宗教多元性

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宗教多元性 - (2017/08/11 (金) 20:07:35) のソース

*ジョン・ヒック(John Hick)の説いた宗教多元性
ジョン・ヒックはキリスト教徒の哲学者で、宗教多元論の主唱者として最もよく知られている。もともとは伝統的な福音主義者であったが、文化的・宗教的な多様性が現に存在しているという事実を、神の愛と一致させる問題を考えることを通じて、次第に多元論へと向かっていった。彼の説いた宗教多元論は多くのものに影響を与えている。

**キリスト教以外の信仰者は死後どうなるのか
もし、キリスト教が伝統的に教えられてきたように、キリストへの信仰を唯一の救済の手段とするならば、&bold(){そもそも福音や永遠の罰について何も聞いたことのない人々は神によって捨て去られ、永遠の破滅へと向かうことになる。}これはセオドア・ドレンジによる「不信仰からの論証」の背後にある考えであり、ヒックが宗教多元論へと移行していったことの背景となっている考えでもある。宗教的信仰とは、大部分において文化の産物であるように見える。&bold(){世界の圧倒的多数の人々は、自分で自らの信仰を選んだとは言い難く、その多くは生まれた地域や時代、またその家族の信仰を受け継いでいる。そうした人々は、キリスト教の福音なるものを受け入れる素地を持たない。}しかし、伝統的、福音主義的、排他主義的なキリスト教の信仰によれば、そうした人たちでさえ、罪のうちに死ぬことが確実なのであり、また、多くの(全てではない)キリスト教の教派の主張によれば、彼らは厳しく非難され、救いを受けることができないとされている。ヒックはこのことが&bold(){キリスト教の神の愛についての教えと相容れない}のではないかと考えた。ヒックの見解によれば、&bold(){現に他の宗教が存在しているのだから、福音主義的なキリスト教の教えは不整合に陥っている}のである。
ヒックはまた包括主義をも否定する。これは他宗教をキリスト教の亜種もしくは変形としてとらえるものであり、キリスト教優越主義というドグマを脱したものではないと主張する。
ヒックへの、あるいは宗教多元論への批判者は、たいてい、&bold(){福音について聞いたことのない人々がいることを否定する}か、&bold(){これら無知な不信仰者は地獄に落ちるということを否定する}かのどちらかである。さらには、この地獄行きの永遠の断罪は神の愛とは相容れないということを否定する人々もいる。

**諸宗教は「真実在」への応答…キリスト教の優越性を否定
ヒックのこの問題に対する答えは、&bold(){宗教的な真理というものを、文化および個々の人間に対して相対的なものとして見る}というものである。彼はキリスト教の排他主義を間違ったものとして退ける。その一方で、&bold(){他の様々な宗教を、それぞれがその文化や伝統などに基づいた形での、「真実在」への適切な応答だとみなす}のである。これはキリスト教を含めた一神教に強いとされる『万民のための神』という思想に、多神教に強いとされる『神の多元性』という考え方を組み合わせたものともいえ、&bold(){諸宗教の根幹精神における一致と現実の形態の多様性を共に承認し、共存の柱とするもの}である。
ヒックは三位一体を拒絶し、イエスは神の霊に満たされ、愛と慈悲に満ち溢れた偉大な預言者であり、キリスト教徒の指針であるが神そのものではなく人間であるとしている。これは『キリスト教が受肉した神自身により打ち立てられた』という信仰が、レイシズム、植民地支配、キリスト教優越主義など歴史上多くの罪悪を正当化してきたという批判が前提となっている。神の受肉という教義は、あくまでもメタファー(比喩)として考えるべきであるというのが彼の考えである。

**「生まれ変わり」について
ヒックは論文「位格の復活」 ("Resurrection of the Person") の中で、死後の生に関しての理論を提示している。この論文で彼は、突然死してどこか他の場所でその人の「生まれ変わり」として「生まれ変わった」人はもとの人と同じ人物である、と説明するのがもっとも合理的だと主張した。それゆえ彼によれば、人が(神によって新しい世界へと「生まれ変わらされる」という仕方で)同一性を保ちながら、異なる世界に存在することが論理的に可能なのである。ただしそれは、何らかの異なる形式においてであろうが。