この手紙はエフェソスで書かれ、おそらくパウロのエフェソス滞在の三年目の五旬祭を前に書かれたものであると考えられている。このころ、パウロはマケドニアの信徒を訪ね、コリント(コリントス)へもまわろうとしていたと考えられる。しかし、コリントの共同体がもめているという話を知らされたパウロは愕然とした。この話をパウロは、協力者アポロやクロエの家の人々から、またステファナらが直接もたらした書簡によって知ったのだった。当時のローマ帝国には一般市民が利用できる郵便配達システムは存在しなかったため、手紙は旅行者によってもたらされていた。
パウロがこの手紙を書いてコリントの共同体の人々に伝えたかったことは「信仰によって一致してほしい」ということであった。また、この書簡を利用してコリントの人々からの疑問に答えている。この手紙はテトスとその兄弟によってコリントへ運ばれたと考えられる。(『
コリントの信徒への手紙二』8:16-18参照)
著者
冒頭にパウロであると明記されている。(コリント一1:1-2)
神の御心によって召されてキリスト・イエスの使徒となったパウロと、兄弟ソステネから、コリントにある神の教会へ、
高等批評でも、パウロの真筆性は高いとされている。
構成
- あいさつ(1:1-9)
- コリントの教会の争い(1:10-4:21)
- コリントの教会の倫理的な間違い(5:1-6:20)
- 結婚(7:1-40)
- 偶像に捧げられた肉(8:1-11:1)
- 礼拝(11:2-14:40)
- 復活(15:1-58)
- 手紙の終わり(16:1-24)
最後の晩餐
福音書が書かれる前の西暦50年代に、すでにパウロは
最後の晩餐について書いている。(Ⅰコリント11:23-26)
わたしがあなたがたに伝えたことは、わたし自身、主から受けたものです。すなわち、主イエスは、引き渡される夜、パンを取り、感謝の祈りをささげてそれを裂き、「これは、あなたがたのためのわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。また、食事の後で、杯も同じようにして、「この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である。飲む度に、わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。だから、あなたがたは、このパンを食べこの杯を飲むごとに、主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです。
イエスの復活と顕現
福音書が書かれる前の西暦50年代に、すでにパウロは
イエスの復活や
イエスの顕現について書いている。なお、ここで言及されている「聖書」とは
旧約聖書のことであって、福音書はまだ存在していない。(Ⅰコリント15:3-8)
最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、ケファに現れ、その後十二人に現れたことです。次いで、五百人以上もの兄弟たちに同時に現れました。そのうちの何人かは既に眠りについたにしろ、大部分は今なお生き残っています。次いで、ヤコブに現れ、その後すべての使徒に現れ、そして最後に、月足らずで生まれたようなわたしにも現れました。
最終更新:2017年01月21日 07:16