【ぶらっどぷらす わんないときす】
ジャンル | アクションアドベンチャー | ![]() |
対応機種 | プレイステーション2 | |
発売元 | バンダイナムコゲームス | |
開発元 | グラスホッパー・マニファクチュア | |
発売日 | 2006年8月31日 | |
定価 | 7,480円 (税込) | |
プレイ人数 | 1人 | |
レーティング | CERO:B(12歳以上対象) | |
判定 | なし | |
ポイント | BLOOD+Suda51 |
2005年にテレビ放映された、刀を手にした女子高生が吸血鬼を切りまくるホラーアクションアニメ『BLOOD+』のメディアミックス(*1)によるゲーム化作品。
時系列はアニメ7話で小夜が戦う決意をしてから8話でベトナムに渡るまでであり、語られなかったとある1日のエピソードが描かれる。
『BLOOD+』のゲーム化としては、前月に発売された『BLOOD+ 双翼のバトル輪舞曲』に続く2作目。
開発は『シルバー事件』や『killer7』のグラスホッパー・マニファクチュアが担当しており、同社開発のキャラゲーとしても『サムライチャンプルー』に続く2作目となる。
監督・脚本はGHM代表であり強烈な作家性で知られる須田剛一氏で、本作もまたキャラゲーの垣根を越えた「須田ゲー」と化している。
S玉県式市(*2)のニュータウンにて、翼手と似た怪物による事件が頻発していた。「赤い盾」はその掃討のために音無小夜を式市に送り込む。式東高校に特別編入生として潜入した小夜に与えられた猶予は僅か1日であり、翌朝までに式市の翼手を狩り尽くさなければならなかった。一方、数年前にパートナーを翼手に殺された刑事・青山轟も、探し求めた仇敵がいるという情報を掴んで式市を訪れていた。
キャラゲーながら開発側の作家性が強く出た作品。
原作との繋がりもほとんど無いので、純粋な『BLOOD+』のゲーム化というよりは「『BLOOD+』の世界に出現した須田ワールドを体験するゲーム」「青山が主役の須田ゲーに小夜やハジがゲスト参戦したもの」と言った方がいいかもしれない。
原作が好きだからという理由で手を出すと作風に面食らい、原作要素の薄さに肩透かしを喰らう可能性が高い。
逆に原作を大して知らなくとも重大な弊害が無く、『BLOOD+』ファンよりも須田ゲーファン向けのゲームと言え、ここから原作に興味を持つのもアリだろう。
しかしそれを別としても、まだGHMが本格アクションの開発に熟れていなかった時期故かゲーム部分の出来も荒く、須田ゲーファンにも素直にはお勧めし辛い。
*1 この作品自体は2000年に劇場公開された『BLOOD THE LAST VAMPIRE』を中心としたメディアミックス作品群をベースに設定やキャラクターを一新した作品ものである。
*2 名前からしてモデルはやはり埼玉県志木市だろうか。
*3 本作の翼手は独自のプロセスで生み出された不完全体なので、銃火器でも息の根は止められないが瀕死までは追い込める。一部、青山が普通に殺していると思しき翼手もいるが、原作でも小夜以外が翼手を殺す描写はあるのでその辺りは深く考えるなという事だろう。
*4 養父ジョージの結晶を埋め込んだ刀。
*5 翼手にトドメを刺す際、小夜が自分の血を刀に巡らせる際にはちゃんと赤い血で表現される。
*6 『シルバー事件』も現代日本ではあるが、舞台設定に関しては独特の世界観であった。
*7 一度クリアすると冬服も追加。
*8 一応、翼手戦直前にはBGMが緊迫感のあるものに変わるので、それを理解していれば大丈夫だろうが。
*9 『BLOOD+』においては本作の他、ベトナム編や『双翼のバトル輪舞曲』でも編入している。時系列上は本作の件が初。
*10 小夜自身、今回の任務が1日限りとは知らされておらず、実際に調査を始める放課後になって初めて知る状態だった。
*11 街を出歩いているNPCには、明け透けに外出禁止令を無視している旨を語る者もいる。
*12 しかもこれらによって本作オリキャラで唯一息災のまま終わるという優遇ぶり。
*13 強いて言えば、原作であまり言わないような台詞を口にしたり、一部のサブイベントなどでナレーション的に出る小夜の短いモノローグがはっちゃけている程度。
*14 小夜の任務はあくまで式市の翼手の全滅で、事件を追っているのは青山の方である。
*15 「オイちゃん」「チャッキー」「御洒落泥棒」など。これは全て"女子高生の名前"である。
*16 オリジナルキャラの一人の担当は『サムライチャンプルー』で主人公役を務めた中井和哉氏であり、『ノーモア★ヒーローズ』でも主役となっている。
*17 『サムライチャンプルー』時はバンダイ。須田氏曰く「それまで1度仕事をすると、嫌気をさされるのか、何なのか(笑)、つぎの仕事に結びつかなかったんです」との事で、連続して仕事をくれたメーカーは初めてだったとか。