マタイによる福音書

マタイによる福音書(ギリシア語: Κατά Ματθαίον Ευαγγέλιον [Kata Matthaion Euangelion]、ラテン語: Evangelium Secundum Mattheum)は、新約聖書におさめられた四つの福音書の一つ。『マタイによる福音書』、『マルコによる福音書』、『ルカによる福音書』の三つは共通部分が多いことから共観福音書とよばれる。

本書の目的は、イエスこそが「モーセと預言者たちによって」予言され、約束されたイスラエルの救い主(キリスト)であると示すことにあり、イエスにおいて旧約聖書の預言が成就していることを示すことであった。『マタイによる福音書』には旧約聖書(ギリシア語訳・七十人訳)の引用が多く見られるが、それらはイエスの到来を予告したものとして扱われている。旧約からの引用箇所は65箇所にも上り、43箇所は地の文でなく語りの中で引用されている。この福音書の狙いは「私は廃止するためでなく、完成するために来た」という言葉にもっともよく表現されている。

『マタイによる福音書』は、イエスはキリスト(救い主)であり、第1章1~17節の系図によれば、ユダヤ民族の父と呼ばれているアブラハムの末裔であり、またイスラエルの王の資格を持つダビデの末裔として示している。このようなイエス理解から、ユダヤ人キリスト教徒を対象に書かれたと考えられる。

また、反ユダヤ的色彩があり、そのユダヤ人観がキリスト教徒、特に中世のキリスト教徒のユダヤ人に対する視点をゆがめてきたという説もある。イエスの多くの言葉が当時のユダヤ人社会で主導的地位を示していた人々への批判となっており、偽善的という批判がそのままユダヤ教理解をゆがめることになったというのである。しかし、実際にはユダヤ教の中でも穏健派というよりは急進派・過激派ともいえるグループがキリスト教へと変容していったとみなすほうが的確である。

著者

『マタイによる福音書』自身には、著者に関する記述はない。

この福音書の著者は、教会の伝承では徴税人でありながらイエスの招きに答えて使徒となったマタイであるとされている。

マルコ2:14
そして通りがかりに、アルファイの子レビが収税所に座っているのを見かけて、「わたしに従いなさい」と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った。

マタイ9:9
イエスはそこをたち、通りがかりに、マタイという人が収税所に座っているのを見かけて、「わたしに従いなさい」と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った。

ルカ5:27-28
その後、イエスは出て行って、レビという徴税人が収税所に座っているのを見て、「わたしに従いなさい」と言われた。彼は何もかも捨てて立ち上がり、イエスに従った。

その理由として、福音書の特徴より著者が『ユダヤ人クリスチャンであること』、『旧約聖書についての知識、興味があること』、『律法学者の伝承に通じていること』があげられ、内容的に『金銭問題』や、『徴税人』について数多く触れられていることなどがあげられる。

この「マタイ」著者説を支えるのは、紀元後二世紀中葉近くの、小アジアはヒエラポリスの司教パピアスである。彼によれば、「マタイはヘブライ語で(主)のロギア〔「言葉」「発言」「詞」の複数系〕を集大成した」という。

マタイはヘブライ語で神託をまとめた。

エウセビオス『教会史』6巻25章3-6節
最初のもの(最初の福音書)は,かつて収税人であったが後にイエス・キリストの使徒となったマタイによって……ヘブライ語で……書かれた。

つまり、はじめにヘブライ語で福音書を書き、その後ギリシャ語に翻訳されたとパピアスは考えていたようであるが、存在するはずのヘブライ語原典はいまだ見つかっておらず、はじめからギリシャ語で書かれたと一般的には考えられている。

しかしながら、近現代の高等批評の立場に立つ聖書学者の多くはこの伝承を疑問視している。現代、高等批評の立場に立つ学者たちでもっとも有力な仮説とみなされているのは二資料説と三資料説である。

二資料説では『マタイによる福音書』は『マルコによる福音書』と「イエスの言葉資料(語録)」(ドイツ語のQuelle(源泉)から「Q資料(仮説上の仮想資料で、存在が証明されていない。)」という名前で呼ばれる)から成立したと考えられている。

また三資料説では、二資料(マルコ福音書とQ資料)に加えて、「M資料」というマタイによる福音書独自の資料(例えば、マタイ16章の教会の土台に関する箇所など)も執筆時に参考にしていると主張している。

以上のことから、執筆年代としては必然的にマルコ福音書より後となる。また、盛大な宴会のたとえにある以下の記述によりマタイ福音書著者は西暦70年のエルサレム陥落を知っていたと考えられる。

マタイ22:7
そこで、王は怒り、軍隊を送って、この人殺しどもを滅ぼし、その町を焼き払った。

存在理由

加藤説によれば、4福音書が存在している理由は、各福音書の著者が、他の福音書を、自分の立つ立場に不十分と考えたため、独自の改訂版を出す必要があったからだとする。マタイとルカは、マルコの中身を知っていたが、その内容では、自分ないし派閥のためには、都合が悪いと考えた。全否定をするのではないが、修正をする必要性を感じていたとする。

マルコ福音書は、前提として、聖霊を受ける(神と直接つながる)人は、イエス以外にも現れうるとする。そして、そうした聖霊を受けた人がとるべき行動を、イエスという実例をもって語ったものである。そして、聖霊を受けていない者は、弟子たちですら、すべて否定的に書かれている。
しかし、そのように否定されては、現実に教会で信者となっている人たちの行動は無意味なものとなってしまう。
そこで、聖霊は受けていなくとも、イエスが新たに課した掟を守れば、イエスを通じて、神とつながりうるという立場を、マタイはとることとしたのである。

構成

『マタイによる福音書』は、時系列ではなくテーマ別に構成されている。
1.イエスの降誕
  • イエス・キリストの系図(1:1-17)
  • 誕生の次第、幼年時代(1:18-2章)
2.公生涯の準備と初期伝道(4章)
  • 公生涯の準備(3章-4:16)
3.説教(5-7章)
4.奇跡(8-9章)
5.使徒に対する教訓(10章)
6.たとえ(13章)
7.五千人への食べ物の奇跡からダビデの子問答までの時系列(14-22章)
8.律法学者やパリサイ人に対する譴責(23章)
9.再臨に関する警告及び比喩(24-25章)
10.イエスの死と復活(26-28章)
最終更新:2017年11月25日 13:30