神義論

神義論(独:Theodizee)は神学の一部門であり、1646年に生まれたドイツの哲学者かつ数学者であるゴットフリート・ライプニッツが作った言葉。弁神論とも訳す。

ライプニッツはキリスト教の立場から、全能で善なる神の存在にかかわらず、世界に悪が存在することの矛盾の弁証を1710年刊の著書『弁神論』で論じた。

ヨブ記

なぜ世界に悪が存在するのか。なぜ正しい者が苦しみ、悪しき者が栄えるのか。
このような疑問はあらゆる宗教・哲学に認められるものだが、特にキリスト教のような厳格な人格神を進行する一神教では、この疑問は神の存在そのものへの疑問につながる。
このような疑問に対する最も古い回答は、旧約聖書の『ヨブ記』にみられる。ヨブ記において、義人であったが皮膚病に苦しんだヨブは、「人間の認識には限界があり、神の業について理解することはできない」と結論づけた。
聖書の時代において、人間が神の正義について判断することは許されなかったのである。
(※なお、当wikiでは病と死の理由の項目において、ヨブ記や聖書全体に見られる思想に基づき解説しております。)

アウグスティヌスの見解

神学者アウグスティヌス(354年-430年)は、「悪」は「善の欠如」であるとし、悪は実在しないと考えた。このような考え方では、神は完全であり、神は善のみを創造したが、善の欠如により部分的に悪が生じるということになる。伝統的にはこうしたアウグスティヌスの見解が正当な教義とされた。
なお、アウグスティヌスの見解はアウグスティヌスと同時代のマニ教の司祭フォルトゥナトゥスによって批判され、フォルトゥナトゥスは、神はまだ悪に関与していると主張した。

エイレナイオスの見解

神学者エイレナイオス(130年頃-202年)は、神の世界は偶然と自由を含んでおり、常に世界は完成の途上にあるため、悪もまたその途上においては存在すると考えた。しかし、こうした議論は世界と神が不完全であるとの理解につながってしまうため、正当な教義とは認められなかった。

ライプニッツによる神義論の誕生

このような善と悪の議論に対し、神義論(Theodizee)と名づけたのは、微分積分における記号法を発明したことでも知られる数学者ライプニッツ(1646-1716)である。ギリシャ語の「神(θεός [theos])」と「正義(δίκη[dike])」からの造語である。
ライプニッツ自身はアウグスティヌス的伝統を踏まえ、神はあらゆる存在の組み合わせの中から、最も完全な世界を選択して想像したと主張した。

ヴォルテールによる批判

一方で、哲学者のヴォルテール(1694-1778)は、こうした神の完全性を疑わない姿勢に対してライプニッツを楽観主義者として批判し、1755年のリスボン大震災の惨禍を神の正義を疑う根拠とした。
リスボン大震災では西ヨーロッパの広い範囲で強い揺れが起こり、ポルトガルの首都リスボンを中心に大きな被害を出した。建物の瓦礫による即死者は2万人、津波による死者は1万人、さらに火災旋風も起こり、全体で6万人ほどが死亡した。
こうした惨劇に神の正義を見いだせなかったヴォルテールは、神義論を「悪の正当化」であるとし批判した。

ダーウィンの不可知論

ダーウィンの家庭は英国国教会を受け入れておらず、そのうえ祖父、父、兄は自由思想家だったが、ダーウィン自身は聖書の無誤性を疑わなかった。
生物学の研究を進めるに連れて聖書への疑問は持つようになり、例えばダーウィンは旧約聖書が述べる歴史には批判的だったが、道徳の根拠として聖書を引用することはあった。
実際に、典型的な手紙魔だったダーウィンは生涯で2000人と手紙による意見交換をし、そのうち約200人が聖職者だった。決して生物に対する神学的な見解を否定したわけではなかった。

しかしもっとも愛した長女アン・エリザベス(アニー)が献身的な介護の甲斐無く死ぬと、元来信仰心が薄かったダーウィンは「死は神や罪とは関係なく、自然現象の一つである」と確信した。

アニーの死後も地元の教会の人々とともに教区の仕事を手伝い続けたが、家族が日曜日に教会に通う間は散歩に出かけた。そのころには痛みや苦しみを神の直接的な干渉と考えるよりも、一般的な自然法則の結果と考える方がよいと思っていた。1870年代に親族に向けて書かれた『自伝』では宗教と信仰を痛烈に批判している。

ただし、1879年に書かれた書簡では、自分はもっとも極端な考えに触れた時であっても神の存在を否定すると言う意味における無神論ではなく、「不可知論が私の心をもっともよく表す」と述べている。その当時のダーウィンは、進化論という名称が含む意味合いの一人歩きや、自然選択説を唯物論的に捉えようとする一部の自身の支持者の動きについて、非常に嫌悪感を示すようになっている。

レヴィナスによる「神義論の終焉」宣告

フランスの現代哲学者であるエマニュエル・レヴィナス(1906-1995)もまた、ヴォルテールと同様に神義論を「悪の正当化」とみなしている。その上で、レヴィナスはナチスによるユダヤ人大量虐殺として知られるアウシュヴィッツでのホロコーストを挙げ、このような未曾有の巨悪を正当化することはできないために、現代ではいかなる神義論を論じることは不可能であるとしている。

ヴェーバーによる神義論のキリスト教以外への拡張

比較宗教研究の時代になると、社会科学者のマックス・ヴェーバー(1864-1920)は神義論を他の宗教へも広げて、宗教における合理的な新議論の3つの類型を示した。

予定説(キリスト教、イスラム教)

苦難も含めた神の予定を人間は知り得ないとする。『ヨブ記』やカルヴァンが提唱した「予定説」がこの発想である。

善悪二元論(ゾロアスター教、グノーシス主義)

現世の悪は悪神が優位にある影響とする。

業・輪廻の思想(仏教、ヒンドゥー教)

現世の苦難は前世の悪業が原因であるとする。

当然ながら、これ以外にも悪の存在についての宗教的説明は数多く存在する。

現代における神義論の位置づけ

神の存在が自明視されていたライプニッツの時代までは、神義論は神の「正義」を弁償するものだった。
しかし今日では、世界に悪が蔓延しているにもかかわらず神が「存在」することを証明する試みとなってきている。

例えばアルヴィン・プランティンガ(Alvin Plantinga, 1932-)は、悪の存在が全能の神による世界創造と矛盾しないことを、自由意志弁護論(Free will defense)により、悪の倫理的問題(logical problem of evil)についてのみ答えることで示そうとしている。このような弁護論(※神義論ではない)は、神の存在を論証しないか、神の存在をあくまでも仮定に留め、この世に悪が存在することと神の存在は「矛盾しない」ことを示すことに特化したものである。


最終更新:2020年09月29日 13:43