ローマの信徒への手紙

パウロ書簡の一書。真筆性は極めて高いとされる。

本書はコリントスあるいは本書の筆記者テルティオがいるケンクレアイ(エーゲ海に面したコリントス至近の港)において書かれたと思われる。ケンクレイアイのフェベがローマに送り、コリントスのガイオが執筆中に傍らにいたという。さらにコリントの街の会計係をエラストがつとめていたという。

コリントの信徒への手紙一』を記した後、パウロは小アジアの都市エフェソスを離れてマケドニア州へ向かうことにした。エフェソスでの宣教活動は成功を収め、それがためにパウロは反対者の活動によってエフェソスにいることが難しくもなっていたのである。エフェソスから陸路トロアスへ到着したパウロはそこから海路、マケドニア州へ入るつもりであった。しかし第一の書簡を運んでコリントへ行っていたテトスとトロアスで合流しようというもくろみはうまく行かなかったので不安にかられた。しかしマケドニアのフィリピでテトスと再会することが出来、二人は喜び合った。パウロはテトスからコリントの共同体の状況について聞くことができた。その時に『コリントの信徒への手紙二』を書いたものと思われる。コリントの共同体がこのあと、どうなったのかはわからないが、『使徒言行録』20:2によればパウロはこのあと、コリントを訪れて三ヶ月訪問し、同地で本書簡を執筆している。(使徒20:1-3)

使徒20:1-3
この騒動(銀細工師デメトリオがパウロが彼らの職を妨害していると訴えたことによる騒動)が収まった後、パウロは弟子たちを呼び集めて励まし、別れを告げてからマケドニア州へと出発した。そして、この地方を巡り歩き、言葉を尽くして人々を励ましながら、ギリシアに来て、そこで三か月を過ごした。


パウロが本書簡を執筆した目的は15章の後半に書かれている。それによれば
  • 小アジアで集めた募金を渡すためのエルサレム訪問にあたってローマの信徒たちの祈りを頼むこと
  • エルサレム訪問後はローマ滞在を経てイスパニアに向かうという計画を伝えること
  • パウロはローマを訪れたことがないので、偽教師によって信徒たちが混乱しないように教えをまとめて書き送ること
  • パウロがローマの共同体でユダヤ人と異邦人がうまくいっていないことに気づいていること
などが執筆の目的であることがわかる。

著者

冒頭にパウロであると明記されている。(ローマ1:1)
キリスト・イエスの僕、神の福音のために選び出され、召されて使徒となったパウロから、――
上記で述べたように、これは真性のパウロ書簡だと考えられている。

構成

  • 前置き、挨拶と訪問希望の表明、主題提示(1:1-1:17)
  • 信仰による義(1:18-5:11)
  • キリストにおける生(5:12-8:39)
  • イスラエルの救い(9:1-11:36)
  • 実践的勧告(12:1-15:13)
  • 結び、計画の表明と個人的挨拶(15:14-16:27)

なお、パウロはこの手紙を口述筆記させて書いている(16・22)。一回に口述筆記して書くことができる分量には限度が{あり、それはほぼ同量であると考えられるので、この長大な手紙は次の四回に分けて口述されたと見られる。

  • 第1回 1章~5章11節(計97節)
  • 第2回 5章12節~8章(計97節)
  • 第3回 9章~11章(計90節)
  • 第4回 12章~15章(計90節)

最終更新:2017年01月19日 17:04