天使論

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キリスト教において天使は主の御使いである

天使は、ヘブライ語ではマルアハ (מלאך ,םַלְאָךְ [mal’aḵ]) という。これは「遣わす」を意味する語根 √l’k の派生語である。
ギリシャ語では、天使 (angel) の語源は「伝令」(messanger) を意味する後期ギリシア語の ἄγγελος (ángelos) である。

天使の性質

旧約・新約双方において、天使が神のお告げを伝える伝令としての役目を負っている場面はいくつも描かれている。また、天使たちは人間が歩む道すべてで彼らを守るよう神から命じられている。(詩91:11)
これは主があなたのために天使たちに命じて、あなたの歩むすべての道であなたを守らせられるからである。

天使は全知ではないと考えられ(マタ24:36)、トマス・アクィナスもこれを支持している。
その日、その時は、だれも知らない。天の御使たちも、また子も知らない、ただ父だけが知っておられる。

天使には性別はないと考えられている。(マル12:25)
彼らが死人の中からよみがえるときには、めとったり、とついだりすることはない。彼らは天にいる御使のようなものである。

堕天使

キリスト教神学においては、サタン(ルシフェル、ルシファー)は、かつては神に仕える御使いでありながら堕天使となり、地獄の長となった悪魔の概念である。罪を犯して堕落する前のサタンは御使いであったが、神に反逆して「敵対者」としての悪魔に変化したとみなされている。詳細は悪霊論を参照されたい。

創世記における「神の子」

ただし、創世記における以下の記述は長年議論の的となってきた。(創世記6:1-2)
さて、地上に人が増え始め、娘たちが生まれた。神の子らは、人の娘たちが美しいのを見て、おのおの選んだ者を妻にした。
ここで触れられている「神の子」とは、一節ではアダムの子であるセトの子孫のことを指すと考えられ、シリアのエフレムなどの多くの教父、およびトマス・アクィナスは、この説を採用している。
しかし、それではこの文脈につづく主なる神の言葉の意味や、ネフィリムの説明がつかないことになる。(創世記6:3-4)
主は言われた。「わたしの霊は人の中に永久にとどまるべきではない。人は肉にすぎないのだから。」こうして、人の一生は百二十年となった。
当時もその後も、地上にはネフィリムがいた。これは、神の子らが人の娘たちのところに入って産ませた者であり、大昔の名高い英雄たちであった。

そこで、「神の子」は堕天使であると考えることができる。この場合、物質世界の存在ではない天使と、物質的存在である(肉に過ぎない)人の娘が子を儲けてしまう。もちろん天使には寿命がなく、人であるはずの子らには「神の霊」が宿ってしまう。だから主なる神は、天使が人との間に子を作ってしまった場合を案じ、人の一生の寿命を定めたと解釈できる。
また、「神の子」を天使であると解釈した場合、ネフィリムとは天使と人との子供であると考えられる。本来そのような存在はあってはならない。(※ノアの洪水がこの直後に起こることからも、ネフィリムを根絶やしにすることもノアの洪水の理由の理由であると解釈できるのである。)

天使の創造

万物は神によって造られたものである(コロ1:16)。
万物は、天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、位も主権も、支配も権威も、みな御子にあって造られたからである。これらいっさいのものは、御子によって造られ、御子のために造られたのである。
よって天使もまた神の被造物であると考えられ、カトリック教会では公会議でそのように規定された(第4ラテラン公会議、第1バチカン公会議)。天使の創造は人間の創造よりも前だとされる(第4ラテラノ公会議の第1カノンにおける信仰告白 Firmiter credimus [強くわれらは信ず])。

有名な天使

聖書正典に現れる天使としては、セラフィム(熾天使)、ケルビム(智天使)、大天使ミカエル、大天使ガブリエルが存在し、さらに旧約聖書第二正典であるトビト記には大天使ラファエルが現れる。また、大天使らはセラフィムであると考えられている。

セラフィム

セラフィムは固有名詞ではなく、天使の階層の一つである。燃え上がるイメージから赤色に描かれることが多い。

イザヤ6:1-8
ウジヤ王が死んだ年のことである。
わたしは、高く天にある御座に主が座しておられるのを見た。衣の裾は神殿いっぱいに広がっていた。
上の方にはセラフィムがいて、それぞれ六つの翼を持ち、二つをもって顔を覆い、二つをもって足を覆い、二つをもって飛び交っていた。彼らは互いに呼び交わし、唱えた。「聖なる、聖なる、聖なる万軍の主。主の栄光は、地をすべて覆う。」この呼び交わす声によって、神殿の入り口の敷居は揺れ動き、神殿は煙に満たされた。
わたしは言った。「災いだ。わたしは滅ぼされる。わたしは汚れた唇の者。汚れた唇の民の中に住む者。しかも、わたしの目は/王なる万軍の主を仰ぎ見た。」
するとセラフィムのひとりが、わたしのところに飛んで来た。その手には祭壇から火鋏で取った炭火があった。彼はわたしの口に火を触れさせて言った。「見よ、これがあなたの唇に触れたので/あなたの咎は取り去られ、罪は赦された。」
そのとき、わたしは主の御声を聞いた。「誰を遣わすべきか。誰が我々に代わって行くだろうか。」
わたしは言った。「わたしがここにおります。わたしを遣わしてください。」

ケルビム

ケルビムも固有名詞ではなく、天使の階層の一つである。
エデンの園を守っていたのはケルビムであり、ケルビムの上に万軍の主が座していると考えられていたことから、契約の箱の上にケルビムの像が置かれていた。

創世記3:24
こうしてアダムを追放し、命の木に至る道を守るために、エデンの園の東にケルビムと、きらめく剣の炎を置かれた。


エゼキエル書には、ケルビムとその上に座す主の様子が、9-11章と41章に記載されている。

エゼキエル10:9-14
わたしが見ていると、四つの車輪が、ケルビムの傍らにあるではないか。一つの車輪が、ひとりのケルビムの傍らに、また一つの車輪が、ひとりのケルビムの傍らにというように、それぞれの傍らにあって、それらの車輪の有様は緑柱石のように輝いていた。それぞれの形の有様は、四つとも同じで、一つの車輪がもう一つの車輪の中にあるかのようであった。それらが移動するときは、四つの方向に進み、移動するときに、向きを変えることはなかった。先頭のケルビムが向かうところに他のものも従って進み、向きを変えなかったからである。
ケルビムの全身、すなわち、背中、両手、翼と、車輪にはその周囲一面に目がつけられていた。ケルビムの車輪は四つともそうであった。それらの車輪は「回転するもの」と呼ばれているのが、わたしの耳に聞こえた。ケルビムにはそれぞれ四つの顔があり、第一の顔はケルビムの顔、第二の顔は人間の顔、第三の顔は獅子の顔、そして第四の顔は鷲の顔であった。

大天使ミカエル

ダニエル書に登場する。そこで、預言者ダニエルの元へやって来た大天使ガブリエルが次のように説明する。

ダニエル10:13
ペルシア王国の天使長が二十一日間わたし(ガブリエル)に抵抗したが、大天使長のひとりミカエルが助けに来てくれたので、わたしはペルシアの王たちのところにいる必要がなくなった。

ヨハネの福音書によれば、終末の世では、大天使ミカエルが龍に戦いを挑むと言う。

ヨハネの黙示録12:7
さて、天で戦いが起こった。ミカエルとその使いたちが、竜に戦いを挑んだのである。

ただし、ユダの手紙には、偽典である『モーセの遺訓』を前提とした記述があることが知られている。

ユダの手紙9
大天使ミカエルは、モーセの遺体のことで悪魔と言い争ったとき、あえてののしって相手を裁こうとはせず、「主がお前を懲らしめてくださるように」と言いました。

大天使ガブリエル

ダニエル書とルカによる福音書に登場する。
ダニエル書では、預言者ダニエルに終末の預言を伝えている。

ダニエル8:15-17
わたしダニエルは、この幻を見ながら、意味を知りたいと願っていた。その時、見よ、わたしに向かって勇士のような姿が現れた。すると、ウライ川から人の声がしてこう言った。「ガブリエル、幻をこの人に説明せよ。」
彼がわたしの立っている所に近づいて来たので、わたしは恐れてひれ伏した。彼はわたしに言った。「人の子よ、この幻は終わりの時に関するものだということを悟りなさい。」

ダニエル9:20-21
こうしてなお訴え、祈り、わたし自身とわたしの民イスラエルの罪を告白し、わたしの神の聖なる山について、主なるわたしの神に嘆願し続けた。こうして訴え祈っていると、先の幻で見た者、すなわちガブリエルが飛んで来て近づき、わたしに触れた。それは夕べの献げ物のころのことであった。

ルカによる福音書では、ザカリヤの元に来て、不妊の妻エリザベトが洗礼者ヨハネを妊娠することを預言する。さらに、イエスの母マリアの元に来て、処女懐妊の受胎告知を行う。

ルカ1:8-20
さて、ザカリアは自分の組が当番で、神の御前で祭司の務めをしていたとき、祭司職のしきたりによってくじを引いたところ、主の聖所に入って香をたくことになった。香をたいている間、大勢の民衆が皆外で祈っていた。
すると、主の天使が現れ、香壇の右に立った。ザカリアはそれを見て不安になり、恐怖の念に襲われた。天使は言った。「恐れることはない。ザカリア、あなたの願いは聞き入れられた。あなたの妻エリサベトは男の子を産む。その子をヨハネと名付けなさい。その子はあなたにとって喜びとなり、楽しみとなる。多くの人もその誕生を喜ぶ。彼は主の御前に偉大な人になり、ぶどう酒や強い酒を飲まず、既に母の胎にいるときから聖霊に満たされていて、イスラエルの多くの子らをその神である主のもとに立ち帰らせる。彼はエリヤの霊と力で主に先立って行き、父の心を子に向けさせ、逆らう者に正しい人の分別を持たせて、準備のできた民を主のために用意する。」
そこで、ザカリアは天使に言った。「何によって、わたしはそれを知ることができるのでしょうか。わたしは老人ですし、妻も年をとっています。」天使は答えた。「わたしはガブリエル、神の前に立つ者。あなたに話しかけて、この喜ばしい知らせを伝えるために遣わされたのである。あなたは口が利けなくなり、この事の起こる日まで話すことができなくなる。時が来れば実現するわたしの言葉を信じなかったからである。」

ルカ1:26-38
(エリザベト妊娠の)六か月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」
マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」
マリアは天使に言った。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」
天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。神にできないことは何一つない。」
マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。

なお、イスラム教の預言書クルアーンでは、預言者ムハンマドに神(アッラー)の言葉を伝えているのは大天使ガブリエル(イスラム名:ジブリール)である。伝承によると、ヌール山頂のヒラーの洞窟で、ガブリエルにより預言者ムハンマドの口から発せられた言葉だという。

クルアーン96[凝血章]:1-4
慈悲あまねく慈愛深きアッラー(神)の御名において。読め、「創造なされる御方、あなたの主の御名において。一凝血から、人間を創られた。」読め、「あなたの主は,最高の尊貴であられ、筆によって(書くことを)教えられた御方。人間に未知なることを教えられた御方である。」

大天使ラファエル

外典トビト記に現れる。盲目になったトビトと、結婚相手が必ず死んでしまうサラの二人の願いを叶えるため、神は大天使ラファエルを送ったのである。

トビト記3:16-17
トビトとサラの二人の祈りは、栄光に満ちた神に同時に聞き入れられた。そこで二人をいやすために、ラファエルが送られた。すなわち、トビトの場合は、自分の目で神の栄光を見られるように、目から白い膜を取り除くためであり、ラグエルの娘サラの場合は、トビトの息子トビアに妻として与え、彼女から悪魔アスモダイを引き離してやるためであった。というのは、サラをめとる資格は彼女との結婚を望んだどの男にもなく、トビアにこそあったからである。時はまさに神が二人の祈りを聞き入れられたちょうどそのときであった。

外典エノク書

天使については、偽典エノク書にその詳細が書かれているが、あくまで偽典であって神学的根拠には欠ける。