エロヒム(我々)

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聖書では神は様々な名前で呼ばれているが、創世記1章で「神」と訳されているヘブライ語は「אלהים」(日本語:エロヒム、英語:Elohim)である。(創世記1:1)
初めに、神(エロヒム)は天地を創造された。

この語は、唯一神YHVH(ヤハウェ)の呼び方の一つであり、旧約聖書中2200回以上も登場する。エロヒムは、ヘブル語で神を意味する「エル」「エローアハ」の複数形である。(ちなみに、「エル」という語は本来「力」を意味する言葉である)

しかも、神自身も自らを「我々」と名乗っている。

創世記1:26
神は言われた。「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」

創世記3:22
主なる神は言われた。「人は我々の一人のように、善悪を知る者となった。今は、手を伸ばして命の木からも取って食べ、永遠に生きる者となるおそれがある。」

これは一体なぜなのか。さまざまな仮説がある。

仮説1:複数形は尊厳を表している

神を表すのに複数形が用いられているとはいえ、その語を用いながらも、ユダヤ人は神が複数の位格を持つとは考えていなかった。その理由の一つは、ヘブライ語では、尊厳や偉大さを示すために、単数形ではなく複数形が用いられる用法があるからである。事実、エロヒムという語は複数形でありながら、動詞は単数形として活用する。

仮説2:神が多数の力(エル)を持つことを表している

神というものが多数の力をもっていると考えたセム人共通の神概念の名残であるとする見方もある。

仮説3:三位一体論を表している

三位一体論を支持する立場においては、エロヒムという語が単数形ではなく複数形なので、その事実が神の三位一体性を暗示している、と説明する場合がある。もちろん、創世記が書かれた当時に神の子イエスという概念は存在しないが、聖霊は創世記第1章からすでに存在しており、神と複数の聖霊をもって複数形とみなすこともできる。
しかし、旧約聖書学の立場からは、この仮説には無理があるだろうと考えられている。

仮説4:天使を含めている

人よりも先に天使が創造されていることから、神はただお一人といっても、神の周囲には多数の天使がいることになる。それを以て「我々」と語ったと考えることもできる。

仮説5:元々神は複数いたことを表している

聖書の中で何度も出てくるように、カナンの人々は多神教を信仰しており、それをイスラエル人らは痛烈に批判している。しかし、もともとイスラエル人とカナンの人々は血統的に同じであり、イスラエル人も本来は多神教を信仰しており、その時代の名残が残ったものともいえる。
しかし、このリベラル的な考えの欠点は、J資料に基づく3章については成り立つが、1章についてはバビロン捕囚以後に書かれたP資料に基づくはずであり、一神教化が終わっていたこの時期に書かれたはずの天地創造に「我々」という言葉が残るのだという説明はおかしいと言える。