十二使徒

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#image(https://img.atwikiimg.com/www65.atwiki.jp/trinity_kristo/attach/717/347/7296c000-044f-4259-abd2-8ab9f4d60ae9.jpg) レオナルド・ダ・ヴィンチ「最後の晩餐」(復元) 左より順に、バルトロマイ、小ヤコブ、アンドレ、ペトロ、ユダ、ヨハネ、主イエス、トマス、大ヤコブ、フィリポ、マタイ、タダイ、シモンである。 ここでは、[[イエスの選んだ十二使徒>十二使徒の選定]]について解説する。 なお、イエス本人についてはその言行録となっている[[福音書]]を参照。[[使徒パウロ]]についてはその言行録となっている[[使徒言行録]]を参照。[[主の兄弟ヤコブ]]については別項目で開設する。 *十二使徒一覧 |番号|日本語での名称|ギリシャ語名&br()(聖書原文の名前)|アラム語名&br()(本来の名前)| |1|シモン・ペトロ|Πέτρος(Pétros)|שמעון(Šimʿōn)| |2|ゼベダイの子ヤコブ(大ヤコブ)|Ἰάκωβος(Iákōbos)|יעקב(Yaʿăqōḇ)| |3|使徒ヨハネ|Ἰωάννης(Iōánnēs)|יוחנן(Yohanan)| |4|アンデレ|Ἀνδρέας(Andréas)|不明| |5|フィリポ|Φίλιππος(Fílippos)|不明| |6|バルトロマイ/ナタナエル|Βαρθολομαῖος(Bartholomaîos)&br()Ναθαναήλ(Nathanaḗl)|בר-תולמי(bar-Tôlmay)&br()נתנאל(Netan'el)| |7|使徒マタイ/レヴィ|Ματθαῖος(Matthaîos)|מתתיהו(Matityahu)| |8|使徒トマス|Θωμᾶς(Thōmâs)|תומאס(Tōmas)| |9|アルファイの子ヤコブ(小ヤコブ)|Ἰάκωβος(Iákōbos)|יעקב(Yaʿăqōḇ)| |10|タダイと呼ばれるユダ|Θαδδαῖος(Thaddaîos)|תדיאוס()| |11|熱心党のシモン|Σίμων(Simón)|שמעון(Šimʿōn)| |12|イスカリオテのユダ|Ὶούδας(Ioúdas)|הודה(Yehûdâh)| ※ギリシャ語名はいずれも主格である。 *最初の弟子たち 共観福音書によれば、ペトロ、大ヤコブ、ヨハネ、アンデレはガリラヤ湖で[[最初の弟子たち]]となった。(しかし、ヨハネ福音書では、アンデレが洗礼者ヨハネの弟子であり、ヨルダン川付近で出会ったということになり、矛盾する。) マルコ1:16-20 >イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。二人はすぐに網を捨てて従った。 >また、少し進んで、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、舟の中で網の手入れをしているのを御覧になると、すぐに彼らをお呼びになった。この二人も父ゼベダイを雇い人たちと一緒に舟に残して、イエスの後について行った。 このうち、アンデレを除く3人は[[主イエスの変容]]を目撃している。 マルコ9:2-13 >六日の後、イエスは、ただペトロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。イエスの姿が彼らの目の前で変わり、服は真っ白に輝き、この世のどんなさらし職人の腕も及ばぬほど白くなった。エリヤがモーセと共に現れて、イエスと語り合っていた。 >ペトロが口をはさんでイエスに言った。「先生、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」ペトロは、どう言えばよいのか、分からなかった。弟子たちは非常に恐れていたのである。すると、雲が現れて彼らを覆い、雲の中から声がした。「これはわたしの愛する子。これに聞け。」弟子たちは急いで辺りを見回したが、もはやだれも見えず、ただイエスだけが彼らと一緒におられた。 >一同が山を下りるとき、イエスは、「人の子が死者の中から復活するまでは、今見たことをだれにも話してはいけない」と弟子たちに命じられた。彼らはこの言葉を心に留めて、死者の中から復活するとはどういうことかと論じ合った。そして、イエスに、「なぜ、律法学者は、まずエリヤが来るはずだと言っているのでしょうか」と尋ねた。イエスは言われた。「確かに、まずエリヤが来て、すべてを元どおりにする。それなら、人の子は苦しみを重ね、辱めを受けると聖書に書いてあるのはなぜか。しかし、言っておく。エリヤは来たが、彼について聖書に書いてあるように、人々は好きなようにあしらったのである。」 また、[[ゲツセマネの祈り]]に付き添ったのもこの3人である。 マルコ14:32-42 >一同がゲツセマネという所に来ると、イエスは弟子たちに、「わたしが祈っている間、ここに座っていなさい」と言われた。そして、ペトロ、ヤコブ、ヨハネを伴われたが、イエスはひどく恐れてもだえ始め、彼らに言われた。「わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、目を覚ましていなさい。」少し進んで行って地面にひれ伏し、できることなら、この苦しみの時が自分から過ぎ去るようにと祈り、こう言われた。「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように。」 >それから、戻って御覧になると、弟子たちは眠っていたので、ペトロに言われた。「シモン、眠っているのか。わずか一時も目を覚ましていられなかったのか。誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。心は燃えても、肉体は弱い。」 >更に、向こうへ行って、同じ言葉で祈られた。再び戻って御覧になると、弟子たちは眠っていた。ひどく眠かったのである。彼らは、イエスにどう言えばよいのか、分からなかった。 >イエスは三度目に戻って来て言われた。「あなたがたはまだ眠っている。休んでいる。もうこれでいい。時が来た。人の子は罪人たちの手に引き渡される。立て、行こう。見よ、わたしを裏切る者が来た。」 使徒ペトロと使徒ヨハネは、主の兄弟ヤコブとともに原始キリスト教団の重要幹部になっていた。 ガラテヤ2:9 >ヤコブとケファとヨハネ、つまり柱と目されるおもだった人たち *ペトロ(アラム語名「シモン」、あだ名「ケファ」) 本名はシモン(ヘブライ語読みでは「シメオン」שמעון。「シモン」は「シメオン」の短縮形)であるが、イエスにより「ケファ」(כֵּיפָא[Kêpâ]、アラム語で岩の断片、石という意味)というあだ名で呼ばれるようになった。後に同じ言葉のギリシア語訳である「ペトロス」という呼び名で知られるようになる。 イエスの弟子の中で最も聖書での登場回数が多い。アンデレの兄弟である。[[最初の弟子たち]]の一人である。[[主イエスの変容]]を目撃した一人でもある。イエスの[[ゲツセマネの祈り]]にも付き添っている。ルカ福音書によれば、[[最後の晩餐]]の準備を行った二人のうち一人である。 ヨハネ福音書によれば、イエス・キリストの復活後に、キリストにガリラヤ湖で出会った。(ヨハネ21:1-2) 原始キリスト教団の重要幹部である。 詳細は[[使徒シモン・ペトロ]]を参照されたい。 *ゼベダイの子ヤコブ(大ヤコブ) 使徒ヨハネの兄弟で、漁師だった。[[最初の弟子たち]]の一人である。[[主イエスの変容]]を目撃した一人でもある。イエスの[[ゲツセマネの祈り]]にも付き添っている。 ヨハネ福音書によれば、イエス・キリストの復活後に、キリストにガリラヤ湖で出会った。(ヨハネ21:1-2) 聖書に死が唯一記載されている。ユダヤ人の歓心を買おうとしたヘロデ・アグリッパ1世によって捕らえられ、殉教したという。44年頃のことと推定される。 使徒12:1-2 >そのころ(サウロとバルナバがアンティオキアで宣教していた頃)、ヘロデ王は教会のある人々に迫害の手を伸ばし、ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した。 *ゼベダイの子ヨハネ(使徒ヨハネ) 大ヤコブの兄弟で、漁師だった。[[最初の弟子たち]]の一人である。[[主イエスの変容]]を目撃した一人でもある。イエスの[[ゲツセマネの祈り]]にも付き添っている。ルカ福音書によれば、[[最後の晩餐]]の準備を行った二人のうち一人である。 ヨハネ福音書によれば、イエス・キリストの復活後に、キリストにガリラヤ湖で出会った。(ヨハネ21:1-2) 原始キリスト教団の重要幹部である。 *アンデレ 「アンデレ」はギリシャ語名で、本名のアラブ語名は不明。 シモン・ペトロの兄弟である。[[最初の弟子たち]]の一人である。 「ギリシャ人」がイエスに会いにきたときには、フィリポとともにイエスに仲介した。 ヨハネ12:20-22 >さて、祭りのとき礼拝するためにエルサレムに上って来た人々の中に、何人かのギリシア人がいた。彼らは、ガリラヤのベトサイダ出身のフィリポのもとへ来て、「お願いです。イエスにお目にかかりたいのです」と頼んだ。フィリポは行ってアンデレに話し、アンデレとフィリポは行って、イエスに話した。 伝承ではアンデレはギリシアのアカイア地方でX字型の十字架で処刑され、殉教したことになっている。 *フィリポ 「フィリポ」はギリシャ語名で、本名のアラブ語名は不明。 共観福音書には名前以外は出てこない。『使徒言行録』に登場する福音宣教者フィリポとは別人である。 フィリポはベトサイダの出身で、イエスに直接招かれて弟子になる。フィリポは知り合いのナタナエルにイエスを紹介し、ナタナエルも弟子になった。 ヨハネ1:43-44 >その翌日(アンデレがイエスの弟子となった日の翌日)、イエスは、ガリラヤへ行こうとしたときに、フィリポに出会って、「わたしに従いなさい」と言われた。フィリポは、アンデレとペトロの町、ベトサイダの出身であった。 「ギリシャ人」がイエスに会いにきたときには、まずフィリポに仲介を頼んでいる。 ヨハネ12:20-22 >さて、祭りのとき礼拝するためにエルサレムに上って来た人々の中に、何人かのギリシア人がいた。彼らは、ガリラヤのベトサイダ出身のフィリポのもとへ来て、「お願いです。イエスにお目にかかりたいのです」と頼んだ。フィリポは行ってアンデレに話し、アンデレとフィリポは行って、イエスに話した。 *バルトロマイ/ナタナエル バル・トロマイという名の語義は「タルマイの子」(בר-תולמי)である。 共観福音書にはバルトロマイとして登場するが、名前以外は出てこない。 ヨハネ福音書にはナタナエル(נתנאל)として登場する。ナタナエルはガリラヤのカナの生まれである。 12弟子のフィリポによってイエス・キリストを紹介されたが、彼はナザレからメシヤが出るとは信じなかった。しかし、彼がイエスに会うと、すでにイエスは彼を知っており、いちじくの下にいるのを見たと聞き、彼はイエスが神の子であると信じ告白した。そして、イエスの12弟子の一人になったと言われる。 ヨハネ1:45-49 >フィリポはナタナエルに出会って言った。「わたしたちは、モーセが律法に記し、預言者たちも書いている方に出会った。それはナザレの人で、ヨセフの子イエスだ。」するとナタナエルが、「ナザレから何か良いものが出るだろうか」と言ったので、フィリポは、「来て、見なさい」と言った。 >イエスは、ナタナエルが御自分の方へ来るのを見て、彼のことをこう言われた。「見なさい。まことのイスラエル人だ。この人には偽りがない。」ナタナエルが、「どうしてわたしを知っておられるのですか」と言うと、イエスは答えて、「わたしは、あなたがフィリポから話しかけられる前に、いちじくの木の下にいるのを見た」と言われた。 >ナタナエルは答えた。「ラビ、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です。」 イエス・キリストの復活後に、キリストにガリラヤ湖で出会った。 ヨハネ21:1-2 >その後、イエスはティベリアス湖畔で、また弟子たちに御自身を現された。その次第はこうである。 >シモン・ペトロ、ディディモと呼ばれるトマス、ガリラヤのカナ出身のナタナエル、ゼベダイの子たち、それに、ほかの二人の弟子が一緒にいた。 *マタイ 「マタイ」の意味は「神の賜物」。 福音書には名前以外はほとんど出てこない。一般的には、[[レビの召命]]で召命されているレビはマタイのことだとされる。 マルコ2:13-17 >イエスは、再び湖のほとりに出て行かれた。群衆が皆そばに集まって来たので、イエスは教えられた。そして通りがかりに、アルファイの子レビが収税所に座っているのを見かけて、「わたしに従いなさい」と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った。 >イエスがレビの家で食事の席に着いておられたときのことである。多くの徴税人や罪人もイエスや弟子たちと同席していた。実に大勢の人がいて、イエスに従っていたのである。ファリサイ派の律法学者は、イエスが罪人や徴税人と一緒に食事をされるのを見て、弟子たちに、「どうして彼は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」と言った。イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」 *トマス(ユダ、ディディモ) 共観福音書には名前以外は出てこない。 イエスの真意を理解せず、少しずれている人物として描かれている。 ヨハネ11:14-16 >そこでイエスは、はっきりと言われた。「ラザロは死んだのだ。わたしがその場に居合わせなかったのは、あなたがたにとってよかった。あなたがたが信じるようになるためである。さあ、彼のところへ行こう。」 >すると、ディディモと呼ばれるトマスが、仲間の弟子たちに、「わたしたちも行って、一緒に死のうではないか」と言った。 イエスが復活したという他の弟子たちの言葉を信じないが、実際にイエスを見て感激し、「私の主、私の神」と言った。またイエスのわき腹の傷に自分の手を差し込んでその身体を確かめたとも言われる。 ヨハネ20:24-29 >十二人の一人でディディモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。そこで、ほかの弟子たちが、「わたしたちは主を見た」と言うと、トマスは言った。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」 >さて八日の後、弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいた。戸にはみな鍵がかけてあったのに、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」トマスは答えて、「わたしの主、わたしの神よ」と言った。 >イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」 ヨハネ福音書によれば、イエス・キリストの復活後に、キリストにガリラヤ湖で出会った。(ヨハネ21:1-2) *アルファイの子ヤコブ(小ヤコブ) 福音書には名前以外は出てこない。 *タダイ/ヤコブの子ユダ 福音書には名前以外は出てこない。 *熱心者のシモン 福音書には名前以外は出てこない。 *イスカリオテのユダ(イスカリオテのシモンの子ユダ) 『マタイによる福音書』ではユダは金目当てで祭司長たちにイエスの引き渡しを持ちかけ、銀貨三十枚を得る約束をとりつけている。 マタイ26:14-16 >そのとき、十二人の一人で、イスカリオテのユダという者が、祭司長たちのところへ行き、 「あの男をあなたたちに引き渡せば、幾らくれますか」と言った。そこで、彼らは銀貨三十枚を支払うことにした。そのときから、ユダはイエスを引き渡そうと、良い機会をねらっていた。 『ヨハネによる福音書』では高価な香油をイエスの足にぬったマリアを非難する。そこに続けて彼が使徒たちの会計を任されながら、不正を行っていたと記されている。 ヨハネ12:4-6 >弟子の一人で、後にイエスを裏切るイスカリオテのユダが言った。「なぜ、この香油を三百デナリオンで売って、貧しい人々に施さなかったのか。」彼がこう言ったのは、貧しい人々のことを心にかけていたからではない。彼は盗人であって、金入れを預かっていながら、その中身をごまかしていたからである。 [[最後の晩餐]]の場面ではイエスに裏切りを予告され、『マルコによる福音書』では「生まれなかった方が、その者のためによかった。」とまでイエスに言われている。 マルコ14:18-21 >一同が席に着いて食事をしているとき、イエスは言われた。「はっきり言っておくが、あなたがたのうちの一人で、わたしと一緒に食事をしている者が、わたしを裏切ろうとしている。」 >弟子たちは心を痛めて、「まさかわたしのことでは」と代わる代わる言い始めた。 >イエスは言われた。「十二人のうちの一人で、わたしと一緒に鉢に食べ物を浸している者がそれだ。人の子は、聖書に書いてあるとおりに、去って行く。だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。生まれなかった方が、その者のためによかった。」 ユダは祭司長たちと群衆をイエスのもとに案内し、接吻することでイエスを示して引き渡し、[[イエスは逮捕>イエスの逮捕]]された。 マルコ14:43-52 >さて、イエスがまだ話しておられると、十二人の一人であるユダが進み寄って来た。祭司長、律法学者、長老たちの遣わした群衆も、剣や棒を持って一緒に来た。イエスを裏切ろうとしていたユダは、「わたしが接吻するのが、その人だ。捕まえて、逃がさないように連れて行け」と、前もって合図を決めていた。ユダはやって来るとすぐに、イエスに近寄り、「先生」と言って接吻した。人々は、イエスに手をかけて捕らえた。 >居合わせた人々のうちのある者が、剣を抜いて大祭司の手下に打ってかかり、片方の耳を切り落とした。そこで、イエスは彼らに言われた。「まるで強盗にでも向かうように、剣や棒を持って捕らえに来たのか。わたしは毎日、神殿の境内で一緒にいて教えていたのに、あなたたちはわたしを捕らえなかった。しかし、これは聖書の言葉が実現するためである。」 >弟子たちは皆、イエスを見捨てて逃げてしまった。一人の若者が、素肌に亜麻布をまとってイエスについて来ていた。人々が捕らえようとすると、亜麻布を捨てて裸で逃げてしまった。 その後、『マタイ福音書』では、ユダは自らの行いを悔いて、祭司長たちから受け取った銀貨を神殿に投げ込み、首を吊って[[自殺した>ユダの自殺]]ことになっている。『使徒言行録』では、ユダは裏切りで得た金で買った土地に真っ逆様に落ちて、内臓がすべて飛び出して死んだことになっている。 詳細は[[イスカリオテのユダ]]を参照されたい。
#image(https://img.atwikiimg.com/www65.atwiki.jp/trinity_kristo/attach/717/347/7296c000-044f-4259-abd2-8ab9f4d60ae9.jpg) レオナルド・ダ・ヴィンチ「[[最後の晩餐]]」(復元) 左より順に、バルトロマイ、小ヤコブ、アンドレ、ペトロ、ユダ、ヨハネ、主イエス、トマス、大ヤコブ、フィリポ、マタイ、タダイ、シモンである。 ここでは、[[イエスの選んだ十二使徒>十二使徒の選定]]について解説する。 なお、イエス本人についてはその言行録となっている[[福音書]]を参照。[[使徒パウロ]]についてはその言行録となっている[[使徒言行録]]を参照。[[主の兄弟ヤコブ]]については別項目で開設する。 *十二使徒一覧 |番号|日本語での名称|ギリシャ語名&br()(聖書原文の名前)|アラム語名&br()(本来の名前)| |1|シモン・ペトロ|Πέτρος(Pétros)|שמעון(Šimʿōn)| |2|ゼベダイの子ヤコブ(大ヤコブ)|Ἰάκωβος(Iákōbos)|יעקב(Yaʿăqōḇ)| |3|使徒ヨハネ|Ἰωάννης(Iōánnēs)|יוחנן(Yohanan)| |4|アンデレ|Ἀνδρέας(Andréas)|不明| |5|フィリポ|Φίλιππος(Fílippos)|不明| |6|バルトロマイ/ナタナエル|Βαρθολομαῖος(Bartholomaîos)&br()Ναθαναήλ(Nathanaḗl)|בר-תולמי(bar-Tôlmay)&br()נתנאל(Netan'el)| |7|使徒マタイ/レヴィ|Ματθαῖος(Matthaîos)|מתתיהו(Matityahu)| |8|使徒トマス|Θωμᾶς(Thōmâs)|תומאס(Tōmas)| |9|アルファイの子ヤコブ(小ヤコブ)|Ἰάκωβος(Iákōbos)|יעקב(Yaʿăqōḇ)| |10|タダイと呼ばれるユダ|Θαδδαῖος(Thaddaîos)|תדיאוס()| |11|熱心党のシモン|Σίμων(Simón)|שמעון(Šimʿōn)| |12|[[イスカリオテのユダ]]|Ὶούδας(Ioúdas)|הודה(Yehûdâh)| ※ギリシャ語名はいずれも主格である。 *最初の弟子たち [[共観福音書]]によれば、ペトロ、大ヤコブ、ヨハネ、アンデレはガリラヤ湖で[[最初の弟子たち]]となった。(しかし、ヨハネ福音書では、アンデレが[[洗礼者ヨハネ]]の弟子であり、ヨルダン川付近で出会ったということになり、矛盾する。) マルコ1:16-20 >イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。二人はすぐに網を捨てて従った。 >また、少し進んで、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、舟の中で網の手入れをしているのを御覧になると、すぐに彼らをお呼びになった。この二人も父ゼベダイを雇い人たちと一緒に舟に残して、イエスの後について行った。 このうち、アンデレを除く3人は[[主イエスの変容]]を目撃している。 マルコ9:2-13 >六日の後、イエスは、ただペトロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。イエスの姿が彼らの目の前で変わり、服は真っ白に輝き、この世のどんなさらし職人の腕も及ばぬほど白くなった。エリヤがモーセと共に現れて、イエスと語り合っていた。 >ペトロが口をはさんでイエスに言った。「先生、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」ペトロは、どう言えばよいのか、分からなかった。弟子たちは非常に恐れていたのである。すると、雲が現れて彼らを覆い、雲の中から声がした。「これはわたしの愛する子。これに聞け。」弟子たちは急いで辺りを見回したが、もはやだれも見えず、ただイエスだけが彼らと一緒におられた。 >一同が山を下りるとき、イエスは、「人の子が死者の中から復活するまでは、今見たことをだれにも話してはいけない」と弟子たちに命じられた。彼らはこの言葉を心に留めて、死者の中から復活するとはどういうことかと論じ合った。そして、イエスに、「なぜ、律法学者は、まずエリヤが来るはずだと言っているのでしょうか」と尋ねた。イエスは言われた。「確かに、まずエリヤが来て、すべてを元どおりにする。それなら、人の子は苦しみを重ね、辱めを受けると聖書に書いてあるのはなぜか。しかし、言っておく。エリヤは来たが、彼について聖書に書いてあるように、人々は好きなようにあしらったのである。」 また、[[ゲツセマネの祈り]]に付き添ったのもこの3人である。 マルコ14:32-42 >一同がゲツセマネという所に来ると、イエスは弟子たちに、「わたしが祈っている間、ここに座っていなさい」と言われた。そして、ペトロ、ヤコブ、ヨハネを伴われたが、イエスはひどく恐れてもだえ始め、彼らに言われた。「わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、目を覚ましていなさい。」少し進んで行って地面にひれ伏し、できることなら、この苦しみの時が自分から過ぎ去るようにと祈り、こう言われた。「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように。」 >それから、戻って御覧になると、弟子たちは眠っていたので、ペトロに言われた。「シモン、眠っているのか。わずか一時も目を覚ましていられなかったのか。誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。心は燃えても、肉体は弱い。」 >更に、向こうへ行って、同じ言葉で祈られた。再び戻って御覧になると、弟子たちは眠っていた。ひどく眠かったのである。彼らは、イエスにどう言えばよいのか、分からなかった。 >イエスは三度目に戻って来て言われた。「あなたがたはまだ眠っている。休んでいる。もうこれでいい。時が来た。人の子は罪人たちの手に引き渡される。立て、行こう。見よ、わたしを裏切る者が来た。」 使徒ペトロと使徒ヨハネは、主の兄弟ヤコブとともに[[原始キリスト教]]団の重要幹部になっていた。 ガラテヤ2:9 >ヤコブとケファとヨハネ、つまり柱と目されるおもだった人たち *ペトロ(アラム語名「シモン」、あだ名「ケファ」) 本名はシモン(ヘブライ語読みでは「シメオン」שמעון。「シモン」は「シメオン」の短縮形)であるが、イエスにより「ケファ」(כֵּיפָא[Kêpâ]、アラム語で岩の断片、石という意味)というあだ名で呼ばれるようになった。後に同じ言葉のギリシア語訳である「ペトロス」という呼び名で知られるようになる。 イエスの弟子の中で最も聖書での登場回数が多い。アンデレの兄弟である。[[最初の弟子たち]]の一人である。[[主イエスの変容]]を目撃した一人でもある。イエスの[[ゲツセマネの祈り]]にも付き添っている。ルカ福音書によれば、[[最後の晩餐]]の準備を行った二人のうち一人である。 ヨハネ福音書によれば、[[イエス・キリスト]]の復活後に、キリストにガリラヤ湖で出会った。(ヨハネ21:1-2) 原始キリスト教団の重要幹部である。 詳細は[[使徒シモン・ペトロ]]を参照されたい。 *ゼベダイの子ヤコブ(大ヤコブ) 使徒ヨハネの兄弟で、漁師だった。[[最初の弟子たち]]の一人である。[[主イエスの変容]]を目撃した一人でもある。イエスの[[ゲツセマネの祈り]]にも付き添っている。 ヨハネ福音書によれば、イエス・キリストの復活後に、キリストにガリラヤ湖で出会った。(ヨハネ21:1-2) 聖書に死が唯一記載されている。ユダヤ人の歓心を買おうとしたヘロデ・アグリッパ1世によって捕らえられ、殉教したという。44年頃のことと推定される。 使徒12:1-2 >そのころ(サウロと[[バルナバ]]がアンティオキアで宣教していた頃)、ヘロデ王は教会のある人々に迫害の手を伸ばし、ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した。 *ゼベダイの子ヨハネ(使徒ヨハネ) 大ヤコブの兄弟で、漁師だった。[[最初の弟子たち]]の一人である。[[主イエスの変容]]を目撃した一人でもある。イエスの[[ゲツセマネの祈り]]にも付き添っている。ルカ福音書によれば、[[最後の晩餐]]の準備を行った二人のうち一人である。 ヨハネ福音書によれば、イエス・キリストの復活後に、キリストにガリラヤ湖で出会った。(ヨハネ21:1-2) 原始キリスト教団の重要幹部である。 *アンデレ 「アンデレ」はギリシャ語名で、本名のアラブ語名は不明。 シモン・ペトロの兄弟である。[[最初の弟子たち]]の一人である。 「ギリシャ人」がイエスに会いにきたときには、フィリポとともにイエスに仲介した。 ヨハネ12:20-22 >さて、祭りのとき礼拝するためにエルサレムに上って来た人々の中に、何人かのギリシア人がいた。彼らは、ガリラヤのベトサイダ出身のフィリポのもとへ来て、「お願いです。イエスにお目にかかりたいのです」と頼んだ。フィリポは行ってアンデレに話し、アンデレとフィリポは行って、イエスに話した。 伝承ではアンデレはギリシアのアカイア地方でX字型の十字架で処刑され、殉教したことになっている。 *フィリポ 「フィリポ」はギリシャ語名で、本名のアラブ語名は不明。 共観福音書には名前以外は出てこない。『使徒言行録』に登場する福音宣教者フィリポとは別人である。 フィリポはベトサイダの出身で、イエスに直接招かれて弟子になる。フィリポは知り合いのナタナエルにイエスを紹介し、ナタナエルも弟子になった。 ヨハネ1:43-44 >その翌日(アンデレがイエスの弟子となった日の翌日)、イエスは、ガリラヤへ行こうとしたときに、フィリポに出会って、「わたしに従いなさい」と言われた。フィリポは、アンデレとペトロの町、ベトサイダの出身であった。 「ギリシャ人」がイエスに会いにきたときには、まずフィリポに仲介を頼んでいる。 ヨハネ12:20-22 >さて、祭りのとき礼拝するためにエルサレムに上って来た人々の中に、何人かのギリシア人がいた。彼らは、ガリラヤのベトサイダ出身のフィリポのもとへ来て、「お願いです。イエスにお目にかかりたいのです」と頼んだ。フィリポは行ってアンデレに話し、アンデレとフィリポは行って、イエスに話した。 *バルトロマイ/ナタナエル バル・トロマイという名の語義は「タルマイの子」(בר-תולמי)である。 共観福音書にはバルトロマイとして登場するが、名前以外は出てこない。 ヨハネ福音書にはナタナエル(נתנאל)として登場する。ナタナエルはガリラヤのカナの生まれである。 12弟子のフィリポによってイエス・キリストを紹介されたが、彼はナザレからメシヤが出るとは信じなかった。しかし、彼がイエスに会うと、すでにイエスは彼を知っており、いちじくの下にいるのを見たと聞き、彼はイエスが神の子であると信じ告白した。そして、イエスの12弟子の一人になったと言われる。 ヨハネ1:45-49 >フィリポはナタナエルに出会って言った。「わたしたちは、モーセが律法に記し、預言者たちも書いている方に出会った。それはナザレの人で、ヨセフの子イエスだ。」するとナタナエルが、「ナザレから何か良いものが出るだろうか」と言ったので、フィリポは、「来て、見なさい」と言った。 >イエスは、ナタナエルが御自分の方へ来るのを見て、彼のことをこう言われた。「見なさい。まことのイスラエル人だ。この人には偽りがない。」ナタナエルが、「どうしてわたしを知っておられるのですか」と言うと、イエスは答えて、「わたしは、あなたがフィリポから話しかけられる前に、いちじくの木の下にいるのを見た」と言われた。 >ナタナエルは答えた。「ラビ、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です。」 イエス・キリストの復活後に、キリストにガリラヤ湖で出会った。 ヨハネ21:1-2 >その後、イエスはティベリアス湖畔で、また弟子たちに御自身を現された。その次第はこうである。 >シモン・ペトロ、ディディモと呼ばれるトマス、ガリラヤのカナ出身のナタナエル、ゼベダイの子たち、それに、ほかの二人の弟子が一緒にいた。 *マタイ 「マタイ」の意味は「神の賜物」。 福音書には名前以外はほとんど出てこない。一般的には、[[レビの召命]]で召命されているレビはマタイのことだとされる。 マルコ2:13-17 >イエスは、再び湖のほとりに出て行かれた。群衆が皆そばに集まって来たので、イエスは教えられた。そして通りがかりに、アルファイの子レビが収税所に座っているのを見かけて、「わたしに従いなさい」と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った。 >イエスがレビの家で食事の席に着いておられたときのことである。多くの徴税人や罪人もイエスや弟子たちと同席していた。実に大勢の人がいて、イエスに従っていたのである。ファリサイ派の律法学者は、イエスが罪人や徴税人と一緒に食事をされるのを見て、弟子たちに、「どうして彼は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」と言った。イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」 *トマス(ユダ、ディディモ) 共観福音書には名前以外は出てこない。 イエスの真意を理解せず、少しずれている人物として描かれている。 ヨハネ11:14-16 >そこでイエスは、はっきりと言われた。「ラザロは死んだのだ。わたしがその場に居合わせなかったのは、あなたがたにとってよかった。あなたがたが信じるようになるためである。さあ、彼のところへ行こう。」 >すると、ディディモと呼ばれるトマスが、仲間の弟子たちに、「わたしたちも行って、一緒に死のうではないか」と言った。 イエスが復活したという他の弟子たちの言葉を信じないが、実際にイエスを見て感激し、「私の主、私の神」と言った。またイエスのわき腹の傷に自分の手を差し込んでその身体を確かめたとも言われる。 ヨハネ20:24-29 >十二人の一人でディディモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。そこで、ほかの弟子たちが、「わたしたちは主を見た」と言うと、トマスは言った。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」 >さて八日の後、弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいた。戸にはみな鍵がかけてあったのに、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」トマスは答えて、「わたしの主、わたしの神よ」と言った。 >イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」 ヨハネ福音書によれば、イエス・キリストの復活後に、キリストにガリラヤ湖で出会った。(ヨハネ21:1-2) *アルファイの子ヤコブ(小ヤコブ) 福音書には名前以外は出てこない。 *タダイ/ヤコブの子ユダ 福音書には名前以外は出てこない。 *熱心者のシモン 福音書には名前以外は出てこない。 *イスカリオテのユダ(イスカリオテのシモンの子ユダ) 『[[マタイによる福音書]]』ではユダは金目当てで祭司長たちにイエスの引き渡しを持ちかけ、銀貨三十枚を得る約束をとりつけている。 マタイ26:14-16 >そのとき、十二人の一人で、イスカリオテのユダという者が、祭司長たちのところへ行き、 「あの男をあなたたちに引き渡せば、幾らくれますか」と言った。そこで、彼らは銀貨三十枚を支払うことにした。そのときから、ユダはイエスを引き渡そうと、良い機会をねらっていた。 『[[ヨハネによる福音書]]』では高価な香油をイエスの足にぬったマリアを非難する。そこに続けて彼が使徒たちの会計を任されながら、不正を行っていたと記されている。 ヨハネ12:4-6 >弟子の一人で、後にイエスを裏切るイスカリオテのユダが言った。「なぜ、この香油を三百デナリオンで売って、貧しい人々に施さなかったのか。」彼がこう言ったのは、貧しい人々のことを心にかけていたからではない。彼は盗人であって、金入れを預かっていながら、その中身をごまかしていたからである。 [[最後の晩餐]]の場面ではイエスに裏切りを予告され、『[[マルコによる福音書]]』では「生まれなかった方が、その者のためによかった。」とまでイエスに言われている。 マルコ14:18-21 >一同が席に着いて食事をしているとき、イエスは言われた。「はっきり言っておくが、あなたがたのうちの一人で、わたしと一緒に食事をしている者が、わたしを裏切ろうとしている。」 >弟子たちは心を痛めて、「まさかわたしのことでは」と代わる代わる言い始めた。 >イエスは言われた。「十二人のうちの一人で、わたしと一緒に鉢に食べ物を浸している者がそれだ。人の子は、聖書に書いてあるとおりに、去って行く。だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。生まれなかった方が、その者のためによかった。」 ユダは祭司長たちと群衆をイエスのもとに案内し、接吻することでイエスを示して引き渡し、[[イエスは逮捕>イエスの逮捕]]された。 マルコ14:43-52 >さて、イエスがまだ話しておられると、十二人の一人であるユダが進み寄って来た。祭司長、律法学者、長老たちの遣わした群衆も、剣や棒を持って一緒に来た。イエスを裏切ろうとしていたユダは、「わたしが接吻するのが、その人だ。捕まえて、逃がさないように連れて行け」と、前もって合図を決めていた。ユダはやって来るとすぐに、イエスに近寄り、「先生」と言って接吻した。人々は、イエスに手をかけて捕らえた。 >居合わせた人々のうちのある者が、剣を抜いて大祭司の手下に打ってかかり、片方の耳を切り落とした。そこで、イエスは彼らに言われた。「まるで強盗にでも向かうように、剣や棒を持って捕らえに来たのか。わたしは毎日、神殿の境内で一緒にいて教えていたのに、あなたたちはわたしを捕らえなかった。しかし、これは聖書の言葉が実現するためである。」 >弟子たちは皆、イエスを見捨てて逃げてしまった。一人の若者が、素肌に亜麻布をまとってイエスについて来ていた。人々が捕らえようとすると、亜麻布を捨てて裸で逃げてしまった。 その後、『マタイ福音書』では、ユダは自らの行いを悔いて、祭司長たちから受け取った銀貨を神殿に投げ込み、首を吊って[[自殺した>ユダの自殺]]ことになっている。『使徒言行録』では、ユダは裏切りで得た金で買った土地に真っ逆様に落ちて、内臓がすべて飛び出して死んだことになっている。 詳細は[[イスカリオテのユダ]]を参照されたい。

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