【じっきょうぱわふるぷろやきゅうしっくす】
ジャンル | スポーツゲーム(野球) | ![]() |
対応機種 | ニンテンドウ64 | |
メディア | 128MbitROMカートリッジ | |
発売元 | コナミ | |
開発元 |
コナミコンピュータエンタテイメント大阪 (ダイヤモンドヘッド) |
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発売日 | 1999年3月25日 | |
定価 | 7,800円 | |
判定 | 良作 | |
ポイント |
サクセスはバリエーション豊富な6つの大学編 ドラマティックペナント登場 横浜ベイスターズ優勝年のデータ N64サードパーティで最も売れたソフト |
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実況パワフルプロ野球シリーズ |
+ | 以下、老人キャプテン・田中まさるの正体と結末 |
+ | 大倉章キャプテンと内角監督の悪巧みの真相 |
サクセスのボリュームが大幅に増え、複数の高校・大学でバリエーションを出すというのは以後のパワプロでもおなじみの要素となった。
反面サクセスはまだまだ運任せな要素や粗削りな点も多く、本格的に改善されていくのは次回作からと言える。
ドラマティックペナントでの成長要素も以後に繋がる要素である。ニンテンドウ64パワプロの到達点であり、パワプロシリーズから見ても重要な一作の一つと言えるだろう。
*1 『パワプロ2012』で再び制作チームに復帰。
*2 中でも中日シナリオ『伏竜は奇跡を呼んだか』はパワプロ史上最難関のシナリオと言われている。
*3 他大学同様キャプテン評価が低いと矢部は「ダメでやんす。いくら親友でもダメダメでやんす。」など、他大学での彼同様に試合に出せないコメントを言うのは同じだが試合には出られるので特に意味はない。
*4 陸上部砲丸投げで仲間に出来るピッチャー「黒木」とは完全に能力が違うため、関連性は不明。また『99』の対戦相手チーム「毒霧生命」にも「黒木」というピッチャーはいるがそちらとも能力が完全に異なる。
*5 主人公も「学校の規則で仕方なく野球をやっている人ばかり」「1日の練習が30分にも満たない」と述べており、監督やキャプテンからも「勉強の邪魔になるような活動はしない」「成績の悪い生徒は練習に参加させない」と言う程である
*6 ピッチャーなら「牽制〇」(特にこれはこのイベントでのみ習得可能)「リリース〇」が得られる(特殊変化球は取得できるとは限らない)、捕手なら「キャッチャー〇」を飛ばしていきなり「キャッチャー◎」が得られる。
*7 パワフル・あかつきの椿本キャプテンとは違った形でメインポジションはそのままで確率でサブポジを追加できる。ただセカンド・ショート・キャッチャーを取るとなると確率がかなり低い。
*8 とはいえ、これ自体成功率が最低の部類なので、いっそ見えないものと割り切った方がいいぐらい。
*9 参考までに直近作で変化量トータルが最も高かったのがパワプロ4の斎藤雅樹(巨人)でスライダー5・カーブ5・シンカー4でトータル14(球速は148km/h・コントロール231・スタミナ177)。斎藤はオーバースローなので本作はシンカーにハンデが発生することを加味しても球速やコントロール等も含めてもこの程度の達成はたやすい。
*10 椿本キャプテンに相談してポジションが変えられる場合は断ることもできるし、承諾しても元のポジションがサブポジションとして残る。
*11 他にステータスいずれかにAがある場合でも回避できるので可能なかぎり早く「アベレージヒッター」を取得してミートカーソルをA(6)にすることで入れ替え試験をパスしやすいようにするのが推奨される。
*12 一例として3年時合宿の「ハッピーサマービーチスペシャル」をひと手間かけてイベント回避しなくても猪狩が口添えしてくれて必ず回避できる。
*13 水島新司の野球漫画「おはようKジロー」に出てくる五つ子・上原兄弟が元ネタと思われる。
*14 「カレッジ( college)」とは平たく言えば大学のことであり、直訳すると「大学大学」である…。
*15 『5』時点ではモブ選手、今作から固定の名前が付くようになった
*16 野球部部長というよりは、どちらかといえば顧問という立場と思われる。
*17 これは4及び5から改善されていない。更に「故障率1%では怪我しない」という仕様が当時のゲーム雑誌に「1%でも回数をこなせば不運にも怪我をしてしまう」という誤ったコラムが掲載されてしまったため、より誤解を招くことになってしまった。
*18 チームメイトの評価が大事なのに確率で「サボリ」が発生して評価が大きく下がる。
*19 「湯上谷広志(ゆがみだに ひろし)」当時福岡ダイエーホークスにいた内野手で翌2000年引退。前身の南海ホークス時代の1985年から所属し引退後のコーチとしても後身のソフトバンクホークスにしか在籍せずNPBではホークス一筋を貫いた。
*20 2001年からはそれまでのシステムはそのままにドラフト順位とは別口の扱いに変えられドラフト順位枠を圧迫しなくなり「自由獲得枠」と改名された