ルカによる福音書

『ルカによる福音書』(ギリシア語: Κατά Λουκάν Ευαγγέλιον [Kata Loukan Euangelion]、ラテン語: Evangelium Secundum Lucam)は、新約聖書中の一書で、イエス・キリストの言行を描く四つの福音書のひとつ。『マタイによる福音書』、『マルコによる福音書』、『ルカによる福音書』の三つは共通部分が多いことから共観福音書とよばれる。

福音書中には一切著者についての言及はないが、それぞれの冒頭部分の献辞などから『使徒言行録』と同じ著者によって執筆されたことは古代から認められており、現代の学者たちのほとんどが本福音書と使徒言行録は著者による二巻の作品が新約聖書の成立過程でイエスの生涯を記す福音書と、イエス後の教会の発展史という観点から分離して配列されることになった可能性が高いと考えている。

ルカ福音書と使徒言行録はそれぞれ次のように始まる。

ルカ1:1-4
わたしたちの間で実現した事柄について、最初から目撃して御言葉のために働いた人々がわたしたちに伝えたとおりに、物語を書き連ねようと、多くの人々が既に手を着けています。そこで、敬愛するテオフィロさま、わたしもすべての事を初めから詳しく調べていますので、順序正しく書いてあなたに献呈するのがよいと思いました。お受けになった教えが確実なものであることを、よく分かっていただきたいのであります。

使徒言行録1:1-2
テオフィロさま、わたしは先に第一巻を著して、イエスが行い、また教え始めてから、お選びになった使徒たちに聖霊を通して指図を与え、天に上げられた日までのすべてのことについて書き記しました。

ルカ福音書では "κράτιστε Θεόφιλε(敬愛するテオフィロさま)" とあるが、使徒言行録では "ὦ Θεόφιλε(テオフィロよ)" となり、テオフィロに対する扱いが明らかに変わっている。このことに関して、ウィリアム・バークレー(1907-1978)は次の三点を推測した。

  1. テオフィロは本名ではない。当時、キリスト教徒になることは、危険であった。テオフィロは二つのギリシャ語から成っている。「神」を意味するセオスと、「愛すること」を意味するフィレインとである。よって、「神を愛する者」の意味となる。
  2. テオフィロはローマ政府の高官であった。ルカはテオフィロに、キリスト教徒は善良で立派な人々であることを教えたかったのであろう。
  3. 医者であるルカはテオフィロのお抱え医者だった。テオフィロが病気で死にかけたとき、ルカは医術でテオフィロの命を救った。当時の医者は奴隷であったが、テオフィロはそのお礼にルカを自由にしてやった。ルカは、自分がこの恩恵をどれほど感謝しているかを何かであらわしたいと思った。ルカが持っているもので一番高価なものは、イエスの物語であった。ルカはそれを書き送った。ルカが受け取った自由への返礼として、テオピロに捧げるにふさわしい、一番大切なものだったからである。

著者

聖書に現れるルカは医師である。『コロサイ人への手紙』はパウロの作なのか、テモテとの共著なのかが問題となっているが、少なくともパウロと直接関連のある書であることは間違いない。そのコロサイ人の手紙には次のように書かれている。(コロサイ4:14)
愛する医者ルカとデマスも、あなたがたによろしくと言っています。

紀元二世紀末の、いわゆる「ムラトリ正典目録」によれば、この福音書の著者は、「医者」であったルカである。(ムラトリ正典目録2-9)
第三福音書はルカによる。ルカは、"その"医師である。キリストの昇天の後、パウロが彼を彼の旅行の同行者として彼とともに連れて行ったとき、調査の上で、彼の名で書いた。―しかし彼らのいずれも自ら主にあったことはなかった。― かくして、彼が調査できたように、それゆえ彼もヨハネの生誕からの物語を話し始めた。

また、紀元後180年代の教父エイレナイオスも、パウロの「同行者」(フィレ24)ルカがパウロの福音を書にしたためたという。(エウセビオス『教会史』5巻8章3)
また、パウロの同行者であったルカは、その書の中に、パウロが宣べ伝えた福音を記録した。

エウセビオスによれば、ルカはアンテオケの生まれという。(エウセビオス『教会史』3巻4章7節)
ルカはアンテオケの生れで、医術を職業としていた。

因みに、医者ルカについては、4世紀頃の幾つかの資料が、ルカは生涯独身で、パウロの死後ギリシャに行き、アカイヤ、小アジアで伝道活動を行い、テーバイに於いて84歳で亡くなった、と伝えている。現在、東京築地の聖路加病院も含めて世界中にルカの名前を被せた病院は多い。

『ルカ福音書』の成立年代は未詳だが、その上限は(「二資料仮説」を前提とするが)『マルコ福音書』の成立時期であり、下限はマルキオンの正典編纂の試みである。紀元60年から80年までの間にかかれたことは確かであろう。

ルカが著者であることが疑わしい唯一の点はその職業にある。古代ローマ帝国では医師は奴隷身分の職業であった。しかし、ルカ福音書の著者は奴隷身分ではなかった。かなり裕福な家庭の出で、正規の教育を受けたことは、書かれたギリシャ語を見てもわかる。語彙も豊富で歴史の知識もしっかりしている。医師よりもより教養のある人物が、自らをルカに仮託して書いた可能性があるのである。

存在理由

加藤説によれば、4福音書が存在している理由は、各福音書の著者が、他の福音書を、自分の立つ立場に不十分と考えたため、独自の改訂版を出す必要があったからだとする。マタイとルカは、マルコの中身を知っていたが、その内容では、自分ないし派閥のためには、都合が悪いと考えた。全否定をするのではないが、修正をする必要性を感じていたとする。

マルコ福音書は、前提として、聖霊を受ける(神と直接つながる)人は、イエス以外にも現れうるとする。そして、そうした聖霊を受けた人がとるべき行動を、イエスという実例をもって語ったものである。そして、聖霊を受けていない者は、弟子たちですら、すべて否定的に書かれている。

ルカの時代において、キリスト教はユダヤ教との距離は、一層ひろがり、ユダヤ人以外にも信者が増えていった。こうした状況から、ユダヤ中心主義ではなく、普遍主義的なドグマが必要となってきた。この背景にあるのが、多くの民族を支配する、ローマ帝国の支配手法としての、普遍主義であった。
ルカは、マルコ福音書のように、聖霊を受けうる者が複数存在する、という前提をとる。しかし、聖霊を受けたとしても、その活動には程度の差があり、必ずしもイエスのような活動ばかりではない。
ルカは、脱ユダヤ中心主義のテキストを必要としたのである。

構成

  • 献呈の言葉、プロローグ(1:1-4)
  • 誕生の次第、幼年時代、イエス・キリストの系図、公生涯の準備(1:5-4:13)
    • 誕生の次第、幼年時代(1:5-2章)
    • 公生涯の準備(3章-4:13)
  • ガリラヤ及びその周辺での公の活動(4:14-9:21)
  • ガリラヤにおける私的な活動(9:22-9:56)
  • ユダヤにおける活動(10-21章)
  • イエスの死と復活(22-24章)

『父よ、彼らを赦し給へ、その爲す所を知らざればなり』

ルカ福音書におけるイエスの磔刑の場面では、イエスの次の言葉がある。
ルカ23:34
〔そのとき、イエスは言われた。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」〕人々はくじを引いて、イエスの服を分け合った。

この聖句は後世になって挿入されたものだが、ステファノの殉教の記事は本節を前提にしていること、ルカの神学とキリストの精神に調和していること、さらに、使徒教父であるイグナティオスの『エフェソ人への手紙』に現れることから、伝統的に正当性が認められている。(なお、同じ個所でペテロの手紙一2:23からの引用がある。)

イグナティオス『エフェソ人への手紙』10章、563-565
我らの親切さによって我らに彼らを兄弟にさせなさい。汝らは汝らを憎しむ者へそう言うからこそ、汝らは、主の名が賛美されうる我らの兄弟なのです。また我らに主を真似させなさい。「ののしられてもののしり返さなかった。」彼(主)は磔にされたとき、彼(主)は「苦しめられても人を脅さなかった」とは答えませんでしたが、彼(主)の敵らのために、「父よ、彼らをお許しください。自分が何をしているのか知らないのです。」と祈りました。

最終更新:2020年10月04日 14:55