組織神学

聖書研究wiki@trinity_kristo内検索 / 「組織神学」で検索した結果

検索 :
  • 組織神学
    組織神学(Systematic Theology)はキリスト教神学の科目(聖書学、歴史神学、組織神学、弁証学、実践神学)の一つであり、聖書を絶対的基準として、教会の歴史的遺産である信条などを参考にして、聖書において啓示されている真理を体系的に提示し、教会形成と伝道の働きに用いることを目的とする学問である。主に、英米系の神学者によって用いられる名称である。主なテーマは、神、罪、救い、終末と天国 の4つに区分される。 序論、神論、人間論、キリスト論、聖霊論、救済論、教会論、終末論によって構成される。
  • 歴史神学
    ...ogy)は聖書神学、組織神学、弁証学、実践神学、に並ぶ神学の一部門である。 歴史神学とは、神の人間に対する超自然的啓示と、使徒時代に始まる教会の歴史を、歴史学的方法によって研究する神学の部門である。 歴史学に属する諸学科には、教会史、教理史、信条史、伝道史、教父学、教会政治史、礼拝史、キリスト教美術史、教会音楽史、など、教会活動に関係する全領域が含まれる。
  • 神学
    ...学 新約聖書神学 組織神学 序論 神論三位一体 人間論 キリスト論 聖霊論 天使論 サタン論 救済論 罪論 神義論 教会論サクラメント 終末論普遍史 歴史神学 教会史 教理史 信条史 伝道史 教父学 教会政治史 礼拝史 キリスト教美術史 教会音楽史 弁証学 実践神学 宣教学 牧会カウンセリング http //biblestyle.com/theology.html http //ushiwatat.info/blog/archives/339
  • メニュー
    ...神学 聖書神学 組織神学神論 キリスト論 聖霊論 天使論 悪霊論 神義論 歴史神学キリスト教美術史 教会音楽史 弁証学 実践神学 聖書批評学 高等批判(旧約聖書)モーセ五書への高等批評 メソポタミア神話 高等批判(新約聖書)Q資料 考古学 メソポタミアの洪水 小惑星アピン アブラハムの井戸 考古学的推察 アテン賛歌 ソレブ神殿の碑文 メルエンプタハ碑文 ハンムラビ法典 テル・ゲゼル遺跡 ターナクの祭儀台 テル・ダン碑文 メシャ碑文 カラク碑文 クンティレット・アジュルド遺跡のピトス シロアム碑文 ティーラ・プリズム イエスの時代のシナゴーグ フレゴンの日食記事 フラウィウス証言 ローマ人による諸記録 聖遺物トリノの聖骸布 ピラト碑文 ガリオ碑文 自然科学との関連 地球平面説神話 神の存在証明 天文学とキリスト教ベツレヘムの星 中世の天体音楽論 大洪水の否定...
  • 神学大全
    『神学大全』(ラテン語:Summa Theologiae, Summa Theologica, Summa)は、「神学の要綱」「神学の集大成」という意味の題を持つ中世ヨーロッパの神学書。13世紀に中世的なキリスト教神学が体系化されると共に出現した。一般的にはトマス・アクィナスの『神学大全』が最もよく知られているが、他にもヘールズのアレクサンデルやアルベルトゥス・マグヌスの手による『神学大全』も存在する。 トマス・アクィナスの神学大全 『神学大全』は以下のような三部構成からなっている。第一部は119の問題が、第二部は303の問題が、第三部では90の問題が、合計512の問題が取り上げられている。 第一部 神について、119問 問1 聖なる教え 問2-26 神 問27-43 三位一体 問44-46 創造 問47 一般事物の区別 問48-49 善と悪...
  • 実践神学
    実践神学(Practical theology)は幅広い実践分野を原理的、方法論的に取り扱う神学の部門の一つである。 実践神学には、宣教学、牧会学、キリスト教教育学、説教学、典礼学(礼拝学)、教会政治学、牧会カウンセリングなどの項目がある。
  • 弁証学
    キリスト教弁証学研究ミニストリーによると、弁証学とは「キリスト教の信仰において、合理的な防衛を与えるキリスト教神学の一つ」。言い換えれば、つまりそれは異端の意見や異議に対抗して、キリスト教の信仰を守るという考え方である。 弁証学は、時に複雑な神学のトピックを掘り下げ、徹底的に追及する。
  • コロサイの信徒への手紙
    伝統的に使徒パウロがコロサイの共同体へあてて書いたものであるとされるが、近代以降異論もある。 伝統に従えばパウロが、ローマで最初に投獄されていた期間(『使徒言行録』28 16)、おそらく紀元57年に(62年という説をとなえる学者も)『エフェソの信徒への手紙』(エフェソ書)のあとに書いたと考えられる。 構成 本書簡は神学的考察と実践的なすすめの二部構成になっている。 神学的考察(1-2章) 実践的なすすめ(3-4章)
  • プロテスタント
    プロテスタント(英語 Protestantism、Protestant)は、宗教改革運動を始めとして、カトリック教会(または西方教会)から分離し、特に(広義の)福音主義を理念とするキリスト教諸教派を指す。 プロテスタントという総称は、その担い手達がローマ・カトリック教会に抗議(ラテン語 prōtestārī, プローテスターリー)したことに由来する。 有名な派閥にルター派(ルーテル教会)がある。 歴史 1517年以降、マルティン・ルターらによりカトリック教会の改革を求める宗教改革運動が起こされた。 1524年、ドイツ農民の不満を背景に、急進派トマス・ミュンツァー率いる武装農民が蜂起し、これに対してルター派の諸侯らが激しく衝突、多くの犠牲が生じたいわゆるドイツ農民戦争が勃発した。1529年にルター派の諸侯や都市が神聖ローマ帝国皇帝カール5世に対して宗教改革を求め...
  • テオドレトス『教会史』
    テオドーレートス QeodwvrhtoV (Lat. Theodoretus),(後393頃~後466頃)は古代末期のキリスト教神学者。シリアのキュッロスの主教(在任・423-466頃)。アンティオケイアに生まれる。ネストリオスの友人。アリウス派、マルキオーン派には反対したが、公然とネストリオスを支持(431)、些末な神学論争に巻き込まれ、エペソスの「強盗会議」において免職・追放に処された(449)。しかし、451年のカルケードーン公会議に召還され、ネストリオスを裏切り弾劾することで復職を認められる。 カイサレイアのエウセビオスの『教会史』の続編として、323年から428年までを扱った『教会史』Ekklesiastike Historiaを著わしたほか、護教諭や聖人伝、書簡などを残した。 http //web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/u...
  • パウロ書簡への高等批評
    ここでは、パウロ書簡のうち、真筆性が高いとされる7書簡を除いた6書簡について検証する。 エフェソの信徒への手紙 高等批評では、パウロの手紙を第三者が編集したものとされているが、パウロ本人が編集した可能性もあるとされる。 エフェソの信徒への手紙は以下のような問題点がある。 現存する最初期の写本には「エフェソの」という言葉は見られず、単に「聖なる人々、イエス・キリストを信じる人々」があて先になっている。 文中にはエフェソの人々に関する言及や、パウロのエフェソでの体験が一切語られていない。 1 15にある「あなたたちの信仰をきいて」という表現は、著者が対象となった人々についてあまり知らないことを示している。これは『使徒書』の記述にあるようにパウロがエフェソの創立者であり、長期にわたって滞在したという記述と矛盾する。 これを考えると、著者がパウロである可能性は低い。一方で、エ...
  • 近代の逸話
    ここでは、レゲンダ・アウレアの時代より近代に起きた伝説的な出来事に関してまとめる。一般的なキリスト教神学の見解としては、一般啓示が行われることはもはやないが、私的啓示はありうるとされている。 なお、聖母の出現はここには記載しない。 イエス・キリストの出現 Jesus visited dying Muslim in hospital room, brought healing Jesus appeared to Muslim woman, answered her request for cigarettes, later brought miraculous healing
  • キリスト教系新宗教
    セブンスデー・アドベンチスト教会(アメリカ) アメリカの再臨待望運動において1843年-1844年にキリストが再臨すると予告して起こったキリスト教系宗教組織。SDAは自らをプロテスタント教会と位置付けており、宗教分類学的にはキリスト教系の新宗教に分類される。 イエス・キリストはミカエル(天使)であり、全能の神ではないとしている。 霊魂消滅説を主張、地獄を否定している。 エホバの証人「ものみの塔聖書冊子協会」(アメリカ) 1870年代にチャールズ・テイズ・ラッセルによって設立され、世界本部は長らくニューヨーク市ブルックリン区に置かれていたが、2016年に同州ウォーウィックへ移転する。信者数は全世界で約820万人、最多国アメリカでは約120万人、日本は約21万人いるとされている。聖書は主に新世界訳聖書を使用し、主流派キリスト教の条件とされる基本信条を否定する立場にあり、三位一体論の否...
  • バルナバの手紙
    使徒教父に含まれる一文書。70年以後140年までの間に,異邦人キリスト者の一人によって記された。本書には使徒バルナバの名が付せられているため,古代においては高く評価されていたが,内容からいってバルナバの書とは言えない。手紙というよりは説教ないし神学論文に近く,2~17章では旧約を引用しつつユダヤ人の啓示理解を批判し,18~20章では〈光の道〉と〈闇の道〉の二つの道という形で道徳的勧告が述べられる。 本文(英語):http //www.newadvent.org/fathers/0124.htm
  • 七元徳
    七元徳(しちげんとく)とは、カトリック教会の教義における7つの基本的な徳をいう。 古代ギリシアの「知恵」、「勇気」、「節制」、「正義」の4つの枢要徳に、『新約聖書』のパウロの手紙に見られる「信仰」、「希望」、「愛」の3つの徳を加えたものである。 カテキズム(キリスト教の教理をわかりやすく説明した要約ないし解説)においては、徳を人間的徳と対神徳に分け、4つの枢要徳を人間的徳の中心的な役割を果たすもの、信仰・希望・愛の3つを対神徳とする。 13世紀のトマス・アクィナスは、その著作の中で、キリスト教徒の七つの枢要徳と対比する形で七つの「枢要罪」をあげている。 歴史 4つの枢要徳については、プラトンやアリストテレスの著作に見える。なお、ギリシャ哲学からの逆輸入と考えられるものの、旧約聖書外典の「知恵の書」にも書かれている。 知恵の書8 7 だれか正義を愛する人がいるか。 知...
  • 神義論
    神義論(独:Theodizee)は神学の一部門であり、1646年に生まれたドイツの哲学者かつ数学者であるゴットフリート・ライプニッツが作った言葉。弁神論とも訳す。 ライプニッツはキリスト教の立場から、全能で善なる神の存在にかかわらず、世界に悪が存在することの矛盾の弁証を1710年刊の著書『弁神論』で論じた。 ヨブ記 なぜ世界に悪が存在するのか。なぜ正しい者が苦しみ、悪しき者が栄えるのか。 このような疑問はあらゆる宗教・哲学に認められるものだが、特にキリスト教のような厳格な人格神を進行する一神教では、この疑問は神の存在そのものへの疑問につながる。 このような疑問に対する最も古い回答は、旧約聖書の『ヨブ記』にみられる。ヨブ記において、義人であったが皮膚病に苦しんだヨブは、「人間の認識には限界があり、神の業について理解することはできない」と結論づけた。 聖書の時代において、...
  • トップページ
    キリスト教研究wiki Studying Christianity wiki 幅広く扱っていきたいと思っています。 著者 特にクリスチャンでも、神学者でもなく、 宗教学者や社会学者というわけでもありません。 持病のため生きづらさを抱え、 キリスト教の自己研究をはじめました。 メニュー1、メニュー2 タイッツー 聖書研究wiki@christ ツイッター(全て利用停止中) キリスト教(リベラル派)bot @trinity_kristo キリスト教ユダヤ教歴史bot @trinity_history 励ましの聖書の言葉bot @SermonibusDei キリスト教絵画bot @religious_bot(掲載作品一覧) マストドン@Christodon キリスト教(リベラル派)bot出張所@trinity_kristo ...
  • アンテオケのイグナティオス
    アンティオキアのイグナティオス(35年頃 - 107年?)は、アンティオキアの第2代主教(司教)。正教会、非カルケドン派、カトリック教会、聖公会、ルーテル教会などで聖人とされる。使徒教父の一人。 イギナティオスは若年の頃にキリスト教に帰依し、ローマ皇帝がネルヴァからトラヤヌスに変わった頃(98年)にはアンティオキア教会の第2代目の司教になった。ローマで殉教する旅の途中、イグナティオスは、最も初期のキリスト教神学の例と見なされている一連の手紙を書き送った。これは、教会論、サクラメント論、主教論を含んでいる。 イグナティオスは、ローマのクレメンスとポリュカルポスとともに、使徒教父の筆頭であり、個人的に使徒を知っていた初期のキリスト教著述家の一人であると伝えられる。 http //www.newadvent.org/cathen/07644a.htm https //ja.w...
  • キリストのご受難を幻に見て
    http //hushiginomedai.holy.jp/the%20passion%20of%20jesusu%20christ%20index.html アンナ・カタリナ・エンメリックの傷 エンメリックが胸に十字の形の聖痕を受けたのは1813年頃であった。エンメリックは長い間、荊冠の聖痕による痛みに耐えていたが、さらに胸の十字の聖痕の痛みそして、両手、両足、右わき腹に聖痕を受けることなった。その聖痕の特徴として、いくつかのものは毎週水曜日、そしてその他のものは金曜日に血を噴き出すことが記録に残されている。 その他にこの聖痕は、数年たっても傷口が炎症も化膿もせずに、傷口が新たにつけられたかのような状態であり続けたことが医師たちによって証言されている。医学的にはこのようなことはありえないとされる。 この聖痕については、1813年にミュンスターの司教総代理、クレメンス・アウ...
  • ヘブライ人への手紙
    『ヘブライ人への手紙』は新約聖書中の一書で、新約聖書中もっとも文学的な書であるといわれる。その理由はギリシア語の流麗さにあり、アレクサンドリアのクレメンスも絶賛していたとエウセビオスが記している。オリゲネスは(当時使徒パウロの手紙とされていた)『ヘブライ人への手紙』(以下『ヘブライ書』)は他のパウロ書簡とはギリシア語の見事さにおいて際立った違いがあると分析している。著者は不詳であるが、おそらくパウロ書簡がまとめられたあとの95年ごろに執筆されたと考えられている。本書が『ヘブライ人への手紙』と呼ばれるのはテルトゥリアヌスが『デ・プディチティア』の中でそう呼んで以来のことである。 構成 本書には二つの異なる要素を持つ部分が相互に組み合わされている。 神学・教義に関する部分(1 11-14、2 5-18、5 1-14、6 13-9 28、13 18-25) 倫理・道徳に関する部分(2...
  • フィリオクェ問題
    フィリオクェ問題とは、ニカイア・コンスタンチノポリス信条の解釈・翻訳をめぐる問題である。キリスト教の神学上最大の論争のひとつで、カトリック教会と正教会の分離、いわゆる大シスマ(東西分裂)の主因となった。 730年、東ローマ皇帝レオーン3世は、イコン崇敬を禁じる聖像禁止令を出した。しかし、この勅令にローマ教皇は真っ向から反対し、東西教会の対立が始まった。863年には「フィリオクェ問題」でコンスタンティノープル総主教フォティオスとローマ教皇ニコラウス1世が激しく対立した。 フィリオクェ問題とは 聖霊に関するキリスト教の教義の違いで対立した。 東方教会:「聖霊は父より出で」 西方教会:「聖霊は父と子から出て」 ラテン語で ex Patre Filioque procedit 「フィリオクェ」という語はラテン語で「子もまた」を意味する “Filioque” の音写で...
  • 地球平面説神話
    実は、聖書には地球が平面であるとは書かれていない。しかしながら、平面なのではないかと疑わせるような記述があったことから、一部の古代のキリスト教徒は地球は平面だと考えていた。 イザヤ書24 1(口語訳) 見よ、主はこの地をむなしくし、これを荒れすたれさせ、これをくつがえして、その民を散らされる これは大救患時代に関する記述であり、主が地をくつがえす、と書かれている。地球平面説を想定するならば、主が平面の地をひっくり返すことで人々が散り散りになる、というように解釈することができる。 マタイ4 8 更に、悪魔はイエスを非常に高い山に連れて行き、世のすべての国々とその繁栄ぶりを見せて、 これはイエスが荒野の誘惑の修行を受けている際の記述である。地球平面説を想定するならば、平面の地をはるか上空より眺めればすべての国が見渡せる、というように解釈することができ...
  • ヨハネの黙示録への高等批評
    この見方では、『黙示録』は、紀元前2世紀以降のユダヤ教で起こった終末思想とそれにしたがって書かれた『ダニエル書』などの一連の黙示文学の影響を受けたキリスト教的黙示文学であると解釈する。この見方が18世紀以降、自由主義神学の高等批評を受け入れる研究者の中では主流となっている。この解釈に沿ってみていくと、『黙示録』が『ダニエル書』などの一連の黙示文学と同じ「幻のうちに受ける啓示」、「歴史区分の提示」、「神の完全な支配の実現」などのパターンに沿って書かれているということがよくわかるとされる。 ヨハネ福音書およびヨハネ書簡そもものについても、作者が使徒ヨハネである可能性は低いと考えられているが、ヨハネ福音書とヨハネ書簡には思想や文体に共通性があり、同じ思想をもつ複数の人物によって書かれたと推測されている。仮にそれを「ヨハネ教団」とここでは呼ぶこととする。 しかし、ヨハネ福音書は、他...
  • アヴェスター
    ゾロアスター教の聖典であり、次の構成である。 「ヤスナ(Yasna)」 大祭儀で読唱される神事書・祭儀書。全72章。 「ウィスプ・ラト(Visperad)」 ヤスナの補遺。小祭儀書。 「ウィーデーウ・ダート(Vendidad)」 除魔書。 「ヤシュト(Yasht)」 神頒歌。 「クワルタク・アパスターク(Xvartak Apastāk, Khordeh Avesta)」 小賛歌・小祈祷書。 その他逸文。 ヤスナ 言語学的に最も古いと考えられる、全72章の祭儀書。72章のうちの17章は、開祖ザラスシュトラ(ゾロアスター)自身が書いたと推測される『ガーサー』という韻文詩になっている。 ウィスプ・ラト 『ヤスナ』の祭儀書に内容が追加された補遺的な小祭儀書。『ウィスプ・ラト』というのは、『全ての権威者・権威ある神々』の意味であり、その内容も神々の権威を褒め称...
  • 原子論とキリスト教
    デモクリストやエピクロスの原子論 「同じ文字(アルファベット)から、悲劇も喜劇もできている」とデモクリトスは自分の原子論を説明した。 2400年前ギリシヤの哲学者デモクリスト(約BC460-約BC370)やエピクロス(BC342-BC271)たちは、物質は細かく分割できない小片にたどり着くと考えた。彼らはこの小片を分割不可能なものと言う意味でアトモスと名付けた。これが原子の由来である。アトモスの数は無数で、それらがいろいろな組み合わせで結合して多様な物質を作っていると考えていた。この世のものはすべて、多くのアトモスから出来ており、その間を空虚な空間すなわち真空が占めていると考えていた。 アリストテレスの四元素説 その後ギリシヤの哲学者アリストテレス(BC384-BC322)によって反対され、 地上のあらゆるものは4つの元素(火、水、空気、土)から成るとする4元素説を唱え、星や太...
  • 神の存在証明
    神の存在証明は以下の4つに大きく分類される。 目的論的証明(自然神学的証明):世界が規則的かつ精巧なのは、神が世界を作ったからだ。 本体論的証明(存在論的証明):「存在する」という属性を最大限に持ったものが神だ。 宇宙論的証明:因果律に従って原因の、原因の、原因の・・・と遡っていくと根本原因があるはず。この根本原因こそが神だ。 道徳論的証明:道徳に従うと幸福になるのは神がいるからだ。 ここでは、有名な神学者による神の存在証明や、それに類似した逸話などを載せていく。 アンセルムス(Anselmus Cantuariensis) 1033-1109年、イタリア 中世ヨーロッパの神学者、哲学者、カンタベリー大司教(1093-1109年)。 神の存在を理性的に証明できるとした初めての人。 アンセルムスの演繹法(1078)として知られる。 神の存在の本体論(存在論)的証...
  • キリスト教文学
    キリスト教文学の歴史 2~3世紀 地中海文化の中心アレクサンドリアのオリゲネスをはじめとするギリシア語の作品、テルトゥリアヌスらによる護教的なラテン語の作品がある。 4世紀 生の苦悩と回心を扱うアウグスティヌスの自伝『告白』はキリスト教文学初期のもっとも重要な作品である。本書はアウグスティヌスの青年時代の罪深い生活からキリスト教へのめざめをたどっている。西欧において最初期に書かれていた自伝にはよく見られる内容であり、その後中世までおよそ1000年にわたってキリスト教徒の作家に強い影響を及ぼす雛形となった。完成した自伝ではなく、40歳ごろまでのアウグスティヌスしか書かれていない。 また、同じくアウグスティヌスの歴史書である『神の国』は、世界の創造以来の歴史を、地の国とそれに覆われ隠されている神の国の二つの歴史として叙述しており、普遍史の一つの解釈として知られているが、カトリ...
  • フィレモンへの手紙
    パウロ書簡の一書。真筆性は極めて高いとされる。 本書簡は、ローマあるいはエフェソスにおいて獄中にあったパウロが、紀元60年頃に協力者フィレモンと二人の仲間(アフィアとアルキポ)およびフィレモンの家の教会にあてて記したものである。『コロサイの信徒への手紙』によれば、フィレモンはコロサイの共同体のメンバーであったと思われる。ただ『コロサイ書』の真筆性には疑問が残る。偽書とした場合、『コロサイ書』は本書を単に模倣したとする説もあるが、その成立はかなり早いと推定されるのでこうした関係を否定できないとする説もある。この書簡でパウロはフィレモンの奴隷であったオネシモ(オネシモス、ギリシア語で「役に立つ」の意)なる人物への配慮を求めている。詳しい事情は文面から知りえないが、オネシモは一度「役に立たないもの」としてフィレモンのもとを離れたが、彼を再び迎え入れてほしいというのがパウロの願いである。 ...
  • 右メニュー
    聖書研究 聖書の疑問点 父なる神についてエロヒム(我々) 神のかたち 神の性別 神を見る 神の殺した人数 失われた書 旧約聖書についてエデンの園の比定 聖絶の正当性 イスラエル十二部族 十戒と律法の分類 神殿 イエスについてメルキゼデクとイエス イエスの系図 イエスの兄弟 イエスの誕生日 イエスの活動期間 イエスの言葉 イエスのたとえ話天の国 イエスの奇跡 イエスの最後の一週間 十字架上のキリストの最後の7つの言葉 新約聖書の地理 旧約と新約 律法の完成 イエスの死を見届けた女たち 聖書の相似構造 原罪論と贖罪論 ユダヤ教内グループ 共観福音書とヨハネ福音書 四福音書対照表 終末について世の終末 最後の審判 反キリスト 獣の数字 人間の死後 非キリスト教徒の死後 文化についてパウロの教えの信憑性 キリスト教と倫理学 キリスト教と同性愛 キリスト教のシンボル チェスとキリスト教文化 占いとキ...
  • 神を見る
    聖書の中では、神の顔を見ることは非常に恐れられている。 それは、神の顔を見ると死ぬからである。 神の顔をみると死ぬ 主の顔を見ると死んでしまうことが以下の記載からわかる。 出エジプト記3 6 神は続けて言われた。「わたしはあなたの父の神である。アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。」モーセは、神を見ることを恐れて顔を覆った。 出エジプト記33 20 また(主は)言われた。「あなた(モーセ)はわたしの顔を見ることはできない。人はわたしを見て、なお生きていることはできないからである。」 出エジプト記33 21-23 更に、主は言われた。「見よ、一つの場所がわたしの傍らにある。あなたはその岩のそばに立ちなさい。わが栄光が通り過ぎるとき、わたしはあなたをその岩の裂け目に入れ、わたしが通り過ぎるまで、わたしの手であなたを覆う。わたしが...
  • キリスト教と倫理学
    キリスト教に関連する倫理学の主な項目を時代別に簡素にまとめた。 古代キリスト教 パウロによる贖罪論 はじめ、イエスの教えを奉じる人たちを迫害していたパウロは、回心して、異邦人への伝道に大きな力となる。彼はユダヤ人であると同時に、ローマ市民権を有しており、ギリシャ・ローマの教養も深かった。 旧約時代は、律法を守ることが救済の条件であると考えられていた。しかし、人間は、今も昔も律法を破り続けており、律法を完全に守ることはできなかった。パウロは己を振り返り、律法では人は救われないことを、痛切に告白する。 では、人の罪は、どうすれば救われるのか。人間の内面に潜む根源的な罪は、自力で償うことはできない。誰かほかの人によって、贖ってもらうしかない。そのために、神の子羊として、全く罪けがれのない人物が、血の犠牲となるために必要とされた。 イエスの十字架死によって、人間の罪は赦された。...
  • 天文学とキリスト教
    この項目では、地動説が提唱される前の天文学とキリスト教徒の関連について解説する。 天文学とキリスト教の融合 元来、キリスト教は天文学と折り合いが悪かった。 5世紀の聖アウグスティヌスは次のように述べている。 球状の天が宇宙の中心にある地球を取り囲んでいようと、地球のどこかにひっかかっていようと、私にとって何の関わりがあろうか。 そして、教父たちの多くも同じ考えであった。 しかし、13世紀の神学者トマス・アクィナスは、当時折り合いの悪かったキリスト教とアリストテレス哲学を調和させ、スコラ哲学を完成させた。 その成果を基にして、天動説的宇宙観をキリスト教に取り入れた作品が、かの有名なダンテの『神曲』である。 ダンテの『神曲』では、地獄の大淵と煉獄山の存在する地球を中心として、同心円状に各遊星が取り巻くプトレマイオスの天動説宇宙観に基づき、ダンテは...
  • 神のかたち
    神のかたちとは 創世記1 26-27 神は言われた。「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」 神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。 ヘブライ語 26 ‏וַיֹּ֣אמֶר אֱלֹהִ֔ים נַֽעֲשֶׂ֥ה אָדָ֛ם בְּצַלְמֵ֖נוּ כִּדְמוּתֵ֑נוּ וְיִרְדּוּ֩ בִדְגַ֨ת הַיָּ֜ם וּבְע֣וֹף הַשָּׁמַ֗יִם וּבַבְּהֵמָה֙ וּבְכָל־הָאָ֔רֶץ וּבְכָל־הָרֶ֖מֶשׂ הָֽרֹמֵ֥שׂ עַל־הָאָֽרֶץ׃ ‎27 ‏וַיִּבְרָ֨א אֱלֹהִ֤ים׀ אֶת־הָֽאָדָם֙ בְּצַלְמ֔...
  • 東方正教会
    正教会の組織は国名もしくは地域名を冠した組織を各地に形成するのが基本である。コンスタンディヌーポリ総主教庁、アレクサンドリア総主教庁、アンティオキア総主教庁、エルサレム総主教庁、ロシア正教会、セルビア正教会、ルーマニア正教会、ブルガリア正教会、グルジア正教会、ギリシャ正教会、日本正教会などは個別の組織名であって教会全体の名ではない。いずれの地域別の教会組織も、正教として同じ信仰を有している。教会全体の名はあくまで正教会であり、「ロシア正教に改宗」「ルーマニア正教に改宗」といった表現は誤りである。 ただし、アルメニア使徒教会、シリア正教会、コプト正教会、エチオピア正教会なども同じく「正教会」を名乗りその正統性を自覚しているが、上に述べたギリシャ正教とも呼ばれる正教会とは別の系統に属し、非カルケドン派正教会や東方諸教会などと呼ばれる。 フィリオクェ問題で西方教会(カトリック教会...
  • 天使論
    天使論は神学の一部門であり、天使(御使い)に関する研究である。 キリスト教において天使は主の御使いである 天使は、ヘブライ語ではマルアハ (מלאך ,םַלְאָךְ [mal’aḵ]) という。これは「遣わす」を意味する語根 √l’k の派生語である。 ギリシャ語では、天使 (angel) の語源は「伝令」(messanger) を意味する後期ギリシア語の ἄγγελος (ángelos) である。 天使の性質 旧約・新約双方において、天使が神のお告げを伝える伝令としての役目を負っている場面はいくつも描かれている。また、天使たちは人間が歩む道すべてで彼らを守るよう神から命じられている。(詩91 11) これは主があなたのために天使たちに命じて、あなたの歩むすべての道であなたを守らせられるからである。 天使は全知ではないと考えられ(マタ24 3...
  • カバラ
    カバラ(קַבָּלָה qabbalah, Kabbala, Cabbala)、カバラーとは、ユダヤ教の伝統に基づいた創造論、終末論、メシア論を伴う神秘主義思想である。独特の宇宙観を持っている。ユダヤ教から生まれた神秘思想主義であり、16世紀にほぼ現在の体系が完成したとされている。 カバラは大きくユダヤ・カバラとクリスチャン・カバラに分類される。前者が本来のカバラであり、ユダヤ教徒が旧約聖書の解釈に用いるものである。後者はユダヤ・カバラをキリスト教に応用するために考えられたが、後に近代西洋魔術の理論的根拠にされた。クリスチャン・カバラは生命の樹(セフィロトの樹)の活用を中心に成り立っている。 ユダヤ・カバラ 初期のカバラは瞑想や神や天使の階級についての神学的考察を行う一派であったと考えられる。 後に創造の書による体系化、ピタゴラス思想の流入などにより神学的考察とは別に宇...
  • イエス・キリスト
    ここでは聖書の登場人物であり、キリスト教の開祖であるイエス・キリストについて簡潔に述べる。神学上の「神の子」イエスに関する議論はキリスト論を参照。 名前 イエス イエス・キリストとよく称されるが、名前はイエスであり、キリストとは救世主を意味するギリシャ語である。 イエスの名は、アラム語で "ישוע (Yeshua, イェーシューア)" であり、ヘブライ語ではヨシュア "יְהוֹשֻׁעַ (Yehoshua, イェホーシューア)" に等しい。「ヤハウェの救い」「ヤハウェは救い」「救う者」を意味し、ヨシュア記で活躍するヌンの子ヨシュアと同じ名前である。 イエスや "Jesus" という名は、ギリシャ語名であるイエスス "Ίησοῦς (Iēsūs イエースース、古典ギリシア語再建音)" に由来する...
  • マリア崇敬
    聖母マリアに三位一体の神との仲介者 (Mediatrix)として取り次ぎを願うことなどを中核としたカトリック教会の教義における宗教概念。トマス・アクィナスを始めとするスコラ哲学者が使い始めた用語。 外典ヤコブ原福音書にみられるように、母マリアを特別視する思想は2世紀初めには成立していたと思われる。 プロテスタントでは、聖書に根拠がないとして、マリア崇敬を一切認めない。 マリア個人については聖母マリアを参照されたい。 マリア崇敬のさきがけ 1世紀前後の地中海世界では、文化の中心はエジプトのアレクサンドリアにあった。ユダヤ教も初期のキリスト教もここが神学の一つの中心地となっていた。ところがこの地はエジプトの伝統的な信仰「イシス信仰」の地だった。この信仰はヘレニズム時代からギリシャに受容されてギリシャ文化の地に根付いていた。イシス神とは、我が子ホルス(王権のシンボル)を...
  • 自然科学との関連
    聖書と自然科学の矛盾 聖書を科学的に読むことがおかしいことについては、キリスト教神学では昔から気づいていた。古代の教父オリゲネス(185-254年)やアウグスティヌス(354-430年)は、創世記 1 章の一日目に光が現われて昼と夜が生じたことと、太陽、月、星が四日目に造られたこととの間に矛盾のあることを指摘している。彼らは、創造の「一日」を文字どおりではなく、比喩的に解釈していたのである。 このような背景から、アウグスティヌスは非キリスト教徒が持つ自然界についての知識を、キリスト教徒が聖書を元に否定することで聖書そのものまで嘲笑されることを懸念し、学問上の知識と矛盾する場合には聖書を象徴的に解釈することをすすめた。 キリスト教と近代科学 17世紀に生きる人々にとって、自然についての「知」が、神の御業や計画についての「知」に連なるという前提は、自明のことであった。すなわち...
  • 非キリスト教徒の死後
    過去の神学者らの見解 キリスト教以外に救いはあるのかという問いについて、過去の著名な神学者らは以下のように答えている。 人は思い違いをしてはならない。この家の外、つまり教会の外では誰も救われない。(オリゲネス、没 254 年) 誰もカトリック教会の他には救いを見出すことはできない。カトリック教会の外に、人はすべてのものを見出すことができ るだろうが、救済を得られることはない。(聖アウグスティヌス、没 430 年) 教会の外では救済への参入は存在しない。(トマス・アクィナス、没 1274 年) キリスト教の外にいる者、すなわち異教徒、トルコ人、ユダヤ人あるいは偽キリスト教徒は、唯一の真なる神を信じている 場合も、それでも永遠の神罰と地獄にとどまる。(ルター、没 1546 年) それゆえわれわれは、創造の理由において神に属するすべての非キリスト教徒たちに、彼(イエス・キリスト)を...
  • 聖伝
    聖伝あるいは聖伝承(Sacred Tradition, Holy Tradition)は、キリスト教における伝承のこと。正教会、東方諸教会、カトリック教会、聖公会では重要視される。 聖伝の位置づけについては正教会とカトリック教会の間に違いがある。正教会は「聖伝の中に聖書が含まれる」と捉えるのに対し、カトリック教会は「聖書と聖伝」と並び称す。 他方、プロテスタントでは位置付けが異なり伝統と訳すが、伝統をどこまで認めるかには幅があり、純粋に聖書のみを主張する者も居れば、逆にカトリック教会に近い伝統主義の者などもいる。 正教会の聖伝 次のものが聖伝の主要構成要素であるとされる。 新旧約聖書 七回の全地公会議決定 地方公会(教会会議)決定 信経、教義議定(公会で制定されたニカイア=コンスタンティノポリス、ニカイア、カルケドンの三つ。使徒信条やアタナシウス信条は公式には認められていな...
  • 聖霊論
    聖霊(希 Άγιο Πνεύμα[Hagio Pneuma]、羅 Spiritus Sanctus、英 Holy Spirit)は、キリスト教において、三位一体の神の位格の一つである。 聖霊はイエスの洗礼に関する際の記載から、鳩に例えられることが多い。 マルコ1 9-11 そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられた。 水の中から上がるとすぐ、天が裂けて“霊”が鳩のように御自分に降って来るのを、御覧になった。すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。 ペンテコステ(聖霊降誕)に関する記載から、炎に例えられることもある。 使徒2 1-4 五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中...
  • 占いとキリスト教
    キリスト教では、一般的に占いは強く忌み嫌われる。 この占いには、手相、占星術、タロットなどが含まれる。 旧約での占いの禁止 ユダヤ教の戒律を定めたレビ記には次のようにある。(レビ記19 26) あなたたちは血を含んだ肉を食べてはならない。占いや呪術を行ってはならない。 民数記では、モアブ人の王バラクは、その頃アモリ人を撃退したイスラエル人を占い師であるバラムに呪わせようとするが、そのバラムは神より信託を受け、イスラエルには占いは存在しないことを語った。(民数記23 23) ヤコブのうちにまじないはなく イスラエルのうちに占いはない。神はその働きを時に応じてヤコブに告げ イスラエルに示される。 申命記では、「占い」は他の神を信じることと同一視され、禁じられることをモーセが告げる。(申命記13 1-10) あなたたちは、わたしが命じることをす...
  • アラベスク
    アラベスク(Arabesque)は、モスクの壁面装飾に通常見られるイスラム美術の一様式で、植物文、幾何文、装飾文字などを組み合わせ、平面を埋め尽くす連続文様。幾何学的文様の選択と整形・配列の方法は、人物を描くことを禁じるスンニ派のイスラム的世界観に基づいている(シーア派ではムハンマドを除いて描くことは認められている)。 これは、主が偶像崇拝を禁じているとする解釈を拡大させた結果である。 クルアーン 19マルヤム章 42 かれ(イブラーヒーム=アブラハム)が父にこう言った時を思え。 「父よ,あなたは何故聞きも,見もしないで,また僅かの益をも与えないもの(木石の偶像)を崇拝なさるのか。 クルアーン 5アル・マーイダ章 90 あなたがた信仰する者よ、誠に酒と賭矢、偶像と占い矢は、忌み嫌われる悪魔の業である。これを避けなさい。恐らくあなたがたは成功するであ...
  • ディダケー
    使徒教父文書に含まれる一文書。 ディダケー(12使徒の遺訓、コイネーギリシア語 Διδαχή)は、教えを意味する、初期キリスト教の論述である。12使徒を通して与えられた主の教え(教訓)と伝えられるが、多くの学者によって1世紀後半から2世紀初頭に成立した文書と考えられている。文書は最初のカテキズム(教理問答)と見なされ、洗礼(バプテスマ)と聖餐、キリスト教の組織についての三つのおもな項目からなる。 http //apocrypha.jimdo.com/十二使徒の教訓/
  • 歴代誌
    内容としては『サムエル記』、『列王記』をもとにしながらも、独自の資料も用いてイスラエルの歴史を再構成している。特徴としては神殿についての記述や職制の人名リストが多いこと、北イスラエル王国の歴史を完全に無視していることなどがあげられる。 名称 ヘブライ名は"דברי הימים"‎‎ (Dibhrēy hayYāmīm, 日々の問題)である。 ギリシャ語名の"Παραλειπομένων" (Paraleipoménōn, 省略されたもの)は、北イスラエル王国の歴史を省略していることに由来する(?) 英語名"Book of Chronicles"はラテン語名"Chronica"の英訳である。 和名『歴代誌』は、ラテン語名の和訳である。 内容 1.イスラエルの諸部族の系図(上1章~9章) ...
  • 考古学的推察
    イスラエル人の出自 ヨルダン川東岸の山岳地帯からカナン地方に進出してきたイスラエル人達の出自は不明である。 イスラエル人たちが始祖とするアブラハムは、旧約聖書によれば「カルデアのウル」からカナンの地へ移住してきたことになっている。この「カルデアのウル」を南部メソポタミアのウルとするのはレオナード・ウーリーによって始められてから考古学者や歴史学者に支持されてきたものの、バビロニアからの移住は考えにくくメソポタミア北西部からの移住だとする見方もある。 彼らの出自としてはこの他にも、カナン諸都市の周辺部に居た半遊牧民達が山地に逃れて定住したとする説、カナンの諸都市の奴隷や下層民が都市を逃れて定住したとする説、アラム地方から移住してきたとする説など様々である。おそらくは多様な出自を持つ人々であり、この中からヤハウェ神信仰を共有する部族がまとまってイスラエル部族連合が形成されたのであろう...
  • キリスト論
    キリスト論はキリスト教の教理・教義、また神学の細目の一。三位一体の第2位格である子イエス・キリストはどのような存在であるかの定義、付随して先在、受肉、公生涯、十字架、復活、昇天などのキリストに纏わる事象や行為の意味などをキリストとの関わりにおいて考察する神学分野。 旧約聖書に預言されたキリスト 旧約聖書に預言されたキリストは、旧約聖書においてキリスト(ヘブライ語でメシア)のことを指し示していると、伝統的解釈において指摘されている預言である。 原福音(創世記3 15) アダムとエバが楽園を追われた時、神はこのように言った。 創世記3 14-15 主なる神は、蛇に向かって言われた。 「(略) お前と女、お前の子孫と女の子孫の間に わたしは敵意を置く。 彼はお前の頭を砕き お前は彼のかかとを砕く。」 「お前」が「蛇」、「女の子孫」が「キリ...
  • キリスト教と自然法
    自然法とは まず、法は以下のような構造をとっていると現代では考えられている。 自然法(natural law) 実定法(positive law)(=人定法)成文法 不文法慣習法(成文ではないが慣習となっている法) 判例法(慣習もないが判例となっている法) 条理法(慣習も判例もない場合に裁判官が定める) キリスト教文化において、自然とは「神が創造したものの全て」を表す。例えば、農業は人為的に始まったものだが、これもキリスト教文化においては「自然(nature)」に含まれる。 神はこの世の法(法則、秩序)を定めた。したがってこれらは「自然法(natural law)」と呼ばれる。 キリスト教では、人間を創造したのは神である。神は人間そのものを創造しただけでなく、人間一人ひとりに対し生きていくための権利も与えた。例えば、生存権、自由権、幸福追求権、財産権である。この権利は神によ...
  • ヨハネによる福音書
    ヨハネによる福音書(古希 Κατά Ιωάννην Ευαγγέλιον [Kata Iōannēn Euangelion]、羅 Evangelium Secundum Iohannem)は新約聖書中の一書。『マタイによる福音書』、『マルコによる福音書』、『ルカによる福音書』に次ぐ4番目の福音書(イエス・キリストの言行録)の一つである。 「第四福音書」に位置づけられる『ヨハネによる福音書』は「共観福音書」と呼ばれる他の3つとは内容的に一線を画した内容となっている。この福音書が4つの中で最後に書かれたということに関して研究者たちの意見は一致している。初代教会以来、伝統的にはこの『ヨハネによる福音書』の筆者は、カトリック教会・正教会等で伝承されてきた聖伝においては、文書中にみえる「イエスの愛しておられた弟子」すなわち使徒ヨハネであると伝えられてきたが、近代以降の高等批評をとなえる聖...
  • @wiki全体から「組織神学」で調べる

更新順にページ一覧表示 | 作成順にページ一覧表示 | ページ名順にページ一覧表示 | wiki内検索