ナグ・ハマディ写本

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  • ナグ・ハマディ写本
    ナグ・ハマディ写本(The Nag Hammadi Codices)あるいはナグ・ハマディ文書(The Nag Hammadi library)とは1945年に上エジプト・ケナ県のナグ・ハマディ村の近くで見つかった初期キリスト教文書のことである。ナグ・ハマディ写本は、二十世紀最大の考古学的発見に数えられており、事実、初期キリスト教の研究を飛躍的に進展させた。ナグ・ハマディ写本は、古代キリスト教を知るための原資料としては死海写本につぐ重要性を持つと見なされている。 現在、最も有力な説は、発見場所の近くに「パコミウス共同体」と呼ばれる原始キリスト教の修道院が存在したことが分かっている。ここは、正統派(?)ともグノーシス派とも、明確な区別の付かない共同体であったらしい。367年にアレクサンドリアの司教アタナシオスが、「正伝の27文書」以外の新約聖書は全て焼き捨てよ、と言う命令をエジプト中...
  • 写本(新約聖書外典)
    ...ンコス・パピルス ナグ・ハマディ写本(内容:1-2世紀、写本:3-4世紀、コプト語) ベルリン写本(内容:1-2世紀写本、写本:5世紀、コプト語) チャコス写本(写本:3世紀、コプト語) http //www.smile-kai.com/report/20120613matsuzakiresume.pdf
  • フィリポによる福音書
    1945年にエジプトで見つかったナグ・ハマディ写本に含まれていた初期キリスト教のグノーシス主義的な文書で、正典に取り入れられなかった外典の一つ。 ナグ・ハマディ写本はコプト語で書かれている。もとは2世紀後半に東シリアで成立したと考えられている。 『フィリポによる福音書』と呼ばれているが、本文中に使徒の名前はフィリポしか登場しないので、そう呼ばれているだけである。 福音書とは言いながら、イエスの言行の記録は他のものに比べて少なく、話の一貫性もあまり備えない。初期キリスト教のグノーシス主義的な思想にもとづき箴言や戒め、論考などを記した抜粋集のような形式である。 マグダラのマリアに関して、イエスの伴侶と紹介され、イエスが彼女をすべての弟子たちよりも愛していたとの記述が話題を呼んでいる。 マグダラのマリアは2カ所で触れられている。 フィリポ32 三人の者がいつも主と共...
  • エジプト人の福音書(ギリシャ語)
    ... グノーシス派のナグ・ハマディ写本に含まれるコプト語のエジプト人福音書は別物である。
  • ペトロの黙示録
    ...しか残存していない。ナグ・ハマディ写本にその一部が含まれていた。 かつては非常に重要とされた文書で、2世紀末から3世紀末にかけて活躍したアレクサンドリアのクレメンスはこれを引用しており、5世紀のパレスチナ教会では復活祭直前の金曜日の礼拝に朗読された。また2世紀末から3世紀初頭に編まれたとされる『ムラトリ断片』にも正典の一つとして挙げられている。 グノーシスの神話:http //gnosticthinking.nobody.jp/gnosismyth018.html
  • 外典福音書
    ...シス派の外典福音書 ナグ・ハマディ写本 トマスによる福音書 [2世紀末頃] フィリポによる福音書 [2世紀後半] その他 マリアによる福音書(マグダラのマリア福音書) ユダの福音書 救い主による福音 マリアの「ゲンナ」 ケリントスの福音書 バシリデスの福音書 イエスの幼児期を伝える外典福音書 ヤコブによる原福音書(ヤコブ原福音書) [2世紀] トマスによるイエスの幼時物語 [2世紀末] http //d.hatena.ne.jp/odd_hatch/20150108/1420667497
  • グノーシス主義
    ...の聖典を有する。 ナグ・ハマディ写本が最も有名な写本であり、他にベルリン写本などがある。 歴史書(天界成立神話) エジプト人の福音書(コプト語) 真理の福音 ヨハネのアポクリュフォン 外典福音書 トマスによる福音書 [2世紀末頃] フィリポによる福音書 [2世紀後半] マリアによる福音書(マグダラのマリア福音書) ユダの福音書 救い主による福音 マリアの「ゲンナ」 ケリントスの福音書 バシリデスの福音書
  • 新約聖書外典
    ...聖典が治められているナグ・ハマディ写本も外典の集まりといえる。 http //homepage2.nifty.com/butuUkai/bible/ http //elbaal.web.fc2.com/new-tes-apo.htm 聖書外典・偽典に関して日本語で読める主な文献のリスト バルバロイ
  • ユダの福音書
    ...えられない。しかし、ナグ・ハマディ写本などとともにグノーシス主義を含むキリスト教初期の潮流を知る資料として注目されている。 グノーシスの神話:http //gnosticthinking.nobody.jp/gnosismyth015.html http //www.marino.ne.jp/~rendaico/jesukyo/christokyoshi_1/fukuinsyogaidenco.htm http //james.3zoku.com/kojintekina.com/monthly/monthly70302.html http //mandalaya.com/juda.html
  • マリアによる福音書
    ...あって公刊が遅れ、『ナグ・ハマディ写本』の発見後1955年になってようやくテキスト全体が公刊された。 『ベルリン写本』は『ナグ・ハマディ文書』とは別個の写本であるが、同様にサヒディック方言のコプト語で書かれており、ギリシア語原書より翻訳されたものと考えられている。前半および中ほど数ページに欠損があり、残っている部分にも欠落が多く、現存している写本は本来の文書のおそらく半分程度と思われる。 構成 前半では、復活した救い主(イエス・キリスト)が弟子たちの質問に答えて啓示を述べ与える対話と、それを受けた弟子たちの間の反応が記されている。 マリアは文書後半部分に登場する。写本では「マリハム」と記されているが、この登場人物はキリスト教の『新約聖書』中に登場するマグダラのマリアのことであると考えられている。 後半部分の概要は次のようになっている。 救い主から福音の宣...
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    ...リンコス・パピルス ナグ・ハマディ写本 ベルリン写本 チャコス写本 異端文書ヘルメス選集 エイレナイオス『異端反駁』 エピファニオス『薬籠』 ヒッポリュトス『全異端反駁』 校訂本(旧約聖書)マソラ本文(TAN) 校訂本(新約聖書)テクストゥス・レセプトゥス(公認底本) ウェストコット・ホート ネストレ・アーラント 翻訳七十人訳聖書(SEP) ペシタ訳 タルグム ヘクサプラ ヴルガータ(VUL)グーテンベルク聖書 現代語訳聖書英語訳聖書 日本語訳聖書 ここを編集
  • トマスによる福音書
    『トマスによる福音書』は、1945年にエジプトで見つかった『ナグ・ハマディ写本』群に含まれていた文書で、114の文からなるイエスの語録集である。本文中に使徒トマスによって書き記されたとあるので、この名がある。 なお、現行の新約聖書には含まれないという点では、外典である。コプト語で書かれてた。 アフラファを多数含むことで有名である。 オクシリンクス・パピルス(Oxyrhynchus Papyrus)1/654/655 トマスの福音書との共通性が認められる断片である。こちらはギリシャ語である。 なお、オクシリンクス・パピルス1のことをオクシリンクス・ロギア(Oxyrhynchus Logia)と呼ぶ。 対照表 トマス マタイ マルコ ルカ ヨハネ OxyP Ⅰコリント 1 - - - 8 51-52 - - 2 5 43-487 7-12 - 6 27-3611 9-13...
  • マグダラのマリア
    ...る福音書』(断片)、ナグ・ハマディ写本からの『トマスによる福音書』、『フィリポによる福音書』などが発見された。 これら外典の中にマグダラのマリアは、イエスとの親密な様子のみならず、男性たちと並ぶイエスの弟子として現れる。これら最新の聖書研究はイエス宣教の旅での女性たちの役割や、マグダラのマリアの地位を見直させることとなった
  • 写本(旧約聖書)
    旧約聖書の原文はヘブライ語で書かれている。 したがってヘブライ語で書かれた写本についてのみここでは扱う。 新約聖書の写本も旧約聖書は含むが、それらはここでは扱わない。 マソラ本文以前のもの 死海文書(紀元前2世紀~紀元後1世紀) ナシュ・パピルス(紀元前1世紀) エン・ゲディ文書(紀元後3~4世紀以前) ゲニザ断片(紀元後6~8世紀) マソラ本文 カイロ写本(895年) アレッポ写本(930年) レニングラード写本(1008年) ベン・アシェル本 旧約聖書の本文はセム語の通例で子音字だけで書かれていたので、ヘブライ語が死語になってからは正しい読み方を示すくふうがなされ、6世紀ごろから10世紀にかけて、マソラ(伝承)学者によって母音を指示する字外音標つきの校訂本文が作成された。字外音標の方式は複雑に発達したが、その後に継承された『マソラ本文』はパレスティナのティベリアスを中心と...
  • アレクサンドリア写本
    アレクサンドリア写本(大英図書館蔵)は、旧約聖書のギリシア語訳の七十人訳聖書の多くの巻と新約聖書を含む5世紀のギリシア語聖書写本である。羊皮紙にアンシャル体で書かれている。表記記号はA。 アレクサンドリア写本の名称は正教会のコンスタンディヌーポリ総主教キリロス・ルカリスから来る。シナイ写本、バチカン写本とともに、初期のまた多くの巻数を含む、聖書の写本の一つである。シナイ写本以前は、英国で最も優れた写本だった。当初820葉あったと思われるもののうち、773葉が大英図書館のジョン・リブラット・ギャラリーに展示されている。 マタイによる福音書の大部分、および創世記、詩篇、ヨハネによる福音書、コリントの信徒への手紙二の一部は欠落している。 キリロス・ルカリスは、エジプトのアレクサンドリアの総主教だった時に膨大な書物を所蔵していたが、コンスタンディヌーポリ総主教になった時にアレクサ...
  • バチカン写本
    バチカン写本(Codex Vaticanus, バチカン図書館 gr. 1209; B/03)は聖書の写本のひとつである。4世紀に作られた旧約聖書・新約聖書のギリシア語写本で、羊皮紙にアンシャル体(大文字)を使って書かれており、759葉からなる冊子本(コデックス)の体裁になっている。分類記号はBである。 バチカン写本は、シナイ写本、アレクサンドリア写本と並び現存する三大ギリシャ語写本の一つである。 マカバイ記第1から第4およびマナセの祈りを除く七十人訳聖書全巻と、4福音書、使徒行伝、一部のパウロ書簡、ヘブライ人への手紙の途中まで(9 14 καθαριειまで)を含み、公同書簡とフィレモンへの手紙を欠く。またヨハネの黙示録も収録されていない。原写本にない箇所は、15世紀の写本で補われている。 新約聖書写本の型としてはアレクサンドリア型の最古層かつ代表的なものである。また旧...
  • シナイ写本
    シナイ写本(Codex sinaticus)は聖書の写本のひとつでコデックス(冊子本)の形状のものである。4世紀ごろのものと考えられており、1844年にモーゼの出エジプトの故事にゆかりの深いシナイ山の聖カテリナ(カタリナ)修道院でドイツの聖書学者・コンスタンティン・フォン・ティッシェンドルフ(ドイツ語版)によって発見された。分類記号はא(アレフ)を用いる。 ギリシア語で書かれ、旧約聖書の一部(七十人訳聖書)と、新約聖書のほとんどを含む。カトリック教会が第二正典とするバルク書を含まず、マカバイ記4を含んでいる。ロシア皇帝アレクサンドル2世に献上されたが、ロシア革命後、1933年にソビエト連邦から売却され、大英博物館に所蔵されている。シナイ写本は単一の筆耕者によるものではなく、最初の写本に少なくとも2人が後に手を加えたことが研究によって判明している。X線検査などによって抽出されたそれぞ...
  • アレッポ写本
    記録によると、西暦930年頃の写本とされる。 シリアの町アレッポの会堂に長年保存されていた。シェロモ・ベン・ブヤァが子音本文、アァロン・ベン・アシェルが母音とアクセント記号、マソラを記した 完全なものとして最古の写本であると知られてきたが、1947年に多くのページが消失したため、現在では完全な状態での写本として最も古いものはレニングラード写本となっている。 アレッポ写本(デジタル):http //biblehub.com/ale/genesis/1.htm
  • 写本(新約聖書)
    新約聖書はギリシャ語で書かれており、したがってここではギリシャ語写本に限定して述べる。 様式による写本の分類 一般的には以下の4種類に分類される。 パピルス写本 エジプト原産の多年草であるパピルスから作成された書写材に書かれたもの。年代的にはもっとも古く、安価ながら保存的には問題があり、大半は断片で残されたもので、数も多くは内。 大文字写本 皮紙に書かれたもののうち、大文字書体(とくにアンシャル体)で書かれたもので、代表的なものにシナイ写本やバチカン写本がある。パピルス写本に次いで重要視される写本である。 小文字写本 皮紙に書かれたもののうち、小文字書体で書かれたもので、9世紀以降に出現するもので、大文字と比べると効率的に書くことが出来、キリスト教の拡大に伴い、その数も圧倒的に多くなるが、時代的には新しいものとなる。 聖書日課 皮紙に書かれたものの...
  • レニングラード写本
    基本的に、新約聖書の底本はレニングラード写本となる。レニングラード公立図書館所蔵の写本。旧約聖書の完本として残る写本では最古のもの。BHK第3版以降の底本。 レニングラード写本は、ティベリアのマソラ本文によれば、出版された完全体のヘブライ語聖書の最古の写本のひとつである。マソラ本文の出版記録によると作成は1008年となっている。レニングラード写本の作成年が修正されるまで、アレッポ写本のほうが最古の完全体の写本で数十年古いとされてきたが、1947年以来アレッポ写本の一部が紛失し、レニングラード写本が、今日まで無傷で現存している、ティベリアのマソラ学者による最古の完全体の写本となった。 コロフォン(奥付)によれば,「エジプトの大いなる都市」(=カイロ)で、シェムーエール・ベン・ヤァーコーブが子音本文、母音、アクセント記号、マソラすべてを書いたとされている。また、ベン・アシェル本...
  • カイロ写本
    Codex Cairensis (カイロ預言者写本) 895年に作成された。日付のある最古のコーデックス(冊子本)。預言書を含む。 コロフォン(奥付)によれば,モーシェ・ベン・アシェルがティベリアスで作成したもの。
  • ムハンマドの生涯
    ムハンマドの生涯は、預言者伝とも訳されるスィーラに書かれているが、ここではもっとも重要なスィーラである『神の使徒の伝記』をもとに記述する。 ムハンマドの出自 イブン・ヒシャームによれば、アブラハムの出自は次の通りであるという。 イブン・ヒシャームによる『神の使徒の伝記』冒頭 これは、神の使徒の伝記である。 アーダムの息子のシィース、シィースの息子のヤーニシュ、その息子のカイナン、その息子のマハリール、その息子のヤルド、その息子のアフヌーホ(神のみがご存知であることであるが、彼は、アーダムの息子たちのうちで最初に神から預言と読み書きの能力を授かった預言者、イドリースと思われる)、その息子のマットゥーシャラハ、その息子のラムク、その息子のヌーホ、その息子のサハム、その息子のアルファクシャズ、その息子のシャーリフ、その息子のアイバル、その息子のファーリフ、その息子のラーウ...
  • カナンを偵察した斥候の報告
    カナンに関する報告に関しては、民数記と申命記に記されている。この語、38年間の放浪と、イスラエルの敗北が起こる。 民数記の記載 はじめにモーセは、主の命令により、12人にカナンの偵察を行わせた。 民数記13章1-20節 主はモーセに言われた。「人を遣わして、わたしがイスラエルの人々に与えようとしているカナンの土地を偵察させなさい。父祖以来の部族ごとに一人ずつ、それぞれ、指導者を遣わさねばならない。」 モーセは主の命令に従い、パランの荒れ野から彼らを遣わした。彼らは皆、イスラエルの人々の長である人々であった。その名は次のとおりである。(略。各部族から1人ずつ、計12人を任命した。)以上は、モーセがその土地の偵察に遣わした人々の名である。モーセは、ヌンの子ホシェアをヨシュアと呼んだ。 モーセは、彼らをカナンの土地の偵察に遣わすにあたってこう命じた。「ネゲブに上り、更に山を登...
  • エン・ゲディ文書
    エン・ゲディ文書(Ein Gedi scroll) エン・ゲディ文書の内容は長年、永遠に失われたと考えられてきた。6世紀に起きた火災で巻物が焼け、触れると崩れて灰の塊になってしまう状態となっていたためだ。 エン・ゲディ文書の巻物は1970年、イスラエル・エン・ゲディにある、紀元前8世紀末から存在した大規模なユダヤ人集落の遺跡で、考古学者らによって発見された。巻物の断片は数十年間、イスラエル考古学庁(IAA)に保管されていた。 その状態については、「触れるたびに粉々になってしまう炭の塊になっていた」と論文では説明された。そこで研究では、巻物を「バーチャル」に開き、書かれている内容を高性能のデジタルスキャンツールで調べた。マイクロCTスキャンでは、インクに含まれる金属の痕跡を見つけることができた。 巻物がコンピューター上で開かれるまで、この遺物についてはトーラー...
  • エノク書
    エノク書(ヘノク書)は、長い間エチオピア教会において正典としてエチオピア語訳でその全体が伝えられてきた。そのエチオピアでエチオピア語訳の写本は多くあったが、1773年そこに旅したジェイムス・ブルースがその写本を三つ英国に持って帰った。その一つがローレンス大司教によって訳され、1838年に出版された。 それ以来エチオピア語訳エノク書の写本が西欧に多く持って来られ、その本文が刊行され、またそれに基づいて翻訳も相次いだ。 本文の刊行はA・ディルマン(1851年)、J・フレミング(1902年)、R・H・チャールス(1906年)によるものがあり、最近のものとしてM・A・ニッブ(1978年)がある。 日本語訳は、ディルマンの本文に基づいて村岡崇光氏によってなされている。(『聖書外典偽典』4、旧約偽典II、教文館、1975年、161-202、339-389) ギリシア語訳は、部分的に発見...
  • ペシタ訳
    ペシタ訳(Peshitta)は聖書の古シリア語訳(東方アラム語訳)である。 「ペシタ」という名前は、9世紀にシリア語の標準的で一般的な聖書として最初に受け入れられたもので、モシェ・バル・ケファ(Moshe bar Kepha)によりそう名づけられた。とはいえ、ペシタ訳がその名をとどめる前にも、明らかに長く複雑な歴史があった。事実、ペシタ訳は旧約聖書と新約聖書で別々の翻訳作業がなされたのである。 ペシタ訳旧約聖書 ペシタ訳旧約聖書はシリア文学の最初期のもので、おそらく2世紀に書き始められたものである。大多数の初期キリスト教会がギリシャ語七十人訳聖書に頼り、旧約聖書もそれを翻訳したのに対し、シリア語を母語とする教会は旧約聖書をヘブライ語から直訳したのである。翻訳の原写となったヘブライ語本文は、中世または現代のヘブライ語聖書にあるマソラ本文と極めてよく類似したにちがいない。昔の研...
  • ウェストコット・ホート
    新約聖書の校訂本の一つである。 ギリシャ語原語による新約聖書(The New Testament in the Original Greek)は1881年に出版された新約聖書のギリシャ語版の名前である。これは、編纂者のケンブリッジ大学の学者ブルーク・フォス・ウェストコットとフェントン・ジョン・アンソニー・ホートにちなみウェストコット・ホートと略称されている。19世紀の新約聖書の本文批判(本文批評)の集大成といえるものとして、極めて重要な成果である。 ウェストコットとホートは極めて多数存在する新約聖書のギリシア語写本を4つの型に分類した。 最新のもの、すなわち本文批判上最も価値がないのはシリア型ないしはビザンティン写本型で、それらから構成されたのが従来広く使用されてきたテクストゥス・レセプトゥスである。 西方型写本はそれより古いが、意訳の傾向があり、そのため信頼性も欠ける...
  • クルアーン
    クルアーン(قرآن qur’ān)あるいはコーランは、イスラーム教(イスラーム)の聖典である。イスラームの信仰では、唯一不二の神(アッラーフ)から最後の預言者に任命されたムハンマド(c.570-632)に対して下された啓示と位置付けられている。啓示はムハンマドの生前、40歳の頃から始まり、多くの書記によって記録され、死後にまとめられた現在の形は全てで114の章(スーラ)からなり、約8万語のアラビア語の散文および韻文からなる。 クルアーンは、読誦して音韻を踏むように書かれている。「クルアーン」という名称はアラビア語で「詠唱すべきもの」を意味し、アラビア語では正確には定冠詞を伴って「アル=クルアーン」と呼ばれる。キリスト教の主の祈りに比される冒頭の「開扉の章」(ファーティハ)を除き、長い章から順に配列されている。教徒にとってはアッラーの神のことばそのもの、永遠なるつくられざる神の意志...
  • 死海文書
    1947年以降、死海の北西(ヨルダン川西岸地区)にある遺跡ヒルベト・クムラン (Khirbet Qumran) 周辺で発見された972の写本群の総称。主にヘブライ語聖書(旧約聖書)と聖書関連の文書からなっている。。主にヘブライ語聖書(旧約聖書)と聖書関連の文書からなっている。 死海文書はヘブライ語聖書の最古の写本を含んでいて、宗教的にも歴史的にも大きな意味を持ち、第二神殿時代後期のユダヤ教の実情をうかがわせるものでもある。文書は大部分がヘブライ語で書かれており、二割ほどのアラム語文書と、ごくわずかなギリシア語文書およびアラム語の方言であるナバテア語の文書を含んでいる。多くは羊皮紙であるが、一部パピルスもある。文書の成立は内容および書体の分析と放射性炭素年代測定、質量分析法などから紀元前250年ごろから紀元70年の間と考えられている。 死海文書の内容は大きく分けて三つに分類す...
  • ハディース
    ハディース(الحديث al-ḥadīth(伝承)Hadith Nabawi)は、イスラム教の預言者ムハンマドの言行録。クルアーンがムハンマドへの啓示というかたちで天使を通して神が語った言葉とされるのに対して、ハディースはムハンマド自身が日常生活の中で語った言葉やその行動についての証言をまとめたものである。クルアーンが第一聖典であり、ハディースが第二聖典とされる。ただし、ハディースの一部はクルアーンよりも優先されると考えられるときがある。クルアーンと異なり、一冊の本にまとまっているような類のものではない。伝えられる言行一つ一つがハディースである。 代表的なハディース集成書 スンナ派の六大真正ハディース集成書(六書/Kutub al-Sittah) 主に9世紀から10世紀に編纂された。 『ブハーリーの真正集(Sahih Bukhari)』アル=ブハーリー(Imam Bukha...
  • ゲニザ断片
    カイロのゲニザ断片は、エジプトのカイロにある古いユダヤ教の会堂(882年建造)の倉であったところから 19世紀の終わりに発見された使用済みの写本やその断片をいう。 ゲニザとは使用できなくなったり、使用されない写本や写本断片を保存しておくための倉のことである。 そこから聖書や聖書外文書の写本やその断片が発見された。 聖書ではヘブライ語のシラ書の写本が始めて入手された。それまではただギリシア語でのみ伝えられてきていた。 ここで発見されたヘブライ語のシラ書本文は、そのギリシア語訳本文の全文ではないが、およそその3分の1である。 聖書外文書としてはクムランの洞窟からも発見された『ダマスコ文書』がある。 カイロのゲニザ断片中の聖書本文は西暦6-8世紀のもので、マソラ本文の子音文字とは異読がなく、 マソラ本文が忠実に筆写されたことを示唆していた。 母音記号は子音文字の上に付けられるもので、バビロンとパ...
  • ヒブリア・ヘブライカ・シュトットガルテンシア
    『ビブリア・ヘブライカ・シュトゥットガルテンシア』(Biblia Hebraica Stuttgartensia;略称BHS)は、レニングラード写本に保存されたヘブライ語聖書マソラ写本の版であり、マソラ本文と本文批評の注釈の付録が載せられている。シュトゥットガルトのドイツ聖書協会により発行され、日本では日本聖書協会から販売されている。 BHSはルドルフ・キッテルが編纂した『ビブリア・ヘブライカ』(Biblia Hebraica;BHK)の改訂版である。BHKはその初期から、レニングラード写本に基づいて印刷された聖書であった。BHSの脚注は完全に改訂された。BHSは1977年に1冊にまとめられ、その後幾度も再刷された。 BHSの本文はレニングラード写本に記されたマソラ本文の(わずかな誤写を除けば)正確な複写である。ヘブライ語聖書各書の順番はレニングラード写本に倣っており、聖文...
  • ビッグ・バン
    キリスト教では、宇宙は神の一声で始まったとされている。 創世記1 1-5 初めに、神は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第一の日である。 現在科学では、宇宙には始まりがあることは常識になっている。ビッグ・バンである。 時の教皇ピウス12世は、ローマ教皇庁科学アカデミー議長もつとめたルメートルらの発見は神の創造を科学的に証明したものだと発言し、「ビッグバンはカトリックの公式の教義に矛盾しない」との声明を発表した。 また、教皇フランシスコは次のように語っている。 世界は、何か他に起源を持つようなカオス(混沌)の中から始まったのではありません。 しかし...
  • 校訂本(旧約聖書)
    旧約聖書の校訂本は、新約聖書とは異なり、現在ヘブライ語聖書の学術的な校訂本を作成するときは基本的に、レニングラード写本に記載されたマソラ本文をもとにしている。これは、ユダヤ教では、古くなり使えなくなった写本は必ずゲニザ(Genizah)に収容され、その後手続きを踏んで廃棄される(焼かれる)ため、古い時代の写本は存在しないためである。 現在では、信用のある校訂本としては以下の二つが知られている。 ルドルフ・キッテルのビブリア・ヘブライカ (BHK) ヒブリア・ヘブライカ・シュトットガルテンシア(ドイツ聖書協会)(BHS)
  • 校訂本(新約聖書)
    新約聖書はオリジナルのギリシア語テキストがあらわされて以降、多くの人々によって筆写され、無数のテキストが作られたが、写本製作の過程におけるミスや意図的な改変により多くの異読が生まれた。(これについては写本(新約聖書)を参照されたい) 16世紀の初頭、スペインの摂政フランシスコ・ヒメネス・デ・シスネロス枢機卿やオランダの人文学者デジデリウス・エラスムスらが初めてテキストの批判的校訂に取り組んだ。これが現在、テクストゥス・レセプトゥスの初稿として知られる者である。以来、よりオリジナルに近いテキストを目指して校訂が繰り返されてきた。 校訂の方法自体はエラスムスの時代から変わらない。まず、できる限り多くの写本を収集し、一字一句比較検討する。次に異読が見られるものに関してはそれぞれの写本の成立時期や信頼性を考慮したうえでもっともオリジナルに近いと考えられるものを採用し、本文を確定して...
  • マソラ本文
    マソラ本文(英 Masoretic Text)とは、ユダヤ教社会に伝承されてきたヘブライ語聖書のテキストをいう。ユダヤ教の成立以後にそれぞれの時代ごとにソーフェリーム、タンナイーム、アモライーム、マソラ学者などと呼ばれる宗教的指導者であり宗教学者でもあるグループがさまざまな編集を加えたものである。ヘブライ語のマソラ (מסורה) とは伝統の伝達のことを示す語である。 レニングラード写本やアレッポ写本がこれに含まれる。 なお、マソラ本文と七十人訳聖書には食い違いも見られるが、新約聖書では旧約聖書から引用が行われる際、七十人訳から引用をしている。また、近年発見されたクムラン写本(死海文書)の研究により、七十人訳の方がクムラン写本に近いことがわかった。このことから、七十人訳の方がマソラ本文よりもより正確に旧約聖書の原型を伝えている可能性が明らかとなった。 当サイトのマソラ本...
  • ヨベル書
    ヨベル書は創世記の外典である。なお、死海文書(クムラン写本)の外典創世記とは別物である。 ヨベル書は、完全な形では15-19世紀に由来する四つのエチオピア語写本の中に存在する。そのうち、一つはパリに、一つは大英博物館に、一つはテュービンゲン大学図書館に保管されている。 A・ディルマンは1859年にヨベル書の本文を成立年代の若い二つの写本に基づいて公刊し、R・H・チャールズは1895年に四つの既知の写本に基づいた新しい校訂本をこれに続けた。 M・A・ケリアニは1861年にラテン語訳の断片を出版した。これは本文の四分の一を含んでいるが、1874年にH・レンシュにより新しい校訂方法によって再度公開された。 エチオピア語版もラテン語版もそれに由来しているギリシア語訳の引用が、エピファニゥスの"Περι μετρων και σταθμων〔度量衡について〕"に見出...
  • 翻訳
    新約聖書はギリシャ語で書かれたため、原典はヘブライ語ではない。ヘブライ語版は近代になって翻訳されたもののみであり、Franz Delitzschによる『ברית חדשה (Berit Khadasha), Hebrew New Testament』(1877年出版) と、Salkinson-Ginsburg訳の『Ha-Berit ha-Ḥadashah』(1877年翻訳、1886年出版)の二つが重要である。 主な翻訳 旧約聖書 七十人訳聖書(SEP)(ギリシャ語、古ヘブライ語聖書に基づく、紀元前2世紀) タルグム(アラム語、原始マソラ本文に基づく、紀元後2世紀) 旧約・新約両聖書 ペシタ訳(古シリア語〔東方アラム語〕、旧約聖書は原始マソラ本文と七十人訳に基づく、紀元後2世紀頃) ヴルガータ(VUL)(ラテン語、旧約聖書は七十人訳と原始マソラ本文に基づく、405年)グーテンベルク聖書...
  • 聖書批評学
    聖書批評学は、主に保守派による本文批評の呼び方である。 文書について、その本文を、文学的、資料、筆者、成立年代、執筆の意図、構成、文体などを確定する作業である。18世紀以降のヨーロッパで、合理主義精神の元で、その手法が新約聖書と旧約聖書の研究に適用されるようになった。本文批評(下層批評)と歴史・文献批評(高等批評・上層批評)からなる。本サイトでは、歴史・文献批評に関しては「高等批評」と一貫して記述する。 下層批評(本文批評) 本文批評(ほんもんひひょう、textual criticism)とは、ある文書の現存する写本から、理論的に可能な限り、その文書の元来の形(Archetype)の再構成を目指す作業のこと。 古い時代の文書は、多くの場合、人の手によって写される写本の形で伝わった。写本の際には、単なる誤記・脱字のミスや、誤記・脱字の範囲を超えて意図的に原本から外され...
  • ムラトリ正典目録
    ムラトリ正典目録(英 Muratorian Canon)とは2世紀後半に書かれたと推定される新約聖書に収めるべき文書を記した著者不明の文書で、ムラトリ正典表とも呼ばれる。また、18世紀に初めて発見されたラテン語訳写本が完全なものでないために、ムラトリ断片、ムラトリ断章(英 Muratorian Fragment)などとも呼ばれる。 この文書に言及した古代の書物は現在にいたるまで知られておらず、イタリアのミラノにあるアンブロジアーナ図書館で当時そこの司書をしていた文献学者のルドヴィーゴ・アントーニオ・ムラトーリがその写本を発見し、1740年に出版して初めて知られることになった。 発見された写本は、76葉の皮紙からなるコデックスの一部であり、各葉は縦27センチ、横17センチである。質の良くないラテン語のものではあるが、11、12世紀に作られた別の四つの写本との比較により写本の誤...
  • アンデレ行伝
    聖アンデレの事蹟を述べた新約正典以外の文書としては、外典「アンデレ行伝」がある。これは「ヨハネ行伝」「ペトロ行伝」「パウロ行伝」「トマス行伝」とともに、レウキウス (Leucius) という人物による書物とされて、8世紀頃まで広く流布しており、エウセビオスやアウグスティヌスの著作にも言及がみられる。 「アンデレ行伝」の成立年代は最近の研究によって従来の説よりも早められ、190年よりも以前と考えられている。 しかし大部分が紛失。残っているのは宣教するアンドレが捕らえられ、獄中で説教し、十字架刑を待っているところである。ほとんどはアンドレの独白で、性的禁欲主義を主題とすることからグノーシス主義に近い。 「アンデレ行伝」("VITA ANDREAE") はいくつかの写本が残っているが、ほとんどは原アンデレ行伝が大幅に加筆されたものと考えられている。原アンデレ...
  • テクストゥス・レセプトゥス
    新約聖書の校訂本の一つである。 テクストゥス・レセプトゥス(ラテン語 Textus Receptus:「受け入れられたテキスト」の意味、和:公認底本)は、デジデリウス・エラスムスとオランダの人文学者たちによって校訂され、1516年に印刷されたギリシア語新約聖書本文のこと。共認定本とも呼ばれる。出版された最初のギリシア語新約聖書でもある。 後にウィリアム・ティンダルの英訳聖書、マルティン・ルターのドイツ語訳聖書(ルター聖書)など宗教改革期以降に作られた多くの翻訳聖書の底本として用いられ、正統的な新約ギリシア語本文としての権威を得た。が、近代になると、聖書学者たちはテクストゥス・レセプトゥスのもととなったギリシア語写本は東ローマ帝国からもたらされたビザンティン型に属するもの(小文字写本)で古くても12世紀以前にはさかのぼらないことを明らかにし、より古く、より良質な写本によって...
  • ペトロによる福音書
    『ペトロによる福音書』は、キリスト教の正典に取り入れられなかった外典福音書の一つ。 『ペトロによる福音書』は3世紀の教父文書に言及されており、キリスト教の正典に取り入れられなかった外典に属する福音書として、その存在が知られていた。 19世紀末、エジプトで発見されたパピルス冊子の中に、その一部とみられる写本が発見された。写本は8-12世紀のものと推定される。 内容はイエスの受難劇のうち裁判の最後の部分に始まり、磔刑と埋葬、復活の場面が語られ、ガリラヤ湖でペトロたちの前に復活したイエスが姿を見せる直前で途切れている。これがキリスト教初期に著された『ペトロによる福音書』の一部ではないかとされる。 もともとの『ペトロによる福音書』は、『マタイによる福音書』などと同様に、イエスの生誕から受難、復活までを記した福音書の形態を備えていたと見られるが、現在知られるのは、上記写本にあ...
  • ルドルフ・キッテルのビブリア・ヘブライカ
    ビブリア・ヘブライカ(Biblia Hebraica)はヘブライ語聖書を意味するラテン語の熟語。この語は伝統的にタナハの印刷版の表題に用いられた。ここではルドルフ・キッテルが編纂したヘブライ語聖書の校訂本の12の版のことを指す。 ルドルフ・キッテルのビブリア・ヘブライカ(Rudolf Kittel s Biblia Hebraica ;BHK)の最初の二つの版は1906年から1913年にかけて登場した。その二つの版の違いは軽微であり、第2版で誤記一覧が修正された。第2版は数回にわたり印刷された。どちらの版とも、1524年にヴェネツィアのダニエル・ボンバーグにより発行された Mikraot Gedolot のヘブライ語本文を複写した。この2つの版にはマソラ本文が載せられていないが、ボンベルグ版にはそれが載せられている。 主な特徴は脚注にヘブライ語本文に可能な限りの校正を記しているこ...
  • 詩篇第152-155篇
    ヘブライ語の旧約聖書には、正典の詩編が150編含まれている。 そのほかシリア語訳(ペシッタ訳)旧約聖書の写本(Mosul 1113)には詩編151、152、153、154、155がある。 詩編151は、LXXと幾つかのラテン語ウルガタ訳聖書写本にもある。これらはカトリックにとっても正典ではない(トリエント公会議の旧約正典のリストには「詩編150編」と明記されている)。 従って、これらは偽典詩編だが、詩編151、154、155のヘブライ語本文(死海文書)がクムラン第11洞窟から出土した。 またシラ51 13-19, 30のヘブライ語本文も出土した。第11洞窟と第4洞窟からは、これまで知られなかった詩編も明らかになった。 内容 詩篇第152篇:敵が彼を囲んだ時のヘゼキヤの祈り 詩篇第153篇:人々がクロス王から帰還の許可を得た時の歌 詩篇第154篇:群れから羊を奪った獅子と狼と...
  • マルコによる福音書
    マルコによる福音書(ギリシア語 Κατά Μάρκον Ευαγγέλιον、ラテン語 Evangelium secundum Marcam)は新約聖書中の一書。『マタイによる福音書』、『マルコによる福音書』、『ルカによる福音書』の三つは共通部分が多いことから共観福音書とよばれる。 ヒエロニムス以降、伝統的に新約聖書の巻頭を飾る『マタイによる福音書』の次におさめられ、以下『ルカによる福音書』、『ヨハネによる福音書』の順になっている。執筆年代としては伝承でペトロの殉教の年といわれる65年から『ルカ福音書』の成立時期である80年ごろの間であると考えられる。高等批評においても、四つの福音書の中では最も早くに書かれたと断定されており、成立年代は65年から70年頃とされている。 著者(伝承) 強いて言うならば冒頭部分だけが著者の言葉である。(マルコ1 1) 神の子イエス・キ...
  • チャコス写本
    Codex Tchacos ペテロのフィリポへの手紙 ヤコブの黙示録一 ユダの福音書 アロゲネス(異邦人)の書(仮題) http //natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/feature/0609/marbin_furoku.shtml
  • ベルリン写本
    Berlin Codex マリアによる福音書 ヨハネのアポクリフォン イエス・キリストの叡智 ペテロ行伝
  • エレミヤ書
    52章からなる。36章には、ヨヤキム(エホヤキム)王の第4年(紀元前605年)に、エレミヤが書記バルクに言葉を書き取らせたが、その巻物は王により焼かれてしまったので別の巻物に再び書いたとされており、これが『エレミヤ書』の成立と何らかの関連を持っていることが推測される。本文はヘブライ語で伝達されたものと七十人訳聖書との間に多少の相違がある エルサレム,ユダ,諸国民に対する審きと救済の預言,自身の受難記など。 著者 冒頭の記載によれば、アダム歴3320年(紀元前628年)~アダム歴3361年(紀元前587年)の預言である。 エレミヤ書1 1-3 エレミヤの言葉。彼はベニヤミンの地のアナトトの祭司ヒルキヤの子であった。 主の言葉が彼に臨んだのは、ユダの王、アモンの子ヨシヤの時代、その治世の第十三年のことであり、更にユダの王、ヨシヤの子ヨヤキムの時代にも臨み、ユダの王、ヨシヤの...
  • マソラ本文と七十人訳
    マソラ本文と七十人訳の違い マソラ本文は何百カ所もの点において七十人訳との差がある。その一例を示す。 該当部位 マソラ本文(ヘブライ語) 七十人訳(ギリシャ語) クムラン写本(死海文書)(ヘブライ語) 創世記4 8 ※なし 「野原へ行こう」 ※なし 創世記10 24 アルパクシャドにはシェラが生まれ アルパクシャドにはカイナンが生まれ、カイナンにはシェラが生まれ ※該当部位が欠損 出エジプト1 5 孫の数は全部で七十人であった。 孫の数は全部で七十五人であった。 孫の数は全部で七十五人であった。 出エジプト記12 40 イスラエルの人々が、エジプトに住んでいた期間は四百三十年であった。 イスラエルの人々が、エジプトとカナンに住んでいた期間は四百三十年であった。 イスラエルの人々が、エジプトに住んでいた期間は四百三十年であった。 申命記32 8 イスラエルの子らの数に照らして 神...
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