小惑星アピン

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アランボンド教授の解析により、この天文事象は、惑星の配置が粘土板の星座盤の位置と一致したことから、紀元前3123年6月29日であったと特定され、アピンの記述は典型的なアテン群小惑星の落下の記録であると結論付けた。衝突予想地点には、クレーターはなく、この小惑星はアルプス上空で空中爆発したであろうと推定されている。 アランボンド教授はこの日、直径1.25キロほどの小惑星がアルプス上空のコフェルス(エッツタールの一部)で空中爆発し、破片が軌道を逆戻りする形で地中海一帯に帯状にばら撒かれたであろうと説明し、これはソドムとゴモラの事象のことであろうという説を述べている。さらに南アルプスの氷床コアの調査によって、紀元前3100年ころに急激な気温の低下があったという傍証的データが示されている。
ソドムとゴモラの滅亡の記録かもしれないといわれている粘土板は、古代シュメール文明のニネヴェ遺跡(写真下)から見つかった。このタブレットは、“プラニ・スフィア(星図)”と呼ばれていて、19世紀にニネーヴェの王宮図書館の遺跡でビクトリア朝時代の考古学者ヘンリー・レイヤードによって発見されたもの。 この粘土板は紀元前700年頃にアッシリア人の書記官によって作られたとされ、発見されてから、150年以上にわたり謎のままだったが、アラン・ボンドとブリストル大学のマーク・ヘンプセルが、その謎を解明した。 この円形の粘土板にはその名のとおり星図が描かれており、ふたご座・木星などの惑星と、アピンと名づけられた正体不明の矢印が書きこまれており、この天体配置があった日の明け方の5時30分ころに、4分半かけてアピンは地上に落下したという記述が残されていたという。 **アランポンド教授の解析 アランボンド教授の解析により、この天文事象は、惑星の配置が粘土板の星座盤の位置と一致したことから、&bold(){紀元前3123年6月29日}であったと特定され、アピンの記述は典型的なアテン群小惑星の落下の記録であると結論付けた。衝突予想地点には、クレーターはなく、この小惑星はアルプス上空で空中爆発したであろうと推定されている。 彼らによれば、この粘土板は、古代シュメール人による小惑星衝突の観測記録であり、それはオーストリア側のアルプス山脈にあるコフェルスで起こった天体衝突を記しているという。 このとき衝突した小惑星は直径が1.25km。ギリシャ上空で大気圏に突入し、アルプス上空で爆発を起こしたという。その威力は世界最大の核兵器の100倍であり、ツングースカに落ちた隕石の1000倍とも言われており、破片は900キロ上空にまで達し、大気圏に再突入し、地中海を越えて、ソドムとゴモラがあったとされる死海周辺にまで及んだとされる。 破片は摩擦熱を帯び、瞬間的に地表温度は400度まで上昇したとされるため、小惑星の破片が飛んできた地域にいた人々は、瞬時に焼け焦げ、跡形もなく消えたと思われている。先の聖書の引用では、ロトの妻が塩柱になったと表現されているが、おそらく瞬時に焼け焦げて死海に並ぶ塩柱のような遺体が残ったのかもしれない。 この小惑星衝突こそが聖書に記されたソドムとゴモラの壊滅を引き起こしたのではないかといわれている。ソドムとゴモラの場所は特定されていないが、死海南部にあったとされている。一説ではバブ・エ・ドゥラーがソドムではないかと言われており、2万人が埋まっているという墓も発見されているという。この墓の多さがソドムの大惨事を示しているのではないかとも推定されている。 さらにこのことを裏付けるかのように、南アルプスの氷床コアの調査によって、紀元前3100年ころに急激な気温の低下があったという傍証的データが示されている。これは小惑星衝突によって、コフェルスで起こった小惑星爆発によって巻き上げられた塵や灰が地球全体を覆い、何カ月も太陽光を遮ったため、大規模な気候変動が起き、地球の大部分が急激に冷え込んだ証拠だと言われている。

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