神殿

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シロ神殿とシケム神殿

シロ神殿はヨシュアがカナンを征服した時から始まった。シロに臨在の幕屋(会見の幕屋)を立てていた。

ヨシュア記18:1
イスラエルの人々の共同体全体はシロに集まり、臨在の幕屋を立てた。この地方は彼らに征服されていたが
ヨシュア記19:51
以上は、祭司エルアザル、ヌンの子ヨシュアおよびイスラエル諸部族の家長たちが、シロの臨在の幕屋の入り口で、主の前においてくじを引き、受け継いだ嗣業の土地である。土地の割り当ては、こうして終わった。

同じ時代にシケム神殿も存在した。
シケム神殿で祀られていたのは主ではなく「バアル・ベリト」だったようである。
神の宮(士師記9:27)とも呼ばれている。

士師記9:4
(アビメレクがシケムに来たとき、)彼ら(=母方のおじたち)がバアル・ベリトの神殿から銀七十をとってアビメレクに渡すと、彼(=アビメレク)はそれで命知らずのならず者を数名雇い入れ、自分に従わせた。

エルサレム神殿(第一神殿)

紀元前10世紀にソロモン王が建設した神殿。
列王記上5-8章にその経緯が書かれている。

第二神殿

バビロン捕囚からの解放後の紀元前515年にゼルバベルの指揮でほぼ同じ場所に再建された神殿である。
エズラ記3-6章にその経緯が書かれている。

ヘロデ神殿

紀元前20年にヘロデ大王によって完全改築に近い形で大拡張された神殿である。
新約聖書の時代の神殿はヘロデ神殿である。
紀元70年、ユダヤ戦争において、ローマ帝国軍、並びにその同盟軍であったハスモン王朝の母系子孫でありヘロデ大王の曾孫にあたるアグリッパ2世は、13のトーチカを3日で作ってシオンを包囲し、ユダヤ人を兵糧攻めにし、投降してくるユダヤ人を磔にし、ユダヤでは真夏に相当する第6月8日、9日、10日の3日間に渡って聖所に火を放ち、立て篭もったユダヤ人を虐殺して、その後に神殿を破壊した。

岩のドーム

岩のドームはかつてのエルサレム神殿内にあり、建設はウマイヤ朝第5代カリフであるアブドゥルマリクが685年から688年の間のいつの時点かに建設を思い立ったことに始まり、688年に着工した。当時、イスラム最高の聖地メッカはアリー・イブン=アビー=ターリブ(第4代正統カリフ・アリー)を支持するイブン・アッ・ズバイルによって制圧されており、それが岩のドーム建設の直接の動機であったと推察される。

建物は、預言者ムハンマドが夜の旅(イスラー)に旅立ち、また、アブラハムが息子イサクを犠牲に捧げようとした(イサクの燔祭)場所と信じられている「聖なる岩」を取り囲むように建設され、692年に完成した。外部は大理石と美しい瑠璃色のトルコ製タイルによって装飾されているが、これは1554年にオスマン帝国のスレイマン1世の命によって建築家ミマール・スィナンが貼り直したもので、かつては樹木や草花、建物を画いたガラス・モザイクであった。ドーム部分は内部装飾も含めて11世紀に再建されたものだが、これはほぼ創建当時のままのデザインである。