ヨハネ福音書への高等批評

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ヨハネ福音書は、共観福音書と食い違う記述が目立つ一方で、類似の記事も少なくはない。このことから、ヨハネ福音書の作者は、すでに存在していた福音書を知っていたと考えるのが妥当である。(そして、おそらくそれはマルコ福音書とルカ福音書である。) **ヨハネ福音書は複数の編集者による作である ヨハネ福音書は、共観福音書と異なり、複数の編集の手が入っている。 -「イエスの愛しておられた弟子」の死について言及された21章は明らかに後から付加されたものである。20章30-31に結びの言葉があるためである。 -15-17章は後の挿入である。14章の末尾で「ここから出て行こう」と言ったにもかかわらず、15-17章にイエスが延々と告別演説を行い、18章になってやっと出ていくためである。 この複数の編集人の存在という事実だけでも、「ヨハネ福音書の作者は使徒ヨハネである」という説明は誤りだとわかるのである。ただし、&bold(){使徒ヨハネの関与を否定するものではない}ことに注意したい。この事実は、&bold(){ヨハネ福音書を1個人の作品と言うよりヨハネ共同体全体から産まれた作品と見て、最初の著者が遺したものにさらに手が加えられたと見る「増補改訂仮説」}を裏付けるものである。そこに使徒ヨハネが関与した可能性を否定するものではない。 なお、本福音書とヨハネ書簡は思想的に強い関連が見られ、同一の団体による作だと考えられている。([[公同書簡への高等批評]]を参照)
ヨハネ福音書は、共観福音書と食い違う記述が目立つ一方で、類似の記事も少なくはない。このことから、ヨハネ福音書の作者は、すでに存在していた福音書を知っていたと考えるのが妥当である。(そして、おそらくそれはマルコ福音書とルカ福音書である。) **ヨハネ福音書は複数の編集者による作である ヨハネ福音書は、共観福音書と異なり、複数の編集の手が入っている。 -「イエスの愛しておられた弟子」の死について言及された21章は明らかに後から付加されたものである。20章30-31に結びの言葉があるためである。 -15-17章は後の挿入である。14章の末尾で「ここから出て行こう」と言ったにもかかわらず、15-17章にイエスが延々と告別演説を行い、18章になってやっと出ていくためである。 この複数の編集人の存在という事実だけでも、「ヨハネ福音書の作者は使徒ヨハネである」という説明は誤りだとわかるのである。ただし、&bold(){使徒ヨハネの関与を否定するものではない}ことに注意したい。この事実は、&bold(){ヨハネ福音書を1個人の作品と言うよりヨハネ共同体全体から産まれた作品と見て、最初の著者が遺したものにさらに手が加えられたと見る「増補改訂仮説」}を裏付けるものである。そこに使徒ヨハネが関与した可能性を否定するものではない。 なお、本福音書とヨハネ書簡は思想的に強い関連が見られ、同一の団体による作だと考えられている。([[公同書簡への高等批評]]を参照) ***結びの問題 本来の結びは20章であったと考えられる。(ヨハネ20:30-31) >このほかにも、イエスは弟子たちの前で、多くのしるしをなさったが、それはこの書物に書かれていない。これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである。

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