ローマ人による諸記録

キリスト教とほとんど利害関係をもたない人物がキリスト教に触れた証言としては、次の3つが残されている。タキトゥスの『年代記』、スエトニウスの『ローマ皇帝伝』、小プリニウスがトラヤヌス帝に送った書簡である。いずれも、キリスト教徒を否定的にみているのがわかる。

タキトゥス『年代記』

コルネリウス・タキトゥス(Cornelius Tacitus, 55年頃 - 120年頃)は、帝政期ローマの政治家、歴史家であり、著書『歴代記』の中で、当時のキリスト教徒について触れている。
彼らは日頃から忌まわしい行為で人々から憎まれ、クリストゥス信奉者として知られていた。この呼び名はクリストゥスという人物の名前から取られており、 ティベリウスの治世下に、総督ポンティウス・ピラトによって処刑された。

スエトニウス『ローマ皇帝伝』

スエトニウス・トランキルス・ガイウス(Suetonius Tranquillus Gaius、70年頃 - 122年以後)はローマの伝記作家。小プリニウスの友。法廷で活動したが,政界には出なかった。ハドリアヌス帝のもとで秘書官となり,帝室文庫において古い手紙や文書を読むことができた。引退後は歴史や考古学研究の著述に没頭した。その著書『ローマ皇帝伝』の皇帝クラウデオ伝で次のように書き残している。
クレストゥスはユダヤ教内の特殊なグループの創設者である。(略)クレストゥスの扇動で絶えず騒動を引き起こした
それゆえユダヤ人はローマから追放されたのだという。なお、クレストゥスはクリストゥスの誤記と考えられる

小プリニウスがトラヤヌス帝に送った書簡

ガイウス・プリニウス・カエキリウス・セクンドゥス(Gaius Plinius Caecilius Secundus, 61年 - 112年)は、帝政ローマの文人、政治家。通称「小プリニウス」。西暦104年頃プリニウスがビチニアの総督に赴任したころから書き始められた書簡集で、特に第10巻の109通の手紙は在職中のトラヤヌス帝との往復書簡となっている。
クリスチャンたちはイエスを神であるかのごとく崇拝し、ローマ皇帝の崇拝を放棄した。

最終更新:2017年01月22日 19:57