時空の旅人
【ときのたびびと】
ジャンル
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アドベンチャーゲーム
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対応機種
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ファミリーコンピュータ
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メディア
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1Mbit+64kRAMROMカートリッジ
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発売元
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ケムコ(コトブキシステム)
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発売日
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1986年12月26日
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定価
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4,900円(税別)
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判定
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クソゲー
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ポイント
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もはや原作とは無関係 何選んでも大抵は死ぬ ストレス蓄積ループ 歴史上の偉人改悪で一部バカゲー 2択で全てが決まる世界の歴史 テーマだけは良い
きりころされました
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概要
1986年のアニメーション映画『時空の旅人』制作に合わせ、公開から6日後に発売されたゲーム作品。
しかし、これ以上無い原作改悪作品…というより、最早キャラクターの名前だけ借りてきた全く別の話である。
特徴
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主人公「クタジマ-トシト」は核戦争の起きる未来を変えるため、とタイムマシンで様々な時代を行き来する。
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一応、ストーリーは原作映画の後日談となっており、時間管理局員「セドウド-ジン」との戦いの後、傷ついた体を癒すべく身を隠していたトシトだが、未来を変えることを諦めきれず、少年たちを元の時代に返すと、「こんどこそ すばらしい れきしを つくってみせるぞ」と再び過去に跳ぶ。
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原作でのトシトは「時間航行管理局員」としてタイムトリップさせられた主人公一行を追う嫌味なキャラクター。一方映画版では、自分をアンドロイドに変えた核戦争を回避するために、時間管理局員の地位を利用して歴史を改変しようとするキャラクターである。本作におけるトシトは、映画版の方の設定に近いと言える。
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本能寺に降り立った主人公が織田信長と出会うところからゲームは始まる。各時代で歴史上の人物に会い、彼らの質問に「はい」か「いいえ」で答えるのがゲームシステムの基本。というかそれしか無い。
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トシトが訪れる歴史上のポイントは「1582年 本能寺」「1592年 大阪城」「1600年 関ヶ原」など、合計10箇所。そして、2択での解答結果に従い、別の時代へワープする。このとき、スタート地点である1582年より後の歴史は「正統な歴史」「金が支配する歴史」「食べ物が支配する歴史」「愛の支配する歴史」「力の支配する歴史」の5系統に価値観が移り変わっていく。
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信長は本能寺の変で誰に殺されたのか、核戦争という未来は変えられるのか。人類の歴史に関わる全てがクタジマ-トシトの2択に委ねられている。
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ワープを繰り返し、5つの歴史の全てを見届けることで、真のエンディングに辿り着くことができる。
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一度決まったルート(○○が支配する世界)は、途中の選択間違いによって変化するか、ゲーム中Bボタンを押すとランダムワープしてどこかの時代のどこかの世界に飛ぶ。
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本作には唐突にして多彩なゲームオーバーパターン(後述)があるなど、バカゲーとしての要素も持つ。
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会話例
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「1894年 東京【食べ物の支配する歴史】」における伊藤博文との会話を例に示す(平仮名は漢字に変換)。
初めて食べた「中華料理」は博文を虜にしました。 博「日本の食べ物は好きか?」 →はい
博「清国の食べ物は好きか?」 →はい
博「お前にとってはどっちでもいいことか?」 →いいえ
博「日本の食べ物は世界一だと思うか?」 →いいえ
博「食べ物は清国が一番か?」 →はい
この質問の間も博文の心は中華一色。食べ物のため清国へ行ってしまいました。 (次の時代へワープ)
スタート地点の本能寺を除く(「正統な歴史」しかない代わりに、本能寺の内容は最も密度が濃い)とどの時代もこんな感じで、大抵はものの1分もかからずに次の場面に移る。
1時代につき、質問の数は10種類くらい、3~4箇所へのワープと0~2種類ほどのバッドエンドがある。
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ちなみに、上の質問の「どっちでもいいことか?」ではいと答えると「はっきりしろ」と殴り殺されてバッドエンド。
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食べ物至上主義以外の伊藤博文がどんな風に描かれているかというと…
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正統な歴史:「朝鮮はわが国のものだろう」「日本は清国より強い。軍隊の強さを試そうか」と、日清戦争への態度がかなりロコツ。正統…なんだろうか。
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お金が支配する歴史:中国から借金して買った車を自慢する裏で、借金を踏み倒そうかどうしようか思案中。
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愛が支配する歴史:中国の女王に切ない恋をし、想いを伝えたくて悶々としている。
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力の支配する歴史:日本を東洋一強い国と信じ、勝つ気満々で大陸進出を狙っている。
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問題点
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極めて味気ない。
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トシト自身のセリフ文は用意されておらず、登場人物からの一方的な質問攻めに「はい」「いいえ」で返答するだけの簡素なやりとりが延々と続く。
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文字列の使いまわしも多い。
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登場する歴史上の人物たちも一般的な人物イメージとかけ離れている面が多く、原作との乖離を差し引いてもテキスト面でクソゲー扱いされることが多い。シナリオによってはより情けなさに拍車をかけるものも。
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うつけ者と称される程、破天荒なイメージがある織田信長が「やはり死ぬのは怖い、金はいくらでも出す」「わしには女房がいるんだ」と命乞いをする。
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また、史実では弟の信行の謀反を知って暗殺するほどの非情な一面も持っていたのだが、回答によっては「人を信用できない奴は死ね」と言われてきりころされてしまう。
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徳川家康と石田三成が、雑煮の「みそ」と「すまし」どちらが美味いかというどうでもいいことを言い合う。
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天草四郎が南蛮渡来の菓子「カステラ」を独り占めし、食べすぎで後年苦しんでしまうという結末。
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伊藤博文が妙に女好きだったり、借金して買った車を自慢したりと高飛車。
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大塩平八郎に至ってはちょっとした選択ミスで殺される程異様に乱暴者にされ、他の登場人物に比べると死にパターンは倍近くある。
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振れ幅はあるものの大抵の人物は5前後(1つか全く無いパターンもある)に対し大塩平八郎は 9パターンもある。
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借金を返済するため、新撰組局長の近藤勇が毎日池田屋で皿洗いをするというオチ。…など。
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一応これらは、クタジマの行動によって(変わりようが極端ではあるものの)世界の価値観が大きく様変わりしてしまった結果である。ただし歴史の変化が存在しない時代にいる信長と、歴史の変化では説明できないほど横暴な大塩については擁護困難でもある。
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尚、信長は原作映画にも登場しているが比較的好人物として描かれ、その最期も史実通り自害するものだった。この時点で原作映画も活かされていないことが分かる。
というか、映画のクライマックスはトシトが信長を生き永らえらせようとして失敗するというものなので、映画の続きとして見ると「自分の戦いの渦中」にいきなり戻ってきたことになる。名前だけ借りてきたようなものなので以前の展開とドッキングしたりはしないが、オマージュだとしても雑と言わざるを得ない。
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質問の選び方によっては同じ会話がループするなど、構成としても不十分な面がある。
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露骨な誤字や重複文字もある。
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「本能寺は信長と共にほのうに包まれていきました」
「信長の思うとうり」
「私には天下を取る力が
力がないと思うだろう?」(改行含め原文ママ)
等。
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ゲームオーバーになりやすい。
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返答次第では、「怒った相手にきりころされました」などとなってゲームオーバー。相手によっては殴り殺されたり、撃ち殺されたりもする。最速初めに出会う織田信長できりころされることも。
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逆に、彼らの逆鱗に触れそうな返答パターンにワープが用意されていることもあり、キレどころもいまいち判らない。
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コンティニューやセーブ、パスワードと言った機能は一切無いので、ゲームオーバーの度に最初からやり直し。情けない死に様を笑おうにも、やり直しの辛さがやる気を削ぐ。
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画像
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回答どころを間違えると…
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いきなりきりころされてしまう。
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背景バックにかかれている「なむあみだぶつ」がまるで死に易さを暗示しているかのよう。
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グラフィックが横視点で描かれる時代は、十字ボタンの左右でトシトが横移動する。この形式の時代では、次の時代へワープする前に、適当に動き回るタイムマシンを追いかけて回収してもらわなければならない。乗り損ねると当然ゲームオーバー。
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ちなみに、原作にも出てくるタイムマシン「COI(Constable Official Intercepter)」をひらがなで「こい」と書いているため、そこのテキストは『クタジマ-トシトは「こい」にのりおくれワープできなくなってしまった』と、まるで失恋でもしたかのような文面になってしまっている。ただ、読み方によっては“故意”に乗り遅れた、とも取れる。
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またタイムマシンには燃料が設定されており、時代を下ると回復するが選択肢の間違いなどで時代をさかのぼると減少する仕様になっている。燃料が尽きてもゲームオーバー。
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愛の支配する歴史では上述の伊藤博文の他、「豊臣秀吉が淀君を石田三成に取られて落ち込み、更に淀君に好意を抱いた徳川家康が彼女を三成から強奪しようと企てる」「井伊直弼がアメリカ大統領夫人に惚れ込み、恋文を出したり妻を躊躇いもなく捨てようとしたりする」など、不純な恋愛を描いた展開が目立つ。
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時代の殆どは刀を常用していた時代を多く占めており、『きりころされました』がゲームオーバーの常套句として扱われることも少なくない。
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無限ループ構造になっていて迷いやすい。
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前述したように価値基準のよくわからない質問に答えて時代を上ったり下ったり斬り殺されたり、ろくな手掛かりもなく自分がどこに向かっているのかも見失ったまま、あちこちの時代を彷徨いタイムマシンを追い掛け回す展開がゲームの大半を占める。一般的な記憶力の持ち主がまともに攻略しようと思ったら、フローチャートの自作が必要だろう。
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最終章の東条英機は特に極端で、本能寺直後のそれぞれ別の世界のスタート地点(大阪城)まで戻されるワープもある。これは真エンドを狙うのでない限り、ゲームオーバーとあまり変わらない扱い。
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逆に真エンドを狙う際は、実際にゲームオーバーになった場合のペナルティ「最初からやり直し(全リセット)」が辛くなってくる。ただでさえ死にやすいのだから。
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BGMのノリ自体は悪くないのだが、いかんせんたった3曲しかないのですぐ飽きる。
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エンディングも相当にデタラメかつ投げやり。
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一画面に背景と文章があるだけ、BGMもゲームオーバーの使い回しという味気なさもさることながら、内容も酷い。一応、本来の目的である核戦争の回避は、正統な歴史以外では全て実現しているのだが…。
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その内容
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正統な歴史:第二次世界大戦における原爆投下~高度経済成長から、核戦争で世界が崩壊し歴史改変に失敗した結末。考えるまでもなくバッドエンドである。
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お金が支配する歴史:宇宙で戦争ごっこ(原文ママ、ガチではなく遊びという位置付け)がずっと流行していて地球はひとまず平和という逆機動武闘伝Gガンダムエンド。というかお金関係ない。
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食べ物が支配する歴史:美味しい食べ物を巡って人々が傷つけあう荒んだ世界となり、旅でお腹が空いたトシトもそれにのまれてしまうという、一番どうしようもない結末。「肥え太った人々が怒った顔で『FOOD!!』というフキダシを発しながら歩き回っている」という異様な光景が描かれており、後味の悪さでいえば正統な歴史以上かもしれない。
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愛が支配する歴史:人々は全てのものを愛し合うようにはなったが、(競争心を失ったのかは不明だが)あくせくと働くことも忘れてしまったという全人類ニート化エンド。「トシトは少し疑問を抱くのだった」とマジメに〆ているが、正直違和感は少しどころではない。
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力の支配する歴史:激しい戦争の末、人々は全ての武器を処分し世界は平和になった。トシトはほっと溜息をついた。真ED以外では何故か一番ハッピーエンドになった。
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真エンディング:自然と人々が仲良く暮らす平和な世界。トシトの旅も終わり、そっと腰を下ろした。ハッピーエンドだが、あの歴史改変でどうやったらこうなるのか全く以て謎。「地道に歴史改変を重ねた結果、理想の世界が出来上がった」というよりは「アテもなく時空を彷徨った末にたまたま理想の世界に漂着できた」という印象が強く、真EDなのに一番しっくりこない。
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平和度で表すなら、真≧力>愛>金>食≧正か。
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まるで活かされていない原作要素
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原作のヒロインである早坂哲子のイラストがパッケージにでかでかと描かれているが、ゲーム中にはいっさい登場しない。出てくるのは主人公となったトシトと、映画で最終的な敵役を務めたセドウドの名前だけであり、あとは冒頭のナレーションで「しょうねんたち」が元の時代に帰されたことが語られるのみ。強いて言えば信長の他、映画にもチラっと出てきた徳川家康と石田三成は登場するが、その有様は上述の通り。
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原作のネタバレ
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映画の公開に合わせた点やトシトの設定から、原作小説ではなく映画に基づいているのは判るが、そもそも映画はトシトが死んだと受け取れるラストとなっている。対して本作ではあっさりトシトの新しい旅が始まるので、映画と続けて見ると違和感が強い。
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映画の結末は、発端となった未来人の少年「アギノ・ジロ」が哲子達を元の時代に送り返し、トシトの「核戦争の無い歴史を作る」意志を継ぎ、壊れ掛けのトシトと共に時空の彼方へ飛んでいくものである。映画の後日談で歴史改変を目指す内容なら、ジロを主人公にして「トシトが望んでいた理想の歴史を追い求める」というストーリーにした方がまだ流れとしては自然だっただろう。
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ちなみに小説ではトシトは歴史改変は目論んでおらず追跡者に徹し、最後は歴史修復の影響で存在が消えてしまう。よって、映画とかけ離れているからと言って小説の流れを汲んでいる訳では当然ない。
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おバカな点
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前述の通り本作は死にパターンが豊富なのだが、偉人たちがトシトを殺す動機やその方法がハチャメチャ。
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死にパターンは思わず笑ってしまいそうなものが多く、選択肢も敢えて狙っているものも有る。例えば…
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その一例
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徳川家康と石田三成にお雑煮を口に押し込められて窒息死。
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キリシタン天草四郎に呪い殺される。『サムライスピリッツ』か!
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紀伊国屋にばかにしているのかと言われ船から突き落とされる(ちゃんと水しぶきの絵もある)。
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大塩平八郎が刀を渡そうとして間違って刺し殺される。
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同じく大塩に「米の嫌いな奴に用は無い」と切り殺される。
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上記は『大塩平八郎の乱』に因んだエピソードだがどちらかというと死にパターンの多さで大塩のご乱心といった表現でもしているのだろうか。
違う、そうじゃない
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東条英機に「ばかだという方がばかだ。」と撃ち殺される。子供か。
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同じく東条に「果物が嫌いな奴は死ね」と撃ち殺される。
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同じく東条に犬を殺すと答えると「犬を殺して何になるのだ。」と何故か殺される(「なぜかころされました」とゲーム中でさえ理由開示放棄)。
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他にも東条に欲張りだと主張すると「弾丸を1発頭にくれました」(原文ママ)。
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他にも、殺されるわけでは無いが乗り遅れや燃料切れのゲームオーバーではシュールかつ哀愁を漂わせるシーンもある。
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タイムマシンに乗り遅れてしまった時の片足を傾けて「ちぇっ」という様なポーズ。
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ワープ時の燃料切れに至っては「とっ、おもったら ねんりょうが きれてしまった。さあ、STARTキーを おしましょう。」と諭される。
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評価点
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大元のアイデア自体は良い。
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その点でもって意欲作と見る声もある。
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一応だが、原作映画では失敗した「信長を生存させる」ことに成功した歴史の先が見られるのもゲームならではである。
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エンディングも無茶苦茶なものばかりだが、「金でひとまずの平和が保てる」「愛だけでは理想の世界は作れない」「果て無き闘争に勝者も敗者も無い」と言ったメッセージ性として読み取ることもでき………なくもない?
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殺される時に限って言えば刀から銃への移り変わり(廃刀令)の歴史が知れる点。
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幕末~明治時代に限って言えば武器の転換期、銃の黎明期に当たるからか射殺ではなく撲殺されるという表現もあり細かい。
総評
性格診断などでよく目にするYES/NOチャートそのまんまのシステム、堂々巡りをさせられるゲーム展開、シンプル過ぎるテキスト。「時間旅行」という親しみやすい題材に、力・愛・金などといった極端な世界観の変化を組み合わせたアイデアは一見良さそうに思えてしまうが、出来上がったものはただひたすらに薄味だった。
登場人物たちの性格の変貌ぶりなどは良くも悪くも本作の見どころの1つとなりえたが、主人公が喋らないせいもあってか、バカゲーとしてもいささか淡々とし過ぎている。
純粋にADVとしてつまらないが故に、本作はクソゲーである。そして、優れた冒険小説を原作に持つ点から言えば、原作無視のガッカリゲーである側面もある。
「歴史の繰り返しを積み重ねることで真のエンディングに辿り着く」という気宇壮大な構成のゲームではあるのだが、その世界観設定が「ゲームとして面白みに欠けている」という一番の欠点を補えるかというとそうでもない。
ある意味では『YU-NO』や『STEINS;GATE』、ジャンルは違うが『まどか☆マギカ』や『仮面ライダー4号』等を先取りしていた……かもしれないがその出来の差は天と地ほどあるのが実情である。
余談
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当初は普通の横スクロールアクションゲームとして開発されており、当時のマル勝ファミコンの第一報でも製品版とは全く異なる仕様の写真が公開されている。その写真を見る限りでは、原作版の主人公達のアイコンが表示されていた。
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ちなみに原作映画の同時上映は『火の鳥 鳳凰編』であり、『火の鳥 鳳凰編 我王の冒険』としてゲーム化もされているが、こちらは横スクロールアクションである。
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こちらも原作とはかけ離れており、パッケージにゲーム未登場の原作キャラが描かれていたりと、本作と同じ匂いを漂わせるもアクションゲームとしての評価は高め。本作も当初の予定通りアクションだったらもしかしたらもっと良い評価を獲得できたかも?
トシト「そんな歴史があってもいいと思わねえか」
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本作とは別に、映画版を元にしたゲームブックも出ている。そちらは、選択肢が2択じゃない、バトルシーンがあるなど、本作よりも数十倍ゲーム性が高い。
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やけに多彩なゲームオーバーのパターンから、後の『シャドウゲイト』などに通ずるケムコクオリティが垣間見えると言われる事もある。あちらは元々海外から輸入したものだが、妙訳によって不思議な味わいが生まれ、単に死にまくるだけでなくテキスト自体を楽しめるバカゲーとしての評判が広がっている。
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こちらのサイトには時空の旅人がクソゲーかどうかをアンケート調査した結果が載せられている。
最終更新:2023年01月26日 23:42