使徒マティア

イエスの昇天後に、イスカリオテのユダの代わりに選ばれた使徒である。

『使徒行伝』によればイエスの復活後、エルサレムに戻ってきた使徒たちはペトロを中心に、イスカリオテのユダに代わる使徒をたてることを決定する。使徒が11人では不完全であるというのは使徒たちをイスラエルの十二部族になぞらえている思想から出ていると思われる。そこで洗礼者ヨハネの洗礼からイエスの昇天までの間、イエスと使徒たちと共にいたものの中から新たに一人を選び出すことになった。

その候補者は一人はバルサバともユストともよばれたヨセフであり、もう一人はマティアであった。祈ってくじをひくとマティアの名が出たので、彼が十二人目に加えられた。

使徒言行録1:12-26
使徒たちは、「オリーブ畑」と呼ばれる山からエルサレムに戻って来た。この山はエルサレムに近く、安息日にも歩くことが許される距離の所にある。
彼らは都に入ると、泊まっていた家の上の部屋に上がった。それは、ペトロ、ヨハネ、ヤコブ、アンデレ、フィリポ、トマス、バルトロマイ、マタイ、アルファイの子ヤコブ、熱心党のシモン、ヤコブの子ユダであった。彼らは皆、婦人たちやイエスの母マリア、またイエスの兄弟たちと心を合わせて熱心に祈っていた。
そのころ、ペトロは兄弟たちの中に立って言った。百二十人ほどの人々が一つになっていた。
「兄弟たち、イエスを捕らえた者たちの手引きをしたあのユダについては、聖霊がダビデの口を通して預言しています。この聖書の言葉は、実現しなければならなかったのです。ユダはわたしたちの仲間の一人であり、同じ任務を割り当てられていました。
ところで、このユダは不正を働いて得た報酬で土地を買ったのですが、その地面にまっさかさまに落ちて、体が真ん中から裂け、はらわたがみな出てしまいました。このことはエルサレムに住むすべての人に知れ渡り、その土地は彼らの言葉で『アケルダマ』、つまり、『血の土地』と呼ばれるようになりました。
詩編にはこう書いてあります。
『その住まいは荒れ果てよ、
そこに住む者はいなくなれ。』
また、
『その務めは、ほかの人が引き受けるがよい。』
そこで、主イエスがわたしたちと共に生活されていた間、つまり、ヨハネの洗礼のときから始まって、わたしたちを離れて天に上げられた日まで、いつも一緒にいた者の中からだれか一人が、わたしたちに加わって、主の復活の証人になるべきです。」
そこで人々は、バルサバと呼ばれ、ユストともいうヨセフと、マティアの二人を立てて、次のように祈った。「すべての人の心をご存じである主よ、この二人のうちのどちらをお選びになったかを、お示しください。ユダが自分の行くべき所に行くために離れてしまった、使徒としてのこの任務を継がせるためです。」
二人のことでくじを引くと、マティアに当たったので、この人が十一人の使徒の仲間に加えられることになった。

ところがこの後マティアの名前は新約聖書から消えてしまう。

その後は伝説の域を出ないが、ユダヤ地区を任せられ、伝道の後に安らかに身罷ったとも、十字架に架けられて殉教したとも伝えられる。

ドイツの都市トリーアに伝わる伝承によれば、マティアはユダ族の出でベツレヘムの身分の高い家柄に生まれ、あらゆる知識と律法、預言書に精通し、仁徳に優れた人物とされる。その後、ユダヤ各地で伝道を行い、エルサレムの議会に呼び出されたマティアは、石で打ち殺され、ローマ式に斧で首をはねられた。このとき偽証者に対する証拠として、その石を墓穴の中に入れてくれるように頼んだと云う。

別の伝承によれば、ギリシア北部のマケドニアに伝道に行き、毒入りの杯を飲まされたが聖名を唱えたのでその害を受けず、毒で盲目になった人を癒したと云う。また悪魔によって投獄されたマティアの前にイエスが現れ、牢から解放されたマティアが偽神を信じる者は生きながら地獄に落ちると告げると、地面が裂けて彼らを飲み込んだので、他の人々はキリスト教を信じるようになったと云う。

詩編からの引用

ペトロの引用はいずれも詩編のダビデの歌から引用されたものである。
いずれもダビデが神に対して、自らを苦しめる敵を呪うように祈った詩である。

「その住まいは荒れ果てよ」の元は詩編69章26節の「彼らの宿営は荒れ果て、天幕には住む者もなくなりますように」である。

詩編69:17-26
恵みと慈しみの主よ、わたしに答えてください
憐れみ深い主よ、御顔をわたしに向けてください。
あなたの僕に御顔を隠すことなく
苦しむわたしに急いで答えてください。
わたしの魂に近づき、贖い
敵から解放してください。
わたしが受けている嘲りを
恥を、屈辱を、あなたはよくご存じです。
わたしを苦しめる者は、すべて御前にいます。
嘲りに心を打ち砕かれ
わたしは無力になりました。
望んでいた同情は得られず
慰めてくれる人も見いだせません。
人はわたしに苦いものを食べさせようとし
渇くわたしに酢を飲ませようとします。
どうか、彼らの食卓が彼ら自身に罠となり
仲間には落とし穴となりますように。
彼らの目を暗くして
見ることができないようにし
腰は絶えず震えるようにしてください。
あなたの憤りを彼らに注ぎ
激しい怒りで圧倒してください。
彼らの宿営は荒れ果て
天幕には住む者もなくなりますように。

「その務めは、ほかの人が引き受けるがよい」の元は詩編109編8節の「彼の生涯は短くされ、地位は他人に取り上げられ(るがよい)」である。

詩編109:1-9
わたしの賛美する神よ
どうか、黙していないでください。
神に逆らう者の口が
欺いて語る口が、わたしに向かって開き
偽りを言う舌がわたしに語りかけます。
憎しみの言葉はわたしを取り囲み
理由もなく戦いを挑んで来ます。
愛しても敵意を返し
わたしが祈りをささげても
その善意に対して悪意を返します。
愛しても、憎みます。
彼に対して逆らう者を置き
彼の右には敵対者を立たせてください。
裁かれて、神に逆らう者とされますように。
祈っても、罪に定められますように。
彼の生涯は短くされ
地位は他人に取り上げられ
子らはみなしごとなり
妻はやもめとなるがよい。

ここでペトロは、これらの歌で描かれる「ダビデを苦しめる敵」に、「イエスを裏切ったイスカリオテのユダ」を当てはめ、ダビデが祈った「地位は他人に取り上げられ(るがよい)」を「使徒の地位を他の者に譲る」と読み替えているのである。

参考

最終更新:2020年09月29日 16:59