マカバイ記2

『マカバイ記』は、ヘレニズム時代のユダヤの歴史を描く歴史書の1つ。『マカバイ記』は教派によって扱いに違いがあり、ユダヤ教とプロテスタントでは外典として扱い、カトリック教会では1と2を正典(第二正典)に収め、正教会では1と2に加えて3と4までも正典に収めている。

マカバイ記2ではエジプトのユダヤ人へハヌカ祭を祝うよう薦める書簡から始まり、ユダヤに対する迫害とそれに対抗する宗教的情熱、ユダ・マカバイの活躍が描かれている。マカバイ記1よりも後に書かれたものだが、扱う時代はマカバイ記1よりも少し古く、前198年から前160年頃までである。

冒頭の二つの書簡

第二マカバイ記の冒頭の二つ書簡と序文について、これらはおそらくアラム語あるいはヘブライ語で書かれたものをギリシア語に訳したものである。

最初の書簡は、ユダヤからアレクサンドリアのユダヤ人に宛てて、神殿奉献祭を共に祝うよう書き送ったものである。ユダヤ教の祭日を正しい日付でパレスチナ以外の離散のユダヤ人たちと共に祝うために、エルサレムのユダヤ人から毎年各地にこのような書簡が送られていたのである。

これに対して、第二の書簡(1章10節~2章18節)は、後代になって加筆された偽書であると考えられる。語彙や文体が第二マカバイ記のものとは異なっており、内容的に見ても第二マカバイ記の時代と矛盾する所があるためである。しかし、この第二の書簡から判断すると、現行の第二マカバイ記は、要約者による編集からさらに後代になって、編集されたことになる。

マカバイⅡ1:10
「エルサレムおよびユダヤの住民と長老会議およびユダから、油注がれた祭司部族出身であり、プトレマイオス王の師でもあるアリストブロス、およびエジプト在住のユダヤ人に挨拶を送り、あなたがたが健やかであるように祈る。
マカバイⅡ2:13-15
ネヘミヤ時代の諸文書や覚書には同様なことが記述されているほか、ネヘミヤが書庫を建て、歴代の王と預言者に関する書物、ダビデの諸文書、更には奉納物についての王たちの勅令を集めたことも記されている。ユダもまた戦争のため散逸した文書を、我々のためにすべて集めてくれたので、それは現在、我々の手もとにある。そこでもし、これらの文書があなたがたに必要なら、使いをよこしなさい。

したがって、第二マカバイ記は、原著者→摘要編集者→編集者の三つの段階を経ていると見ることができる。なお三つ目の「序文」は、摘要編集者/要約者によるものである。

摘要編集者/要約者

冒頭の手紙は、摘要編集者/要約者が、マカバイ戦争について語るために導入した当時の手紙であると考えられる。

マカバイⅡ1:1
「エルサレムおよびユダヤの地に住むユダヤ人から、エジプト在住の兄弟たちに挨拶を送り、あなたがたの平安を祈る。
マカバイⅡ1:7-10
第百六十九年、デメトリオスが王位にあったときに、我々ユダヤ人は、当時数年続いて我々に襲いかかった艱難と危機のただ中で、あなたがたに書簡を送ったことがある。この艱難は、ヤソンとその一味の者たちが聖地と王国に反逆して立ち上がり、神殿の門に火を放ち、罪なき人々の血を流したことで始まった。我々は主に祈り、聞き入れられたので、いけにえと上等の小麦粉を献げ、燭台に火をともし、パンを供えた。
今こそあなたがたも、このキスレウの月に、仮庵祭に倣って祝いをするように。
第百八十八年。」

このことから考えると、執筆したのはギリシャ支配の第188年、つまり前124年と考えられる。
また、摘要編集者/要約者は次のように書いている。

マカバイⅡ2:19-32
以下のことはキレネ人ヤソンが五巻の著作に明記していることである。
すなわち、ユダ・マカバイとその兄弟たちに関する事柄、大いなる神殿の清めと祭壇の奉献、更にアンティオコス・エピファネスとその息子エウパトルに対しての戦い、ユダヤ人の宗教を守り抜くため雄々しく戦った者たちに天から示された数々のしるし、すなわち、寛大なる主の憐れみにより、彼らが少人数にもかかわらず、全地方を奪回し、野蛮な異邦人たちを追い払い、全世界に聞こえた神殿を取り戻し、都を解放し、まさに瀕死の律法を蘇生させたこと、等々。
以上の五巻の事柄を、我々は一巻に要約したい。それというのもヤソンの書は、物語の展開のみに興味を持つ人には、数字が多すぎ、資料が煩雑すぎると思われるからである。物語の筋を追ってみたい人を夢中にさせ、暗唱したい人にはそれを容易にさせ、ともかくこの本を手にするすべての人に役立つように努めたい。
要約を自らに課してみたものの、これは心を削り、身をそぐ仕事であって、容易なことではない。ちょうど、他人のために宴会の裏方に徹するときの苦労のように、多くの人を喜ばすためには、進んでこの労苦を我慢もしよう。事細かな著述は著者ヤソンに譲り、我々は要約を記すことに徹しよう。というのも、家を新築する際、棟梁は、構造全体を配慮しさえすればよいが、装飾や塗装を担当する者は、その部分がうまく調和しているかどうか気を配らねばならないからだ。我々の場合もまさしく同じだ。細部に立ち至り、あれこれと論議、詮索するのは、物語の原著者の仕事で、他方、文章を簡潔にし、煩雑なことに立ち入らないのは、我々要約者の仕事として当然ではないか。
前置きはこれぐらいにして話を始めることにしよう。いつまでも物語の入り口にとどまって、本題をおろそかにするのは愚かなことである。

構成

  • エジプトのユダヤ人への書簡(1:1-2:18)
  • 序文(2:19-2:32)
  • ヘリオドロスの神殿冒涜のたくらみ(3:1-3:40)
  • 迫害(4:1-7:42)
  • ユダの勝利と神殿の清め(8:1-10:8)
  • 新たなる迫害(10:9-15:36)
  • 結び(15:37-15:39)

最終更新:2017年08月01日 20:46