フラウィウス証言

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フラウィウス・ヨセフス(ラテン語:Flavius Josephus、ヘブライ語:יוסף בן מתתיהו(Yosef Ben Matityahu)、37年 - 100年頃)は帝政ローマ期の政治家及び著述家。66年に勃発したユダヤ戦争で当初ユダヤ軍の指揮官として戦ったがローマ軍に投降し、ローマ帝国の皇帝ティトゥスの幕僚としてエルサレム陥落にいたる一部始終を目撃。後にこの顛末を記した『ユダヤ戦記』を著した。さらに95年ごろ、天地創造からユダヤ人の歴史を説きおろした、スケールの大きな『ユダヤ古代誌』も完成させた。

洗礼者ヨハネについての証言

ヨセフス『ユダヤ古代誌』18:116-119 本文
しかしユダヤのある人びとには、ヘロデの軍隊の敗戦は神の復讐であるように思われたが、確かにそれは「洗礼者」と呼ばれたヨハネになされた仕業に対する正義の復讐であった。というのはヨハネは立派な人であり、ユダヤ人に正しい生活をおくり、同胞に対する公正を、神に対する敬虔を実行し、洗礼に加わるよう教え勧めたのに、ヘロデは彼を死刑に処したからであった。ユダヤ人たちが洗礼を受ければ神に嘉納されるであろうが、それは彼らが犯した何らかの罪の赦しを得るためではなく、肉体の浄化のためであった。霊魂は正しい行いによってその前に浄められていたからである。
さてその他の人びとも彼の言葉を聴いて大いに奮起させられて彼のもとに集まったとき、ヘロデはヨハネの民衆に対する大きな影響が騒乱をひき起こしはしないかと恐れた。彼らはヨハネが勧めることなら何でもしようという気持ちになっていたからである。 そこでヘロデは実際に騒乱が起こって窮地に陥り、そのとき後悔するよりも、彼によってひき起こされるかも知れない反乱に先手をうって、彼を殺すほうが上策であると考えた。そこでヘロデの疑念のためにヨハネは前述した砦のマカイルスに送られ、そこで処刑された。

イエスについての証言(フラウィウス証言[Testimonium Flavianum ])

ヨセフス『ユダヤ古代誌』18:63-64 本文
このころ、イエスという賢人〔―実際、彼を人と呼ぶべきであるとすれば―〕が生きていた。驚くべき業を行い、喜んで真理を受け容れた人々の教師であり、多くのユダヤ人とまた多くのギリシャ人を誘って帰依させた。彼はキリストであった。ピラトは彼が、われわれの間の高位の人びとによって告訴されると十字架刑の判決を下したが、最初に彼を愛するようになった人びとは彼を愛することをやめなかった。〔というのは 三日目に彼は復活して彼らに現れたのは、神の預言者たちがこれらのことと彼についての、その他の無数の驚嘆すべきことがらを語っていたからであった。〕彼によってキリスト者と名づけられた族は今もなお消え失せてはいない。
きっこう括弧〔〕内の文章は挿入の可能性が高いとされる。なお、キリスト教ではイエスを賢人と呼ぶことはない。

「イエスの兄弟」ヤコブの死

ヨセフス『ユダヤ古代誌』20:199-203
アンナス二世は前述したように大祭司に任命されたが、その気性は性急で、また異常にずぶとくあった。彼は私がすでに説明したように裁判の席についたとき、いかなる他のユダヤ人たちよりも無情であったサドカイ派に属していた。そのような人間であったので、アンナスはフェストゥスが死に、アルビヌスは赴任の途にあるのを好機と考えた。
そこで彼はサンヘドリンの裁判官を召集し、彼らの前にキリストと呼ばれたイエスの兄弟で、ヤコブという名の男とその他の人びとを引き出し、彼らは律法に違反していると告発し、彼らが石打ちの刑に処せられるよう引き渡した。
エルサレムの住民で公正な心をもち律法の遵守に厳格であった人びとはこのことを憤った。そこで彼らは秘かにアグリッパ王に使いを送り、アンナスはその最初の行動からして正しくなかったのだから、王がアンナスにそれ以上の行動をさしひかえるよう命じることを要望した。彼らのある者はさらにアレクサンドリアから旅中にあったアルビヌスに面会に行き、アンナスが彼(アルビヌス)の承諾なしにサンヘドリンを召集する権限はないことを彼に知らせた。
アルビヌスはこれらの言葉に動かされ、怒ってアンナスに書簡を送り、報復するぞと威嚇した。アグリッパ王はアンナスをこのような行為のために三か月在任の大祭司から解任し、タマムナイオスの子イエスを後任者とした。
アンナス二世は福音書においてイエスの逮捕・審問に関与したアンナス(一世)の子である。フェストゥスはユダヤ代官(ローマ総督)在任期間二ヵ年足らずで、62年現職のまま病死し、後任代官アルビヌスの着任まで空位期が生じたのである。