サクラメント(英: sacrament、羅: sacramentum)は、
キリスト教において神の見えない恩寵を具体的に見える形で表すことである。それは
キリスト教における様々な儀式の形で表されている。
ただし現在の
キリスト教においては教派によってその指し示す内容、さらには日本語訳として用いられる表現も異なっている。例えば、カトリック教会では秘跡、
聖公会では聖奠、プロテスタント教会では礼典、正教会では機密と呼ばれる。
教派ごとの比較
教派 |
カトリック |
聖公会 |
プロテスタント |
正教会 |
内容 |
総称 |
秘跡 |
聖奠 |
礼典 |
機密 |
- |
1. |
洗礼の秘跡 |
洗礼 |
洗礼 |
洗礼機密 |
キリスト教の入信に際して行われる。 |
2. |
堅信の秘跡 |
堅信 |
- |
傅膏機密 |
信者が洗礼を受けた後、聖霊の力・聖霊の恵みを受ける。 |
3. |
聖体の秘跡 |
聖餐 |
聖餐 |
聖体機密 |
特殊なパンを聖別し、キリストの体の実体として信じ、食べる。 |
4. |
赦しの秘跡 |
個人懺悔 |
- |
痛悔機密 |
洗礼以後に犯した罪のゆるしを与える。 |
5. |
病者の塗油の秘跡 |
病人の按手および塗油 |
- |
聖傅機密 |
病人の癒しのために、聖なる油を塗り、病人のために祈る。 |
6. |
叙階の秘跡 |
聖職者按手 |
- |
神品機密 |
聖職者を任命すること。 |
7. |
結婚の秘跡 |
聖婚 |
- |
婚配機密 |
一組の男女が家庭共同体を築き発展させるための恵みを与える。 |
キリスト自身による制定
プロテスタントでは、キリスト自身によって制定された「洗礼」と「聖餐」のみを礼典(サクラメント)に含めている。
1.洗礼
そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられた。
さらに実行することを命じた。
マタイ3:13-15
そのとき、イエスが、ガリラヤからヨルダン川のヨハネのところへ来られた。彼から洗礼を受けるためである。
ところが、ヨハネは、それを思いとどまらせようとして言った。「わたしこそ、あなたから洗礼を受けるべきなのに、あなたが、わたしのところへ来られたのですか。」しかし、イエスはお答えになった。「今は、止めないでほしい。正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです。」そこで、ヨハネはイエスの言われるとおりにした。
復活したイエスは、弟子達に洗礼を授けるように命じた。
マタイ28:18-20
イエスは、近寄って来て言われた。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」
使徒達も、洗礼を説き、施した。
使徒2:38
すると、ペトロは彼らに言った。「悔い改めなさい。めいめい、
イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。
使徒2:41
ペトロの言葉を受け入れた人々は洗礼を受け、その日に三千人ほどが仲間に加わった。
洗礼の意義をパウロは、「十字架のキリストと共に葬られるため」であり、そうすることにより、キリストが「死」から「復活」したように、洗礼を受けた者も「罪に支配された古い自分の滅び」から「罪から解放され、神に対して生きる自分の誕生」を経験できると語っている。
ローマ6:3-10
それともあなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスに結ばれるために洗礼を受けたわたしたちが皆、またその死にあずかるために洗礼を受けたことを。わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです。
もし、わたしたちがキリストと一体になってその死の姿にあやかるならば、その復活の姿にもあやかれるでしょう。わたしたちの古い自分がキリストと共に十字架につけられたのは、罪に支配された体が滅ぼされ、もはや罪の奴隷にならないためであると知っています。死んだ者は、罪から解放されています。わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きることにもなると信じます。そして、死者の中から復活させられたキリストはもはや死ぬことがない、と知っています。死は、もはやキリストを支配しません。キリストが死なれたのは、ただ一度罪に対して死なれたのであり、生きておられるのは、神に対して生きておられるのです。
3.聖餐/聖体
聖餐の制定はイエス自身による。(詳細は
最後の晩餐を参照せよ。)
Ⅰコリント11:23-25
わたしがあなたがたに伝えたことは、わたし自身、主から受けたものです。すなわち、主イエスは、引き渡される夜、パンを取り、感謝の祈りをささげてそれを裂き、「これは、あなたがたのためのわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。
また、食事の後で、杯も同じようにして、「この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である。飲む度に、わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。
その意義はキリスト自身が言うように「キリストの救いの恵みの記念」と「恵みの契約」であるが、パウロはさらに「無言の説教」としての意義を述べている。(コリント11:26)
だから、あなたがたは、このパンを食べこの杯を飲むごとに、主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです。
聖餐の際に用いるパンは教派により異なる。
カトリック教会では無発酵パン(酵母なし)を使用を義務とし、正教会では発酵パンの使用を義務としている。
なお、聖餐の儀式の捉え方も教派により異なる。
カトリックでは、教会の司祭によって聖別された後の葡萄酒とパンは、キリストの血と肉が
実体化したものであるとする(化体説, Transubstantiation)。
正教会では、司祭によって聖別された後のパンと葡萄酒は、聖体・聖血になるが、それは
真のパンと真のぶどう酒であって、なおかつ
真の聖体・聖血でもあると考える。
プロテスタントでは、ルター派および
聖公会は、パンとぶどう酒の中にキリストの体と血が実存するとする実体共在説(Consubstantiation)、改革派は、拝領する時その場にキリストが臨在するとする霊的臨在説、メソジスト教会は象徴説を支持している。
カトリック教会では、マタイ
福音書の記述に従い、主の晩餐は過越の食事であると解釈し、無発酵パン(酵母なし)を使用する。(
過越祭では無発酵パンを用いるため。)
正教会では、ヨハネ
福音書の記述に従い、主の晩餐は過越の前日の食事であると解釈し、通常の発酵パンを使用する。
カトリック教会では、パンまたはぶどう酒のどちらかのみの拝領で、聖体秘跡として有効である。
正教会は、パンの使用とパンとぶどう酒の両方の拝領でなければ機密(秘跡)として有効にはならない。
5.病者の塗油
イエスが儀式自体を制定したわけではないが、イエスは弟子に、油を塗ることで病人をいやす権限を与えている。
マルコ6:12-13
十二人は出かけて行って、悔い改めさせるために宣教した。そして、多くの悪霊を追い出し、油を塗って多くの病人をいやした。
ヤコブの手紙の中ではすでにこの儀式について言及がなされている。
ヤコブ5:14
あなたがたの中で病気の人は、教会の長老を招いて、主の名によってオリーブ油を塗り、祈ってもらいなさい。
その他の儀式
7.結婚
カトリックの結婚式では、次の誓いの言葉を述べるのが一般的である。
私達は、夫婦として、
喜びの時も、悲しみの時も、
病める時も健やかなる時も、
富める時も貧しい時も、
これを愛し、これを敬い、
これを慰め、これを助け、
その命ある限り、真心を尽くすことを誓います。
なお、
カナの婚礼ではイエスが結婚式で水をぶどう酒に変えている。
最終更新:2019年08月04日 10:38