ガリオ碑文

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使徒言行録には、使徒パウロがギリシャのアカイア州を訪れた時のことを次のように記録している。

使徒18:12
ガリオンがアカイア州の地方総督であったときのことである。ユダヤ人たちが一団となってパウロを襲い、法廷に引き立てて行って、

ガリオ碑石は、このガリオンがアカイア州の総督であったことを記す碑石である。

碑文の内容

本文はwikipediaの「ガリオ碑文(英語版)」を参照されたい。

ティベ[リウス・クラウディウス・カエ]サル・アウグストゥス・ゲ[ルマニクス――[12回目の間、護民官の権]力[に授かり、]26回目[の間、著明なインペラトル(ローマ軍最高司令官)であり、父]親[の土地の]父[親であった...]。長[い期間の]間、[私は、]デルフ[ィ]の都[市に向かって]よく配置されたば[かりでなく、その繁]栄[に対しても熱心だった]、そして私はいつも[ピュティアの]アポ[ロの祭]儀[を警護してきた。しかし]今、[市]民らが貧[し]いと言われて[いるため]、私の友[人]で[総]督である[L・ユ]ニウス・ガリオが[最近私に報告した]ように、[そしてデルフィ]がその前[者の位]を[無]傷に保つべきである[ことを望んでいるように、私は]よく生まれた人々を[他]所の都市からも[デルフィへ、新しい住民...として]招[くことをあなたたちに命]じた。]

この本文はおそらく皇帝クラウディウス・カエサルからの手紙であり、26回という数字はクラウディウス(在位:西暦41年-54年)が皇帝として推挙された26回目のことを指しているという点でおおむね意見の一致を見ている。他の碑文により、クラウディウスが西暦52年8月1日以前に皇帝として27回目の推挙を受けたことが示唆されていることから、この手紙は西暦52年の前半に書き記されたものと考えられている。
また、欠損部分なので何とも言い難いが、カリア語の一碑文とローマのクラウディア水道と呼ばれる送水路の碑文によれば、クラウディウスが皇帝として推挙された26回目と27回目の出来事を、クラウディウスが護民官としての職権を行使した第12期の1年以内のこととしている。護民官を務めたその第12期は、西暦52年1月25日から西暦53年1月24日までの期間に当たる。
さらに、執政官代理<プロコンスル>を務める期間は通常1年であることを考えると、使徒言行録でいうところの「ガリオンがアカイア州の総督であった」期間は、西暦52年1月25日から8月1日以前の間の一部を含む1年ということになる。西暦51年夏-52年夏という立場を採用する学者と、西暦52年春-53年春という立場を採用する学者がいる。