オクシリンコス・パピルス(ラテン語:Oxyrhynchus Papyri、略してOPまたはPOxyと書く)はエジプト中部のオクシリンコス(Oxyrhynchos 魚の名前に由来する地名。現在はバフナサ)で発見された数千点に及ぶパピルス文書、写本断片の総称である。オクシュリュンコス・パピルスとも呼ぶ。
19世紀末に古代のごみ捨て場の跡から多くの文書が発掘され、整理が進められていったが、20世紀になって、従来まったく知られていなかった
イエスの言葉などが記されたパピルス断片が多数発見され、
新約聖書学の点からも注目されるようになった。
多数のパピルス断片があり、番号で管理されている。イエスの
アグラファが書かれているパピルス断片は、POxy 1, 654, 655, 840, 1224である。
オクシリンコス
オクシリンコスはナイル川本流から西に位置し、ファイユーム・オアシスへと続くナイル川の支流 Bahr Yussef のほとりにある。古代エジプト時代には Per-Medjed という都市があった。紀元前332年にアレクサンドロス3世がエジプトを征服すると、この都市はギリシャ風に作りかえられ、オクシリンコス・ポリス(Οξυρρύγχου Πόλις、「細長い鼻の魚の町」)と呼ばれるようになった。
1000年以上もの歴史の中で、オクシリンコスの住民は西に広がる砂漠地帯にごみを捨て続けた。オクシリンコスがナイル河畔ではなく支流に沿って建設されたという事実は重要である。そのため、この地は毎年洪水に見舞われるということがなかった。水路が干上がったとき、地下水面も下がり、二度と再び上がって来なかった。ナイル川西方にはほとんど雨が降らないため、オクシリンコスの住民が捨てたごみは徐々に砂に覆われていき、約1000年間忘れられていた。
1882年、エジプトは名目上まだオスマン帝国の一部だったが、事実上イギリスが支配するようになり、イギリスの考古学者らがエジプト全体の体系的な調査を開始した。当時オクシリンコスの重要性はわかっていなかったため、調査がそこに及んだのは1896年のことである。2人の若い発掘者バーナード・グレンフェルとアーサー・ハントはオックスフォード大学クイーンズ・カレッジのフェローであり、この地で発掘調査を開始した。グレンフェルは「私の第一印象はあまり期待できないというものだった。ゴミ捨て場はゴミ捨て場でしかないと思っていた」と記している。しかし、間もなく2人は大きな発見をしたことに気づいた。気候と状況の独特な組合せにより、オクシリンコスは古代世界に比類なき古文書の山となっていた。
キリスト教関連のOP
- 外典トマスの福音書 (3断片 = POxy 1, 654, 655)
- POxy 210 (正典でない福音書)
- POxy 840 (正典でない福音書、3世紀)
- POxy 1224 (正典でない福音書、4世紀)
- 外典バルクの黙示録 (12-14章; 4~5世紀: POxy 403)
- 外典ヘブライ人による福音書 (3rd century AD: POxy 655)
- 外典ペトロの福音書 (POxy 2949, 4009)
- 外典マリアの福音書 (POxy 3525)
- 外典イエス・キリストの知恵 (POxy 1081).
- 外典ヤコブ原福音書 (POxy 3524)
- 正典マタイの福音書 1章 (POxy 2, POxy 401 = 3世紀), 11–12章 (POxy 2384 = 3~4世紀), 19章 (POxy 2384, 2385 = 3~4世紀)
- 正典マルコの福音書 10–11章 (POxy 3, 5~5世紀)
- 正典ヨハネの福音書 1,20章 (POxy 208 = 3世紀)
- 正典ローマの信徒への手紙 1 (POxy 209 = 4世紀)
- 正典ヨハネの手紙一 (POxy 402 = 4~5世紀)
- 使徒教父文書ヘルマスの牧者 (POxy 404 = 3~4世紀)
- 使徒教父文書エイレナイオス『異端反駁』 (POxy 405 = 3世紀)
多くの早期のクリスチャン、他の正典の書の多くの部分がある。
There are many parts of other canonical books as well as many early Christian hymns, prayers, and letters also found.
最終更新:2017年11月12日 15:57