エレミヤ書

52章からなる。36章には、ヨヤキム(エホヤキム)王の第4年(紀元前605年)に、エレミヤが書記バルクに言葉を書き取らせたが、その巻物は王により焼かれてしまったので別の巻物に再び書いたとされており、これが『エレミヤ書』の成立と何らかの関連を持っていることが推測される。本文はヘブライ語で伝達されたものと七十人訳聖書との間に多少の相違がある
エルサレム,ユダ,諸国民に対する審きと救済の預言,自身の受難記など。

著者

冒頭の記載によれば、アダム歴3320年(紀元前628年)~アダム歴3361年(紀元前587年)の預言である。
エレミヤ書1:1-3
エレミヤの言葉。彼はベニヤミンの地のアナトトの祭司ヒルキヤの子であった。
主の言葉が彼に臨んだのは、ユダの王、アモンの子ヨシヤの時代、その治世の第十三年のことであり、更にユダの王、ヨシヤの子ヨヤキムの時代にも臨み、ユダの王、ヨシヤの子ゼデキヤの治世の第十一年の終わり、すなわち、その年の五月に、エルサレムの住民が捕囚となるまで続いた。

内容

  • エルサレムとユダに対する災いの預言(1-24章) [BC629年]
  • 諸国民に対する災いの預言1(25章) [BC606年]
  • 救済の預言(26-35章)[BC609年-BC588年頃]
    • 預言者ウリヤの死(26:20-24)
    • 偽預言者ハナンヤの死(28章)
    • エレミヤの拘留(32:1-5) [BC588年]
  • エレミヤ受難記(36-45章) [BC606年-587年頃](列王記下25章)
  • 諸国民に対する災いの預言2(46-51章) [BC606年頃?]
  • 付録(52章)(列王記下24-25章)

エレミヤ31章の落書き

エレミヤ31:25-26は本来の聖書にはなかったはずの部分とされる。

エレミヤ31:23-24(新共同訳)
イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。
わたしが彼らの繁栄を回復するとき、ユダとその町々で人々は、再びこの言葉を言うであろう。
「正義の住まうところ、聖所の山よ 主があなたを祝福されるように。」
ユダとそのすべての町の民がそこに共に住む。農民も、群れを導く人々も。
エレミヤ31:25-26
わたしは疲れた魂を潤し、衰えた魂に力を満たす。
ここで、わたしは目覚めて、見回した。それはわたしにとって、楽しい眠りであった。

エレミヤ31:23-24(口語訳)
万軍の主、イスラエルの神はこう言われる、
「わたしが彼らを再び栄えさせる時、人々はまたユダの地とその町々でこの言葉を言う、
『正義のすみかよ、聖なる山よ、どうか主がおまえを祝福してくださるように』。
ユダとそのすべての町の人、および農夫と群れを飼って歩き回る者は共にそこに住む。
エレミヤ31:25-26
わたしが疲れた魂を飽き足らせ、すべて悩んでいる魂を慰めるからである」。
ここでわたしは目をさましたが、わたしの眠りは、ここちよかった。

聖書を筆写する写本家が、筆写中に居眠りしてしまったが、目覚めたときにあまり気持ちよかったので、それを筆写中の本に覚え書きしたことが原因で紛れ込んだ一文とされる。しかし、その写本を元にしてさらに写本するときに、その覚え書きも忠実に書き写されてしまい、この前後関係の一致しない文章が出来上がったとされる。

新共同訳は25・26節を独立した文章のように訳しているが、口語訳は23~25節を括弧でくくっている。

なお、エレミヤ31:25-26は、死海文書七十人訳聖書にも存在しており、かなり古い時代に取り込まれたものだとわかる。


最終更新:2017年07月31日 11:43