この記事では、FCD『ゴルフJAPANコース』とその続編『ゴルフUSコース』について扱う。判定は全てスルメゲー。
【ごるふじゃぱんこーす】
ジャンル | スポーツ(ゴルフ) | ![]() |
対応機種 | ファミリーコンピュータ ディスクシステム | |
発売元 | 任天堂 | |
開発元 |
任天堂 ハル研究所 |
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発売日 ()内は書換開始日 |
1987年2月21日(1987年6月14日) | |
価格 | 3,500円 | |
プレイ人数 | 1~2人 | |
判定 | スルメゲー | |
ポイント |
マリオゴルフの原型 オンラインゲーム大会の始祖的存在 ファミコンゴルフゲーム初の完成形 |
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マリオシリーズ・関連作品リンク | ||
ディスクファクスイベントシリーズ |
1987年2月に任天堂が発売したゴルフゲームで、1984年に発売された『ゴルフ』のアレンジ版。
ディスクファクスイベント用の青ディスクカードソフト第1弾でディスクファクスを介して、そのスコアを任天堂に送る形でスコアを競う全国トーナメントが行われた。
キャラクターがマリオに差し替えられており、現在でも続いている『マリオゴルフシリーズ』の始祖的存在である。
根本的なゲーム性は『ゴルフ』から受け継がれているので、本項目では変更点のみを記述するものとする。
ディスクファクスイベントによる全国トーナメント
賞品
無印の『ゴルフ』では、フェアウェイもラフも同じだったり、木にぶつかって跳ね返されることがなかったりしたが、それらはしっかり改善されここにきてやっとゴルフゲームとしてひとまずの完成を見たと言ってもいいだろう。
同時にフック・スライスだけでなく、スイングスピードによるコントロールとパワーのバランス、ボールの高低、バックスピンなどいろいろと技術介入が必要なポイントが多くなり、それらを駆使できなければスコア以前という点に関しては、『ゴルフ』よりもより上級者向けになった。
ゴルフらしいシステムが完成した反面、ゲーム自体はより技術を求められる上級者向けになった。いかにもトーナメントイベント用らしいゲームに仕上がったと言えるだろう。
+ | CM |
【ごるふゆーえすこーす】
ジャンル | スポーツ(ゴルフ) | ![]() |
対応機種 | ファミリーコンピュータ ディスクシステム | |
発売元 | 任天堂 | |
開発元 |
任天堂 ハル研究所 |
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発売日 ()内は書換開始日 |
1987年6月14日(1987年6月21日) | |
価格 | 3,500円 | |
プレイ人数 | 1~4人 | |
判定 | スルメゲー | |
ポイント |
操作性はJAPANからそのまま引き継がれている フル画面で魅せるショット |
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マリオシリーズ・関連作品リンク | ||
ディスクファクスイベントシリーズ |
1987年6月に任天堂が発売したゴルフゲームで、上述の『ゴルフJAPANコース』の続編にあたる。
前作同様にディスクファクスイベント用の青ディスクカードソフトでディスクファクスを介して、そのスコアを任天堂に送る形でスコアを競う同じ形で第2回の全国トーナメントが行われた。
前作『ゴルフJAPANコース』はファミコン草創期の1984年5月に発売された無印の『ゴルフ』のアレンジ版だったが、本作はその更なるアレンジ版となる。
根本的なゲーム性はJAPANコースから受け継がれているので、本項目では変更点のみを記述するものとする。
ディスクファクスによる全国トーナメント
賞品
ビジュアル面に関しては大幅に進化し全画面で展開されるショットなどは前作では味わえない立体感でゴルフ気分を存分に盛り上げてくれる。
だが、やはりディスクファクストーナメント対象作品らしく、やはり初心者がおいそれとできるようなものではない点は変わらないどころか難易度は相変わらずどころか更に増しており、前作で慣れたプレイヤーでさえもそうそう簡単にはいかない。
ある意味で前作を戦った猛者たちに更なる刺激を与えるためのものと言ってもいいだろう。慣れてこそ初めてモチベーションが生まれ楽しめるようになる点では前作よりも濃い。
+ | CM「♪参加参加参加参加…」 |
*1 実際のプロのトーナメントでは4日間で-20に達することも稀。
*2 それまでは「♪やればやるほどディスクシステム」
*3 例えばティショットでOBをした場合、次は3打目をティアップで打つので実質2打ソンしているようなものには違いない。だが1打目と3打目は自身で打っているのでペナルティではない。
*4 1988年7月1日(9月号)に第1号が発売され以後隔月で発行。ナレーションを人気声優の富山敬氏が担当し45分構成で新作紹介やウル技(ウソテクなし)も動く映像で見られ、より内容が伝わりやすいものだったが隔月のため情報のタイムラグが発生しやすく、また1980円と少年層が購入するには少々高額だったこともあって雑誌ほど売り上げが伸びず1990年5月に発売された1990年7月号で休刊となり、わずか2年の歴史に幕を閉じた。