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イエスの言葉 - (2020/10/03 (土) 04:01:53) の1つ前との変更点
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*福音書
無数にあるためここでは割愛する。
*アグラファ
アグラファ(ἀγράφα, agrapha)とは 「書かれざるもの」という意味である。現行の新約聖書の福音書には収録されていないが、その他の初期キリスト教文献で言及されているイエスの言葉を指す。
以下の三つの条件を満たすものをアグラファと定義する。
&bold(){1.語録であって、イエスについての論証ではない
}「ディダスカリア」、「ピスティス・ソフィア」のような作品、イエスについての記述はあっても、彼のことばを引用していないものは、アグラファではない。
&bold(){2.イエスが語ったと、はっきり明記されている
}しかしながら、外典福音書、外典行伝、「アブガルに宛てたキリストの手紙」等々の信仰的創作に収められた語録は、アグラファではない。
&bold(){3.四福音書には含まれていない
}それゆえ、四福音書に含まれる語録への、単なる増補はアグラファではない。
**正典に含まれるもの
[[使徒言行録]]20:35:
>あなたがたもこのように働いて弱い者を助けるように、また、主イエス御自身が『受けるよりは与える方が幸いである』と言われた言葉を思い出すようにと、わたしはいつも身をもって示してきました。」
[[Ⅰコリント>コリントの信徒への手紙一]]11:23-25:
>わたしがあなたがたに伝えたことは、わたし自身、主から受けたものです。すなわち、主イエスは、引き渡される夜、パンを取り、感謝の祈りをささげてそれを裂き、「これは、あなたがたのためのわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。また、食事の後で、杯も同じようにして、「この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である。飲む度に、わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。
**外典に含まれるもの
[[トマスによる福音書]](オクシリンコス・パピルス)
ここには記載しないが、42のアグラファが存在する。
[[フィリポによる福音書]]34
>なぜならば主が私に言ったのです。
>>「あなたが低きものを高きものに、左のものを右のものに変えない限り、あなたは私の王国に入ることはできない。」
[[使徒教会条例(Apostolic Church-Ordinance)>使徒教会条例]]26
>なぜならば彼(イエス)は我々に以前、彼が説教しているときに言ったのです。
>>「弱いものは、強いものを通して守られなければならない」
**使徒教父文書
ユスティノスの『ユダヤ人トリュフォンとの対話』 47
>それゆえ、主イエスもまた言ったのです。
>>「どんなことであれ、私があなたを裁く場合には、私はあなたのことを把握する。」
アレクサンドリアのクレメンスの『ストロマテイス』 I, 24, 158
>「まず大いなるものを求めよ。そうすれば小さなものは、それに加えてあなたがたに与えられるであろう。」
アレクサンドリアのクレメンスの『ストロマテイス』 I, 28, 177
>「実に聖書もまた、われわれがこのような弁証法的な存在となることを望み、こう勧告している。
>>「思慮ある両替商たれ。」」
アレクサンドリアのクレメンスの『ストロマテイス』 V, 10, 63
>「主がこう告げ知らせるのは妬みの故ではない。」
>「わたしの神秘はわたしのため、またわたしの家の息子たちのためである。」
オリゲネスのエルサレムでの講話 XX, 3:
>しかし、救い主自身、言っておられる。
>>「私の近くにいる者は、火のそばにいる。私の近くにいない者は、御国から遠く離れている。」
[[Wikipedia:アグラファ>>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%95%E3%82%A1]]
*福音書
無数にあるためここでは割愛する。
*アグラファ
アグラファ(ἀγράφα, agrapha)とは 「書かれざるもの」という意味である。現行の新約聖書の福音書には収録されていないが、その他の初期キリスト教文献で言及されているイエスの言葉を指す。
以下の三つの条件を満たすものをアグラファと定義する。
&bold(){1.語録であって、イエスについての論証ではない}
「ディダスカリア」「ピスティス・ソフィア」のような作品、イエスについての記述はあっても、彼のことばを引用していないものは、アグラファではない。
&bold(){2.イエスが語ったと、はっきり明記されている}
しかしながら、外典福音書、外典行伝、「アブガルに宛てたキリストの手紙」等々の信仰的創作に収められた語録は、アグラファではない。
&bold(){3.四福音書には含まれていない}
それゆえ、四福音書に含まれる語録への、単なる増補はアグラファではない。
**正典に含まれるもの
[[使徒言行録]]20:35:
>あなたがたもこのように働いて弱い者を助けるように、また、主イエス御自身が『受けるよりは与える方が幸いである』と言われた言葉を思い出すようにと、わたしはいつも身をもって示してきました。」
[[Ⅰコリント>コリントの信徒への手紙一]]11:23-25:
>わたしがあなたがたに伝えたことは、わたし自身、主から受けたものです。すなわち、主イエスは、引き渡される夜、パンを取り、感謝の祈りをささげてそれを裂き、「これは、あなたがたのためのわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。また、食事の後で、杯も同じようにして、「この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である。飲む度に、わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。
**外典に含まれるもの
[[トマスによる福音書]](オクシリンコス・パピルス)
ここには記載しないが、42のアグラファが存在する。
[[フィリポによる福音書]]34
>なぜならば主が私に言ったのです。
>>「あなたが低きものを高きものに、左のものを右のものに変えない限り、あなたは私の王国に入ることはできない。」
[[使徒教会条例(Apostolic Church-Ordinance)>使徒教会条例]]26
>なぜならば彼(イエス)は我々に以前、彼が説教しているときに言ったのです。
>>「弱いものは、強いものを通して守られなければならない」
**使徒教父文書
ユスティノスの『ユダヤ人トリュフォンとの対話』 47
>それゆえ、主イエスもまた言ったのです。
>>「どんなことであれ、私があなたを裁く場合には、私はあなたのことを把握する。」
アレクサンドリアのクレメンスの『ストロマテイス』 I, 24, 158
>「まず大いなるものを求めよ。そうすれば小さなものは、それに加えてあなたがたに与えられるであろう。」
アレクサンドリアのクレメンスの『ストロマテイス』 I, 28, 177
>「実に聖書もまた、われわれがこのような弁証法的な存在となることを望み、こう勧告している。
>>「思慮ある両替商たれ。」」
アレクサンドリアのクレメンスの『ストロマテイス』 V, 10, 63
>「主がこう告げ知らせるのは妬みの故ではない。」
>「わたしの神秘はわたしのため、またわたしの家の息子たちのためである。」
オリゲネスのエルサレムでの講話 XX, 3:
>しかし、救い主自身、言っておられる。
>>「私の近くにいる者は、火のそばにいる。私の近くにいない者は、御国から遠く離れている。」
[[Wikipedia:アグラファ>>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%95%E3%82%A1]]