カラク碑文

カラクには少なくとも鉄器時代から人が住んでおり、イスラエル人とは隣人ながら対立もしていたモアブ人の重要都市(モアブの首都でもあったとされる)・キル(Qir)があった。1958年には、カラクからモアブ文字で書かれた碑文(カラク碑文)の断片が発見されており、モアブの主神ケモシュの神殿に関する言及などがある。キルは旧約聖書ではキル・ハラセテ(キル・ヘレス、Qer Harreseth, Kir Heres)と呼ばれていた。イザヤ書15章から16章はモアブの行く末に関する預言が語られており、その中でモアブが敵に攻め滅ぼされるさまが語られ、16章11節では「わがはらわたはモアブのためにわが胸はキル・ヘレスのために竪琴のように嘆く」とある。

カラク碑文は現在、カラク考古博物館(カラク城内)に展示されている。

碑文の内容

内容はわずか3行で断片的であるが、おそらく作者が、ケモシュ・ヤットを神に讃えるモアブ王であり、ケモシュの怒りを静めるために生贄として何かを捧げたらしいことがうかがえる。メシャ碑文と並行する内容である可能性もある。
本文はwikipediaの「カラク碑文(英語版)」を参照されたい。
最終更新:2016年09月30日 10:18