天動説と地動説

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  • 天動説と地動説
    天動説の提唱者コペルニクスや、天動説を確立させたケプラーやガリレオは皆キリスト教徒だった。しかしながら、地動説を強く訴えたガリレオに対し、地動説を強く信じるカトリック教会は異端審問を行い、ガリレオは自宅軟禁の憂き目にあった。 確かに聖書には、大地は揺らがないと書かれている。 歴代誌上16 30 全地よ、御前におののけ。世界は固く据えられ、決して揺らぐことがない。 詩篇93 1 主こそ王。威厳を衣とし/力を衣とし、身に帯びられる。世界は固く据えられ、決して揺らぐことはない。 詩篇96 10 国々にふれて言え、主こそ王と。世界は固く据えられ、決して揺らぐことがない。主は諸国の民を公平に裁かれる。 また、地は基礎の上に建てられた、という記述もある。 サムエル上2 8 大地のもろもろの柱は主のもの/主は世界をそれらの上に据えら...
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  • 自然科学との関連
    ...5世紀~20世紀) 天動説と地動説(16世紀~17世紀) 原子論とキリスト教(17世紀~20世紀) 進化論とキリスト教(19世紀~) ビッグ・バン(20世紀) 太陽系と地球の歴史(20世紀~) https //ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%97%E6%95%99%E3%81%A8%E7%A7%91%E5%AD%A6 https //ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E6%9B%B8%E3%81%B8%E3%81%AE%E6%89%B9%E5%88%A4 http //oono.kyokai.org/_src/sc1103/A-989F928891n91A282CC91S96e82C9949782E9.pdf
  • 天文学とキリスト教
    ...。この経緯については天動説と地動説を参照されたい。 そもそも占星術の理論体系はいかなるものであれ、アリストテレス的な宇宙モデルを前提としたものであった。したがって占星術も、もはやその時代には通用しない過去の遺物として知識人たちの間では、省みられることがなくなっていかざるを得なくなった。 しかしながら、この時代においても占星術や神秘思想は強く支持されていた。 例えば、ガリレオはホロスコープを作っていたし、ティコが天体観測を行ったのもホロスコープの制度を高めるためである。 ケプラーの時代には天動説が一般的となっていたが、ケプラーはプロテスタントとして終生キリスト教信仰を持ち続け、それを神秘思想と結び付けた。ケプラーはまだ若いころ、地動説をキリスト教の三位一体説と結び付けて、中心の太陽に「父なる神」を、惑星を動かす天球に「キリスト」を、天球の間を満たしている空...
  • 神の存在証明
    神の存在証明は以下の4つに大きく分類される。 目的論的証明(自然神学的証明):世界が規則的かつ精巧なのは、神が世界を作ったからだ。 本体論的証明(存在論的証明):「存在する」という属性を最大限に持ったものが神だ。 宇宙論的証明:因果律に従って原因の、原因の、原因の・・・と遡っていくと根本原因があるはず。この根本原因こそが神だ。 道徳論的証明:道徳に従うと幸福になるのは神がいるからだ。 ここでは、有名な神学者による神の存在証明や、それに類似した逸話などを載せていく。 アンセルムス(Anselmus Cantuariensis) 1033-1109年、イタリア 中世ヨーロッパの神学者、哲学者、カンタベリー大司教(1093-1109年)。 神の存在を理性的に証明できるとした初めての人。 アンセルムスの演繹法(1078)として知られる。 神の存在の本体論(存在論)的証...
  • 太陽系と地球の歴史
    創世記によれば、天地創造は次の順番で起きたとされる。 1日目 神は天と地をつくった。暗闇がある中、神は光をつくり、昼と夜ができた。 2日目 神は空(天)をつくった。 3日目 神は大地を作り、海が生まれ、地に植物をはえさせた。 4日目 神は太陽と月と星をつくった。 5日目 神は魚と鳥をつくった。 6日目 神は獣と家畜をつくり、神に似せた人をつくった。 7日目 神は休んだ。 しかしながら、現代の科学の知見では、この順序は全くおかしいことがわかる。 地球史年表 ここでは、宇宙史も含め、宇宙誕生から人間誕生までの年表を書く。 138億年前(0年):ビッグ・バンにより宇宙ができた。 135億年前(3億年):ファーストスター(初めの恒星)により、暗黒の中に光ができた。 132億年前(6億年):初期の銀河ができる。 46億年前(92億年):太陽と太陽系が出来た。 45.4億年前(9...
  • メソポタミアの洪水
    メソポタミアの人々が体験した「大洪水」の記録は、「ウーリーの穴」とか「大洪水の穴」とか呼ばれる発掘穴で考古学的に証明されている。この穴は、1929年から30年にかけて、ウルの都を発掘していたチャールズ・レオナルド・ウーリー(Charles Leonard Woolley)によって掘られたものだ。 この2m四方の竪穴、ウルの町に「最初に人が住み始めて」から「現在」までの歴史の辿れる深い穴が、「ウーリーの穴」、「大洪水の穴」と呼ばれているものだ。 ※図中で「起源の島」と呼ばれているのは、人がその地に住み始めた最初の時点で存在した地表(人が手を触れていないという意味で「処女地」)。そこから堆積物が溜まって現在の地表が作られている。 人の暮らした文明の痕跡を中断させている分厚い粘土層は大洪水の跡。その厚さは最大で3.5mにも達する。ウルの町は過去に少なくとも2度の洪...
  • サンクトゥス
    「サンクトゥス」は、ラテン語で「聖なる」。「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、万軍の主よ。天と地はあなたの光栄にあまねく満ち渡る。天のいと高きところにホザンナ」。神への感謝を捧げ、その栄光を称える賛歌。 東方教会に起源をもつ祈祷で、典礼文はイザヤ書から取られる。冒頭でサンクトゥスを三回唱えるので、和訳では「三聖頌」とも言う。ちなみにHosanna (ホサンナ)はヘブライ語の音訳で、原義は「救いたまえと(我らは)祈る」。 原文(ラテン語) Sanctus, sanctus, sanctus, dominus deus sabaoth. Pleni sunt caeli et terra gloria tua. Hosanna in excelsis. 和訳 聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、 万軍の神よ、主よ 天と地はあなたの栄光に満ちています。 いと高...
  • アブソルティオ
    ミサそのものではなく、ミサの終了後に歌われる。9世紀頃作られ、セクエンツィアの元になっていると思われる。最後の審判の恐怖を思いだし、参加者自身の救いと、死者の平安を祈る。セクエンツィアと並んで、「彼らを」のかわりに「私を」が用いられる。この祈りの間に棺に聖水がまかれる。 原文(ラテン語) Libera me, Domine, de morte æterna, in die illa tremenda. Quando cœli movendi sunt et terra, Dum veneris judicare sæculum per ignem. Tremens factus sum ego et timeo, dum discussio venerit atque ventura ira. Quando cœli movendi sunt et terra. Di...
  • 新しいエルサレム
    ヨハネの黙示録に登場する単語で、最後の審判の後、選ばれた者だけが入ることができるという。 外観 黙示録21 11-14 都は神の栄光に輝いていた。その輝きは、最高の宝石のようであり、透き通った碧玉のようであった。 都には、高い大きな城壁と十二の門があり、それらの門には十二人の天使がいて、名が刻みつけてあった。イスラエルの子らの十二部族の名であった。東に三つの門、北に三つの門、南に三つの門、西に三つの門があった。 都の城壁には十二の土台があって、それには小羊の十二使徒の十二の名が刻みつけてあった。 黙示録21 16-22 5 この都は四角い形で、長さと幅が同じであった。天使が物差しで都を測ると、一万二千スタディオン(=約2200km)あった。長さも幅も高さも同じである。また、城壁を測ると、百四十四ペキス(=約64.8m)であった。これは人間の物差しに...
  • 進化論とキリスト教
    旧約聖書によれば「全ての人間の祖先であるアダムは神によって作られ、その妻イヴはアダムの肋骨から生まれた」とされ、ユダヤ教徒やキリスト教徒の間では長い間これが信じられてきた。 創世記2 7 主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。 創世記2 18-19 主なる神は言われた。「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。」主なる神は、野のあらゆる獣、空のあらゆる鳥を土で形づくり、人のところへ持って来て、人がそれぞれをどう呼ぶか見ておられた。人が呼ぶと、それはすべて、生き物の名となった。 創世記2 20-22 人はあらゆる家畜、空の鳥、野のあらゆる獣に名を付けたが、自分に合う助ける者は見つけることができなかった。主なる神はそこで、人を深い眠りに落とされた。人が眠り...
  • ペトロの黙示録
    ペトロの黙示録とは、使徒のペトロ(ペテロ)による天国と地獄の旅についての新約聖書の外典である。原典はギリシャ語で、2世紀前半に成立したと考えられている。エジプトのアフミーム(英語版)の墳墓からエノク書のギリシャ語版と共に発見された。著作全体を含むものはエチオピア語とアラビア語で書かれているものしか残存していない。ナグ・ハマディ写本にその一部が含まれていた。 かつては非常に重要とされた文書で、2世紀末から3世紀末にかけて活躍したアレクサンドリアのクレメンスはこれを引用しており、5世紀のパレスチナ教会では復活祭直前の金曜日の礼拝に朗読された。また2世紀末から3世紀初頭に編まれたとされる『ムラトリ断片』にも正典の一つとして挙げられている。 グノーシスの神話:http //gnosticthinking.nobody.jp/gnosismyth018.html
  • ヨハネの手紙二
    『ヨハネの手紙二』は新約聖書正典中の一書で、公同書簡と呼ばれる書簡の一つ。他のヨハネ書簡などとともにヨハネ文書と分類されることもある。13節のみで構成され、旧約・新約を通じて聖書中最短の書である。 著者 著者は1節で「長老のわたし」と名乗っている。(Ⅱヨハネ1) 長老のわたしから、選ばれた婦人とその子たちへ。わたしは、あなたがたを真に愛しています。わたしばかりでなく、真理を知っている人はすべて、あなたがたを愛しています。 同じ名乗りは『ヨハネの手紙三』の冒頭にも見られる。この長老は高齢者とは限らず、個別の教会(群)の指導者と理解されるが、後代の職制としての長老とは異なるとされる。 伝統的な理解では、これらの手紙は『ヨハネによる福音書』および『ヨハネの手紙一』の著者と同じく使徒ヨハネであろうとされてきた。フェデリコ・バルバロは、その中でも第二の手紙は第一の手紙が...
  • 北欧神話
    キリスト教化される前のノース人の信仰に基づく神話。スカンディナビア神話とも呼ばれている。ゲルマン神話の一種で、ノルウェー、スウェーデン、デンマーク、アイスランドおよびフェロー諸島に伝わっていたものの総称。普通、フィンランド神話とは別系統のものとされる。 神話は主にキリスト教化以前に存在した現地の宗教と、主にノルウェー人が入植、定住し、北欧神話の文書化された典拠の大多数が収集されるに至ったアイスランドを含むスカンディナヴィア人の伝説と信仰で構成されている。北欧以外のゲルマン人は、早くからキリスト教化されたため、民族独自の神話や思想を示す書物がほとんど残っていない。そのため北欧神話は、年代の古い一般的なゲルマン・ペイガニズムが最も良い状態で保存されており、ゲルマン人の古来の習俗や精神を理解する上で貴重な資料となっている。このゲルマン・ペイガニズムは、アングロ・サクソン神話と極めて密接に...
  • 千年王国
    千年王国 千年王国(Millenarianism、あるいはMillenarism)は、キリスト教終末論の一つ。 ヨハネの黙示録20章1-10節の内容に基づき信仰される。 「わたしはまた、一人の天使が、底なしの淵の鍵と大きな鎖とを手にして、天から降って来るのを見た。この天使は、悪魔でもサタンでもある、年を経たあの蛇、つまり竜を取り押さえ、千年の間縛っておき、底なしの淵に投げ入れ、鍵をかけ、その上に封印を施して、千年が終わるまで、もうそれ以上、諸国の民を惑わさないようにした。その後で、竜はしばらくの間、解放されるはずである。 わたしはまた、多くの座を見た。その上には座っている者たちがおり、彼らには裁くことが許されていた。わたしはまた、イエスの証しと神の言葉のために、首をはねられた者たちの魂を見た。この者たちは、あの獣もその像も拝まず、額や手に獣の刻印を受けなかった。彼らは生き返って...
  • アブラハムの宗教
    一般的には、アブラハムを共通の祖先とみなすユダヤ教、キリスト教、イスラム教を包括する名称である。 イスラム教では、イスラム教を除くユダヤ教とキリスト教を「啓典の民」と呼ぶ。 なお、アブラハムの宗教以外でも、最後の審判などの思想にゾロアスター教が関わっていたり、イエス・キリストの思想に仏教の思想が影響しているという学説もあり、キリスト教と関連の深い宗教は多数に及ぶ。 啓典の民 イスラム教において、本来は同じ啓典(聖書、クルアーン)を元に成立するキリスト教徒、ユダヤ教徒、サービア教徒のみを指し、それ以外の異教徒には改宗を迫る(強制改宗)のが原則であった。 しかし、イスラーム国家の拡張に伴い、強硬な姿勢は維持できなくなる。そのため、時代と地域によって若干の異同はあるが、実質的にイスラーム国家の支配領域に住むほぼ全ての異教徒を指して啓典の民と呼ぶようになっていった。 グ...
  • 天地創造
    天地創造の順番 天地創造では次の順に創造されている。 1日目 神は天と地をつくった。暗闇がある中、神は光をつくり、昼と夜ができた。 2日目 神は空(天)をつくった。 3日目 神は大地を作り、海が生まれ、地に植物をはえさせた。 4日目 神は太陽と月と星をつくった。 5日目 神は魚と鳥をつくった。 6日目 神は獣と家畜をつくり、神に似せた人をつくった。 7日目 神は休んだ。 「太陽と月」よりも先に「昼と夜」が創られており、一件不可思議な順番に思えるが、これは、まずフォーム(枠型)を創ってから、中を運動物体(天体、動物)で占めるという哲学の元に書かれていると考えれば納得がいくものである。 空間 内容物 1日目 昼と夜 4日目 天体 2日目 海と空 5日目 魚と鳥 3日目 陸地 6日目 動物と人 7日目 神は休まれた 旧約聖書の世界観 聖書には地...
  • マタイによる福音書
    マタイによる福音書(ギリシア語 Κατά Ματθαίον Ευαγγέλιον [Kata Matthaion Euangelion]、ラテン語 Evangelium Secundum Mattheum)は、新約聖書におさめられた四つの福音書の一つ。『マタイによる福音書』、『マルコによる福音書』、『ルカによる福音書』の三つは共通部分が多いことから共観福音書とよばれる。 本書の目的は、イエスこそが「モーセと預言者たちによって」予言され、約束されたイスラエルの救い主(キリスト)であると示すことにあり、イエスにおいて旧約聖書の預言が成就していることを示すことであった。『マタイによる福音書』には旧約聖書(ギリシア語訳・七十人訳)の引用が多く見られるが、それらはイエスの到来を予告したものとして扱われている。旧約からの引用箇所は65箇所にも上り、43箇所は地の文でなく語りの中で引用されて...
  • 毒麦
    世の終わりに天の国と地獄に人々が分けられることのたとえである。 マタイ13 24-30 イエスは、別のたとえを持ち出して言われた。「天の国は次のようにたとえられる。ある人が良い種を畑に蒔いた。人々が眠っている間に、敵が来て、麦の中に毒麦を蒔いて行った。芽が出て、実ってみると、毒麦も現れた。僕たちが主人のところに来て言った。『だんなさま、畑には良い種をお蒔きになったではありませんか。どこから毒麦が入ったのでしょう。』主人は、『敵の仕業だ』と言った。そこで、僕たちが、『では、行って抜き集めておきましょうか』と言うと、主人は言った。『いや、毒麦を集めるとき、麦まで一緒に抜くかもしれない。刈り入れまで、両方とも育つままにしておきなさい。刈り入れの時、「まず毒麦を集め、焼くために束にし、麦の方は集めて倉に入れなさい」と、刈り取る者に言いつけよう。』」 イエスはこのたとえの意味...
  • 三位一体
    キリスト教で、父(神)・子(キリスト)・聖霊の三位は、唯一の神が三つの姿となって現れたもので、元来は一体であるとする教理。キリスト教の根幹的教義の一つ。 父(PATER, Father)と子(FILIUS, Son)と精霊(SPIRITUS SANCTUS, Spirit)はいずれも神(DEUS, God)であるが、父と子と精霊は異なる存在と考える。 三位一体論の歴史 初期の全地公会議にて議論となっている。第1ニカイア公会議(第一全地公会、325年)の頃から第1コンスタンティノポリス公会議(第二全地公会、381年)の頃にかけて、「イエスは神聖ではあるが、あくまで「父」の被造物たる「子」である」とするアリウス派を斥けこうした三位一体論の定式が整理されていった。ただし、論争はこの二つの公会議が終わった後もなお続いていた。 三位一体論におけるキリストの位置づけ キリストは...
  • マナセの祈り
    題名が示すとおり、この文書はユダヤの王マナセに帰せられる。旧約聖書において、マナセはヤハウェ崇拝を堅持しなかった悪王として知られており、『列王記』下24 3-4では「ユダが主の御前から退けられることは…マナセの罪のため、彼の行ったすべての事のためであり…主はそれを赦そうとはされなかった」とあるようにバビロン捕囚の原因とまでいわれている。しかし『歴代誌』下によれば、捕らえられたマナセはへりくだって神に祈り、帰国を許されたとされる(『歴代誌』下33 11-13)。 この文書は、マナセの回心に関連づけられる。しかし、『歴代誌』の該当箇所には直接の言及がない、孤立した文書である。七十人訳聖書に収録されるが、著作場所や元来の言語などの書誌的情報について、現在の文献学研究では不明であるとしている。 捕囚されたユダ王マナセの祈り マナセの祈り1-15 全能の主よ、 我らの先祖 ...
  • クレド
    「クレド」はラテン語で「信じる」。信仰宣言あるいは信条告白といわれる賛歌。ニカイア・コンスタンティノポリス信条と同じである。なお、使徒信条などが用いられることもある。 原文(ラテン語) Credo in unum deum, patrem omnipotentem. Factorem caeli et terrae, visibilium omnium et invisibilium, Et in unum dominum. Jesum Christum filium dei unigenitum. Et ex patre natum ante omnia saecula. Deum de deo, lumen de lumine, deum verum de deo vero. Genitum, non factum, consubstantialem patri ...
  • 主の祈り
    主の祈りはもともとアラム語であったと考えられており、これがギリシャ語に翻訳されたものがマタイ福音書とルカ福音書に載っている。 カトリック教会版(ラテン語訳) マタイ福音書およびルカ福音書に書かれている祈りは文章が細部で異なるため、これとは別にカトリック教会は主の祈りを伝統的に受け継いできた。最初の3つの祈り(2-5行目)は神と天上に関する祈り、次の3つの祈り(6-10行目)は人間と地上に関する祈りである。最後の部分(11-13行目)は、一種の頌栄であり、祈祷文として用いる場合にのみ読まれる部分である。(ここでは「主の祈りの結びの頌栄」と呼ぶ。) Pater noster, qui es in caelis sanctificetur Nomen Tuum; adveniat Regnum Tuum; fiat voluntas Tua, sicut in caelo...
  • 定めの七十週
    以下の預言のことである。 ダニエル書9 21-26 こうして訴え祈っていると、先の幻で見た者、すなわちガブリエルが飛んで来て近づき、わたしに触れた。それは夕べの献げ物のころのことであった。 彼は、わたしに理解させようとしてこう言った。「ダニエルよ、お前を目覚めさせるために来た。お前が嘆き祈り始めた時、御言葉が出されたので、それを告げに来た。お前は愛されている者なのだ。この御言葉を悟り、この幻を理解せよ。 お前の民と聖なる都に対して 七十週が定められている。 それが過ぎると逆らいは終わり 罪は封じられ、不義は償われる。 とこしえの正義が到来し 幻と預言は封じられ 最も聖なる者に油が注がれる。 これを知り、目覚めよ。 エルサレム復興と再建についての 御言葉が出されてから 油注がれた君の到来まで 七週あり、また、六十二週あって 危機のうちに広場と堀は再...
  • モーセ五書への高等批評
    資料仮説の歴史 創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記のモーセ五書は、伝統的には預言者モーセが書いたとされてきた。しかし、中世よりすでに、モーセの死後のことが記載されているなどの矛盾についての議論が存在した。 モーセ五書には「ヤハウェ」(固有名詞の神の名)と「エロヒーム」(普通名詞の「神」)という二つの神名が用いられている。このことを最初に指摘したのはドイツのH・B・ヴィッター牧師(1711年)で、時を同じくしてフランス人の医師ジャン・アストリュックも指摘した。ヴィッター牧師は、これを彼の創世記の研究書で指摘した(1753年)。このことから、「ヤハウェ」(当初は「イェホバ」と発音された)を用いる資料を「J」、「エロヒーム」を用いるほうを「E」と呼ぶこととなった。ここから、モーセ五書の資料研究が本格的に始まることになった。 ヴェルハウゼン説 一般に資料仮説が紹介される...
  • 全地公会議
    公会議とは、キリスト論の違いにより生じた差異を埋め、統一見解を出すために行われた、キリスト教の統一会議のことである。 その中でも特に、正教会とカトリック教会の両方によって有効性が認められている第1回から第7回までを、正教会では「全地公会議」という。 第1ニカイア公会議(325年) - アリウス派排斥およびニケア信条採択、復活祭(復活大祭)の日付を確定。 第1コンスタンティノポリス公会議(381年) - 至聖三者論の定義、ニケア信経採択。 エフェソス公会議(431年) - ニケア信経の正統性を確認。ネストリオス派の排斥と神の母:生神女論争の決着。 カルケドン公会議(451年) - エウテュケスらの唱えた単性論(449年エフェソス強盗会議において認められたもの)の排斥。この時、非カルケドン派が分離した。 第2コンスタンティノポリス公会議(553年) - 三章問題の討議、カルケドン公会議...
  • キリスト教とイスラム教の比較
    ここでは、聖書とクルアーンの細かな差は聖書とクルアーンの関係に示し、よりマクロな視点から見ていく。 共通点 共通点の多くは、ユダヤ教から直接引き継がれた性質である。 信仰する神 キリスト教の唯一神(父なる神)とイスラム教の唯一神(アッラー)は、ともにユダヤ教の唯一神ヤハウェである。 ヨハネ1 1-3 初めに言(ロゴス。イエスのこと)があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。 クルアーン29 46 また啓典の民と議論するさいには、立派な(態度で)臨め。かれらの中不義を行う者にたいしては別である。それで言ってやるがいい。「わたしたち(ムスリム)は、自分たちに下されたものを信じ、あなたがた(経典の民)に下されたものを信じる。わたしたちの神...
  • キリスト教と倫理学
    キリスト教に関連する倫理学の主な項目を時代別に簡素にまとめた。 古代キリスト教 パウロによる贖罪論 はじめ、イエスの教えを奉じる人たちを迫害していたパウロは、回心して、異邦人への伝道に大きな力となる。彼はユダヤ人であると同時に、ローマ市民権を有しており、ギリシャ・ローマの教養も深かった。 旧約時代は、律法を守ることが救済の条件であると考えられていた。しかし、人間は、今も昔も律法を破り続けており、律法を完全に守ることはできなかった。パウロは己を振り返り、律法では人は救われないことを、痛切に告白する。 では、人の罪は、どうすれば救われるのか。人間の内面に潜む根源的な罪は、自力で償うことはできない。誰かほかの人によって、贖ってもらうしかない。そのために、神の子羊として、全く罪けがれのない人物が、血の犠牲となるために必要とされた。 イエスの十字架死によって、人間の罪は赦された。...
  • ニカイア・コンスタンティノポリス信条
    ニカイア・コンスタンチノポリス信条(ニケア・コンスタンティノープル信条)もしくは、ニケア信条(ニカイア信条)は、キリスト教会の宗教的会議(公会議)である第1回コンスタンティノポリス公会議(381年)で定められた信条(信仰告白)である。 今日、この信条を認め礼拝に用いる教派は、カトリック教会・正教会(東西のキリスト教会が1054年に分裂、西が「カトリック教会」、東が「正教会」となる)、カルケドン公会議などでそれ以前に分離した東方諸教会や、聖公会を含む大半のプロテスタント教会である。 わたしは信じます。唯一の神、全能の父、天と地、 見えるもの、見えないもの、すべてのものの造り主を。 わたしは信じます。唯一の主イエス・キリストを。 主は神のひとり子、 すべてに先立って父より生まれ、 神よりの神、光よりの光、まことの神よりのまことの神、 造られることなく生まれ、父と一体...
  • 安息日の労働
    形式主義的になることではなく、実質的に律法を理解することが大切だという教えである。 マルコ2 23-28 ある安息日に、イエスが麦畑を通って行かれると、弟子たちは歩きながら麦の穂を摘み始めた。ファリサイ派の人々がイエスに、「御覧なさい。なぜ、彼らは安息日にしてはならないことをするのか」と言った。 イエスは言われた。「ダビデが、自分も供の者たちも、食べ物がなくて空腹だったときに何をしたか、一度も読んだことがないのか。アビアタルが大祭司であったとき、ダビデは神の家に入り、祭司のほかにはだれも食べてはならない供えのパンを食べ、一緒にいた者たちにも与えたではないか。」 そして更に言われた。「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない。だから、人の子は安息日の主でもある。」 マタイ12 1-8 そのころ、ある安息日にイエスは麦畑を通られた。弟子...
  • テ・デウム
    テ・デウム(Te Deum)は、キリスト教のカトリック教会・ルーテル教会・正教会の聖歌の1つ。テクストの冒頭の一文“Te deum laudamus”(われら神であるあなたを讃えん)からこの名前で呼ばれる。 曲種としてはイムヌス(賛歌)に分類される。[[聖アンブロジウス http //art.pro.tok2.com/Bible/GSaints/Ambrose/Ambrose.htm\\により愛弟子の1人へ洗礼を授ける際に即興で作られたとされ、アンブロジウス聖歌からグレゴリオ聖歌に採り入れられた。聖務日課の「朝課」(真夜中の祈り)の最後に歌われることが多い。 演奏会で歌われる作品としては、シャルパンティエやベルリオーズ、ブルックナーによるものが著名。この他、ブライアン交響曲 第1番「ゴシック」やミヨーの交響曲 第3番「テ・デウム」のように交響曲のテキストとして用いる例もある。 原...
  • メソポタミア神話
    メソポタミア神話はシュメール人、東方セム語アッカド人、アッシリア人、バビロニア人と後に移住してきたアラム人カルデア人の信仰した宗教であり、彼らの共有し、発展させた神話体系である。現代のイラク、クウェート、トルコ南東部、シリア北東部にあたるメソポタミアとよばれる地域で紀元前4千年紀から4200年にわたり支配的な宗教であり続けた。その範囲はメソポタミア全域におよび、その後およそ紀元後10世紀にはアッシリア地域(メソポタミア北部)のみに縮小している[1]。 メソポタミアの多神教は数千年にわたりこの地域の唯一の宗教であり続けたが、1世紀から3世紀にかけて徐々に衰退を始めた。この衰退は東方教会(アッシリア東方教会、シリア正教会などのシリアック・クリスティアニティ)、そしてユダヤ教、マニ教、グノーシス主義との接触によりもたらされた。その後300から400年もするとほとんどの宗教的伝統は失われた。10...
  • クルアーン
    クルアーン(قرآن qur’ān)あるいはコーランは、イスラーム教(イスラーム)の聖典である。イスラームの信仰では、唯一不二の神(アッラーフ)から最後の預言者に任命されたムハンマド(c.570-632)に対して下された啓示と位置付けられている。啓示はムハンマドの生前、40歳の頃から始まり、多くの書記によって記録され、死後にまとめられた現在の形は全てで114の章(スーラ)からなり、約8万語のアラビア語の散文および韻文からなる。 クルアーンは、読誦して音韻を踏むように書かれている。「クルアーン」という名称はアラビア語で「詠唱すべきもの」を意味し、アラビア語では正確には定冠詞を伴って「アル=クルアーン」と呼ばれる。キリスト教の主の祈りに比される冒頭の「開扉の章」(ファーティハ)を除き、長い章から順に配列されている。教徒にとってはアッラーの神のことばそのもの、永遠なるつくられざる神の意志...
  • ペトロの説教
    聖霊降臨を受け、人々が「酒をに酔っているに違いない」などとさまざまな噂をしていたときに、ペトロが始めた演説である。ペトロは、聖霊降臨の様子を、ヨエルの預言のことだと説明した。 使徒2 14-21 すると、ペトロは十一人と共に立って、声を張り上げ、話し始めた。「ユダヤの方々、またエルサレムに住むすべての人たち、知っていただきたいことがあります。わたしの言葉に耳を傾けてください。今は朝の九時ですから、この人たちは、あなたがたが考えているように、酒に酔っているのではありません。そうではなく、これこそ預言者ヨエルを通して言われていたことなのです。 『神は言われる。終わりの時に、 わたしの霊をすべての人に注ぐ。 すると、あなたたちの息子と娘は預言し、 若者は幻を見、老人は夢を見る。 わたしの僕やはしためにも、 そのときには、わたしの霊を注ぐ。 すると、彼らは預言する。 上では、天に...
  • アダムとエバ
    アダムとエバは、旧約聖書『創世記』に記された、最初の人間である。天地創造の終わりに主YHWHによって創造されたとされる。 アダム(אָדָם)とはヘブライ語で「土」「人間」の2つの意味を持つ言葉に由来しており、エバはヘブライ語でハヴァ(חַוָּה)といい「生きる者」または「生命」の意味である。このエバ、エヴァ、或いはイヴ、イブ(英 Eve に由来する)という読みは希 Ευά(エウア)に由来する。 エデンの園 創世記2 8-15 主なる神は、東の方のエデンに園を設け、自ら形づくった人をそこに置かれた。 主なる神は、見るからに好ましく、食べるに良いものをもたらすあらゆる木を地に生えいでさせ、また園の中央には、命の木と善悪の知識の木を生えいでさせられた。 エデンから一つの川が流れ出ていた。園を潤し、そこで分かれて、四つの川となっていた。 第一の川の名はピションで、金...
  • 十戒の授与
    十戒の内容 旧約聖書では、十戒は3回出てきており、内容の詳細が異なる。これは、モーセ五書の編集段階で複数の資料を元にしたためと考えられる。 原資料の古さはJ,E,D,Pの順であるため、元々十戒には祭事規定が多く盛り込まれていたことがわかる。 出エジプト記20 2-17 申命記5 6-21 出エジプト記34 10-28 原資料 E,D資料 D資料 J資料 通称 モーセの十戒 倫理十戒 祭儀十戒 前文 「わたしはあなたの神、主であって、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出した者である。 『わたしはあなたの神、主であって、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出した者である。 主は言われた、「見よ、わたしは契約を結ぶ。わたしは地のいずこにも、いかなる民のうち にも、いまだ行われたことのない不思議を、あなたのすべての民の前に行うであろう。あなたが共に住む民はみな、主 のわざ...
  • サクラメント
    サクラメント(英 sacrament、羅 sacramentum)は、キリスト教において神の見えない恩寵を具体的に見える形で表すことである。それはキリスト教における様々な儀式の形で表されている。 ただし現在のキリスト教においては教派によってその指し示す内容、さらには日本語訳として用いられる表現も異なっている。例えば、カトリック教会では秘跡、聖公会では聖奠、プロテスタント教会では礼典、正教会では機密と呼ばれる。 教派ごとの比較 教派 カトリック 聖公会 プロテスタント 正教会 内容 総称 秘跡 聖奠 礼典 機密 - 1. 洗礼の秘跡 洗礼 洗礼 洗礼機密 キリスト教の入信に際して行われる。 2. 堅信の秘跡 堅信 - 傅膏機密 信者が洗礼を受けた後、聖霊の力・聖霊の恵みを受ける。 3. 聖体の秘跡 聖餐 聖餐 聖体機密 特殊なパンを聖別し、キリストの体の実体として信じ、食べる。...
  • 人間の死後
    キリスト教では、死後人間は最後の審判で裁かれるとされているが、そこまでの経過の解釈には、「ハデス」「ゲヘナ」「パラダイス」の解釈の違いにより、複数の説が存在する。 用語 私裁判と公裁判 ルカ16 19-31の金持ちとラザロのたとえは、ハデスのことを表していると考えられている。しかし、最後の審判とは明らかに異なる文脈であることから、これを「私裁判」の根拠とすることが多い。 また、以下の下りも最後の審判とは異なるため、「私裁判」の結果として「地獄」へ捉えられた例と考えられる。 2ペトロ2;4 神は、罪を犯した天使たちを容赦せず、暗闇という縄で縛って地獄(タルタロス)に引き渡し、裁きのために閉じ込められました。 ユダ6-7 一方、自分の領分を守らないで、その住まいを見捨ててしまった天使たちを、大いなる日の裁きのために、永遠の鎖で縛り、暗闇の中に閉じ込...
  • ヨハネの黙示録
    ヨハネの黙示録は、『新約聖書』の最後に配された聖典であり、『新約聖書』の中で唯一預言書的性格を持つ書である。 伝統的に、『黙示録』の成立はドミティアヌス帝時代の紀元96年周辺であると考えられてきたが、聖書学者の中にはネロ帝時代の69年頃と考える者も居る。前者の説の有力な傍証とされるのは202年に死去したエイレナイオスの著書『異端反駁』5巻30における証言である。エイレナイオスは著者ヨハネと会ったという人物から『黙示録』の執筆は「というのは、それが登場したのは余り前のことではなく、殆ど我々の時代、ドミティアヌスの治世の終わり頃のことである」という証言を直接聞いたと記す。さらに96年成立説を有力なものとするのは、『黙示録』に小アジアにおける迫害というテーマが含まれていることである。ネロ帝のキリスト教徒迫害はローマ周辺に留まっていた為、小アジアでも迫害が行われたドミティアヌス帝時代の成立...
  • 聖母の出現
    聖母の出現(Marian apparition)とは、聖母マリアが人々の前に現れたとされる出来事を言う。なお、聖母マリアがこのように特定人物や、一般大衆の前に姿を持って出現することを顕現(けんげん)とも言う。プロテスタントでは聖母信仰を否定するため、認めていない。 概要 この出来事を目撃した人はキリスト教徒に限らない。民衆の間に伝えられている話や噂は非常に多数あり、その数は数千にもおよぶ。ただし、そのうちカトリック教会が公認したのは24ほどにすぎない。 カトリック教会は、各地区の司教・バチカン(教皇庁)の担当者などの認定作業を経てこれらの出来事を公認するか否かを表明している。カトリック教会によると、これは人々が聖母の形をとった悪霊に支配されないために必要な手順であるとされる。 カトリック教会には従来、聖母マリアは受胎の瞬間から原罪を免れていたとする教えがある。これを「無原罪の御...
  • 最後の審判
    神もしくは神的存在が、その義に照らして人間の思い、ことば、行ないを裁くことを、裁き、審判という。これが世界の終末に全人類に対してなされるとき最後の審判と呼び、カトリックなどでは各自の臨終に行なわれるいわゆる私審判に対して公審判と呼ぶ。 ゾロアスター教では、死後霊魂は報復者の橋を渡り、もし悪業が善業を上回ると橋がせばまって地獄に落ちるという。しかし終末には、アフラ・マズダが魔王アーリマンに勝って全人類を復活させ、最後の審判を主宰して世界を善に建て直すとされる。 ユダヤ教では、前8世紀頃から「主の日」(アモス書5・18ほか),すなわちイスラエルの神「ヤハウェの日」が強調され、この日には裁き主なる神が直接人間の歴史に介入し、その義を顕してイスラエルとすべての民族を裁き、神の国を始めると信じられた。 この終末史観と密接に関連した最後の審判の思想は、キリスト教でも継承され、救...
  • 非キリスト教徒の死後
    過去の神学者らの見解 キリスト教以外に救いはあるのかという問いについて、過去の著名な神学者らは以下のように答えている。 人は思い違いをしてはならない。この家の外、つまり教会の外では誰も救われない。(オリゲネス、没 254 年) 誰もカトリック教会の他には救いを見出すことはできない。カトリック教会の外に、人はすべてのものを見出すことができ るだろうが、救済を得られることはない。(聖アウグスティヌス、没 430 年) 教会の外では救済への参入は存在しない。(トマス・アクィナス、没 1274 年) キリスト教の外にいる者、すなわち異教徒、トルコ人、ユダヤ人あるいは偽キリスト教徒は、唯一の真なる神を信じている 場合も、それでも永遠の神罰と地獄にとどまる。(ルター、没 1546 年) それゆえわれわれは、創造の理由において神に属するすべての非キリスト教徒たちに、彼(イエス・キリスト)を...
  • 旧約と新約
    旧約の契約締結 エジプトを脱出したモーセが、シナイ山で神と交わした契約である。 このとき神から授けられたのが十戒である。 神から十戒を受け取ったときのことが出エジプト記に書かれている(出20 3-17) あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。 あなたはいかなる像も造ってはならない。上は天にあり、下は地にあり、また地の下の水の中にある、いかなるものの形も造ってはならない。あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない。わたしは主、あなたの神。わたしは熱情の神である。わたしを否む者には、父祖の罪を子孫に三代、四代までも問うが、わたしを愛し、わたしの戒めを守る者には、幾千代にも及ぶ慈しみを与える。 あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。みだりにその名を唱える者を主は罰せずにはおかれない。 安息日を心に留め、これを聖別せよ。六...
  • キリスト論
    キリスト論はキリスト教の教理・教義、また神学の細目の一。三位一体の第2位格である子イエス・キリストはどのような存在であるかの定義、付随して先在、受肉、公生涯、十字架、復活、昇天などのキリストに纏わる事象や行為の意味などをキリストとの関わりにおいて考察する神学分野。 旧約聖書に預言されたキリスト 旧約聖書に預言されたキリストは、旧約聖書においてキリスト(ヘブライ語でメシア)のことを指し示していると、伝統的解釈において指摘されている預言である。 原福音(創世記3 15) アダムとエバが楽園を追われた時、神はこのように言った。 創世記3 14-15 主なる神は、蛇に向かって言われた。 「(略) お前と女、お前の子孫と女の子孫の間に わたしは敵意を置く。 彼はお前の頭を砕き お前は彼のかかとを砕く。」 「お前」が「蛇」、「女の子孫」が「キリ...
  • 公同書簡への高等批評
    ヤコブの手紙 著者については、「主イエス・キリストの僕であるヤコブ」(1 1)と記されている。ヤコブと名のつく人物は、新約では4名おり、いずれを指すのかが問題となる(使徒ヨハネの兄弟でゼベダイの子ヤコブ、アルファイの子ヤコブ、使徒タダイの父ヤコブ、主イエスの兄弟ヤコブ)。ゼベダイの子ヤコブは紀元44年と早い時代に殉教しているので、考えにくい。他は知名度、実力が高くはない。そのため、古代教会時代の教父たちはこのヤコブを、イエスの兄弟ヤコブ(紀元62年頃没)と見なしてきた(パウロは彼を、「主の兄弟」「教会の主だった三人の一人」と呼んでいる。ガラテヤ1 19、2 9)。 ただし、研究者の多くは、別の人物が他の人物を名乗って執筆したと考え、実際の著者をいずれのヤコブとも見なさない立場を採っている。というのも、パウロから発展した信仰義認という、一種の怠惰的思想に反対したユダヤ人キリスト教徒...
  • イエスの顕現
    イエスの顕現について最も初めに触れられているのはパウロ書簡のコリントの信徒への手紙一である。ケファとはシモン・ペトロのことである。また、ここで言及されている「聖書」とは旧約聖書のことであり、福音書はまだ存在していない。(Ⅰコリント15 3-8) 最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、ケファに現れ、その後十二人に現れたことです。次いで、五百人以上もの兄弟たちに同時に現れました。そのうちの何人かは既に眠りについたにしろ、大部分は今なお生き残っています。次いで、ヤコブに現れ、その後すべての使徒に現れ、そして最後に、月足らずで生まれたようなわたしにも現れました。 他の全ての福音書はこれより後に書かれている...
  • 考古学的推察
    イスラエル人の出自 ヨルダン川東岸の山岳地帯からカナン地方に進出してきたイスラエル人達の出自は不明である。 イスラエル人たちが始祖とするアブラハムは、旧約聖書によれば「カルデアのウル」からカナンの地へ移住してきたことになっている。この「カルデアのウル」を南部メソポタミアのウルとするのはレオナード・ウーリーによって始められてから考古学者や歴史学者に支持されてきたものの、バビロニアからの移住は考えにくくメソポタミア北西部からの移住だとする見方もある。 彼らの出自としてはこの他にも、カナン諸都市の周辺部に居た半遊牧民達が山地に逃れて定住したとする説、カナンの諸都市の奴隷や下層民が都市を逃れて定住したとする説、アラム地方から移住してきたとする説など様々である。おそらくは多様な出自を持つ人々であり、この中からヤハウェ神信仰を共有する部族がまとまってイスラエル部族連合が形成されたのであろう...
  • キリスト教と同性愛
    キリスト教の影響を受けた欧米諸国では伝統的に、同性愛は性的逸脱であり、宗教上の罪(sin)としてきた。一方、近年の医学の発達により、同性愛も異性愛と同様に生まれつきの性的指向であり、不当な扱いをされるべきではないとの認識が広まっている。 まず、今回の項目を書くにあたり、当サイトが「聖書無謬説」を採用していないことを宣言する。聖書は人による神の記録であり、聖書自体は神ではないからである。 旧約時代の律法における同性愛(男色)の禁止 旧約聖書では、創世記のソドムとゴモラの逸話において、神が同性愛(正確には男色)を理由に、ソドムとゴモラを滅ぼしたとされている。 ソドムとゴモラの破滅の経緯は、創世記18 20-21にかかれている。 主は言われた。「ソドムとゴモラの罪は非常に重い、と訴える叫びが実に大きい。わたしは降って行き、彼らの行跡が、果たして、わたしに届いた叫びの...
  • 地球平面説神話
    実は、聖書には地球が平面であるとは書かれていない。しかしながら、平面なのではないかと疑わせるような記述があったことから、一部の古代のキリスト教徒は地球は平面だと考えていた。 イザヤ書24 1(口語訳) 見よ、主はこの地をむなしくし、これを荒れすたれさせ、これをくつがえして、その民を散らされる これは大救患時代に関する記述であり、主が地をくつがえす、と書かれている。地球平面説を想定するならば、主が平面の地をひっくり返すことで人々が散り散りになる、というように解釈することができる。 マタイ4 8 更に、悪魔はイエスを非常に高い山に連れて行き、世のすべての国々とその繁栄ぶりを見せて、 これはイエスが荒野の誘惑の修行を受けている際の記述である。地球平面説を想定するならば、平面の地をはるか上空より眺めればすべての国が見渡せる、というように解釈することができ...
  • 聖書とクルアーンの関係
    聖書とクルアーンには矛盾する点がいくつもある。 こうした食い違いについて、ユダヤ教やキリスト教では、イスラム教のクルアーンが誤りであると主張し、イスラム教では、ユダヤ教やキリスト教の聖書が誤りであると主張する。したがって両者が対立してしまうのである。 キリスト教とイスラム教の認識の違い キリスト教に関するムスリムの知識には限界があり、しばしばキリスト教徒(とユダヤ教徒)を啓典の民ズィンミーもしくは異端だと思っている。 キリスト教徒から見ればイスラム教は異端からカルトまで多様で、同じ神を崇拝する宗教仲間とは思えないほどである。 キリスト教とイスラム教はどちらも、イエス=イーサーは神から遣わされたと考えている。 しかしキリスト教徒が通常イエスを神の子と考えるのに対し、ムスリムは三位一体を神の唯一性を分割したもので重大な罪(シルク)だと考えている。また、イエスの死に対する考え方も全く...
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