この見方では、『黙示録』は、紀元前2世紀以降のユダヤ教で起こった終末思想とそれにしたがって書かれた『
ダニエル書』などの一連の黙示文学の影響を受けた
キリスト教的黙示文学であると解釈する。この見方が18世紀以降、自由主義神学の高等批評を受け入れる研究者の中では主流となっている。この解釈に沿ってみていくと、『黙示録』が『ダニエル書』などの一連の黙示文学と同じ「幻のうちに受ける啓示」、「歴史区分の提示」、「神の完全な支配の実現」などのパターンに沿って書かれているということがよくわかるとされる。
ヨハネ
福音書およびヨハネ書簡そもものについても、作者が使徒ヨハネである可能性は低いと考えられているが、ヨハネ福音書とヨハネ書簡には思想や文体に共通性があり、同じ思想をもつ複数の人物によって書かれたと推測されている。仮にそれを「ヨハネ教団」とここでは呼ぶこととする。
しかし、ヨハネ福音書は、他のヨハネ福音書やヨハネ書簡とも思想がまったく異なるため、「ヨハネ教団」とは全く関係のない第三者が書いたと考えられている。
ヨハネの黙示録の本文を読むと、1:1~8まではヨハネが書いたという事実を第三者の立場から書いていることがわかる。(黙示録1:1-2)
イエス・キリストの黙示。この黙示は、すぐにも起こるはずのことを、神がその僕たちに示すためキリストにお与えになり、そして、キリストがその天使を送って僕ヨハネにお伝えになったものである。ヨハネは、神の言葉とイエス・キリストの証し、すなわち、自分の見たすべてのことを証しした。
そして改めて作者がヨハネだと主張するのである。(黙示録1:9)
わたしは、あなたがたの兄弟であり、共にイエスと結ばれて、その苦難、支配、忍耐にあずかっているヨハネである。わたしは、神の言葉とイエスの証しのゆえに、パトモスと呼ばれる島にいた。
従って、この冒頭部分は後に外挿されたものと考えられる。
最終更新:2016年09月22日 14:49