パウロの教えの信憑性

旧約聖書に対するパウロの理解力

パウロの手紙を読むと、パウロは旧約聖書のことをかなり誤読していたことがうかがえる。
(略)

パウロ書簡により否定される聖書無謬説

しかしながら、現在のキリスト教はパウロの派閥が作ったものなので、このことは非常に重大な問題である。すなわち、キリスト教では聖書は聖霊の導きにより書かれたことになっている。

第二テモテ3:16-17
聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です。こうして、神に仕える人は、どのような善い業をも行うことができるように、十分に整えられるのです。

それにもかかわらず、パウロの書簡については誤りが多々見られるため、正当性が主張できないことになる。特に、聖書の無謬性は主張できないことになる。(そもそも、高等批評では、この聖句はパウロによる真筆性は極めて低いとされ、ほぼパウロとは今回がない後世の捏造とされる。)

その場合、本サイトで私が解説するように、パウロが同性愛者を嫌っていることを理由に、同性愛を罪であると考えることは不可能ということになる。(詳しくはキリスト教と同性愛を参照されたい。)

イエスとパウロの違い

旧約聖書の理解力だけではなく、根本的な考え方も異なる。
イエス パウロ
立場 開祖、神の子 生前のイエスを知らない
律法 行動レベルでは無視
説教レベルでは擁護
否定的
権力 権力にまったく媚びない 権力に媚びるよう説いた
教会 最初の無教会主義者、場所を気にしない 教会の運営と資金繰りに強い興味
女性 女性に優しい 男尊女卑的
パウロの男尊女卑観についてはキリスト教と同性愛性に関するパウロの言葉の正当性を参照。

パウロを疑った人々

代表例は哲学者ニーチェである。
キリスト教徒はたった一人しかいなかった。そしてその人は十字架につけられて死んだのだ・・・以後「福音」と呼ばれたものは、この人物が身をもって生きたものの反対物だった。
(ニーチェ『アンチクリスト』より)

小説家アンドレ・ジイドの『田園交響楽』にもこんな箇所がある。
ジェルトリュードの宗教教育は、私をして新たな眼で福音書を読み返させた。読むにつれてますます、我々のキリスト教の信仰を形造っている多くの概念は、キリストの言葉ではなく、聖パウロの注釈によるように思われてくるのである

最終更新:2017年04月15日 13:33