聖絶の正当性

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「聖絶」とは、聖書信仰の立場によって訳された『新改訳聖書』において造られたヘブライ語のヘーレム(חרם、ḥērem)の訳語(造語)である。一般的な用途に用いることを禁じ、神のために聖別すること、ささげられたもの、奉献物、のろわれたものを意味している。 イスラエルに敵対する異民族(通例は都市国家単位)に対して聖絶が用いられる時は、「神への奉納物として、異教の神を拝むものとそれに関連する事物をことごとく滅ぼし尽くす」こと、全ての戦利品を滅却することを意味した。すなわち、&bold(){聖絶の対象とされた敵対異民族は全員が剣で殺され、また家畜も含め生けるものは全て殺戮された}。 **「聖絶」の例 カナンの王はイスラエルを襲って、幾人かを捕虜にしたため、イスラエルは主なる神に誓願を立てた。「もし、確かにあなたが私の手に、この民を渡してくださるなら、私は彼らの町々を聖絶いたします。」(民数記21:2、新改訳聖書) -偶像礼拝をするイスラエル人に対する裁き(出エジプト記22章20節) -ヨベルの年に聖絶された畑が主の聖なるものとなる。(レビ記27:21) -エリコの戦いにおける聖絶(ヨシュア記6章他) -ミデヤン人に対する聖絶(民数記21章) -アマレク人に対する聖絶(サムエル記上巻15章) -異教の偶像に用いられた金や銀を欲しがるイスラエル人に対する裁き(申命記7章26節) しかしながら、単に異教徒であるという理由で殺されたのは、ヨシュア記のカナンの侵攻のみである。 **カナン侵攻 最も重要となるエリコ侵攻について、エリコ侵攻直前のヨシュアの発言を、ヨシュア記6:16-19より引用する。 >七度目に、祭司が角笛を吹き鳴らすと、ヨシュアは民に命じた。「鬨の声をあげよ。主はあなたたちにこの町を与えられた。町とその中にあるものは、ことごとく滅ぼし尽くして主にささげよ。ただし、遊女ラハブおよび彼女と一緒に家の中にいる者は皆、生かしておきなさい。我々が遣わした使いをかくまってくれたからである。あなたたちはただ滅ぼし尽くすべきものを欲しがらないように気をつけ、滅ぼし尽くすべきものの一部でもかすめ取ってイスラエルの宿営全体を滅ぼすような不幸を招かないようにせよ。金、銀、銅器、鉄器はすべて主にささげる聖なるものであるから、主の宝物倉に納めよ。」 そして、エリコ侵攻も含めたカナン侵攻について、主がそれを命じたことが、ヨシュア記11:12-15に記されている。 >ヨシュアは他の王の町々をすべて占領し、王たちを捕らえ、主の僕モーセが命じたように剣をもって彼らを撃ち、これを滅ぼし尽くしたが、ヨシュアが焼き払ったのはハツォルだけで、その他の丘の上に建てられた町々をイスラエルは焼き払わなかった。 これらの町々の分捕り品と家畜はことごとく、イスラエルの人々が自分たちのために奪い取った。彼らはしかし、人間をことごとく剣にかけて撃って滅ぼし去り、息のある者は一人も残さなかった。 >主がその僕モーセに命じられたとおり、モーセはヨシュアに命じ、ヨシュアはそのとおりにした。主がモーセに命じられたことで行わなかったことは何一つなかった。 **異教徒の処遇 ここで、旧約聖書において、「異教徒の処遇」については、次の2つの方法がある。 +契約の中に入らなかった異教徒は、イスラエル人の処刑すべき対象ではない。異教徒は、徹底した堕落に陥らない限り、地上において生存することが許される。また、堕落した場合であっても、異教徒を裁くのは神の直接的審判が基本である。直接的な審判は、疫病や、他国の侵略、同化などによる。 +このような審判を、イスラエルを通じて行う場合がある。(※しかし、それは、ヨシュア記にのみしか出てこない。他の個所において、イスラエルが異邦人処刑のために用いられた個所は存在しない。) したがって、愛を説くはずの神がなぜカナンの侵攻においてのみ根絶やしにすることを許したのか、という観点で考えると、それまでに神が、ユダヤ人を害したわけではないにも関わらず人々を殺害した例を考えてみるとよい。 **神が根絶やしにした例 創世記における「ノアの方舟」と「ソドムとゴモラ」の例が上げられる。 ***ノアの方舟 ノアの方舟の経緯は、創世記6:11-13に書かれている。 >この地は神の前に堕落し、不法に満ちていた。 神は地を御覧になった。見よ、それは堕落し、すべて肉なる者はこの地で堕落の道を歩んでいた。神はノアに言われた。「すべて肉なるものを終わらせる時がわたしの前に来ている。彼らのゆえに不法が地に満ちている。見よ、わたしは地もろとも彼らを滅ぼす。」 これについての説明は創世記6:5-7に罹れている。 >主は、地上に人の悪が増し、常に悪いことばかりを心に思い計っているのを御覧になって、地上に人を造ったことを後悔し、心を痛められた。主は言われた。「わたしは人を創造したが、これを地上からぬぐい去ろう。人だけでなく、家畜も這うものも空の鳥も。わたしはこれらを造ったことを後悔する。」 ***ソドムとゴモラ ソドムとゴモラの破滅の経緯は、創世記18:20-21にかかれている。 >主は言われた。「ソドムとゴモラの罪は非常に重い、と訴える叫びが実に大きい。わたしは降って行き、彼らの行跡が、果たして、わたしに届いた叫びのとおりかどうか見て確かめよう。」 その故に滅ぼすと、二人の御使いは言っている。創世記19:12-13より。 >二人の客はロトに言った。「ほかに、あなたの身内の人がこの町にいますか。あなたの婿や息子や娘などを皆連れてここから逃げなさい。実は、わたしたちはこの町を滅ぼしに来たのです。大きな叫びが主のもとに届いたので、主は、この町を滅ぼすためにわたしたちを遣わされたのです。」 これについての明確な説明はないが、創世記19:4-9の記述から、男色などの姓の乱れが原因とされる。 >彼ら(二人の御使い)がまだ床に就かないうちに、ソドムの町の男たちが、若者も年寄りもこぞって押しかけ、家を取り囲んで、わめきたてた。「今夜、お前のところへ来た連中はどこにいる。ここへ連れて来い。なぶりものにしてやるから。」ロトは、戸口の前にたむろしている男たちのところへ出て行き、後ろの戸を閉めて、言った。「どうか、皆さん、乱暴なことはしないでください。実は、わたしにはまだ嫁がせていない娘が二人おります。皆さんにその娘たちを差し出しますから、好きなようにしてください。ただ、あの方々には何もしないでください。この家の屋根の下に身を寄せていただいたのですから。」男たちは口々に言った。「そこをどけ。」「こいつは、よそ者のくせに、指図などして。」「さあ、彼らより先に、お前を痛い目に遭わせてやる。」そして、ロトに詰め寄って体を押しつけ、戸を破ろうとした。 http://www.millnm.net/cgi-bin/page.cgi?url=../qanda/pagans.htm
「聖絶」とは、聖書信仰の立場によって訳された『新改訳聖書』において造られたヘブライ語のヘーレム(חרם、ḥērem)の訳語(造語)である。一般的な用途に用いることを禁じ、神のために聖別すること、ささげられたもの、奉献物、のろわれたものを意味している。 イスラエルに敵対する異民族(通例は都市国家単位)に対して聖絶が用いられる時は、「神への奉納物として、異教の神を拝むものとそれに関連する事物をことごとく滅ぼし尽くす」こと、全ての戦利品を滅却することを意味した。すなわち、&bold(){聖絶の対象とされた敵対異民族は全員が剣で殺され、また家畜も含め生けるものは全て殺戮された}。 **「聖絶」の例 カナンの王はイスラエルを襲って、幾人かを捕虜にしたため、イスラエルは主なる神に誓願を立てた。「もし、確かにあなたが私の手に、この民を渡してくださるなら、私は彼らの町々を聖絶いたします。」(民数記21:2、新改訳聖書) -偶像礼拝をするイスラエル人に対する裁き(出エジプト記22章20節) -ヨベルの年に聖絶された畑が主の聖なるものとなる。(レビ記27:21) -エリコの戦いにおける聖絶(ヨシュア記6章他) -ミデヤン人に対する聖絶(民数記21章) -アマレク人に対する聖絶(サムエル記上巻15章) -異教の偶像に用いられた金や銀を欲しがるイスラエル人に対する裁き(申命記7章26節) しかしながら、単に異教徒であるという理由で殺されたのは、ヨシュア記のカナンの侵攻のみである。 **カナン侵攻 最も重要となるエリコ侵攻について、エリコ侵攻直前のヨシュアの発言を、ヨシュア記6:16-19より引用する。 >七度目に、祭司が角笛を吹き鳴らすと、ヨシュアは民に命じた。「鬨の声をあげよ。主はあなたたちにこの町を与えられた。町とその中にあるものは、ことごとく滅ぼし尽くして主にささげよ。ただし、遊女ラハブおよび彼女と一緒に家の中にいる者は皆、生かしておきなさい。我々が遣わした使いをかくまってくれたからである。あなたたちはただ滅ぼし尽くすべきものを欲しがらないように気をつけ、滅ぼし尽くすべきものの一部でもかすめ取ってイスラエルの宿営全体を滅ぼすような不幸を招かないようにせよ。金、銀、銅器、鉄器はすべて主にささげる聖なるものであるから、主の宝物倉に納めよ。」 そして、エリコ侵攻も含めたカナン侵攻について、主がそれを命じたことが、ヨシュア記11:12-15に記されている。 >ヨシュアは他の王の町々をすべて占領し、王たちを捕らえ、主の僕モーセが命じたように剣をもって彼らを撃ち、これを滅ぼし尽くしたが、ヨシュアが焼き払ったのはハツォルだけで、その他の丘の上に建てられた町々をイスラエルは焼き払わなかった。 これらの町々の分捕り品と家畜はことごとく、イスラエルの人々が自分たちのために奪い取った。彼らはしかし、人間をことごとく剣にかけて撃って滅ぼし去り、息のある者は一人も残さなかった。 >主がその僕モーセに命じられたとおり、モーセはヨシュアに命じ、ヨシュアはそのとおりにした。主がモーセに命じられたことで行わなかったことは何一つなかった。 **異教徒の処遇 ここで、旧約聖書において、「異教徒の処遇」については、次の2つの方法がある。 +契約の中に入らなかった異教徒は、イスラエル人の処刑すべき対象ではない。異教徒は、徹底した堕落に陥らない限り、地上において生存することが許される。また、堕落した場合であっても、異教徒を裁くのは神の直接的審判が基本である。直接的な審判は、疫病や、他国の侵略、同化などによる。 +このような審判を、イスラエルを通じて行う場合がある。(※しかし、それは、ヨシュア記にのみしか出てこない。他の個所において、イスラエルが異邦人処刑のために用いられた個所は存在しない。) したがって、愛を説くはずの神がなぜカナンの侵攻においてのみ根絶やしにすることを許したのか、という観点で考えると、それまでに神が、その人々がユダヤ人を害したわけではないにも関わらず人々を殺害した例を考えてみるとよい。 **神が根絶やしにした例 創世記における「ノアの方舟」と「ソドムとゴモラ」の例が上げられる。 ***ノアの方舟 ノアの方舟の経緯は、創世記6:11-13に書かれている。 >この地は神の前に堕落し、不法に満ちていた。 神は地を御覧になった。見よ、それは堕落し、すべて肉なる者はこの地で堕落の道を歩んでいた。神はノアに言われた。「すべて肉なるものを終わらせる時がわたしの前に来ている。彼らのゆえに不法が地に満ちている。見よ、わたしは地もろとも彼らを滅ぼす。」 これについての説明は創世記6:5-7に罹れている。 >主は、地上に人の悪が増し、常に悪いことばかりを心に思い計っているのを御覧になって、地上に人を造ったことを後悔し、心を痛められた。主は言われた。「わたしは人を創造したが、これを地上からぬぐい去ろう。人だけでなく、家畜も這うものも空の鳥も。わたしはこれらを造ったことを後悔する。」 ***ソドムとゴモラ ソドムとゴモラの破滅の経緯は、創世記18:20-21にかかれている。 >主は言われた。「ソドムとゴモラの罪は非常に重い、と訴える叫びが実に大きい。わたしは降って行き、彼らの行跡が、果たして、わたしに届いた叫びのとおりかどうか見て確かめよう。」 その故に滅ぼすと、二人の御使いは言っている。創世記19:12-13より。 >二人の客はロトに言った。「ほかに、あなたの身内の人がこの町にいますか。あなたの婿や息子や娘などを皆連れてここから逃げなさい。実は、わたしたちはこの町を滅ぼしに来たのです。大きな叫びが主のもとに届いたので、主は、この町を滅ぼすためにわたしたちを遣わされたのです。」 これについての明確な説明はないが、創世記19:4-9の記述から、男色などの姓の乱れが原因とされる。 >彼ら(二人の御使い)がまだ床に就かないうちに、ソドムの町の男たちが、若者も年寄りもこぞって押しかけ、家を取り囲んで、わめきたてた。「今夜、お前のところへ来た連中はどこにいる。ここへ連れて来い。なぶりものにしてやるから。」ロトは、戸口の前にたむろしている男たちのところへ出て行き、後ろの戸を閉めて、言った。「どうか、皆さん、乱暴なことはしないでください。実は、わたしにはまだ嫁がせていない娘が二人おります。皆さんにその娘たちを差し出しますから、好きなようにしてください。ただ、あの方々には何もしないでください。この家の屋根の下に身を寄せていただいたのですから。」男たちは口々に言った。「そこをどけ。」「こいつは、よそ者のくせに、指図などして。」「さあ、彼らより先に、お前を痛い目に遭わせてやる。」そして、ロトに詰め寄って体を押しつけ、戸を破ろうとした。 http://www.millnm.net/cgi-bin/page.cgi?url=../qanda/pagans.htm

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