キリスト教とイスラム教の比較

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ここでは、聖書とクルアーンの細かな差は聖書とクルアーンの関係に示し、よりマクロな視点から見ていく。

共通点

共通点の多くは、ユダヤ教から直接引き継がれた性質である。

信仰する神

キリスト教の唯一神(父なる神)とイスラム教の唯一神(アッラー)は、ともにユダヤ教の唯一神ヤハウェである。

ヨハネ1:1-3
初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。

クルアーン29:46
また啓典の民と議論するさいには、立派な(態度で)臨め。かれらの中不義を行う者にたいしては別である。それで言ってやるがいい。「わたしたち(ムスリム)は、自分たちに下されたものを信じ、あなたがた(経典の民)に下されたものを信じる。わたしたちの神(アッラー)とあなたがたの神(アッラー)は同じである。わたしたちはかれに服従、帰依するのである。」

世界の起源

キリスト教とイスラム教では、ともに世界はユダヤ教の唯一神ヤハウェにより創造されている。
ただし、創造の順番が異なる。

キリスト教・ユダヤ教では、天地創造は7日間で、1日目に昼と夜に、2日目に空と海に、3日目に海と陸に分けられ、4-6日目に天体や動物が創られている。

創世記1:1-31
初めに、神は天地を創造された。
地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第一の日である。
神は言われた。「水の中に大空あれ。水と水を分けよ。」神は大空を造り、大空の下と大空の上に水を分けさせられた。そのようになった。神は大空を天と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第二の日である。
神は言われた。「天の下の水は一つ所に集まれ。乾いた所が現れよ。」そのようになった。神は乾いた所を地と呼び、水の集まった所を海と呼ばれた。神はこれを見て、良しとされた。神は言われた。「地は草を芽生えさせよ。種を持つ草と、それぞれの種を持つ実をつける果樹を、地に芽生えさせよ。」そのようになった。地は草を芽生えさせ、それぞれの種を持つ草と、それぞれの種を持つ実をつける木を芽生えさせた。神はこれを見て、良しとされた。夕べがあり、朝があった。第三の日である。
神は言われた。「天の大空に光る物があって、昼と夜を分け、季節のしるし、日や年のしるしとなれ。天の大空に光る物があって、地を照らせ。」そのようになった。神は二つの大きな光る物と星を造り、大きな方に昼を治めさせ、小さな方に夜を治めさせられた。神はそれらを天の大空に置いて、地を照らさせ、昼と夜を治めさせ、光と闇を分けさせられた。神はこれを見て、良しとされた。夕べがあり、朝があった。第四の日である。
神は言われた。「生き物が水の中に群がれ。鳥は地の上、天の大空の面を飛べ。」神は水に群がるもの、すなわち大きな怪物、うごめく生き物をそれぞれに、また、翼ある鳥をそれぞれに創造された。神はこれを見て、良しとされた。神はそれらのものを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、海の水に満ちよ。鳥は地の上に増えよ。」夕べがあり、朝があった。第五の日である。
神は言われた。「地は、それぞれの生き物を産み出せ。家畜、這うもの、地の獣をそれぞれに産み出せ。」そのようになった。神はそれぞれの地の獣、それぞれの家畜、それぞれの土を這うものを造られた。神はこれを見て、良しとされた。
神は言われた。「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。神は彼らを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」神は言われた。「見よ、全地に生える、種を持つ草と種を持つ実をつける木を、すべてあなたたちに与えよう。それがあなたたちの食べ物となる。地の獣、空の鳥、地を這うものなど、すべて命あるものにはあらゆる青草を食べさせよう。」そのようになった。神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。夕べがあり、朝があった。第六の日である。

イスラム教では、1-2日目で大地を創り、3-6日目に地上の物質を創り、7にアダムを創っている。なお、この7日間で天地は想像されたとあるものの、天の創造は地上の創造後2日かかっており、天をいつ創造したのかが曖昧である。

クルアーン2:29
かれこそは、あなたがたのために、地上の凡てのものを創られた方であり、更に天の創造に向かい、7つの天を完成された御方。またかれは凡てのことを熟知される。
クルアーン41:9-12
言ってやるがいい。「あなたがたは、2日間で大地を創られたかれ(アッラー)を、どうして信じないのか。しかもかれに同位者を立てるのか。かれこそは、万有の主であられる。かれは、そこに(山々を)どっしりと置いて大地を祝福なされ、更に4日間で、その中の凡ての(御恵みを)求めるもの(の必要)に応じて、御恵み(生活)を規定なされた。
それからまだ煙(のよう)であった天に転じられた。そして天と地に向かって、『両者は、好むと好まざるとに関わらず、われに来たれ。』と仰せられた。天地は(答えて)、『わたしたちは喜こんで参上します。』と申し上げた。そこでかれは。2日の間に7層の天を完成なされた。そしてそれぞれの天に命令を下し。(大地に)近い天を。われは照明で飾り。守護した。これは。偉力ならびなく全知なる御方の摂理である。」
クルアーン50:38
われは天と地、またその間にある凡てのものを6日の間に創造した。しかしわれは少しの疲れも感じることはなかった。
クルアーン79:27-33
あなたがたは(アッラーが)うち建てられた天(の創造)が、あなたがたを創ることより難しいとでも思うのか。かれはそれを高く掲げ、それから整え、夜を暗くなされ、また、光明を現わされる。その後、大地を延べ広げられた。そこから水と牧場を現われさせ、また山々をそれにしっかりと据えられ、あなたがたとあなたがたの家畜のための、用益に供される。
al-Qasim b. Bishr b. Mar'ruf and al-Husayn b. 'Ali al-Suda'i- Hajjaj- Ibn Jurayj- Isma'il b. Umayyah- Ayyub b. Khalid- 'Abdallah b. Rafi', the mawla of Umm Salamah-によると、アブーフライラ(Abu Hurayrah)は言いました:
「アッラーのみ使い(ムハンマド)は、私の手をとって、次のように言われた。『アッラーは、土曜日に土を創り、日曜日にそれを使って山々を創り、月曜日は木々を創り、火曜日にはこまごまとしたものを創り、水曜日には火を創った。そして木曜日には動物たちをそれらの中に分布した。金曜日のアスル(夕刻)の後には、アーダム(عليه السلام )を創った。それは、この日の金曜日の最後(即ち、夕刻から夜の間)に創られた最後の創造物であった』」


偶像崇拝の禁止

キリスト教とイスラム教では、ともに偶像崇拝はユダヤ教の唯一神ヤハウェにより禁止されている。

人間の罪深さ

キリスト教とイスラム教では、ともに人間は罪深い存在である。

神の慈悲深さ

キリスト教とイスラム教では、ともに神は慈悲深く、恩寵に満ち、力強い存在である。


ハディース「サヒーフ・ムスリム」より
実に神は哀れみ深く、親切を愛する御方である。かれは苛酷さではなく、慈悲によって授与するのだ。

万人は平等

ユダヤ教では、万人は神の前に平等であるが、イスラエルは特別な選民である。
キリスト教とイスラム教では、ともに万人は神の前に平等である。イスラエルを選民として扱わない。

マタイ5:44-45
しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。
ルカ6:35
しかし、あなたがたは敵を愛しなさい。人に善いことをし、何も当てにしないで貸しなさい。そうすれば、たくさんの報いがあり、いと高き方の子となる。いと高き方は、恩を知らない者にも悪人にも、情け深いからである。

クルアーン40:40
悪事を行った者は、それと同じ報いをうけます。だが善行をする者は、男でも女でも信者なら凡て楽園に入り、そこで限りない御恵みを与えられます。
クルアーン49:13
人びとよ、われは一人の男と一人の女からあなたがたを創り、種族と部族に分けた。これはあなたがたを、互いに知り合うようにさせるためである。アッラーの御許で最も貴い者は、あなたがたの中最も主を畏れる者である。本当にアッラーは、全知にして凡ゆることに通暁なされる。

イエスの再臨

キリスト教とイスラム教では、ともにイエス(イーサー)が最後の審判の前に再臨する。

マルコ13:24-27
「それらの日には、このような苦難の後、
太陽は暗くなり、
月は光を放たず、
星は空から落ち、
天体は揺り動かされる。
そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。そのとき、人の子は天使たちを遣わし、地の果てから天の果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める。」

クルアーン4:157-159
「わたしたちはアッラーの使徒、マルヤムの子マスィーフ(メシア)、イーサーを殺したぞ」という言葉のために心を封じられた。だが、彼らがイーサーを殺したのでもなく、また彼を十字架にかけたのでもない。ただ彼らにそう見えたまでである。本当にこのことについて議論する者は、それに疑問を抱いている。彼らはそれについて確かな知識はなく、ただ臆測するだけである。確実に彼を殺したというわけではなく。いや、アッラーは彼を、御側に召されたのである。アッラーは偉力ならびなく英明であられる。
啓典の民の中、彼の死ぬ前にしっかり彼(イーサー)を信じる者は一人もいなかった。審判の日において、彼(イーサー)は彼らにとって不利な証人となろう。

人間の復活と最後の審判

キリスト教とイスラム教では、ともに最後の審判の前に万人が復活し、最後の審判で万人が平等に裁かれる。

ヨハネの黙示録20:11-15
わたしはまた、大きな白い玉座と、そこに座っておられる方とを見た。天も地も、その御前から逃げて行き、行方が分からなくなった。わたしはまた、死者たちが、大きな者も小さな者も、玉座の前に立っているのを見た。幾つかの書物が開かれたが、もう一つの書物も開かれた。それは命の書である。死者たちは、これらの書物に書かれていることに基づき、彼らの行いに応じて裁かれた。海は、その中にいた死者を外に出した。死と陰府も、その中にいた死者を出し、彼らはそれぞれ自分の行いに応じて裁かれた。死も陰府も火の池に投げ込まれた。この火の池が第二の死である。その名が命の書に記されていない者は、火の池に投げ込まれた。

クルアーン19:66-70
人は言う。「一体わたしが死んだ時、やがて甦るのであろうか。」
人は思わないのか。われは以前何も無いところから、かれ(人間)を創ったのである。それであなたの主によって、われはかれらそして悪魔たちを必ず召集する。それからわれは、必ずかれらを地獄の周囲に引きたて(かれらを恐れ戦かせ)脆かせよう。それからわれは、各宗派から慈悲深き御方に背くことの甚しい者を、必ず(側に)抜き出す。その時誰がそこで焼かれるに相応しいかを熟知するのは、正にわれである。
クルアーン36:78-82
またかれ(人間)は、われに準えるものを引合いに出して、自分の創造を忘れ、言う。「誰が、朽ち果てた骨を生き返らせましょうか。」
言ってやるがいい。「最初に御創りになった方が、かれらを生き返らせる。かれは凡ての被造物を知り尽くしておられる。緑の木から、あなたがたのために火を造られたのもかれであり、だからこそあなたがたはそれによって燃やす。」天と地を創造なされたかれが、これに類するものを創り得ないであろうか。いや、かれは最高の創造者であり、全知であられる。何かを望まれると、かれが「有れ。」と御命じになれば、即ち有る。
クルアーン101:6-11
それで、かれの秤が(善行で)重い者は、幸福で満ち足りて暮らすであろう。
だが秤の軽い者は、奈落が、かれの里であろう。それが何であるかを、あなたに理解させるものは何か。(それは)焦熱(地獄)の火。



相違点


イエス(イーサー)の立場

ユダヤ教では、偽預言者である。
キリスト教では、キリスト(メシア、救世主)であり、三位一体の神である。

使徒信条
父のひとり子、わたしたちの主イエス・キリストを信じます。

イスラム教では、預言者の一人であり、神は全知全能のアッラー以外に認めない。

クルアーン21:25-26
あなた(ムハンマド)以前にも、われが遣わした使徒には、等しく、「われの外に神はない、だからわれに仕えよ。」と啓示した。かれらは、「慈悲深き御方は子をもうけられます。」と言った。ああもったいない。

イエスの母マリアの立場



ムハンマドの立場

ユダヤ教では、偽預言者である。
キリスト教では、キリストであるイエス以降には預言者は現れないことになっている。
イスラム教では、ムハンマドは最大にして最後の預言者である。

ジンの存在

ユダヤ教とキリスト教では、ジン(妖怪、魔人)は存在しない。
イスラム教では、ジン(妖怪、魔人)が存在する。

原罪の存在

キリスト教では、人間は皆アダムの子孫として原罪を負う。
ユダヤ教とイスラム教では、原罪は認めないが、人間はみな罪を犯してしまう存在である。

イエスの十字架の上での死と贖い

キリスト教では、イエスは万人の罪を赦すため、その身代わりとなり十字架の上で処刑されたとされる。

ローマの信徒への手紙5:8-9
しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。それで今や、わたしたちはキリストの血によって義とされたのですから、キリストによって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。

イスラム教では、イエスは十字架の上で死ななかったとされる。また他人の罪を贖うことはできないとする。

クルアーン4:157
「わたしたちはアッラーの使徒、マルヤムの子マスィーフ(メシア)、イーサーを殺したぞ」という言葉のために心を封じられた。だが、彼らがイーサーを殺したのでもなく、また彼を十字架にかけたのでもない。ただ彼らにそう見えたまでである。本当にこのことについて議論する者は、それに疑問を抱いている。彼らはそれについて確かな知識はなく、ただ臆測するだけである。確実に彼を殺したというわけではなく。いや、アッラーは彼を、御側に召されたのである。アッラーは偉力ならびなく英明であられる。

なお、イスラム教でもイスマーイール派の解説書の一部や合理主義者 (falāsifa) は、イーサーの体は磔にあったが、イーサーの精神は引き上げられた(つまり、肉体を持たない「精神」が復活したと考える)と主張しており、グノーシス派にも通じた考えとなっている。

イエスの復活と昇天

キリスト教では、イエスは死の三日目に復活し、その四十日後に昇天したとされる。
イスラム教では、イエスは死ぬことなく昇天したとされる。