キリストのご受難を幻に見て

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アンナ・カタリナ・エンメリックの傷

エンメリックが胸に十字の形の聖痕を受けたのは1813年頃であった。エンメリックは長い間、荊冠の聖痕による痛みに耐えていたが、さらに胸の十字の聖痕の痛みそして、両手、両足、右わき腹に聖痕を受けることなった。その聖痕の特徴として、いくつかのものは毎週水曜日、そしてその他のものは金曜日に血を噴き出すことが記録に残されている。 その他にこの聖痕は、数年たっても傷口が炎症も化膿もせずに、傷口が新たにつけられたかのような状態であり続けたことが医師たちによって証言されている。医学的にはこのようなことはありえないとされる[1]。

この聖痕については、1813年にミュンスターの司教総代理、クレメンス・アウグスト・フォン・ドロステ=フィシェリングが医師2名による医学的調査を行っており、その詳細な医学的記録が残されていると共に、この医学調査に参加したフランツ・フェルディナント・フォン・ドゥルッフェル(Franz Ferdinand von Druffel)博士は、ザルツブルクの医学と手術の専門誌に彼自身の署名入りで、この聖痕に関する長い論文を寄稿し、自然の力を超えた現象であることを記載している。

タイトルはオランダ語で以下。
Echt berigt, wegens de zeldzame verschijnsels, welke plaats hebben bij mejuffrouw Anna Catharina Emmerich, koorzuster van het vernietigde klooster der Augustinessen Agnetenberg, te Dulmen

さらに、この聖痕調査時には、当時に既に高名であった神学者・教育学者のベルンハルト・ハインリヒ・オーヴァーベルク(Bernhard Heinrich Overberg)により、エンメリックが幻視として観る『情景』についての神学的な調査も並行して行われている。これもオーヴァーベルクによる公式記録が残されている。

この調査とは別に、フランツ・ヴェーゼナー博士 (Franz Wesener) という若い医師が彼女の聖痕を診察して、非常に彼女に対し、感銘を受けた。そしてこの若い医師は、彼女の無私の友人・支持者となり、11年間彼女を助けた。この医師は、エンメリックとのやり取りを克明に日記に書き記している。


記述の問題点

『キリストのご受難を幻に見て』の43章「十字架につけられたもう」には次の記述がある。
他の一人は長い、太い、先をやすりで鋭くした釘を手のひらのふくらみに差し込み、金槌をもってあらあらしく打ち込んだ。

しかし、十字架刑は通常、手ではなく前腕の遠位部に釘を打ちこんで固定するのであり、手にくぎを打ち込んでも体重を支えられないため、このような刑の施行方法は考えにくい。