新約聖書中の一書で、
公同書簡とよばれる書簡群の一つである。伝承では老齢にさしかかった福音記者ヨハネ(使徒ヨハネ)がエフェソスで書いたものだとされてきた。『ヨハネの第一の手紙』あるいは『第一ヨハネ書』などと呼ばれる。
概説
著者によれば、この手紙が書かれた理由は「神の子を信じるあなたがたが、永遠の命を得ていることを知るためである。」(5:18)著者が気にかけているのは自分が携わっている共同体に影響を及ぼす異端的な思想を持つ教師たちのことである。このような人々、かつて共同体のメンバーだったにもかかわらず正当な教えから逸脱した教師たちは「
反キリスト」(2:18-19)とみなされている。これらの人々が教えていたのはキリストは体の実体を持たない霊のみの存在(4:2)であったということで、彼らはイエスの十字架上の死に贖罪の意義を付与するのは間違いである(1:7)と考えていた。
著者の目的は手紙のあて先の人々に対して、命の言葉を述べ伝えること、それによって父なる神と子であるキリストとの交わりの中に入ることである。神との合一の意味を、キリストについていえば、その罪の償い(1:7、2:2、3:5、4:10-14、5:11-12)と神への弁護者としての意味(2:1)を、人間について言えば、聖性(1:6)、おきてに従うこと(2:3)、清め(3:3)、信仰(3:23、4:3、5:5)、愛(2:7)における意義を示している。
著者
本書簡の内容、言葉遣い、思想などから第二・第三の手紙と同じ著者によるものであることと考えられてきた。この三つの書簡は伝統的に福音記者ヨハネ(または彼と同一視される使徒ヨハネ)であるとみなされてきたが、現在の研究では同一性を疑うものもいる。
この書簡の著者が
福音書を書いたヨハネその人なのか、あるいは他人がヨハネの名を冠したのかなど、ヨハネ文書と呼ばれるこれらの文書の著書の問題はいまだに議論が続いている。『ヨハネの手紙一』と『ヨハネ福音書』は、内容、表現、思想から強い近縁性をもっているが、その筆者については、大きく分けて
- ヨハネその人
- ヨハネ教団の誰か(ヨハネ福音書の最終編纂者)
のふたつの説がある。
コンマ・ヨハンネウム問題
三位一体は、聖書のどこにも根拠がない。
原始キリスト教徒たちは「聖霊」という言葉を主の別表現として使っていた。だから主と聖霊は同じ物を意味する。しかしイエスは全く別なのであって、この三者が同質であるということはない。
ヨハネの手紙一はかつて三位一体の論拠とされた。
天において証言する者は、父・みことば・聖霊の三つです。この三者は一致しています。
地において証言する者は、霊と水と血です。この三者は一致しています。
しかし、後の研究で、ヨハネ一5:7-8は、4世紀頃に教父が欄外に書いた注釈が本文に紛れ込んだものだと分かった。それで、現在の聖書では次のように訂正された。(ヨハネ一5:7-8)
証言する者は、霊と水と血です。この三者は一致しています。
よって、聖書内には三位一体の根拠はなくなったのである。これはコンマ・ヨハンネウム問題(ヨハネ章句問題)として有名である。
反キリスト
最終更新:2020年09月25日 11:50