旧約聖書の
12小預言書の一書。著作年代は不明である。
バビロン捕囚より以前か以後かすら、学者によって意見が分かれる。前半の1~2章は大軍になぞらえられたイナゴの害を描き、預言者的人物が民に悔い改めを迫る。断食と祈りのあとで、神の救いの約束と感謝が語られている。
執筆年代
執筆年代にはいくつか説がある。
1.捕囚以前説(フリーマン、ヤング、アーチャー等が説いている)
BC830年ごろ(ヨアシュ王の時代)にユダ王国で執筆された。(理由は以下のとおり)
(1)
アモス書にヨエルの文体の影響が見られるので、アモス書より前に書かれた。
(2) 文体が捕囚後の預言書の文体と異なる。
(3) 王ではなく、祭司や長老が出てくるのは、ヨアシュ王が幼少であったため、摂政を必要としていたからではないか。
2.捕囚以後説(ファイファー、トライヴァー等が説いている)
BC350年ごろ~BC200年ごろ(ペルシャ帝国時代)にエルサレム近くで執筆された。(理由は以下のとおり)
(1) アラム・アッシリア・バビロンなどが出てこない。
(2) 黙示文学的な色彩が濃い。
(3) 4章6節に「ギリシャ人」が出てくる。また4章1~3節にエルサレム陥落と見られる記述がある。
(4) 「祭司」「主の神殿」「シオン」「わが聖なる山」」といった記述がある。
マイヤースなどは、ヨエル書の執筆年代を、エルサレム帰還後で、エルサレム神殿再建完了(BC516年)の前に置いている。
エドモン・ジャコブなどは、アモス書 5章18~20節にも、主の日(神による審きの日)の到来という、ヨエル書と同じテーマを扱っていることなどから、執筆年代をアモスやホセアと同年代(BC8世紀前半のヤラベアムⅡ世統治のころ)と考えている。
構成
構成は写本の系統によって異なり、ギリシア語訳聖書である
七十人訳聖書 および ラテン語訳聖書であるウルガタでは3章に分けられており、日本でも口語訳聖書 および 新改訳聖書がこれにならっている。それに対して、旧約聖書ヘブライ語原典(
マソラ本文)では4章に分割され、日本では新共同訳聖書がこれにならっている。したがって、
キリスト教では、3章に分けたものを使っている教会と、4章に分けたものを使っている教会に分かれている。分け方の違いは、前者の2章28~32節の部分が、後者では独立した章(第3章)になっている。
最終更新:2017年05月27日 08:17