどは一部から支持されており、今でも熱狂的なファンが存在する。そのため全方面でクソというわけではない。
最後までプレイして世界観やストーリーを完全に理解できれば、このおかしなゲームバランスや鬼畜難易度が世界観に即した表現の一種であることに気づけるため、そういう意味では手抜きで狂ったバランスになったゲームとは一線を画する。(*9)
惜しむらくは、ゲームを通じて英語モチーフの固有名詞が全部ひらがなでわかり難いなど、世界観を伝える演出が致命的に下手なことと、世界観に即したバランスがゲームとしての面白味に繋がっていないことである。
+ | 世界の真相 |
+ | ストーリー展開について |