パウロ行伝

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パウロ行伝 - (2017/09/10 (日) 10:34:32) のソース

[[新約聖書外典]]の一書。その存在は2世紀から知られていたが、1905年 C.シュミットが6世紀のコプト語によるハイデルベルク・パピルスから再構成した。パウロ行伝、パウロとテクラ行伝、ペテロとパウロ行伝、および殉教から成る。

教父たち(テルトゥリアヌス,ヒッポリュトス,オリゲネスなど)によってその存在が証言されていたが,1894年に発見されたコプト語の〈ハイデルベルク・パピルス〉によってその内容が明らかになった。パウロと女性伝道者テクラの宣教活動を描く《パウロとテクラの行伝》と,それまで別の文書と考えられていた《パウロの殉教》およびパウロの《コリント人への第3の手紙》とを含むと考えられている。テルトゥリアヌスによれば,2世紀末に小アジアの教会の長老によって執筆されたが,彼はそのことのゆえに職を追われたとされる。

2世紀ごろ小アジアで書かれたとされる。パウロの宣教の様子だが、主題は貞節な女性テクラに訪れる数々の試練を信仰によって克服すること。女性が固い信仰を持っていると描写するのは珍しい。

*内容
パウロが現在のトルコ内陸部を伝導して回り、もっぱら政敵禁欲を説く。処女て鞍はそれに魅了されて、パウロを助けながらその後に従っていたが、やがて火あぶりと野獣の刑に処される。しかし、野獣の刑の最中に自分で自分に洗礼を授けて奇跡的に助かり、その後、初の女性伝道者となる。

http://homepage2.nifty.com/butuUkai/bible/apocrypha7.htm