キリスト教と倫理学

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古代キリスト教

パウロによる贖罪論

はじめ、イエスの教えを奉じる人たちを迫害していたパウロは、回心して、異邦人への伝道に大きな力となる。彼はユダヤ人であると同時に、ローマ市民権を有しており、ギリシャ・ローマの教養も深かった。

旧約時代は、律法を守ることが救済の条件であると考えられていた。しかし、人間は、今も昔も律法を破り続けており、律法を完全に守ることはできなかった。パウロは己を振り返り、律法では人は救われないことを、痛切に告白する。
では、人の罪は、どうすれば救われるのか。人間の内面に潜む根源的な罪は、自力で償うことはできない。誰かほかの人によって、贖ってもらうしかない。そのために、神の子羊として、全く罪けがれのない人物が、血の犠牲となるために必要とされた。
イエスの十字架死によって、人間の罪は赦された。創り主は、人間に対する愛(アガペー)を、イエスの復活によって示された。そして、後世の人々は、イエスを信じることで、救われて生きることができるのである。

…パウロは、このように教えを説いた。以後、迫害を受けつつもキリスト教は発展し、313年にはローマ帝国から公認されるに至った。

古代最大の教父アウグスティヌスの思想

人間は悪をなさざるを得ない存在であって、人間の本性を罪ととらえる。これがアウグスティヌスの「原罪」である。人は、ただ創り主の無限の愛とあわれみ、すなわち恩寵にすがるしかないのである。
また、アウグスティヌスは、キリスト教の三元徳を、ギリシャ以来の四元徳(知恵、勇気、節制、正義)の上に位置づける。三元徳とは、創り主の義がイエスの贖いによって示されたことを信じる信仰と、創主の国の到来と救いを確信をもって待ち望む希望、そして、信仰と希望とを自らのものとするための愛である。

スコラ哲学の大成者トマス・アクィナスの思想

スコラ哲学の主題は、信仰と理性との関係を探ることにある。トマス・アクィナスは、両者の調和を図ろうとした。
人間理性は、この世界を「自然の光」として照らす。自然の真理を認識する能力を持つ。しかし、信仰の真理は、自然の真理の彼方にあるものである。創り主の真理は、創られた存在でしかない人間が、これまた創られた理性を持って認識できるような代物ではない。人はただそれをあがめ、賛美することしかできないのである。したがって、理性は信仰によって支えられていて初めて、理性はその本来的な機能を果たすことができると説いた。

ルネサンス

ルネサンスとは、「再生」を意味する言葉である。何を再生するのかというと、古代ギリシャ・ローマの思想文化である。ラテン語のみならず、ギリシャ語で、直接古代ギリシャの原典を研究する文化人が徐々に増えてきた。それには、古代中世の長きに渡って、ギリシャ・ローマの文物を維持してきたビザンツ帝国(東ローマ帝国)が崩壊したことにより、ギリシャ・ローマ文化が各地に流入したことも要因になっている。

エラスムスの「愚神礼讃」

当時の聖職者や支配層の腐敗・堕落を批判した。宗教改革には肯定的だったが、教会の分裂を止めるべく、ルターとは対立する立場をとった。ルターの奴隷意志論に対して、自由意志論を説いた。

トマス・モア「ユートピア」

理想の社会を探求して、貨幣や私有財産が否定された平等な社会を理想とした。これが、後の社会主義につながっていく。


宗教改革の先駆者

宗教改革の発端は、初期のキリスト教精神に立ち返って、カトリック教会のあり方を改革しようという運動だった。

ウィクリフ(1320~1384)

オックスフォード大学神学教授で、聖書の翻訳にも従事した。ローマ教皇への重税や教会財産を批判した。

フス(1370~1415)

プラハ大学教授。免罪符販売などの教会の堕落を批判する。異端とされて焚刑に処せられる。

サヴォナローラ(1452~1498)

ドミニコ会修道士であったが、教会の腐敗と信仰心の堕落とを戒める。1494年には、フィレンツェ共和国の指導者となるも、やがて教皇と対立し、厳粛な姿勢に民衆も反発し、焚刑に処せられる。

ルター

ヴィッテンベルク大学神学教授であったルターが、1517年に、95箇条の意見書でローマ教会を批判した。


ルターの思想

「信仰のみ、聖書のみ、万人司祭主義」というプロテスタント思想の基礎をルターは唱えた。
プロテスタントとは、そもそも「抗議する者」の意味で、カトリック側がつけたあだ名が一般化したものである。では、自分たちではどう呼んでいたかというと、福音主義教会(evangelism) だった。

信仰のみ

生まれながらの罪人である人間を救うことができるのは、唯一、創造主の恩寵であり、恩寵によって人間が持てるようになった信仰によるしかありません。信仰心は、自ら起こすものではなくて、与えられたものなのである。信仰のみで救われるとする考え方を、難しく言うと信仰義認説となる。
人は自らの意志を否定し、創り主の自由な意志のまま生きることこそが、自由な生き方であると説いた。

聖書のみ

信仰の拠り所は、聖書のみである。(カトリック)教会で伝えられてきた聖伝や、制度、儀式などには絶対的な価値を置かない。

万人司祭主義

聖職者と俗人との間に、本質的な区別はない。各人が、直接、主の前に立つ。

予定説


カルヴァン主義 アルミニウス主義
人間の現状 全的堕落 全的堕落
神による選び方 無条件的選び
(神のみにより選別される)
先行的恩寵
(チャンスは誰にでもあり、人の努力により選ばれうる)
キリストによる贖罪の範囲 制限的贖罪
(選ばれた者のためのみ)
万人のための贖罪
(すべての人のため)
選ばれた人の抵抗権 不可抵抗的恩恵
(選ばれた者は救われるしかない)
可抵抗的恩恵
(人間の意思によって救われないこともある)
救いの計画の変更 聖徒の永遠堅持
(選ばれた人は必ず救われる)
キリストにおける保障
(一度救われた者も堕落する可能性がある)

カルヴァン主義(1509~1564)の予定説

スイス生まれのカルヴァンは、ルターの改革をさらに徹底させた。ルターの信仰義認説を継承しながらも、彼が究極の目的としたのは、創造主の絶対主権を確立することにあった。
創り主の意志が世界の唯一の原理であり、すべてが創り主の摂理によって導かれる。そして、どの人間が救われるかは、その人間の努力次第などではなくて、始めから決められてしまっているとする予定説を説いた。

人間は、創り主の意志の道具として、ひたすら創り主の栄光のために働かなくてはならない。自分が救われていることをどうすれば証しできるのか。すべての職業は天職であって、自分の職業に邁進することが、創り主のよって召しだされた使命を実現するただ一つの道であると考える。

カルヴァンが推し進めたプロテスタンティズムからは、やがて、すべてを信仰にもとづいて新しく作りかえようとする生活態度が生み出された。その代表として、ピューリタンの精神が挙げられる。

アルミニウス主義の予定説の否定

16世紀後半のオランダの神学者ヤーコブ・アルミニウスはもともとカルヴァン主義だったが、最終的にはカルヴァン主義とは異なる結論に至った。これをアルミニウス主義と呼ぶ。

カルヴァン主義が、個人の救いは神が創造以前より定めておられ、それゆえキリストの贖罪は選ばれた者のみのためであるとするのに対し、救いは神の恵みに対する各自の応答によるのであり、全能の神はその応答をあらかじめご存じであるだけであって、救われる者、ましてや滅びる者を神があらかじめ定めておられるわけではないとしたのだ。また、キリストの贖罪はそれゆえ、恵みに応答する全ての人々のためのものであり、その意味で非限定的なものであるとした。


権力の根拠

王権神授説

中世の封建社会が崩れて、君主の専制支配に依存する絶対主義国家が誕生する。この統治形態を支える理論が王権神授説だった。君主の絶対的な権力は、創造主より授けられたものであるとされるというものである。

社会契約説

やがて、市民の勢力が増大し、個人の自覚を深めていくとともに、17~18世紀にかけて、社会契約説があらわれた。これは、個人が互いの権利を保持するために結んだ契約によって国家が成立するというものである。社会契約説に比べて画期的な天は、神が権力の根拠に関与しない点である。
この前提として、社会契約がなされる以前の自然状態が想定されなければならない。自然状態とはあくまでも仮構である。社会契約説の主要な思想家として、ホッブス、ロック、ルソーの3人が挙げられる。それぞれ人間の本性をどうとらえるかは異なるため、それによって、自然状態なるものの想定も変わってくる。そして、社会契約の内容と政府のあり方も異なってくる。

ホッブス(1588~1679)の「万人の万人に対する闘争」

ピューリタン革命の時代に生きたホッブスは、人間は自己保存の欲望をどこまでも満たそうとする利己的な存在であると考えた。そうすると、自然状態においては、互いの利害が衝突して、「万人の万人に対する闘争」が果てしなく続くことになる。自己保存が目的であるのに、互いの生命がおびやかされてしまうという矛盾が生じるのである。これを解決するためには、各自が自然権を放棄して、共通の権力をつくって、それに委ねるしかない。(自然権とは、だれにも奪われてはならない、人間が生まれながらに持つ権利のことである。)つまり、人間関係に必然的に発生する悪を取り除くために社会契約が必要と考えた。こうしてできた国家は強大な力を持つ。ホッブスは、これをリバイアサンと名づけて、専制君主制を擁護することになる。

ロック(1632~1704)の理性の法

名誉革命に理論的根拠を与えたロックは、ホッブスと異なり、自然状態を自由、平等、平和などが比較的保たれている状態と考えた。すべての人間は等しく創造主によってつくられたものであって、理性の声はすでに存在している。自分の所有を侵害されないという自然権は、各人が他人の所有権を侵害してはならないとする自然法を守ることで初めて成立する。ロックは、これを理性の法と呼び、自然状態においても働いていると考えた。

それでは、なぜ政治社会が必要になるのか。ロックは、所有権の侵害を防止するためであると考えた。社会契約は、人間関係に必然的に発生する悪を取り除くためではなく、自然法がより確実におこなわれるために結ばれるのである。

ロックは、主権が国民の側にあると考えた。ホッブスのように自然権を放棄する必要はない。逆に、政府が国民の安全と義務とを守らない場合には、国民はあずけた権利を取り戻す(抵抗権)を持ち、ひいては政府を取り替える(革命権)をも有するのである。

さらに、ロックは、政府がその役割を果たすか否かのチェックを行えるために、権力の分立を考案した。
ロックの思想は、アメリカ合衆国の独立やフランス革命にも大きな影響を与えた。

ルソー(1712~1778)の人民主権論

ルソーにとっては、自然状態は、さらに理想的なものだった。人間は、自然状態においては完全に自由、平等で平和な生活ができたと考えた。このように、すべて人間は生まれながら自由・平等で幸福を追求する権利をもつという思想を天賦人権説と呼ぶ。

ところが、私有財産が認められ、土地の分配が行われると、貧富の格差が広がり、不平等、不合理、悪徳の充満する社会が生まれたと説く。

ルソーは、社会の発展のせいで不平のはびこる社会になってしまった状況から抜け出すために、すべての人が全面的に自己を一般意志に従わせるという社会契約が必要であると考えた。(一般意志とは、個人の利益を求める意志の総和としての全体意志ではなく、社会を構成するすべての者に共通する利益やすぐれた世論を意味する。)社会契約とは各人のすべての力を一般意志の指導下におくことになる。

ルソーによれば、政府はあくまでも一般意志の公僕であって、一般意志の代表者となることはできない。代議制度などは貴族政治にすぎず、真の民主政とは、古代ギリシャの直接民主制だけということになる。
ルソーの人民主権論は、フランス革命に大きな影響を及ぼした。