蒲原郡下條組

越後国 蒲原郡 下條組
大日本地誌大系第34巻 58、68コマ目

この地府城の西北に当り本郡の東にあり。
東は鹿瀬組に隣り、西は公領本郡の諸村に交わり、南は上條組・公領本郡川内谷に界ひ、北は本郡黒川領・新発田領に連なる。

東西6里(東は鹿瀬組鹿瀬村の界より、西は公領草水村の界境石に至る)。
南北5里18町(南は津川町の界より、北は新発田領中山村の界境橋に至る)。

村落大抵山間に住し、田圃(たんぼ)多からず。
南に揚川流れ、また新谷川・滝谷川の流れ有て網罟(もうこ)の利少なからず。
農隙(のうげき)に薪材を伐り、炭を焼き、山深き村々は熊・猿・羚羊(れいよう)を猟り、或は乾柿を製して(ひさ)ぎ出す。
行地村・新谷村・綱木村・赤谷村及び細越村・古岐村・滝谷村を俗に七村通(ななむらとほり)と唱え、角島村・西村・大牧村・谷沢村・岩谷村・吉津村・熊渡村・石間村・小松村等の諸村を下條通と唱ふ。七村通は過半新発田街道に住し、下條通りは長岡領新潟にゆく水陸両道あり。村民駄馬を()ひ船筏を乗て生計の資とす。
新谷川・滝谷川に近き村々は洪水に苦しむ。また揚川に傍ふ村々にて滝を「うつ」と唱え、川中に杙をうち木柵をかきて中をあるくこと3間計、水勢いを一にしその側に石を累起し、上に9尺四方計の小屋をかけ網を1丈余の(さお)につけ鮭の登るをまち(そう)*1あけてこれを捕る。谷沢村にてとれるもの、鼻曲り形も大にして味佳なり。土俗「鼻曲鮭」という。薄塩に漬けこれを干してたくは(・・・)ふるに、暑を経て味変せず。夏月下痢を患るもの用うれば験あり。
また石間・小松・佐取の3村は、東の方本組の諸村と数山を隔て西は平衍(へいえん)の地に続き、枇杷(びわ)・橘油の類実を結ぶ。

この組の諸村郷名を失う。
共に小川荘と称す。
凡て27ヶ村あり。

最終更新:2020年11月27日 20:03
添付ファイル

*1 笊のような形状の漁具。また、魚を捕らえる。