神論

キリスト教の用語で、神論(Patriology)は父なる神に対する研究である。Patriologyという用語は、ギリシャ語の πατέρας (pateras, 父) と、λογος (logos, 論) からなる合成語である。キリスト論 (Christology) および聖霊論 (Pneumatology) と密接な関係にある。

旧約聖書における「父なる神」の呼称

旧約聖書では、ヤハウェ (יהוה‎ [Yahweh], Yahweh/Jehovah)、神<複数形> (אלהים [Elohim], Gods/powers)、主 (אדני [Adonai], Lord)、神<単数形> (אל [El], God/power) などの呼称が用いられる。「ヤハウェ」は約6800回、「エロヒム」は約2600回、「主(アドナイ)」は439回、「エル」は238回現れる。

旧約聖書にもわずかながら、神を「父」として表す部分がある。

イザヤ63:16
あなたはわたしたちの父です。
アブラハムがわたしたちを見知らず
イスラエルがわたしたちを認めなくても
主よ、あなたはわたしたちの父です。
「わたしたちの贖い主」これは永遠の昔からあなたの御名です。

イザヤ64:7
しかし、主よ、あなたは我らの父。
わたしたちは粘土、あなたは陶工
わたしたちは皆、あなたの御手の業。

これは、神を「父性ある保護者」として見ることによる比喩である。

新約聖書における「父なる神」の呼称

新約聖書では、神 (θεός [Theos], God)、主 (Κύριος [Kyrios], Lord)、父 (πατέρας [Pateras], Father) の三つの呼称が父なる神を意味する。これにくわえ、アラム語の 「アッバ(Ἀββᾶ [Abba])」(אבא, 父) も用いられている。

キリスト教では、単に「父性ある保護者」としてではなく、キリストという「ひとり子」を遣わせた「父」という意味合いが強くなる。

使徒信条には次のように書かれている。
父のひとり子、わたしたちの主イエス・キリストを信じます。

ヤハウェの起源

イスラエル人の多神教信仰(エル信仰)

イスラエル人の宗教は元々多神教だったと考えられている。以下の部分では神が自らを「我々」と名乗ったり、「神々」や「天の万軍」が登場する。

創世記1:26-27
神は言われた。「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」

創世記2:22
主なる(ヤーヴェ)神は言われた。「人は我々の一人のように、善悪を知る者となった。今は、手を伸ばして命の木からも取って食べ、永遠に生きる者となるおそれがある。」

詩編82:1
神は神聖な会議の中に立ち
神々の間で裁きをおこなわれる。

列王記上22:19
だが、ミカは続けた。「主の言葉をよく聞きなさい。わたしは主(ヤーヴェ)が御座に座し、天の万軍がその左右に立っているのを見ました。……」

高等批評では、ユダヤ教成立以前の信仰をヤハウェ信仰、あるいはエロヒム信仰(エル信仰)とよぶが、両者は同一の信仰ではなく、四資料説において、エルやエロヒムを神の呼称とする「E資料」、ヤハウェを神の名とする「J資料」が想定されている。両者はかなり性質の異なる別系統の神々だったが、唯一神教化する過程で混同され、同一神とみなされるようになった。

エロヒム信仰・エル信仰はヤハウェに比べてより古い信仰であり、もともとはセム系の諸民族にみられる多神教における最高神で、抽象的・観念的な天の神であった。イスラエルにおいてはサマリアやガリラヤなど北部で信仰された。これは、エジプトの衰退、カナン都市国家の抗争、海の民の侵入といった混乱から自らを守るために生み出された信仰であり、エル信仰によって繋がった民族が「イスラエル」と名乗ったと考えられる。

出エジプトにおける拝一神教化(ヤハウェ信仰)

これに対し、ヤハウェ信仰の起源はエル信仰の起源に比べるとやや時代が下る。
もともとはヘブロンを中心としたイスラエル南部の信仰であった。この神はエジプトに奴隷的身分として存在していた周辺民族が自由を求めて脱出した時にその中心的役割を果たした部族の神であった。それはイスラエルよりは南方にある遊牧民ミディアンの「嵐の神」の可能性が高い。

この神は逃れてきた少数の集団と共にイスラエルの地に溶け込んで、この地方の主神エル(イスラエルのエル)と習合してヤハウェとなった。
ヤハウェは、抽象的なエロヒムと異なり、具体的な人格神で、慈愛だけでなく怒りや妬みも表す感情的な神である。怒りや妬みなど人間的感情がある。ヤハウェの祭儀は祭司階級であるレビ族に担われた。


ヤハウェは出エジプト記では最高神として扱われている。ここでは、他の神々存在は認めているものの、崇拝するのはヤハウェただ一人であることが定められている。

出エジプト18:11-12
(エトロは)言った。「主をたたえよ/主はあなたたちをエジプト人の手から/ファラオの手から救い出された。主はエジプト人のもとから民を救い出された。今、わたしは知った/彼らがイスラエルに向かって/高慢にふるまったときにも/主はすべての神々にまさって偉大であったことを。」

これは、元々ヤハウェ信仰が、バアル崇拝の拡大に対向していたことが関係している。山地に居住していたイスラエルの人々が海岸部の都市に進出して戦いに明け暮れる間に、戦闘に必要な犠牲と団結の必要性からヤハウェがますます信仰されるようになったと考えられる。


ユダヤ王国の末期、ヨシヤ王の宗教改革の際になると、他の神を信じることを厳しく禁じたが、それでもなおイスラエル人の信仰は拝一神教であり、他の神々が想定されていた。

申命記5:7
あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。

バビロン捕囚後の唯一神教化

ヤハウェは民族の守り神であって、他民族にはそれぞれの神がある。少なくともイスラエルの民族はヤハウェを崇めなくてはならない、というのが拝一神教である。これが次第に「神はヤハウェしかない」という唯一神教に変わっていくのである。


イザヤ書44:6
イスラエルの王である主/イスラエルを贖う万軍の主は、こう言われる。
わたしは初めであり、終わりである。わたしをおいて神はない。

バビロン捕囚という民族的災難を経験し、ヤハウェへの信仰が一時期薄れたとき、「ユダヤ人に怒ったヤハウェがバビロニアを遣わして罰を与えた」と解釈した。これにより、ヤハウェはユダヤ人の世界に住む神ではなく、ときには異民族を遣わして罰を与える世界的な神へと変貌した。信仰を取り戻したユダヤ人はやがてバビロンから開放されるが、そこで出エジプトの伝説が思い起こされ、それを追体験する。拝一神教時代のモーセの言葉が再解釈され、排他的一神教的な意味を帯び、深くユダヤ人に共有されるようになった。

第2イザヤではこのほかに偶像崇拝についての詳細な記述とその否定が強調されている。これは捕囚の民もバビロニアの偶像崇拝に巻き込まれていたからである。絶望からの救いと偶像崇拝の禁止、という2つの目的の為に、ヤハウェの唯一神性が作られたのである。

※ただし、唯一神教化した時代をより古く見積もる説では、出エジプトの頃のヘブライ人は古代エジプトのアテン神を信仰しており、そのためアテン信仰が廃された後に弾圧され、エジプトを脱出したのではないかとする説もある。


最終更新:2018年02月12日 10:07