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**「主」という名前
ここでは神の言葉として次の興味深い発言がある。(出エジプト6:3)
>わたしは、アブラハム、イサク、ヤコブに全能の神として現れたが、主(YHWH)というわたしの名を知らせなかった。
これについて検証すると、これは正しいとも誤っているとも言い難い。
創世記17:1
>アブラムが九十九歳になったとき主はアブラムに現れ、こう仰せられた。
>「わたしは全能の神である。
>あなたはわたしの前を歩み、全き者であれ。」
創世記26:24
>主はその夜、彼(イサク)に現れて仰せられた。
>「わたしはあなたの父アブラハムの神である。
>恐れてはならない。
>わたしがあなたとともにいる。
>わたしはあなたを祝福し、
>あなたの子孫を増し加えよう。
>わたしのしもべアブラハムのゆえに。」
創世記28:13
>そして、見よ。主が彼(ヤコブ)のかたわらに立っておられた。そして仰せられた。
>「わたしはあなたの父アブラハムの神、イサクの神、主(YHWH)である。わたしはあなたが横たわってこの地を、あなたとあなたの子孫とに与える。
創世記35:11-12
>神はまた彼(ヤコブ)に仰せられた。
>「わたしは全能の神である。
>生めよ。ふえよ。
>一つの国民、諸国の民のつどいが、
>あなたから出て、
>王たちがあなたの腰から出る。
>わたしはアブラハムとイサクに与えた地を、
>あなたに与え、あなたの後の子孫にも
>その地を与えよう。」
主は契約する際、アブラム(後のアブラハム)には「全能の神(創世記17章)」として、イサクには「あなたの父アブラハムの神(創世記26章)」として、ヤコブには「全能の神(創世記35章)」として表れている。しかし、実は創世記28章では、主は「わたしはあなたの父アブラハムの神、イサクの神、主(YHWH)である。」と自称している。また、そもそも創世記15章や27章をみれば、次のように書いてある。
創世記15:2
>アブラムは尋ねた。「わが神、主(YHWH)よ。わたしに何をくださるというのですか。わたしには子供がありません。家を継ぐのはダマスコのエリエゼルです。」
このようにアブラムはすでに神の名を知っていた。したがって、この時の神の発言は聖書の上では誤っているといえる。
創世記27:27
>ヤコブが近寄って口づけをすると、イサクは、ヤコブの着物の匂いをかいで、祝福して言った。「ああ、わたしの子の香りは/主が祝福された野の香りのようだ。
したがってここでは、文字通りに「主(YHWH)の名を知らなかった」わけではなく、主(YHWH)という言葉の意味するところを知らなかったのだと解釈するほかない。事実、出エジプトでは次のような奇妙な表現が何度も繰り返される。
出エジプト記7:5
>わたしがエジプトに対して手を伸ばし、イスラエルの人々をその中から導き出すとき、エジプト人は、わたしが主(YHWH)であることを知るようになる。」
>出エジプト記7:17
>主(YHWH)はこう言われた。『このことによって、あなたは、わたしが主(YHWH)であることを知る』と。見よ、わたしの手にある杖でナイル川の水を打つと、水は血に変わる。
>出エジプト記10:2
>わたしがエジプト人をどのようにあしらったか、どのようなしるしを行ったかをあなたが子孫に語り伝え、わたしが主(YHWH)であることをあなたたちが知るためである。」
>出エジプト記14:4
>わたしはファラオの心をかたくなにし、彼らの後を追わせる。しかし、わたしはファラオとその全軍を破って栄光を現すので、エジプト人は、わたしが主(YHWH)であることを知るようになる。」彼らは言われたとおりにした。
出エジプト記14:18
>わたしがファラオとその戦車、騎兵を破って栄光を現すとき、エジプト人は、わたしが主(YHWH)であることを知るようになる。」
この「わたしが主(YHWH)であることを知る」という言い回しが奇妙なのは、YHWHは固有名詞であり、エジプト人にとってはそもそもYHWHを知らないはずなのに、「わたしがYHWHであることを知る」と主(YHWH)は語っている。ここで使われるYHWHは、あたかも、一般名詞の「絶対神」や「真理」という言葉が代入されそうな言い方である。
だからここでの「主(YHWH)というわたしの名を知らせなかった。」は、主が「絶対神」であり「真理」であることを知らせなかったというように解釈するのが妥当だろう。
**「主」という名前
ここでは神の言葉として次の興味深い発言がある。(出エジプト6:3)
>わたしは、アブラハム、イサク、ヤコブに全能の神として現れたが、主(YHWH)というわたしの名を知らせなかった。
これについて検証すると、これは正しいとも誤っているとも言い難い。
[[創世記]]17:1
>アブラムが九十九歳になったとき主はアブラムに現れ、こう仰せられた。
>「わたしは全能の神である。
>あなたはわたしの前を歩み、全き者であれ。」
創世記26:24
>主はその夜、彼(イサク)に現れて仰せられた。
>「わたしはあなたの父アブラハムの神である。
>恐れてはならない。
>わたしがあなたとともにいる。
>わたしはあなたを祝福し、
>あなたの子孫を増し加えよう。
>わたしのしもべアブラハムのゆえに。」
創世記28:13
>そして、見よ。主が彼(ヤコブ)のかたわらに立っておられた。そして仰せられた。
>「わたしはあなたの父アブラハムの神、イサクの神、主(YHWH)である。わたしはあなたが横たわってこの地を、あなたとあなたの子孫とに与える。
創世記35:11-12
>神はまた彼(ヤコブ)に仰せられた。
>「わたしは全能の神である。
>生めよ。ふえよ。
>一つの国民、諸国の民のつどいが、
>あなたから出て、
>王たちがあなたの腰から出る。
>わたしはアブラハムとイサクに与えた地を、
>あなたに与え、あなたの後の子孫にも
>その地を与えよう。」
主は契約する際、アブラム(後のアブラハム)には「全能の神(創世記17章)」として、イサクには「あなたの父アブラハムの神(創世記26章)」として、ヤコブには「全能の神(創世記35章)」として表れている。しかし、実は創世記28章では、主は「わたしはあなたの父アブラハムの神、イサクの神、主(YHWH)である。」と自称している。また、そもそも創世記15章や27章をみれば、次のように書いてある。
創世記15:2
>アブラムは尋ねた。「わが神、主(YHWH)よ。わたしに何をくださるというのですか。わたしには子供がありません。家を継ぐのはダマスコのエリエゼルです。」
このようにアブラムはすでに神の名を知っていた。したがって、この時の神の発言は聖書の上では誤っているといえる。
創世記27:27
>ヤコブが近寄って口づけをすると、イサクは、ヤコブの着物の匂いをかいで、祝福して言った。「ああ、わたしの子の香りは/主が祝福された野の香りのようだ。
したがってここでは、文字通りに「主(YHWH)の名を知らなかった」わけではなく、主(YHWH)という言葉の意味するところを知らなかったのだと解釈するほかない。事実、出エジプトでは次のような奇妙な表現が何度も繰り返される。
[[出エジプト記]]7:5
>わたしがエジプトに対して手を伸ばし、イスラエルの人々をその中から導き出すとき、エジプト人は、わたしが主(YHWH)であることを知るようになる。」
>出エジプト記7:17
>主(YHWH)はこう言われた。『このことによって、あなたは、わたしが主(YHWH)であることを知る』と。見よ、わたしの手にある杖でナイル川の水を打つと、水は血に変わる。
>出エジプト記10:2
>わたしがエジプト人をどのようにあしらったか、どのようなしるしを行ったかをあなたが子孫に語り伝え、わたしが主(YHWH)であることをあなたたちが知るためである。」
>出エジプト記14:4
>わたしはファラオの心をかたくなにし、彼らの後を追わせる。しかし、わたしはファラオとその全軍を破って栄光を現すので、エジプト人は、わたしが主(YHWH)であることを知るようになる。」彼らは言われたとおりにした。
出エジプト記14:18
>わたしがファラオとその戦車、騎兵を破って栄光を現すとき、エジプト人は、わたしが主(YHWH)であることを知るようになる。」
この「わたしが主(YHWH)であることを知る」という言い回しが奇妙なのは、YHWHは固有名詞であり、エジプト人にとってはそもそもYHWHを知らないはずなのに、「わたしがYHWHであることを知る」と主(YHWH)は語っている。ここで使われるYHWHは、あたかも、一般名詞の「絶対神」や「真理」という言葉が代入されそうな言い方である。
だからここでの「主(YHWH)というわたしの名を知らせなかった。」は、主が「絶対神」であり「真理」であることを知らせなかったというように解釈するのが妥当だろう。