ペトロ行伝

聖書研究wiki@trinity_kristo内検索 / 「ペトロ行伝」で検索した結果

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  • ペトロ行伝
    新約外典の一つ。ペテロのシモン・マグスとの戦いにおける勝利,クオ・ウァディス物語,そしてペテロの逆十字架の処刑などの内容を持つ。2世紀末に小アジアで執筆されたもので,巷間の伝承を集めた信徒のための読物。《パウロ行伝》および3世紀前半の《ディダスカリア》はこの《ペテロ行伝》を用いていると思われる。当時の教会では好んで読まれたようであるが,4世紀初めの教会史家エウセビオスは,その証言の価値を否定している。 ペテロがイエスの受難のときに3度否認したことから回心して、ローマにわたって宣教し、アグリッパの奸計で十字架刑で処刑され高挙するまでが描かれる。主題は魔術師シモンとの奇跡対決。シモンはグノーシス主義者であるのだが、思想対決はなく、スペクタクルな見世物ばかり。"QUO VADIS, DOMINE?(主よ、どこへ?)" のエピソードが有名である。 内容 ペトロが...
  • アンデレ行伝
    ...れは「ヨハネ行伝」「ペトロ行伝」「パウロ行伝」「トマス行伝」とともに、レウキウス (Leucius) という人物による書物とされて、8世紀頃まで広く流布しており、エウセビオスやアウグスティヌスの著作にも言及がみられる。 「アンデレ行伝」の成立年代は最近の研究によって従来の説よりも早められ、190年よりも以前と考えられている。 しかし大部分が紛失。残っているのは宣教するアンドレが捕らえられ、獄中で説教し、十字架刑を待っているところである。ほとんどはアンドレの独白で、性的禁欲主義を主題とすることからグノーシス主義に近い。 「アンデレ行伝」("VITA ANDREAE") はいくつかの写本が残っているが、ほとんどは原アンデレ行伝が大幅に加筆されたものと考えられている。原アンデレ行伝は現存していないが、ヴァティカン図書館にあるギリシア語の写本 (Code...
  • 新約聖書外典
    ...典行伝である。 ペトロ行伝 [2世紀] パウロ行伝(パウロとテクラの行伝) [2世紀頃] ヨハネ行伝 [3世紀頃] アンデレ行伝 [2世紀末] トマス行伝 [3世紀後半] ペトロと十二使徒の行伝 外典書簡 偽パウロ書簡 アレクサンドリア人への手紙 セネカとパウロの往復書簡 [3-4世紀頃] パウロとコリント人の往復書簡(コリントの信徒への手紙三) [2世紀末] ラオディキアの信徒への手紙 偽ペトロ書簡 ペトロの宣教集 [3世紀半ば] ペトロのフィリポへの手紙 外典黙示録 イザヤの昇天 [紀元100年頃] ペトロの黙示録 [2世紀前半] パウロの黙示録 [4-5世紀] エルケサイの書 シビュラの託宣 コプト語パウロ黙示録 ヤコブ黙示録1 ヤコブ黙示録2 アダム黙示録 コプト語ペトロ黙示録 マルサネス 外典詩歌 ソロモンの頌歌 グノーシス派の外典文書 グノーシス派の聖典が治...
  • 使徒シモン・ペトロ
    ...ないが、外典である『ペトロ行伝』にも見られる聖伝ではローマへ宣教し、ネロ帝の迫害下で逆さ十字架にかけられて殉教したとされている。だとすれば、クレメンスの第一の手紙のペトロはローマでの殉教を意味していることになる。伝承では67年とされる。 また同じ伝承によると、ペトロが迫害の激化したローマから避難しようとアッピア街道をゆくと、師のイエスが反対側から歩いてくる。彼が「主よ、どこへいかれるのですか?(Domine, quo vadis?)」と問うと、イエスは「あなたが私の民を見捨てるのなら、私はもう一度十字架にかけられるためにローマへ」と答えた。彼はそれを聞いて悟り、殉教を覚悟してローマへ戻ったという。 なお、このときのペトロのセリフのラテン語訳「Quo vadis?(クォ・ヴァディス)」(「どこへ行くのですか」の意)はよく知られるものとなり、1896年にはポーランドのノーベル賞...
  • パウロ行伝
    新約聖書外典の一書。その存在は2世紀から知られていたが、1905年 C.シュミットが6世紀のコプト語によるハイデルベルク・パピルスから再構成した。パウロ行伝、パウロとテクラ行伝、ペテロとパウロ行伝、および殉教から成る。 教父たち(テルトゥリアヌス,ヒッポリュトス,オリゲネスなど)によってその存在が証言されていたが,1894年に発見されたコプト語の〈ハイデルベルク・パピルス〉によってその内容が明らかになった。パウロと女性伝道者テクラの宣教活動を描く《パウロとテクラの行伝》と,それまで別の文書と考えられていた《パウロの殉教》およびパウロの《コリント人への第3の手紙》とを含むと考えられている。テルトゥリアヌスによれば,2世紀末に小アジアの教会の長老によって執筆されたが,彼はそのことのゆえに職を追われたとされる。 2世紀ごろ小アジアで書かれたとされる。パウロの宣教の様子だが、主題は...
  • エウセビオス分類
    公認されたもの(homologoumena) マタイによる福音書 マルコによる福音書 ルカによる福音書 ヨハネによる福音書 使徒言行録 パウロ書簡13通 ペトロの手紙一 (恐らくヨハネの黙示録) 問題のあるもの(antilegomena) 知られているもの(gnorimoi) ヤコブの手紙 ユダの手紙 ペトロの手紙二 ヨハネの手紙二 ヨハネの手紙三 偽書(nothoi) パウロ行伝 ヘルマスの牧者 ペテロの黙示録 バルナバの手紙 ディダケー(十二使徒の教書) (恐らくヨハネの黙示録) (恐らくヘブライ人の福音書) 異端の書(hairetikon) ペテロによる福音書 トマスによる福音書 アンデレ行伝 ヨハネ行伝 https //www65.atwiki.jp/j/elbaal.web.fc2.com/new-tes-apo.htm
  • ペトロの否認
    裁判にかけられたイエスのことを、ペトロが知らないと3回言った逸話。 福音書によって若干の違いがある。 福音書 マルコ マタイ ルカ ヨハネ 1人目 大祭司に仕える女中の一人 一人の女中 ある女中 門番の女中 2人目 同じ女中 ほかの女中 ほかの人 人々 3人目 居合わせた人々 そこにいた人々 また別の人 大祭司の僕の一人で、ペトロに片方の耳を切り落とされた人の身内の者 共観福音書では、ペトロが中庭で火に当たっているのをみて、女中の一人がペトロに問うている。 マルコ14 54 ペトロは遠く離れてイエスに従い、大祭司の屋敷の中庭まで入って、下役たちと一緒に座って、火にあたっていた。 マルコ14 66-72 ペトロが下の中庭にいたとき、大祭司に仕える女中の一人が来て、ペトロが火にあたっているのを目にすると、じっと見つめて言った。「あなたも、あのナ...
  • ペトロの説教
    聖霊降臨を受け、人々が「酒をに酔っているに違いない」などとさまざまな噂をしていたときに、ペトロが始めた演説である。ペトロは、聖霊降臨の様子を、ヨエルの預言のことだと説明した。 使徒2 14-21 すると、ペトロは十一人と共に立って、声を張り上げ、話し始めた。「ユダヤの方々、またエルサレムに住むすべての人たち、知っていただきたいことがあります。わたしの言葉に耳を傾けてください。今は朝の九時ですから、この人たちは、あなたがたが考えているように、酒に酔っているのではありません。そうではなく、これこそ預言者ヨエルを通して言われていたことなのです。 『神は言われる。終わりの時に、 わたしの霊をすべての人に注ぐ。 すると、あなたたちの息子と娘は預言し、 若者は幻を見、老人は夢を見る。 わたしの僕やはしためにも、 そのときには、わたしの霊を注ぐ。 すると、彼らは預言する。 上では、天に...
  • ペトロの宣教集
    ペトロが主イエスの肉の兄弟で教会の監督をしているヤコブに書き送った手紙という体裁となっている。中身はペトロの講和で、モーセ、イエス、ペトロが「真の男性的預言者」であるのに対して、モーセ律法を否定するパウロは「女性的預言者」に貶められる。
  • ペトロによる福音書
    『ペトロによる福音書』は、キリスト教の正典に取り入れられなかった外典福音書の一つ。 『ペトロによる福音書』は3世紀の教父文書に言及されており、キリスト教の正典に取り入れられなかった外典に属する福音書として、その存在が知られていた。 19世紀末、エジプトで発見されたパピルス冊子の中に、その一部とみられる写本が発見された。写本は8-12世紀のものと推定される。 内容はイエスの受難劇のうち裁判の最後の部分に始まり、磔刑と埋葬、復活の場面が語られ、ガリラヤ湖でペトロたちの前に復活したイエスが姿を見せる直前で途切れている。これがキリスト教初期に著された『ペトロによる福音書』の一部ではないかとされる。 もともとの『ペトロによる福音書』は、『マタイによる福音書』などと同様に、イエスの生誕から受難、復活までを記した福音書の形態を備えていたと見られるが、現在知られるのは、上記写本にあ...
  • ペトロの黙示録
    ペトロの黙示録とは、使徒のペトロ(ペテロ)による天国と地獄の旅についての新約聖書の外典である。原典はギリシャ語で、2世紀前半に成立したと考えられている。エジプトのアフミーム(英語版)の墳墓からエノク書のギリシャ語版と共に発見された。著作全体を含むものはエチオピア語とアラビア語で書かれているものしか残存していない。ナグ・ハマディ写本にその一部が含まれていた。 かつては非常に重要とされた文書で、2世紀末から3世紀末にかけて活躍したアレクサンドリアのクレメンスはこれを引用しており、5世紀のパレスチナ教会では復活祭直前の金曜日の礼拝に朗読された。また2世紀末から3世紀初頭に編まれたとされる『ムラトリ断片』にも正典の一つとして挙げられている。 グノーシスの神話:http //gnosticthinking.nobody.jp/gnosismyth018.html
  • ペトロの信仰告白
    マルコ8 27-30 イエスは、弟子たちとフィリポ・カイサリア地方の方々の村にお出かけになった。その途中、弟子たちに、「人々は、わたしのことを何者だと言っているか」と言われた。弟子たちは言った。「『洗礼者ヨハネだ』と言っています。ほかに、『エリヤだ』と言う人も、『預言者の一人だ』と言う人もいます。」 そこでイエスがお尋ねになった。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」ペトロが答えた。「あなたは、メシアです。」 するとイエスは、御自分のことをだれにも話さないようにと弟子たちを戒められた。 マタイ16 13-20 イエスは、フィリポ・カイサリア地方に行ったとき、弟子たちに、「人々は、人の子のことを何者だと言っているか」とお尋ねになった。弟子たちは言った。「『洗礼者ヨハネだ』と言う人も、『エリヤだ』と言う人もいます。ほかに、『エレミヤだ』とか、『預言者の一...
  • ペトロの姑をいやす
    ここでは、弟子シモン・ペトロの姑を癒す話が載っている。マルコ福音書とルカ福音書では、この出来事がきっかけでイエスの名声が広がったと書いており、それゆえ、「悪霊につかれた男をいやす」→「ペトロの姑をいやす」→「ガリラヤでの最初の宣教旅行」の順だが、マタイ福音書ではこれらの逸話は書かれておらず、「ガリラヤでの最初の宣教旅行」→「山上の説教」→「ペトロの姑をいやす」という順番になっている。 マルコ1 29-34 すぐに、一行は会堂を出て、シモンとアンデレの家に行った。ヤコブとヨハネも一緒であった。シモンのしゅうとめが熱を出して寝ていたので、人々は早速、彼女のことをイエスに話した。 イエスがそばに行き、手を取って起こされると、熱は去り、彼女は一同をもてなした。 夕方になって日が沈むと、人々は、病人や悪霊に取りつかれた者を皆、イエスのもとに連れて来た。町中の人が、戸口に集まった。イエ...
  • ベルリン写本
    Berlin Codex マリアによる福音書 ヨハネのアポクリフォン イエス・キリストの叡智 ペテロ行伝
  • 使徒パウロ
    パウロ(希 Παῦλος - 65年?)は、初期キリスト教の使徒であり、新約聖書の著者の一人。はじめはイエスの信徒を迫害していたが、回心してキリスト教徒となり、キリスト教発展の基礎を作った。ユダヤ名でサウロとも呼ばれる。古代ローマの属州キリキアの州都タルソス(今のトルコ中南部メルスィン県のタルスス)生まれのユダヤ人。 「サウロ」はユダヤ名(ヘブライ語)であり、ギリシア語名では「パウロス」となる(現代ギリシャ語ではパヴロス)。彼は「使徒として召された」(ローマ1 1)と述べており、日本正教会では教会スラヴ語を反映してパウェルと呼ばれる。正教会ではパウロを首座使徒との呼称を以て崇敬する。 聖人であり、その記念日はペトロとともに6月29日(ユリウス暦を使用する正教会では7月12日に相当)である。 正教会やカトリック教会はパウロを使徒と呼んで崇敬するが、イエス死後に信仰の道に入...
  • ペトロのつまずきと弟子たちの離散の預言
    ペトロや他の弟子たちのつまずきの預言 マルコ14 26-31 一同は賛美の歌をうたってから、オリーブ山へ出かけた。 イエスは弟子たちに言われた。「あなたがたは皆わたしにつまずく。 『わたしは羊飼いを打つ。 すると、羊は散ってしまう』 と書いてあるからだ。しかし、わたしは復活した後、あなたがたより先にガリラヤへ行く。」 するとペトロが、「たとえ、みんながつまずいても、わたしはつまずきません」と言った。イエスは言われた。「はっきり言っておくが、あなたは、今日、今夜、鶏が二度鳴く前に、三度わたしのことを知らないと言うだろう。」ペトロは力を込めて言い張った。「たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません。」皆の者も同じように言った。 マタイ26 31-35 一同は賛美の歌をうたってから、オリーブ山へ出かけた。 そ...
  • 新約聖書正典
    『新約聖書』(ギリシア語 Καινή Διαθήκη, ラテン語 Novum Testamentum)は、紀元1世紀から2世紀にかけてキリスト教徒たちによって書かれた文書で、『旧約聖書』とならぶキリスト教の正典。全27巻。 「旧約聖書」「新約聖書」は、新旧の別による「旧いから無視してよい・誤っている、新しいから正しい」といった錯誤を避けるため、旧約聖書を『ヘブライ語聖書』、新約聖書を『ギリシア語聖書』と呼ぶこともある。内容的にはキリストが生まれる前までを旧約聖書、キリスト生誕後を新約聖書がまとめている。 伝統的分類 福音書 マタイによる福音書 マルコによる福音書 ルカによる福音書 ヨハネによる福音書 使徒言行録(使徒行伝) パウロ書簡 ローマの信徒への手紙 コリントの信徒への手紙一 コリントの信徒への手紙二 ガラテヤの信徒への手紙 エフェソの信徒への手紙 フィリピの信徒へ...
  • 新約聖書
    『新約聖書』は、紀元1世紀から2世紀にかけてキリスト教徒たちによって書かれた文書で、『旧約聖書』とならぶキリスト教の正典。内容的にはキリストが生まれる前までを旧約聖書、キリスト生誕後を新約聖書がまとめている。 『旧約聖書』とは、『新約聖書』の『コリントの信徒への手紙二』3章6節などの「新しい契約」という言葉をもとに、2世紀頃からキリスト教徒によって用いられ始めた呼称である。 新約すなわち新しい契約という呼び方は、はじめイエス・キリストによって神との契約が更新されたと考えた初代教会の人々によって用いられた。2世紀のテルトゥリアヌスやラクタンティウスは神との新しい契約を示した書物の集合として「新約聖書」という言葉を用いている。 新約聖書の成立 新約聖書は次の過程で成立したと考えられている。 1.ナザレ村で生まれたイエス自身による教えの段階(西暦30年頃) 2.それを...
  • 外典福音書
    正典におさめられなかった福音書であってもスタイルや内容において正典の福音書と共通点のあるものもある。 特定の思想によらない外典福音書 ペトロによる福音書 [2世紀頃] エビオン派福音書 [2世紀] エジプト人の福音書(ギリシャ語) [2世紀] ヘブライ人の福音書(ヘブル人福音書) [2世紀] ナザレ人福音書 [2世紀初頭?] ニコデモによる福音書(ピラト行伝) [4世紀頃] オクシリンコス・パピルス840 [3世紀] オクシリンコス・パピルス1224 [4世紀] 十二使徒の福音書 マッテヤ福音書 イエスとヨハネの対話の断片 マリアの質問 グノーシス派の外典福音書 ナグ・ハマディ写本 トマスによる福音書 [2世紀末頃] フィリポによる福音書 [2世紀後半] その他 マリアによる福音書(マグダラのマリア福音書) ユダの福音書 救い主による福音 マリアの「ゲンナ」 ケリントスの福音書 バ...
  • 使徒マティア
    イエスの昇天後に、イスカリオテのユダの代わりに選ばれた使徒である。 『使徒行伝』によればイエスの復活後、エルサレムに戻ってきた使徒たちはペトロを中心に、イスカリオテのユダに代わる使徒をたてることを決定する。使徒が11人では不完全であるというのは使徒たちをイスラエルの十二部族になぞらえている思想から出ていると思われる。そこで洗礼者ヨハネの洗礼からイエスの昇天までの間、イエスと使徒たちと共にいたものの中から新たに一人を選び出すことになった。 その候補者は一人はバルサバともユストともよばれたヨセフであり、もう一人はマティアであった。祈ってくじをひくとマティアの名が出たので、彼が十二人目に加えられた。 使徒言行録1 12-26 使徒たちは、「オリーブ畑」と呼ばれる山からエルサレムに戻って来た。この山はエルサレムに近く、安息日にも歩くことが許される距離の所にある。 彼...
  • マルコによる福音書
    マルコによる福音書(ギリシア語 Κατά Μάρκον Ευαγγέλιον、ラテン語 Evangelium secundum Marcam)は新約聖書中の一書。『マタイによる福音書』、『マルコによる福音書』、『ルカによる福音書』の三つは共通部分が多いことから共観福音書とよばれる。 ヒエロニムス以降、伝統的に新約聖書の巻頭を飾る『マタイによる福音書』の次におさめられ、以下『ルカによる福音書』、『ヨハネによる福音書』の順になっている。執筆年代としては伝承でペトロの殉教の年といわれる65年から『ルカ福音書』の成立時期である80年ごろの間であると考えられる。高等批評においても、四つの福音書の中では最も早くに書かれたと断定されており、成立年代は65年から70年頃とされている。 著者(伝承) 強いて言うならば冒頭部分だけが著者の言葉である。(マルコ1 1) 神の子イエス・キ...
  • 公同書簡
    パウロ書簡を除く書簡である。 ヘブライ人への手紙 ヤコブの手紙(議論) ペトロ書簡ペトロの手紙一(議論) ペトロの手紙二(偽書) ヨハネ書簡ヨハネの手紙一 ヨハネの手紙二 ヨハネの手紙三 ユダの手紙(偽書) また、伝統的にパウロに帰せられたものの、パウロによる書簡ではないことが明らかとなったヘブライ人への手紙をここでは公同書簡に含める。なお、相当批評では、すべてについて、使徒ヨハネや使徒ペトロの作であることはほぼ否定されている。他の書簡についても極めて懐疑的である。 このwikiでは、使徒ヨハネと福音記者ヨハネは別人と定義するため、ヨハネの手紙については真偽については書かないこととする。また、ペトロの手紙一は様々な理由から真筆である可能性は極めて低いが、ローマのクレメンス以前の作の可能性があるため、ペトロの弟子による代筆という可能性を含めて議論とする。
  • 使徒言行録
    『使徒言行録』(ギリシア語 Πράξεις τῶν Ἀποστόλων、ラテン語 Acta Apostolorum)は、新約聖書中の一書。 新約聖書の中で、伝統的に四つの福音書のあとにおかれる。『使徒言行録』は新共同訳聖書などで用いられる呼称で、他にも多くの日本語名がある。『使徒行伝』、『使徒の働き』など。13章以降は主にパウロの言行録となる。 『ルカによる福音書』と同じ作者によるものとされる。 『使徒言行録』の構成とルカ書の構成には共通点が見られ、『ルカによる福音書』はローマ帝国(の人口調査)に関する記述から始まる。物語はイエスが故郷ガリラヤを出て、サマリアからユダヤへゆき、エルサレムで十字架にかけられるところへと展開していくが、そこで復活し、昇天して栄光を受けると結ばれる。 『使徒言行録』はこれと呼応するかのように、エルサレムから使徒の活動が始まり、ユダヤ...
  • 公同書簡への高等批評
    ヤコブの手紙 著者については、「主イエス・キリストの僕であるヤコブ」(1 1)と記されている。ヤコブと名のつく人物は、新約では4名おり、いずれを指すのかが問題となる(使徒ヨハネの兄弟でゼベダイの子ヤコブ、アルファイの子ヤコブ、使徒タダイの父ヤコブ、主イエスの兄弟ヤコブ)。ゼベダイの子ヤコブは紀元44年と早い時代に殉教しているので、考えにくい。他は知名度、実力が高くはない。そのため、古代教会時代の教父たちはこのヤコブを、イエスの兄弟ヤコブ(紀元62年頃没)と見なしてきた(パウロは彼を、「主の兄弟」「教会の主だった三人の一人」と呼んでいる。ガラテヤ1 19、2 9)。 ただし、研究者の多くは、別の人物が他の人物を名乗って執筆したと考え、実際の著者をいずれのヤコブとも見なさない立場を採っている。というのも、パウロから発展した信仰義認という、一種の怠惰的思想に反対したユダヤ人キリスト教徒...
  • トマス行伝
    新約外典使徒行伝の一つ。3世紀の後半にシリア(エデッサ)で成立したと考えられる。シリア語本文と並んでギリシア語訳が現存する。紀元52年にインドを訪問したという伝承がある使徒トマスの〈インド伝道〉を読物風に叙述する。初期シリア教会の禁欲主義的特徴やグノーシス主義的な観念を含み,後にマニ教徒の間でとくに尊重されたが,正統主義教会の信徒の間でも大衆文学の一種として好んで読まれた。〈天的結婚の歌〉(6章)や〈真珠の歌〉(108~113章)などの伝承は史料的価値が高い。 この外伝はマニ教徒やグノーシス主義者に読まれたらしく、グノーシス主義に近い思想(とくに禁欲)が語られる。前半はインドへの布教の旅である。後半はマツダイ王のもとで家臣ほかに宣教したり、夫に性行を強要される女性を救ったりする。最後は殉教で終わる。
  • カトリック
    カトリック教会は、主の啓示は、聖書と聖伝との中に含まれていると教えており、聖書と聖伝とを信仰の二つの源と呼んでいる。 聖書とは、聖霊の神感によって、主の御言葉を書きしるした書物である。 聖伝とは、聖書に書きのせられていないが、使徒の時代から、聖霊の御助によって、誤りなく伝えられた主の御言葉である。 聖伝の伝えられた道は二つあり、一つめは公教会の公式の教導文書である。二つめは非公式の教導で、公式文書よりはるかに多くあるが、教父の著書、祈祷書、典礼書、殉教録、古代キリスト教の美術,碑銘等に含まれている。 聖伝は聖書と同様に重んずべきもの、とされている。 聖書の中にも聖伝を重んずべきことが記されているとし、その根拠をパウロ書簡に求める。 Ⅱテサロニケ2 15 ですから、兄弟たち、しっかり立って、わたしたちが説教や手紙で伝えた教えを固く守り続けなさい。 ...
  • 主イエスの変容
    『変容』カール・ハインリッヒ・ブロッホ(1872年) イエスは、弟子のうち、ペトロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れて、変容を見せている。主イエスが眩く輝き変容し、出エジプトにあらわれる預言者モーセ、アハブがイスラエル王国の王であった時代の預言者エリヤと語り合った。 マルコ9 2-13 六日の後、イエスは、ただペトロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。イエスの姿が彼らの目の前で変わり、服は真っ白に輝き、この世のどんなさらし職人の腕も及ばぬほど白くなった。エリヤがモーセと共に現れて、イエスと語り合っていた。 ペトロが口をはさんでイエスに言った。「先生、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」ペトロは、どう言えばよいのか、分からなかった。弟子たちは非常に恐れていた...
  • 十二使徒の選定
    十二使徒の選定は、イエスがガリラヤで多くの癒しの奇跡をおこなった後のことである。共観福音書には次のように、使徒の選定が書かれている。 マルコ3 13-19 イエスが山に登って、これと思う人々を呼び寄せられると、彼らはそばに集まって来た。そこで、十二人を任命し、使徒と名付けられた。彼らを自分のそばに置くため、また、派遣して宣教させ、悪霊を追い出す権能を持たせるためであった。 こうして十二人を任命された。シモンにはペトロという名を付けられた。ゼベダイの子ヤコブとヤコブの兄弟ヨハネ、この二人にはボアネルゲス、すなわち、「雷の子ら」という名を付けられた。アンデレ、フィリポ、バルトロマイ、マタイ、トマス、アルファイの子ヤコブ、タダイ、熱心党のシモン、それに、イスカリオテのユダ。このユダがイエスを裏切ったのである。 マタイ10 1-4 イエスは十二人の弟子を呼び寄せ、...
  • イエスの奇跡
    自然奇跡、いやしの奇跡、よみがえりに大別できる。 自然奇跡 一回目の大漁の奇跡:イエスは夜通し働いて何も取れなかったシモンに、「沖に乗り出し網をおろしなさい」と命じる。そこでシモンが言葉どおりに従うと、おびただしい魚がかかり、二そうの舟が魚でいっぱいになる。(ルカ 5 4) カナの婚礼:カナでの婚礼で水がめに入った水をぶどう酒に変える。(ヨハネ 2 1) 嵐を静める:嵐を静める舟に乗ったイエスが「静まれ」と命じて嵐を静める。(マルコ 4 35)(マタイ 8 23)(ルカ 8 22) パンと魚の奇跡(5000人の給食):五つのパンと二匹の魚を増やし五千人の人々に食べさせる。(マルコ 6 30)(マタイ 14 13)(ルカ 9 10)(ヨハネ 6 1) 水の上を歩く:イエスが湖の上を歩く。(マルコ 6 45)(マタイ 14 22)(ヨハネ 6 15) パンと魚の奇跡(4000人の給食):...
  • オリゲネス分類
    オリゲネス分類は、ヤコブの手紙、ペトロの手紙二、ヨハネの手紙二と三の四書簡を除き、現在の新約聖書と同じものである。 公認されたもの(homologoumena) マタイによる福音書 マルコによる福音書 ルカによる福音書 ヨハネによる福音書 使徒言行録 パウロ書簡13通 ペトロの手紙一 ヨハネの黙示録 ヨハネの手紙一 ヘブライ人への手紙 疑わしきもの(amphiballomena) ペトロの手紙二 ヨハネの手紙二 ヨハネの手紙三 ヤコブの手紙 ユダの手紙 バルナバの手紙 ヘルマスの牧者 ディダケー(12使徒の教書) 偽書(pseude) 確定 エジプト人福音書 十二使徒の福音書 バシリデス福音書 トマスによる福音書 マッテヤ福音書 未確定 ヘブライ人の福音書 パウロによる福音書 http //elbaal.web.fc2.com/new-tes-apo.htm http //...
  • ヨハネ行伝
    使徒ヨハネの言行録だが、3世紀後半の作であり、信憑性は不明である。その後写本でたくさん読まれてきたという。イエスの受難ののち、ヨハネによる諸国での宣教と最後の高挙までが描かかれる。この外伝の重要なのはグノーシス主義を濃厚に反映していること。両性具有者、一者、踊る主、神殿破壊、肉体・財産の放棄、肉欲の克服など。アンドロニコスとドゥルーシアネーの夫婦間で起きた事件(幽閉と殺害、横恋慕するものの凌辱など)が教団の同朋関係と相克するさまや克服までが書かれている。 3割程度が紛失しており、全文は読めないが、主題は性的禁欲主義を説くことである。 ヨハネ行伝:http //www5b.biglobe.ne.jp/~shinju/John%20gyoden.htm http //homepage2.nifty.com/butuUkai/bible/apocrypha5.htm http...
  • クレメンスの第一の手紙
    ローマのクレメンス(ローマ司教クレメンス1世)による手紙。西暦96年頃に書かれた。 はコリントの教会で起きたトラブルを仲裁しようとしたクレメンスの書簡である。カトリックを中心に、ここから諸教会の仲介役としてローマ司教が役割を果たしていたと考え、それが後の教皇制度の萌芽になっていくと見るむきもある。一方、これをクレメンスがローマ教会の権威を他教会に及ぼそうとしたのであって、ローマ教会が常時そのような役割を果たしていたとは考えない学者もいる。 ペトロとパウロの殉教 クレメンスの第一の手紙には、ペトロとパウロの最期について書かれている。 Ⅰクレメンス5 1-6 けれども、昔の例(旧約聖書の殉職者たち)から離れて、私たちの時代に最も近い時に生きた闘士たちについて考えましょう。私たちの世代に生きた高貴な人々の例を見ましょう。嫉妬によって、最も偉大で正しい教会の支柱が迫害され、死に至...
  • 最初の弟子たち
    共観福音書でのガリラヤ湖での出来事 イエスはガリラヤへ来た後、ガリラヤ湖のほとりで、シモン・ペトロ、アンデレ、ヤコブ、ヨハネを弟子とした。 マルコ1 16-20 イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。二人はすぐに網を捨てて従った。 また、少し進んで、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、舟の中で網の手入れをしているのを御覧になると、すぐに彼らをお呼びになった。この二人も父ゼベダイを雇い人たちと一緒に舟に残して、イエスの後について行った。 マタイ4 18-22 イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、二人の兄弟、ペトロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレが、湖で網を打っているのを御...
  • イエスの顕現
    イエスの顕現について最も初めに触れられているのはパウロ書簡のコリントの信徒への手紙一である。ケファとはシモン・ペトロのことである。また、ここで言及されている「聖書」とは旧約聖書のことであり、福音書はまだ存在していない。(Ⅰコリント15 3-8) 最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、ケファに現れ、その後十二人に現れたことです。次いで、五百人以上もの兄弟たちに同時に現れました。そのうちの何人かは既に眠りについたにしろ、大部分は今なお生き残っています。次いで、ヤコブに現れ、その後すべての使徒に現れ、そして最後に、月足らずで生まれたようなわたしにも現れました。 他の全ての福音書はこれより後に書かれている...
  • ペトロの手紙一
    高等批評では、パウロの思想を受け継ぐギリシャ語母語者が1世紀末から2世紀前半に書いたものと思われる。 http //www.tohoku-gakuin.ac.jp/research/journal/bk2015/pdf/no07_02.pdf
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  • イエスの復活
    イエスの顕現について最も初めに触れられているのはパウロ書簡のコリントの信徒への手紙一である。ケファとはシモン・ペトロのことである。また、ここで言及されている「聖書」とは旧約聖書のことであり、福音書はまだ存在していない。(Ⅰコリント15 3-8) 最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、ケファに現れ、その後十二人に現れたことです。次いで、五百人以上もの兄弟たちに同時に現れました。そのうちの何人かは既に眠りについたにしろ、大部分は今なお生き残っています。次いで、ヤコブに現れ、その後すべての使徒に現れ、そして最後に、月足らずで生まれたようなわたしにも現れました。 マルコ福音書では、婦人たちが墓にたどり着く...
  • 聖人伝
    聖人の言行や生涯を記録した文書。殉教者行伝 Acta Martyrumを含む。 殉教者行伝にはキプリアヌスの Acta Proconsularia,各種受難記 (イグナチオス殉教録,ポリュカルポス殉教録,リヨンの殉教者受難記,ペルペトゥアとフェリキタスの受難記など) があり,これらは伝説的修飾が少く,記述には信頼性がある。 カトリック教会では厳密には聖人伝Vita sanctorum,Liber legendariusと殉教者伝Liber passionariusは区別される。
  • 十二使徒
    レオナルド・ダ・ヴィンチ「最後の晩餐」(復元) 左より順に、バルトロマイ、小ヤコブ、アンドレ、ペトロ、ユダ、ヨハネ、主イエス、トマス、大ヤコブ、フィリポ、マタイ、タダイ、シモンである。 ここでは、イエスの選んだ十二使徒について解説する。 なお、イエス本人についてはその言行録となっている福音書を参照。使徒パウロについてはその言行録となっている使徒言行録を参照。主の兄弟ヤコブについては別項目で開設する。 十二使徒一覧 番号 日本語での名称 ギリシャ語名(聖書原文の名前) アラム語名(本来の名前) 1 シモン・ペトロ Πέτρος(Pétros) שמעון(Šimʿōn) 2 ゼベダイの子ヤコブ(大ヤコブ) Ἰάκωβος(Iákōbos) יעקב(Yaʿăqōḇ) 3 使徒ヨハネ Ἰωάννης(Iōánnēs) יוחנן(Yohanan) 4 アンデレ Ἀνδρ...
  • マグダラのマリア
    イエスが宣教をしている際、イエスの弟子となった女性である。ルカ福音書によるとイエスにより「七つの悪霊」を追い出していただいた女であるという。 ルカ8 1-3 すぐその後、イエスは神の国を宣べ伝え、その福音を告げ知らせながら、町や村を巡って旅を続けられた。十二人も一緒だった。悪霊を追い出して病気をいやしていただいた何人かの婦人たち、すなわち、七つの悪霊を追い出していただいたマグダラの女と呼ばれるマリア、ヘロデの家令クザの妻ヨハナ、それにスサンナ、そのほか多くの婦人たちも一緒であった。彼女たちは、自分の持ち物を出し合って、一行に奉仕していた。 イエスの磔刑を見守り、イエスの復活を初めに知った。 マルコ15 40 また、婦人たちも遠くから(イエスの磔刑を)見守っていた。その中には、マグダラのマリア、小ヤコブとヨセの母マリア、そしてサロメがいた。 マ...
  • ゲツセマネの祈り
    「パッション」(2004)より 苦悶(Agony)という言葉は、イエス・キリストが逮捕される直前のゲツセマネの園での祈りにおけるイエスの精神的な苦悶に限定して適用される。 これに対して受難(Passion)は、イエス・キリストの裁判と処刑における精神的および肉体的な苦痛のための言葉である。 マルコ14 32-42 一同がゲツセマネという所に来ると、イエスは弟子たちに、「わたしが祈っている間、ここに座っていなさい」と言われた。そして、ペトロ、ヤコブ、ヨハネを伴われたが、イエスはひどく恐れてもだえ始め、彼らに言われた。「わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、目を覚ましていなさい。」少し進んで行って地面にひれ伏し、できることなら、この苦しみの時が自分から過ぎ去るようにと祈り、こう言われた。「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてくだ...
  • ナグ・ハマディ写本
    ナグ・ハマディ写本(The Nag Hammadi Codices)あるいはナグ・ハマディ文書(The Nag Hammadi library)とは1945年に上エジプト・ケナ県のナグ・ハマディ村の近くで見つかった初期キリスト教文書のことである。ナグ・ハマディ写本は、二十世紀最大の考古学的発見に数えられており、事実、初期キリスト教の研究を飛躍的に進展させた。ナグ・ハマディ写本は、古代キリスト教を知るための原資料としては死海写本につぐ重要性を持つと見なされている。 現在、最も有力な説は、発見場所の近くに「パコミウス共同体」と呼ばれる原始キリスト教の修道院が存在したことが分かっている。ここは、正統派(?)ともグノーシス派とも、明確な区別の付かない共同体であったらしい。367年にアレクサンドリアの司教アタナシオスが、「正伝の27文書」以外の新約聖書は全て焼き捨てよ、と言う命令をエジプト中...
  • 山上の説教
    『山上の垂訓』カール・ハインリッヒ・ブロッホ(1877年) マタイ福音書にのみ載っている。内容にはルカ福音書にのみ載っている平地の説教と共通点が見られる。 マルコ福音書では、「ペトロの姑をいやす」→「ガリラヤでの最初の宣教旅行」の順だが、マタイ福音書では、「ガリラヤでの最初の宣教旅行」→「山上の説教」→「ペトロの姑をいやす」の順で逆転している。 ガリラヤでの最初の宣教旅行を受けて集まった群衆に対し、イエスは演説を始めた。(マタイ5 1-2) イエスはこの群衆を見て、山に登られた。腰を下ろされると、弟子たちが近くに寄って来た。そこで、イエスは口を開き、教えられた。 1)幸い (Q3) 2)地の塩、世の光 (Q28/Q53) 3)律法について (Q57) 4)腹を立ててはならない (Q42) 5)姦淫してはならない 6)離縁してはならな...
  • 使徒会議
    エルサレムへの上京 割礼は必要がないと考えていたパウロやバルナバは、これについて使徒たちと協議するためにエルサレムへ上京した。 使徒15 1-2 ある人々がユダヤから下って来て、「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない」と兄弟たちに教えていた。それで、パウロやバルナバとその人たちとの間に、激しい意見の対立と論争が生じた。この件について使徒や長老たちと協議するために、パウロとバルナバ、そのほか数名の者がエルサレムへ上ることに決まった。 パウロの書簡であるガラテヤの信徒への手紙にも次のように書かれている。 ガラテヤ2 1-5 その後十四年たってから、わたしはバルナバと一緒にエルサレムに再び上りました。その際、テトスも連れて行きました。エルサレムに上ったのは、啓示によるものでした。 わたしは、自分が異邦人に宣べ伝えている福音につい...
  • カナの婚礼
    『カナでの婚礼』カール・ハインリッヒ・ブロッホ(1870年) ヨハネ福音書のみに掲載されている。ヨハネ福音書によれば、イエスがアンデレ、ペトロ、フィリポ、ナタナエルを弟子とした三日後、ガリラヤのカナで婚礼があったとしている。(なお、この時系列は他の福音書とは異なる。共観福音書では、イエスは洗礼の三日後に荒野の誘惑と呼ばれる断食を四十日間行い、それからペトロとアンデレを弟子としている。) ヨハネ2 1-11 三日目に、ガリラヤのカナで婚礼があって、イエスの母がそこにいた。イエスも、その弟子たちも婚礼に招かれた。ぶどう酒が足りなくなったので、母がイエスに、「ぶどう酒がなくなりました」と言った。イエスは母に言われた。「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません。」 しかし、母は召し使いたちに、「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてくだ...
  • ガリラヤでの最初の宣教旅行
    マルコ福音書とルカ福音書では「ペトロの姑をいやす」→「ガリラヤでの最初の宣教旅行」の順だが、マタイ福音書では「ガリラヤでの最初の宣教旅行」→「山上の説教」→「ペトロの姑をいやす」より前の出来事となっている。 マルコ1 35-39 朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた。シモンとその仲間はイエスの後を追い、見つけると、「みんなが捜しています」と言った。イエスは言われた。「近くのほかの町や村へ行こう。そこでも、わたしは宣教する。そのためにわたしは出て来たのである。そして、ガリラヤ中の会堂に行き、宣教し、悪霊を追い出された。 ルカ4 42-44 朝になると、イエスは人里離れた所へ出て行かれた。群衆はイエスを捜し回ってそのそばまで来ると、自分たちから離れて行かないようにと、しきりに引き止めた。しかし、イエスは言われた。「ほ...
  • 福音書
    福音書(希 ευαγγέλιον, ラテン語 Evangelium)は、イエス・キリストの言行録である。通常は新約聖書におさめられた福音書記者による四つの福音書(マタイによる福音書、マルコによる福音書、ルカによる福音書、ヨハネによる福音書)を意味する。その他にトマスによる福音書やペトロによる福音書などがあるが、正典として認められなかった外典文書である。 マタイによる福音書 [65-70年頃] マルコによる福音書 [70-75年頃] ルカによる福音書 [80-85年頃] ヨハネによる福音書 [90-100年頃] うち、マタイ福音書、マルコ福音書、ルカ福音書は記述が並列することから、共観福音書と呼ばれる。 内容 以下の時系列は、基本的には最も古いマルコ福音書の記載を中心に進めるものとする。 1.誕生の次第、幼年時代 (マタイ1 18-2章)(ルカ1 5-2章) ...
  • 聖書の数字
    聖書ではいくつかの数が特別な意味を持って使われる。 神の数3 創世記で、ノアの息子はセム、ハム、ヤペトの3人であり彼らから世界が再創造された。 聖書の記載ではないが、神は、父、子(キリスト)、聖霊の三位一体である。 全世界を表す数4 創世記で、ユーフラテスの川には支流として流れていた河川は、ピション、ギホン、ヒデケル、ペラトの4つである。 黙示録で、ユーフラテス川のほとりに縛られていた天使の数は4人である。 聖書の記載ではないが、福音書の数は、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4つである。 完成の数7 創世記で、天地創造は7日間である。 レビ記で、安息日を7日毎に設定している。 出エジプト記で、鉢、幕屋の7枝の燭台を規定している。 黙示録で、パトモスのヨハネの手紙の宛先は、エフェソ、スミュルナ、ペルガモン、テュアティラ、サルディス、フィラデルフィア、ラオデキアの7教会である。 黙示録...
  • マリアによる福音書
    マリアによる福音書は、グノーシス主義の福音書文書の1つである。 登場人物のマリハム(マリア)とは、内容からイエスの母マリアではなく明らかにマグダラのマリアと考えられる。この故に本文書は『マグダラのマリアによる福音書』とも呼ばれる。 『マリアによる福音書』は、3世紀頃の原始キリスト教の教父文書などに言及が見られたが、原本は伝存しておらず実体が不明であった。ギリシア語の断片が2つほど見つかっている。 エジプトで発掘され、後にベルリンに運ばれたパピルスの冊子、いわゆる『ベルリン写本』の冒頭部分が『マリアによる福音書』の写本であることが1896年に判明した。十分な長さを持ったまとまった文書は、この写本から見つかったものが唯一のものである。ただし、諸般の事情があって公刊が遅れ、『ナグ・ハマディ写本』の発見後1955年になってようやくテキスト全体が公刊された。 『ベルリン写本...
  • 聖書の主要な登場人物
    聖書の主要な登場人物やその後について解説する。 旧約聖書 アダム エバ カイン アベル ノア ヨブ アブラハム サラ ハガル イサク イスラエル(ヤコブ) モーゼ ユダヤ王ダビデ 新約聖書 イエス・キリスト 聖母マリア(イエスの母マリア) 洗礼者ヨハネ 主の兄弟ヤコブ(イエスの弟ヤコブ) 十二使徒使徒シモン・ペトロ(?-67年?) マグダラのマリア 使徒マティア 使徒パウロ 最初の殉教者ステファノ http //www.vivonet.co.jp/rekisi/b04_christ/apostles.html https //chrismichaelmoore.com/greek-proper-nouns
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